第9話 何でもない日の贈り物
数日後。
私は再びオリバーの姿になり、エリーと並んで商業地区を歩いていた。
待ち合わせの日時は、数日前に届いたエリーからの手紙で決めていた。
私は騎士見習いのオリバーとして、騎士団の詰所を連絡先にしている。騎士見習いなら詰所宛でも不自然ではないのだろう。エリーも特に疑う様子はなかった。
エリーの方は、知人の店を手紙の受け取り先にしているらしい。
今日は特に行き先を決めていたわけではない。いつものようにどこかでお茶をするのもよかったけれど、たまには街を見て回るのも楽しそうだという話になり、こうして気の向くまま店を覗きながら歩いている。
前回会ったとき、私たちは互いに婚約者との関係が少しだけ前へ進んだことを報告し合った。
エリーはずっと隠していた好きなものを婚約者へ話し、私は甘すぎるものがあまり得意ではないことをエリック様へ伝えた。
たったそれだけのことだったのに、不思議なくらい会話は増えた。
今までなら何を話せばいいのかと必死に考えて、それでも言葉が続かなくなっていたのに、あの日はいつもよりずっと自然に話すことができた。
だから、次も何か一つだけ。
無理に別の自分になろうとするのではなく、自分のことをもう少し知ってもらえたらいい。
そう思ってはいるのだけれど――
「オリバー?」
隣から声をかけられ、私ははっとした。
「すみません。少し考え事をしていました」
「婚約者の方のことですか?」
「……分かります?」
「何となく」
エリーがくすりと笑う。
今日は淡い水色のドレスを着ていて、胸元には小さな白い花の飾りがついていた。柔らかな色合いがよく似合っていて、相変わらず可愛らしい。
以前の私なら、そんなエリーを見るたびに、こういうふうになれたらエリック様にも好かれるのだろうかと考えていただろう。
けれど、今は少しだけ違う。
エリーの真似をすることよりも、まずは自分自身を少しずつ知ってもらえばいい。
そう思えるようになったのは、間違いなく彼女のおかげだった。
「次は何をしてみようかと思っていたんです」
「私も考えていました」
エリーが少し困ったように眉を下げる。
「一つ話してみたのはよかったんですけど、その次となると、何をすればいいのか分からなくて」
「難しいですよね」
「はい」
二人で顔を見合わせる。
どうやら、また同じところで悩んでいるらしい。
「何か、自然なきっかけがあればいいんですけどね」
「きっかけ……」
そう呟きながら歩いていると、通り沿いの店先に並んだ品々が目に入った。
ハンカチや手袋、小さな装飾品、便箋や栞など、ちょっとした贈り物に向いていそうなものが綺麗に並べられている。
何気なく眺めていた私は、そこでふと足を止めた。
「……贈り物」
「え?」
「婚約者に、何か贈ってみるのはどうでしょう」
「贈り物ですか?」
「はい。誕生日でも記念日でもありませんけど、だからこそ……何でもない日に渡してみるのもいいのかなって」
口にしてから、自分でも少し不安になった。
誕生日には毎年贈り物をしているけれど、それは婚約者として当然のことだ。
何でもない日に、ただ渡したいと思ったから贈る――そんなことは、これまで一度もしたことがなかった。
「……やっぱり、おかしいでしょうか」
「どうしてです?」
「何でもない日に突然贈ったら、相手を困らせてしまうかもしれません」
そう言いながら、店先に並ぶ品物へ視線を戻す。
エリック様のことを考えながら何かを選ぶのは嫌いではない。
誕生日の贈り物を選ぶだけで何か月も悩むのだから、何でもない日にまで何かを贈ろうなど、これまで考えたこともなかった。
ただ、私はどうしても考えすぎてしまう。これを贈ったら重いだろうか、趣味に合わなかったらどうしよう、もっと別のものの方が喜ばれるのではないか。
そうして悩みに悩んだ末、結局は無難な品物を選ぶことになる。
「せっかく少し話せるようになったのに、急に距離を詰めすぎるのもどうなのかなって」
「オリバー」
「はい?」
「大丈夫です」
不意に、エリーがそう言った。思っていたよりもずっとはっきりした声に、私は思わず彼女へ視線を向ける。
そこにいつもの柔らかな笑みはなく、紫色の瞳だけがまっすぐこちらを見つめていた。
「オリバーがこれだけ悩んで、その方のことを考えて選ぶものなんでしょう?」
「……はい」
「だったら、大丈夫です」
その言葉には迷いがなかった。いつもの柔らかな雰囲気とは少し違う、芯の強さを感じさせる言い方だった。
