第12話 似た者同士の相談会 ◇
オリバーから返事が届いたのは、手紙を出した翌日のことだった。
『僕も相談したいことがあります。ぜひ会いましょう』
短い返事を読み終えた瞬間、俺は自分でも分かるほど肩の力が抜けた。
もちろん、オリバーが何について相談したいのかまでは書かれていない。それなのに、勝手に同じ悩みを抱えているような気がして安心してしまうのは、少し気が早いのかもしれない。
けれど、先日二人でそれぞれの婚約者への贈り物を選んだばかりなのだ。
(たぶん、贈り物のことだよな……)
俺はオリビアへ、若草色の石をあしらった銀のブローチを贈った。
一方、オリバーは婚約者へ、深い紫紺の布地に銀糸で小さな花を刺繍したハンカチを選んでいた。そして、そのハンカチとまったく同じものを、俺はオリビアから受け取った。
あの店には、色違いも意匠違いも数えきれないほど並んでいた。だから、偶然にしては出来すぎていると思ったものの、それだけで何か説明がつくわけではない。
オリバーとオリビアは、どう見ても別人だ。
髪の色も、背丈も、纏う雰囲気も違う。何より、オリバーは男で、オリビアは女だ。
そんな二人を結びつける理由などあるはずもなく、結局、あれは妙な偶然だったのだと考えるしかなかった。
それより今の俺には、もっと気になることがある。
(オリビア、本当に喜んでくれたのかな……)
あの日、彼女は確かに「嬉しい」と言ってくれた。
若草色の石を見てオリビアの瞳を思い出したのだと伝えたときには頬を赤くして、ブローチも大切にすると言ってくれた。
だから、嫌だったわけではないと思う。
それでも、包みを開いた直後にほんの一瞬だけ固まったことが、どうしても頭から離れなかった。
オリビアは優しい人だ。俺が選んだものを目の前にして、たとえ好みに合わなかったとしても、それを素直に口にするとは思えない。
(……どこまで、本当に喜んでくれたんだろう)
考え始めると、いくらでも不安になれた。
(本人に聞ければ、一番早いんだけどな)
『本当に気に入ってくれた?』
たったそれだけのことだ。
けれど、それができる男なら、十年もこんなことにはなっていない。
俺は小さく息を吐き、胸元の黄色いブローチへ指先で触れた。
今日もまた、レベッカの手によってエリーの姿になっている。
最初こそ鏡を見るたびに落ち着かなかったが、何度か繰り返すうちに、この姿にも少しずつ慣れてきてしまった。
「お兄様、最近ずいぶん自然になってきましたね」
嬉しそうなレベッカにそう言われ、俺は眉を寄せた。
「それは褒めているのか?」
「もちろんです」
「……あまり嬉しくないな」
それでも否定しきれないあたりが、少し悔しい。
そんな妹を残して屋敷を出ると、俺はいつもの店へ向かった。
◇
店へ入ると、いつもの席にオリバーがいた。
俺に気づくと、若草色の瞳を細めて笑う。
「エリー」
「こんにちは、オリバー」
向かいの席に腰を下ろすと、俺たちはいつものように紅茶と菓子を注文した。
こうしてオリバーと向き合うことにも、すっかり慣れてしまった。
初めて会った頃は、男装の騎士見習いという珍しさもあって多少構えていたはずなのに、今では肩の力を抜いて話せる相手になっている。
それが不思議で、少し心地いい。
注文を終えたところで、俺たちはほとんど同時に口を開いた。
「それで、贈り物は――」
「贈り物、どうでした?」
「…………」
「…………」
一瞬見つめ合ったあと、どちらからともなく笑いが零れた。
「やっぱり、それでしたか」
「オリバーも?」
「はい」
やはりオリバーも同じことを相談したかったらしい。それが分かっただけで、俺は少しだけ安心した。
「では、エリーからどうぞ。手紙をくださったのはエリーですから」
「……分かりました」
俺は膝の上でそっと指を組み、言葉を選ぶように一度だけ視線を落とした。
「渡しました。あのブローチ」
「どうでした?」
オリバーが少し身を乗り出す。
自分のことでもないのに、まるで結果を楽しみにしていたかのような顔だ。
「喜んでは、くれたと思います」
「それなら、よかったじゃないですか」
あまりにも迷いなく返ってきた言葉に、俺は少し困ったように笑った。
「……そうなんですけど」
「何かあったんですか?」
「包みを開けた瞬間、ほんの少し固まったんです」
「固まった?」
オリバーが目を瞬く。
「一瞬だけです。そのあとすぐに、嬉しいと言ってくれましたし、気に入ったとも言ってくれました。だから、嫌だったわけではないと思いたいんですけど……」
