第11話 また期待してしまう
昨日のお茶会を思い返すたびに、自然と頬が緩んでしまう。
エリック様は、昨日も本当に素敵だった。
穏やかに微笑んでくださるお顔も、私の話に耳を傾けてくださる横顔も、紅茶のカップを持つ指先も。
何度も目にしているはずなのに、どうしてあの方の仕草は、いつまで経っても私の胸をこんなにも高鳴らせるのだろう。
今回はいつもより少し早くお会いできたこともあって、嬉しさもひとしおだった。
もちろん、お茶会の間はできるだけ平静を装っていたつもりだ。けれど、エリック様が微笑みかけてくださるたびに舞い上がってしまっていたので、きちんと取り繕えていたかどうかは少し自信がない。
それに昨日は、普段あまり見られない表情まで拝見することができた。
私が贈り物をお渡ししたとき、エリック様はほんの一瞬、驚いたように目を丸くなさったのだ。
いつも落ち着いていらっしゃるあの方が、あんなふうに無防備なお顔を見せてくださるなんて。
思い出しただけで胸の奥がくすぐったくなり、私は口元を押さえた。
……可愛らしかったわ。
もちろん、エリック様はとても格好いい方だ。誰に対しても礼儀正しく、穏やかで、何事にも真摯に向き合っていらっしゃる。そんなあの方を、私はずっとお慕いしている。
けれど、昨日のように少し驚いたお顔や、時折見せてくださる困ったような微笑みも、最近はたまらなく愛おしく感じるようになっていた。
格好いいだけではなく、可愛らしいところまであるなんて、本当にずるい方だと思う。
(……いえ、きっと私がエリック様のことを好きすぎるだけなのだろうけれど)
そこまで考えたところで、頬が熱くなっていることに気づいた。
誰も見ていないとはいえ、たった一人で昨日のお茶会を思い返しているだけなのに、こんなにも浮かれてしまうなんて。我ながら少し恥ずかしい。
……まったく、現金なものだと思う。
少し前までは、もう期待するのはやめようと、あんなに自分に言い聞かせていたのに。
エリック様とお会いしても会話は続かず、十年経っても縮まらない距離に、いつしか心が折れてしまっていた。
あの方が私を愛してくださらないのなら、せめて婚約者として、そして将来は妻として、迷惑をかけずにいられればそれでいい。
そんなふうに考えるようになっていたはずだった。
けれど、最近は以前よりも少しだけ、エリック様が近くに感じられることがある。
昨日のお茶会でも、あの方は私の話に耳を傾け、穏やかに微笑んでくださった。贈り物をお渡ししたときには、普段とは違う表情まで見せてくださったのだ。
それだけで何かが変わったと考えるのは、きっと早計なのだろう。
それでも、もしかしたら――
このまま少しずつでも、お互いのことを知っていけたなら。
家同士の取り決めで結ばれただけの夫婦ではなく、お父様とお母様のように、心からお互いを大切に思い合える夫婦になれる日が来るのかもしれない。
そんな淡い期待が、胸の奥に芽生えてしまっていた。
十年もずっと好きだったのだ。少し距離が縮まったように感じれば、また期待したくなってしまうのも仕方がない。
私は小さく息を吐き、熱くなった頬を落ち着かせようとした。
けれど、昨日のお茶会には、嬉しいことばかりではなく、少し気になることもあった。
エリック様にお渡しした贈り物は、あの方のお気に召したのだろうか。
驚いたようなお顔をなさったあと、嬉しいと仰ってくださったし、微笑んでもくださった。だから、きっと喜んでいただけたのだと思う。
それでも、あの一瞬の反応が気になってしまうのは、私があの方のことになると、どうしても臆病になってしまうからなのかもしれない。
ふと、エリック様にお渡ししたハンカチのことを考えた。
あの方は、使ってくださるかしら。それとも、大切にしまってくださるのだろうか。