「もちろん、何を贈っても絶対に喜んでもらえるとは言えません。でも、相手のことを考えて選んだ気持ちは、きっと伝わると思います」
「でも、もし好みに合わなかったら?」
「少なくとも、私なら嬉しいです。自分のことを考えて選んでくれたのだと分かったら、それだけで十分嬉しいと思います。好みにぴったり合うかどうかは、その次です」
「…………」
「それに、贈らなければ――オリバーがその方のためにこんなに悩んでいたことも、何も伝わりませんから」
胸の奥を、そっと押されたような気がした。
(……格好いい)
ごく自然に、そんな感想が浮かぶ。
私はずっと、エリーのことを可愛らしい人だと思っていた。
柔らかく笑い、嬉しいときには素直に嬉しそうな顔をする。
愛嬌があって、見ているこちらまで気持ちが明るくなるような女の子。
けれど今、目の前にいるエリーは少し違って見えた。
迷っている私をまっすぐに見つめ、ためらいなく「大丈夫」と言ってくれる。
思っていたよりもずっと芯が強くて、頼もしい。
そんな一面があることを知った瞬間、胸の奥がほんの少しだけ騒いだ気がした。
「……オリバー?」
「あ、いえ」
慌てて我に返る。
けれど、今感じたことをそのまま胸の内にしまっておくのも、なぜだか惜しい気がした。
「今のエリー、すごく格好よかったです」
「…………え?」
今度はエリーが固まった。
目を丸くし、何度か瞬きをする。
「か、格好いい……ですか?」
「はい」
「私が?」
「エリーが」
念を押すと、その頬がじわじわと赤くなっていった。
格好いいと言われたことそのものより、私にそう言われたことを恥ずかしがっているようにも見える。
「可愛らしい方だとはずっと思っていましたけど、こんなふうに頼もしいところもあるんですね」
「そ、そんな……」
エリーが珍しく視線を泳がせる。どうやら「格好いい」だけでなく、「可愛らしい」と言ったことまで照れくさかったらしい。
先ほどまであれほど堂々としていたのに、急にいつもの彼女へ戻ってしまった。その変化が何だかおかしくて、思わず笑みがこぼれる。
「でも、ありがとうございます。少し勇気が出ました」
「本当ですか?」
「はい。何か探してみようと思います」
「よかった……」
エリーがほっとしたように笑った。
そこで、ふと一つの疑問が浮かぶ。
「そういえば、エリーは?」
「私?」
「婚約者の方に、何でもない日に贈り物をしたことはあるんですか?」
「…………」
エリーの笑顔がぴたりと止まった。
どうやら、自分にも同じ質問が返ってくるとは思っていなかったらしい。ほんの少し前までの頼もしさが嘘のように、途端に気まずそうな顔になる。
「エリー?」
「……ありません」
「え?」
「一度もありません」
その返事は先ほどまでの勢いが嘘のように小さく、エリーは気まずそうに視線を逸らした。
「私も、相手の好みに合わなかったらどうしようとか、突然渡したら困らせるんじゃないかとか……色々考えてしまって」
「エリー……人のこと言えないじゃないですか」
「そうなんです……」
しゅんと肩を落とす姿に、とうとう堪えきれなくなった。
笑うのは悪いと思いながらも、どうしても口元が緩んでしまう。
「すみません。さっきまであんなに格好よかったのに、急に可愛く見えてしまって」
「自分のことになると、話は別なんです。……オリバーだって同じでしょう?」
「……否定できません」
そう答えると、エリーは少しだけ困ったように笑った。
「でも、オリバーがあれだけ悩んで選んでくれたものなら、嬉しくないはずがないと思ったんです」
「……そういうものですか?」
「少なくとも、私はそう思います」
そこまで言われると、少しだけ安心する。
きっとエリー自身も、相手のことを考えて選んだ贈り物なら嬉しいと思っているからこそ、あんなに自信を持って「大丈夫」と言えたのだろう。
それに、私からすれば、エリーが相手のことを考えて選んだものを喜ばない人がいるとも思えなかった。
今度は二人そろって笑ってしまった。
本当に、似た者同士なのかもしれない。人のことならこうすればいいのではないかと言えるし、背中を押すことだってできるのに、自分のことになると途端に怖くなる。
私は改めて店の中へ視線を向けた。
「じゃあ、エリーも一緒に選びませんか?」
「私も?」
「はい。僕一人だけでは、途中でやっぱりやめようと思ってしまいそうなので」