そこまで言ってから、我ながら情けなくなり、俺は視線を落とした。
「どこまで本当に喜んでくれたのか、分からない?」
「……はい」
オリバーはすぐには答えず、少し考えるようにカップへ目を落としたあと、穏やかな声で言った。
「僕はその場を見ていたわけではないので、断言はできませんけど……驚いただけということもあると思います」
「驚いただけ?」
「思ってもみなかった相手から、思ってもみなかった贈り物をされたら、嬉しくてもすぐに反応できないことってあるんじゃないでしょうか」
その言葉に、胸の奥がわずかに痛んだ。
オリビアにとって、俺から何でもない日に贈り物をされること自体が、それほど意外だったのだろうか。
考えてみれば当然だ。今まで一度もしたことがないのだから。
「それに、そのあとちゃんと嬉しいと言ってくれたんですよね?」
「はい」
「なら、まずはその言葉を信じてもいいんじゃないですか? 少なくとも僕なら、本当に何とも思っていないのに、何度も嬉しいなんて言わないと思います」
不思議と、その言葉はすんなり胸の中へ落ちてきた。
オリビアは確かに嬉しいと言ってくれた。しかも、以前俺が贈ったハンカチを今でも大切に使っていることまで教えてくれた。
それを全部疑う方が、よほど彼女に失礼なのかもしれない。
「……ありがとうございます」
「いえ」
オリバーが柔らかく笑う。
その表情に、以前見た笑顔が重なった。婚約者の話をしていたときにも、こんなふうに嬉しそうに笑っていた。
――あのとき俺は、思わず可愛いと思ったのだ。
(……やっぱり、少し似ているんだよな)
ふと、そんなことを思った。
何が、と聞かれても上手く答えられない。黒い髪に、男らしく整えられた顔立ち。背丈も纏う雰囲気も、オリビアとはまるで違う。
それなのに、若草色の瞳は驚くほどよく似ている。
いや、それだけではない。こうして柔らかく笑ったときなど、顔立ちまでどこか重なって見えることがある。
(……オリビアに似てる?)
そう思った途端、自分でも妙なことを考えている気がして、俺は小さく首を振った。
性別も違えば、背丈も雰囲気も違う。似ているように思えるのは、単に瞳の色が同じだからだろう。
「エリー?」
「……すみません。少し考え事を」
誤魔化すように笑い、まだ引っかかっている違和感を胸の奥へ押し込める。今は考えても答えが出そうになかった。
「それで、オリバーは?」
「ああ……はい」
そう促すと、オリバーは少し困ったように笑った。
「実は……僕もほとんど同じなんです」
「同じ?」
「婚約者に、あのハンカチを渡しました」
「はい」
「嬉しいとは言ってくれました。すごく気に入ったとも」
「なら、よかったじゃないですか」
先ほどオリバーに言われたのと、ほとんど同じ言葉が口から出た。
「……そうなんですけど」
そこで言葉を濁したオリバーを見ているうちに、俺は何となくその先を察した。
「……まさか、最初に固まったんですか?」
「はい」
「…………」
「…………」
しばらく見つめ合ったあと、今度は堪えきれず、二人そろって笑った。
「……同じですね」
「同じですね……」
ここまで状況が似ているとは思わなかった。
けれど、オリバーは笑いながらも、やはり少しだけ不安そうだった。
「ちゃんと嬉しいとは言ってくれたんです。でも、やっぱり気を遣ってくれただけだったらどうしようかと思って」
「それはないと思います」
気づけば、俺は考えるより先にそう答えていた。
思いのほか強く言い切ったせいか、オリバーが意外そうに目を瞬く。
「どうしてそう思うんです?」
「本当に驚いたときって、嬉しくてもすぐに言葉が出ないことがあると思うんです」
それは、誰より俺自身がよく分かっている。
俺もあのハンカチを見た瞬間、完全に固まった。けれど、気に入らなかったわけではない。
色も刺繍も俺の好みに合っているし、何よりオリビアが俺のために選んでくれたという事実が嬉しかった。
「だから、一瞬固まったことだけで、その方がハンカチを気に入らなかったとは思わなくていいんじゃないでしょうか。それに、そのあとちゃんと嬉しいと言ってくださったのでしょう?」
「はい」
「なら、私ならその言葉を信じます」
さっきオリバーが俺に言ってくれたことを、そのまま返したようなものだった。
それでもオリバーは、少しほっとしたように笑った。
「……エリーにそう言ってもらえると、安心します」
「私も、オリバーに言ってもらって安心しました」