どちらでも嬉しいけれど、もしあのハンカチを手に取るたびに、私のことを少しでも思い出してくださったなら。
そんな想像をした途端、また頬が緩んでしまった。
(……ああ、もう。私ったら、何を期待しているのかしら)
けれど、私だってエリック様からいただいた贈り物を見るたびに、あの方のことを思い出してしまうのだもの。
もしあの方も同じだったなら、それだけで十分に幸せだ。
私は傍らに置いていた贈り物へと視線を向け、そっと手を伸ばした。
――エリック様が、私のために用意してくださったもの。
そう思ったところで、ふとエリーの言葉がよみがえった。
『少なくとも、私なら嬉しいです。自分のことを考えて選んでくれたのだと分かったら、それだけで十分嬉しいと思います。好みにぴったり合うかどうかは、その次です』
――本当に、その通りだった。
エリック様はこの若草色の石を見て、私の瞳を思い出したと仰ってくださった。
つまり、少なくともあの方は私のことを思い浮かべながらこの贈り物を選んでくださったのだ。
もしかしたら、私に何を贈ろうか、喜んでもらえるだろうかと、少しくらい悩んでくださったのかもしれない。
そう考えると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
けれど、これをいただいたときには本当に驚いてしまった。
なにしろ、エリーと一緒に選んだ品物だったのだから。
あのときのエリーは、婚約者に喜んでもらいたいと、一生懸命に品物を見比べていた。どれが似合うだろうか、どんなものなら使ってもらえるだろうかと、真剣に悩んでいた姿が今でも目に浮かぶ。
まさか、そんなふうに選んだ品物を、エリック様から贈られることになるなんて。
もちろん、偶然同じものを選ぶことだってあるのだろう。けれど、あまりにも予想外だったせいで、受け取ったときには随分と不自然な反応をしてしまった気がする。
エリック様は、どう思われただろう。
せっかく私のために選んでくださったのに、気に入らなかったと誤解されていたら悲しい。
……今度お会いしたときには、改めてお礼をお伝えしたほうがいいかもしれないわね。
そう考えると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
そこでふと、今度はエリーのことが気になった。
エリーは無事に婚約者へ贈り物を渡せたのかしら。
あれほど一生懸命に選んでいたのだから、喜んでもらえているといいのだけれど。
そういえば、あれからまだ話を聞いていない。どんな反応だったのか気になるし、私も昨日のことを相談してみたい。
エリーなら、エリック様のあの反応をどう思うだろう。
同じように婚約者を慕っているあの子なら、きっと私の気持ちも分かってくれる気がする。
今度会えたら、聞いてみようかしら。
そんなことを考えていたとき、廊下の向こうから聞き慣れた足音が近づいてきた。
「オリビア、いるか?」
扉の向こうから聞こえたのは、お兄様の声だった。
「はい。どうぞ」
返事をすると、ほどなくして扉が開き、お兄様が顔を覗かせた。その手には、一通の封筒が握られている。
「また手紙が来ていたぞ」
「まあ! ありがとうございます、お兄様」
思わず声が弾み、私は差し出された封筒を受け取った。
宛名には、オリバーと書かれている。
騎士団宛てに届くオリバーへの手紙は、いつもお兄様が回収して持ち帰ってくださっている。
騎士団内でもそれなりの立場にいるお兄様だからこそできることであり、私が男装していることを知っているからこそ頼めることでもある。本当にありがたい。
そして、最近こうして手紙をくださる相手といえば、一人しかいなかった。
(……エリーだわ!)