正直に言うと、エリーが小さく笑った。
「……私も同じです」
「だったら、二人で頑張りましょう」
エリーが目を瞬く。
それから、嬉しそうに頷いた。
「はい。二人で頑張りましょう」
そうして私たちは、そのまま店の中へ入ることにした。
店内には、思っていた以上にたくさんの品物が並んでいた。
ハンカチや革小物、便箋や栞、ブローチや髪飾り。
大げさすぎず、けれど贈り物としてはきちんとして見えるものばかりだ。
「……こうして見ると、余計に迷いますね」
「分かります」
入店して早々、二人そろって足が止まる。
「高価すぎるものは、さすがに重いですよね」
「私もそう思います。普段使えるものの方がいいかもしれません」
「やっぱりそうですよね」
そんな話をしながら棚を見て回る。
最初に目に入ったのは、綺麗に畳まれたハンカチだった。
白や生成りだけではなく、深い青や緑、灰色など、落ち着いた色合いも多い。
私は一枚ずつ眺めながら、エリック様の姿を思い浮かべた。
(こういうものなら、使ってもらえるかしら)
少なくとも邪魔にはならない。
以前、エリック様からいただいた小さな花の刺繍が入ったハンカチを思い出す。
あれは今でも気に入っていて、大切に使っている。
そう考えながら見ていると、エリーが花の刺繍が入ったハンカチの並ぶ棚へ目を留めた。
淡い色から濃い色まで、いくつか色違いが並んでいる。
「エリー、こういうものがお好きなんですか?」
「私ですか?」
「さっきから見ていたので」
声をかけると、エリーが少し恥ずかしそうに笑った。
「……こういう細かい花の刺繍、好きなんです」
「そうなんですね」
私は並んだハンカチを改めて見比べた。淡い色のものは可愛らしいけれど、エリック様に贈るには少し甘すぎる気がする。
その中で、深い紫紺の布地に銀糸で小さな花が刺繍された一枚が目に留まった。
これならエリック様が持っていても違和感はなさそうだ。紫紺という色も、あの紫色の瞳によく似合う気がする。
(……これ、いいかもしれない)
何より、私一人で選んでいたら、小さな花が刺繍されているというだけで候補から外していたかもしれない。男性に花柄は可愛らしすぎるのではないかと、最初から決めつけていたからだ。
けれど、エリーが目を留めたことで改めて見てみると、意匠そのものは思っていたほど甘すぎるものではなかった。
「……やっぱり、これにします」
「これですか?」
「花の刺繍は入っていますけど、この色なら落ち着いていますし、婚約者にも似合いそうなので」
エリーがぱちぱちと瞬きをする。
少し意外だったのか、手元のハンカチと私の顔を交互に見比べた。
「でも、私が好きだと言ったからでは?」
「それだけじゃありません。僕も綺麗だと思いましたし、婚約者にも似合いそうなので」
「……そうですか」
なぜかエリーが少し嬉しそうに笑った。
自分が目を留めていたものを気に入ってもらえたことが、少し嬉しかったのかもしれない。
「では、きっと喜んでくださいます」
「そうだといいんですけど」
「大丈夫です」
また同じ言葉だった。けれど今度は、先ほどほど力強くはなく、柔らかな笑顔とともに告げられる。
それだけなのに、不思議と本当に大丈夫な気がした。私は店員に頼み、そのハンカチを包んでもらうことにした。
「次はエリーですね」
「……そうですね」
途端に少しだけ緊張した顔になるのがおかしい。
今度は二人で、装飾品の並ぶ棚へ向かった。
「婚約者の方は、どんなものがお好きなんですか?」
「それが……実は、そこまで詳しく知らないんです」
「そうなんですか? 僕も人のことは言えませんけど、十年近く婚約しているんですよね?」
「……はい」
「それなのに?」
「……はい」
何とも言えない沈黙が落ちる。
もっとも、私も人のことを言える立場ではないので、それ以上は何も言えなかった。
「では、普段はどんなものを身につけています?」
「上品で、繊細な装飾のものを身につけることが多いと思います」
「なるほど」
それなら、普段使いできる小さな装飾品がいいかもしれない。
二人でブローチの並ぶ棚を見ていると、ふと一つの品が目に留まった。
「あ……」
「どうしました?」
「これ、素敵ですね」
思わず手を伸ばしたのは、小さな銀細工のブローチだった。
細長い葉を重ねたような意匠で、中央には若草色の小さな石が嵌め込まれている。
男女どちらが身につけても違和感のない控えめな作りだったが、全体としては繊細で上品で、よく見ると重なった葉の形がどこか細身の剣を思わせた。