「僕たち、似たようなことで悩みすぎですね」
「本当に」
あまりにも似たようなことで悩んでいるのがおかしくて、しばらく顔を見合わせたあと、どちらからともなく笑いが零れた。
「自分のことなら、もっと簡単に考えられるんですけど」
「相手が婚約者になると、急に分からなくなるんですよね」
「分かります」
「ですよね」
こんなところまで似ているらしい。
もしそれぞれの婚約者を前にしても、今みたいに素直に話せたなら、何も悩む必要などないのかもしれない。
けれど、それができないからこそ、こうして二人で相談し合っているのだ。
しばらく他愛のない話をしていると、オリバーがふと思い出したように言った。
「そういえば、しばらくしたら少し忙しくなるかもしれません」
「忙しく?」
「はい。騎士団の仕事を手伝うことになりまして」
「オリバーが?」
「見習いなので、本当に補助程度ですけど。親戚に騎士団の人がいて、その人から人手が足りないから手伝ってくれないかと頼まれたんです」
「親戚……」
「昔からよく世話になっている人なんです。かなり気安い相手なので、たぶん今回も遠慮なくこき使われると思います」
困ったような口ぶりなのに、その表情はどこか楽しそうだった。
きっと、本当に気を許している相手なのだろう。そんなことまで自然と伝わってくる。
そんな二人の関係を想像すると、なぜか少しだけ気になった。
「……ずいぶん親しいんですね」
「そうですね。昔からなので」
「……そうですか」
胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。
オリバーに親しい相手がいることなど、何もおかしくない。親戚ならなおさらだ。
それなのに、どうにもその話が引っかかった。
「口は悪いんですけど、頼りになる人なんですよ。剣の腕もかなりのものですし」
「……そうなんですね」
(そこまで聞いてない)
そんなことを思った自分に、俺は内心で眉を寄せる。
(……何を気にしているんだ、俺は)
「エリー?」
「いえ。何でもありません」
そんな自分の反応を誤魔化すように小さく笑う。これ以上考えても答えが出そうになくて、ひとまずその違和感を胸の奥へ押し込めた。
「それで、どんな仕事なんですか?」
「まだ詳しいことは聞いていません。ただ、王都近郊で魔物が増えているらしくて。その関係だとは言っていました」
「魔物……」
「討伐になったとしても、僕は見習いですから、後方の補助や周囲の警戒くらいだと思います」
「危なくはないんですか?」
思った以上に強い声が出たせいか、オリバーが少し驚いたように目を瞬いた。
「大丈夫ですよ」
「でも、魔物でしょう?」
「一応、騎士見習いですから。剣なら、それなりに使えます」
さらりと言って、オリバーは大したことではないとでもいうように笑った。
そういえば、初めて会った日もそうだった。
俺に絡んできた男たちの間へ、オリバーは躊躇なく入ってきた。あのときも落ち着いていて、騎士見習いという肩書きが似合う立ち振る舞いをしていた。
それでも、実際に魔物を相手にするかもしれないと聞けば心配になる。
「……無茶はしないでくださいね」
「はい」
「見習いなのに一人で前へ出たりしないでください」
「しませんよ」
「本当に?」
自分でも少ししつこいと思う。それでも、確認せずにはいられなかった。
そんな俺を見て、オリバーは少し困ったように笑う。けれど、その表情にはどこか嬉しそうな色も滲んでいた。
「エリーは心配性ですね」
「友人が魔物の関わる仕事に行くと聞いたら、普通は心配します」
「討伐に参加すると決まったわけではありませんけど」
「それでもです」
少しむきになって言うと、オリバーは一瞬目を丸くした。けれど、すぐにその表情を和らげると、どこか嬉しそうに笑ってこちらへ手を伸ばした。
何をするのかと思う間もなく、ぽん、と頭に手が置かれる。
「大丈夫ですよ。ちゃんと無事に戻ってきますから」
「…………」
一瞬、何をされたのか分からなかった。
頭の上に置かれた手のひらは、大きくて温かい。乱暴に撫でるわけでもなく、ただ安心させるように軽く二度、ぽんぽんと触れる。
たったそれだけなのに、胸が妙に大きく跳ねた。
(……今のは、何だ)
オリバーはそんな俺の動揺にも気づかないまま、何気なく手を離した。
「エリー?」
「……いえ」
慌てて視線を逸らす。
ただ、頭を撫でられただけだ。友人同士なら、それくらい――
(…………するか?)