ちょうど会いたいと思っていたところだったので、嬉しくて仕方がない。
「随分嬉しそうだな」
お兄様にそう言われ、私は慌てて顔を上げた。
「そ、そうでしょうか?」
「ああ。そんなに楽しみな手紙なのか?」
「ええ、とても大切なお友達からですもの」
そう答えると、お兄様はどこか面白そうに笑った。
……そんなに顔に出ていたかしら。
少し恥ずかしくなって封筒を胸元へ引き寄せると、お兄様は何かを思い出したように口を開いた。
「そうだ。オリビア、今度ちょっと手伝ってほしいことがあるんだが」
「お手伝い、ですか?」
「ああ。少し人手が足りなくてな。お前なら問題ないと思うし」
お兄様のお手伝いと聞いて、私は首を傾げた。
騎士団のお仕事だろうか。それとも、何か別の用事なのだろうか。
「別に構いませんけれど……お兄様のお手伝いって、何をするんです?」
「まあ、詳しいことはまた話す。最近はよく男になっているんだろう? ちょうどいいと思ってな」
「……ああ、オリバーとして、ということですね」
「そういうことだ」
なるほど。それなら、私にもお役に立てることがあるのかもしれない。
お兄様がわざわざ私に頼むくらいなのだから、少なくとも無理なことではないのだろう。
「ちなみに、剣は必要ですか?」
「……お前はどうして、真っ先にそこを確認するんだ」
「いえ、必要なら準備しておこうかと」
「まだ何を頼むかも話してないだろうが」
呆れたように言われて、私は首を傾げた。
……準備は大切だと思うのだけれど。
「分かりました。予定が合えば、お手伝いしますね」
「助かる。詳しいことが決まったら、また伝える」
「はい」
お兄様は満足そうに頷くと、私の手元へちらりと視線を向けた。
「それじゃあ、邪魔しないうちに退散するか」
「え?」
「手紙、早く読みたいんだろう?」
からかうような笑みを向けられ、私は思わず封筒を見下ろした。
(……もう。お兄様ったら)
「ふふ。ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃあな」
軽く手を振って、お兄様は部屋を出ていった。
扉が閉まるのを見届けてから、私は改めて封筒へと視線を落とした。
エリーからの手紙。
つい先ほど、会いたいと思っていたばかりだというのに、こんなにも早く連絡が来るなんて。
私は逸る気持ちを抑えながら丁寧に封を開き、中から便箋を取り出した。
そこには、いつものように綺麗な文字が並んでいた。
近いうちに、また会えないだろうか。
少し相談したいことがあるのだと、そんな内容が綴られている。
(……まあ)
思わず目を瞬かせたあと、私は小さく笑ってしまった。
エリーも、私に相談したいことがあるのね。
なんという偶然だろう。
私もちょうど、あの子に話を聞いてもらいたいと思っていたところだったのに。
けれど、それ以上に嬉しかったのは、エリーが私を頼ってくれたことだった。
エリーとは、最初こそ思いがけない出会いだったけれど、こうして何度も会ううちに、いつの間にか大切な友人になっていた。
婚約者のことを話すとき、エリーは本当に幸せそうな顔をする。
少し照れながら、それでも嬉しそうに笑う姿を見ていると、こちらまで温かな気持ちになってしまう。
そんなあの子が、私に相談したいと言ってくれているのだ。
もちろん、断る理由なんてない。
むしろ、こちらからお願いしたいくらいだった。
私は早速、返事を書くために机へ向かった。
次に会える日が楽しみだということ。私も少し相談したいことがあるということ。そして、エリーの話もぜひ聞かせてほしいということ。
そんな気持ちを綴っているうちに、自然と筆が進んでいく。
書き終えた手紙を読み返し、封筒に収める頃には、次に会う日のことを考えてすっかり楽しみになっていた。
エリーは、どんな相談をしてくれるのだろう。
もしかしたら、婚約者のことで何か気になることでもあったのかもしれない。
もしそうなら、少しでも力になれたらいいと思う。
私自身、エリック様のことになるとどうしても一人で考え込んでしまう。だからこそ、同じように大切な人を想っているエリーの気持ちは、よく分かるつもりだった。
(……早く会いたいわ)
そう思いながら机の上を片づけていると、ふと、エリック様からいただいた贈り物が目に入った。
昨日のことを思い出すと、胸の奥がまた少しだけ温かくなる。
これまでは、エリック様といえばいつも穏やかで、落ち着いていて、どこか隙のない方だと思っていた。
けれど最近は、それだけではないお顔も少しずつ見せてくださるようになった気がする。
……もっと、知りたい。
できることなら、これからもっと、いろいろなエリック様を知っていきたい。
真剣なお顔も、困ったお顔も、心から楽しそうに笑うお顔も。いつか、私の前でも気兼ねなく見せてくださるようになったら、どんなに嬉しいだろう。
そして、もしもあの方が私と一緒にいる時間を、少しでも楽しみにしてくださっていたなら――
そんなことを想像してしまい、私は思わず両手で頬を覆った。
……ああ、もう。
エリック様のことを考えていると、どうしてこうも欲張りになってしまうのかしら。
ただお会いできるだけで幸せだったはずなのに、今ではもっとお話ししたいと思うし、もっといろいろな表情を見せていただきたいと願ってしまう。
それでも、そんな自分を嫌だとは思えなかった。
だって、仕方がないではないか。
私は、あの方のことが大好きなのだから。