「少し変わった形ですね」
「はい。ここ、見てください。葉が重なっているんですけど、少し剣みたいに見えません?」
「……本当ですね」
「でしょう? 上品なのに、少し格好いい。こういう意匠、僕は好きです」
言ってから、男装中なのだから騎士見習いが剣の意匠を好んでも何も不自然ではないと気づく。
むしろ、今の姿にはよく似合っているだろう。
けれど、エリーはなぜかブローチではなく、私の顔を見ていた。
「……何ですか?」
「いえ。オリバーは、本当にこういうものがお好きなんですね」
「はい」
「見ていると分かります」
「そんなに顔に出ています?」
「少しだけ」
その言い方に、今度は私が少し恥ずかしくなった。
「でも確かに、とても素敵ですね。華やかすぎませんし、婚約者にも似合いそうです。普段から淡い色合いや繊細な意匠のものを身につけることが多いので、これなら合わせやすそうです」
「それなら、若草色の石もいいアクセントになりそうですね」
「ええ……似合うと思います」
エリーの表情が少し柔らかくなった。
その言い方が妙に優しくて、きっと婚約者の姿を思い浮かべているのだろうと思った。
「これにしますか?」
「はい」
エリーはそう答えると、どこか決意したようにそのブローチを手に取った。
「せっかくオリバーがこんなに気に入っているものですし」
「僕が気に入っているからですか?」
「いえ、それだけではありません。私も素敵だと思いましたし、婚約者にも似合いそうなので」
先ほど私が言ったのとよく似た台詞に、思わず笑ってしまう。
「同じですね」
「何がですか?」
「さっきの僕と」
エリーも気づいたらしく、少し遅れて笑った。
「……本当ですね」
結局、エリーもそのブローチを包んでもらうことになった。
店を出る頃には、二人とも小さな包みを一つずつ手にしていた。
通りへ出たところで、エリーが自分の包みを見下ろす。
「……買ってしまいました」
「僕もです」
「本当に渡せるでしょうか」
「エリー、さっき僕に大丈夫って言いましたよね?」
「それとこれとは別です」
「別なんですか?」
「自分のことになると別なんです」
妙に真剣な顔で言うものだから、思わず笑ってしまう。
ついさっきまであれほど頼もしく私を励ましていたのに、自分のことになると途端に弱気になる。その落差が、何だか可愛らしかった。
「オリバーだって、少し不安でしょう?」
「……まあ、それは」
「ほら」
「でも」
私は手の中の包みに目を落とした。
中に入っているのは、深い紫紺の布地に小さな花の刺繍が入った、エリーが綺麗だと目を留めていたハンカチだ。
エリック様にも似合うと思って選んだけれど、いざ渡すとなるとやはり緊張する。それでも、以前のように最初から諦めてしまおうとは思わなかった。
「……二人で頑張りましょう」
そう言うと、エリーがこちらを見る。少し驚いたように目を瞬かせたあと、私の言葉の意味を確かめるように、じっと見つめ返してきた。
「次に婚約者と会うとき、二人とも渡してみる。どちらか一人だけ逃げるのはなしです」
「……分かりました」
「本当に?」
「本当です」
まだ少し不安は残っているようだったけれど、エリーはやがて小さく息を吐き、覚悟を決めたように笑った。
「二人で頑張りましょう」
「はい」
並んで歩き出しながら、私は先ほどのことを思い出していた。
迷っていた私をまっすぐ見つめて、「大丈夫」と言ってくれたエリーは、いつもの柔らかく可愛らしい姿とは少し違って見えた。
可愛らしくて、素直で、優しい。けれど、それだけではない。思っていたよりもずっと芯が強くて、頼もしい人なのかもしれない。
(エリーって、あんな顔もするのね)
そのことを思い出すと、なぜだか少しだけ胸の奥がくすぐったくなる。
私は隣を歩くエリーをちらりと見た。
本人は何も気づいていないらしく、手にした包みを落とさないよう大事そうに抱えている。
(……本当に、素敵な人だな)
そう思った瞬間、今度は胸の奥がほんの少しだけ騒いだ気がした。
けれど、その理由を深く考えることはしなかった。
今はそれよりも、次にエリック様へ会ったとき、本当にこの贈り物を渡せるかどうかの方がずっと大問題だったからだ。
私は覚悟を決めるように、自分の包みを握り直した。
――まさかその隣を歩いている本人と一緒に、本人への贈り物を選んでいたとも知らずに。