少なくとも、俺は男友達の頭をこんなふうに撫でたことなどない。
けれど今の俺は、見た目だけなら女だ。オリバーからすれば、女友達を安心させるくらいの感覚だったのかもしれない。
そう考えれば、何もおかしくない。
何もおかしくない、はずなのに、頬にはじわじわと熱が集まってくる。
このままでは赤くなっているのが分かってしまいそうで、俺は誤魔化すように両手で頬を包んだ。
少しでも熱を冷ましたくて、そのままそっと押さえながらオリバーを見る。
「……本当に、無茶はしないでくださいね?」
自分でも情けないほど小さな声になった。
頬を両手で包んだまま見上げる形になったせいか、オリバーが一瞬息を呑むように動きを止める。
「……オリバー?」
首を傾げると、今度はオリバーの方がふいと視線を逸らし、そのまま口元へ手を当てる。
「い、いえ。何でもありません」
「?」
何があったのか分からないまま見つめていると、オリバーの耳がわずかに赤くなっていることに気づいた。
けれど理由を尋ねる間もなく、オリバーは口元に手を当てたまま視線を逸らし、誤魔化すようにカップへ手を伸ばした。
「ちゃんと気をつけますから。安心してください」
「……はい」
そう答えながらも、まだ胸の鼓動は少し速い。
(どうしてこんなに動揺したんだ)
オリバーの顔を見ていると、また先ほどの違和感が頭をよぎった。
若草色の瞳。柔らかく笑ったときの表情。どこか、ほんの少しだけオリビアを思い出す。
(……オリビアに似ているから、なのか?)
だから、必要以上に意識してしまったのかもしれない。
そう考えると、少しだけ納得できる気がした。
完全には、納得できなかったけれど。
◇
屋敷へ戻り、元の姿へ戻ったあと、俺は父上に呼ばれて執務室へ向かった。
「失礼します」
「ああ、エリック。ちょうどよかった」
父上は机の上に広げていた書類から顔を上げると、そのうちの一枚を俺へ差し出した。
「数日後、騎士団との打ち合わせに出てもらいたい」
「騎士団と?」
「ああ。王都近郊で魔物の目撃が増えている」
つい先ほど聞いたばかりの話に、俺はわずかに眉を上げた。
「討伐を?」
「今のところは、その予定だ。大規模なものではないが、街道にも近い。被害が出る前に数を減らしておいた方がいいだろう」
渡された書類へ目を落とす。
周辺の地図と、これまでに確認された魔物の数。騎士団から要請されている人員や物資についても、細かくまとめられている。
「まず騎士団側と人員配置や物資について調整する。その後、必要なら現場にも同行してもらう」
「俺がですか?」
「そろそろ、こういう仕事にも慣れておけ。将来、騎士団と調整する機会はいくらでもある」
「……分かりました」
断る理由はない。
父上の仕事を手伝うようになってから、騎士団と関わること自体は何度かあった。ただ今回は、実際の討伐に伴う調整まで含まれるらしい。
「騎士団側も、人手が足りないところは見習いや補助の者を使うそうだ」
その言葉に、ふとオリバーの顔が浮かんだ。
『王都近郊で魔物が増えているらしくて。その関係だとは言っていました』
(……まさかな)
同じ王都近郊とはいえ、騎士団の仕事はいくつもある。必ずしも同じ場所とは限らない。
それに、仮に同じ任務だったとしても、オリバーは見習いとして補助に入るだけだと言っていた。顔を合わせることなど、そうそうないだろう。
「どうした?」
「いえ。何でもありません」
俺は書類へ視線を戻した。
騎士団との打ち合わせに、魔物の討伐。しばらくは少し慌ただしくなりそうだ。
そう思って意識を切り替えたはずなのに、書類を読み進める間にも、黒髪に若草色の瞳をした友人の顔が何度となく頭をよぎった。
(……本当に、無茶しないだろうな)
先ほどは大丈夫だと笑っていた。剣も使えると言っていた。それでも心配になるものは仕方がない。
俺は小さく息を吐き、改めて書類へ意識を戻した。
今は俺の仕事に集中するべきだ。
――そう思いながらも、頭の片隅からオリバーの姿が消えることはなかった。




