誰がために焦がす / Why were you dancing alone ? その3
歯車の一つが鈍い音を立てて回りだした。
片足を前に出すたびにゴリゴリと音を立てて隣接するものを回す。
……絶対に、許さない。
リネンの汗まみれの右手にはしっかりとブラウ・ビットが握られていた。
本来の握力以上の力で握り締められたそれは禍々しいまでの形状変化を起こし、炎のように揺れている。
右手の骨は軋み、筋肉は破裂しそうなほどに膨れ上がり、顔面は小刻みに震えていた。
一歩、また一歩と進む。
その先には一人の男が立っている。
トラファグαにはその殺気に満ちた眼差しが見えていた。
(……あれを早く、止めなければ……)
即座に飛びかかりたくともドラゴンの監視の目が彼の行動を制限させているため下手に動くことが出来ない。
死角。
トラファグαは奇跡を願った。ドラゴンが見ていないことを切に願った。
(……放出は一瞬でいい。あとは集中力だ……)
時の隙間を縫って、全力の攻撃を飛ばす……。
彼の左手には小刀が握られていた。
次に動く時は、この刃が殺気のある方向に突き刺さる。
その後に待つ己の死を覚悟して、彼は生涯最後の決断を下した。
それは無言にしてはじまった。
振り上げられるトラファグαの左手。
アイテルを纏った冷たく硬い刃がリネンの喉元めがけて飛ばされる。
リネンはまだ気づかない。
彼女にはマイヤーズの顔しか見えていなかった。
接近するもの。
それに気づいて声を上げたドラゴン。
手を伸ばしても飛びかかっても、間に合わない。
……気づけ!! よけろ!! 当たるな!!
ドラゴンの望みは彼女まで届かない。
間近の死が、もうすぐ触れようとしている。
その時だった。
「あぶない!!」
「!!」
コトリだった。
リネンを突き飛ばしたコトリがトラファグαの刃の餌食となる。
リネンは体制を崩しながら事態を理解しようと周囲を見る。
太郎とオーマ以外の者はしっかりと見ていた。
刃は、彼女の右目に食い込み頭を貫通していた。
刺さり方が悪かった。
大きく痙攣するコトリ。
反射的に抱きかかえるリネン。
目の前の恐怖に感情を伴わない涙が噴き出す。
言葉にならない。
なにを言ったらいいか分からない。
甲高い声だけが出る。
そして、ただ涙だけが出てくる。
「……あ、あ、あが。ぐ、れう。なひ、べ、えへべ」
正常に話せなくなっていた。
なにかを必死に伝えようとしていた。
彼女の顔を、じっと見つめる彼女。
まだ動く彼女を、なんとか焼きつけようとする彼女。
まだ動いていた。
生きていた。
そう、まだだった。
「ペイス!! 早く来て!! ペイス!! 早く!!」
イルカはいなかった。
地上にはいなかった。
彼女は一人、空を眺めていた。
当然のことだが、知っていた。
こうなることも、この直後のことも。
さすがの彼女も、近くでは見ていられなかった。
こればかりは心が痛んだ。
こうしなければ、こうでもしなければ、活路を見出せなかった。
絶望に侵された声が耳に届く。
全てを知る者は、目を閉じて時が来るのをじっと待ち続けていた。
「ぐぺ、ぐぐ、ぐ。ふぁああ、い、ぎ、で、で……」
それが最後の言葉だった。
意味を知ることは出来なかったが、リネンは深く頷く。
そしてコトリは、止まらなかった痙攣を、ゆっくりと終わらせた。
その顔には満面の笑みが作られている。
半分が天使で半分が悪魔のような顔だったが、リネンにはその思いの全てが伝わった。
……光が閉ざされる。
リネンの胸の中で錆ついていた歯車が、急に動き出した。
周囲とは独立して一つだけが回りだす。
他はもう、動かない。
たった一つだけが、轟音を鳴り響かせている。
速度はさらに上がっていく。
激しく唸っていた音が、徐々に鋭い摩擦音へと変化していく。
回る。回る。回る。
存在する意味など忘れてひたすら回り続ける。
もう、止まらずに、回る。
……そして限界を迎えたある瞬間、軸ごと吹き飛んだ。
「……お前達は……死んでも許さない。人の命を、心を、弄びやがって。……なにも知らないクズ野郎どもが。……この世に生まれる価値すらないお前達を作り出したこの星を、そんな世界に生まれた自分を、絶対に許さない!! 心の底から恨んでやる!! ……ああ、もうどうなってもいい。なにもかも壊したい。ここにある、全てを……」
「おおおおおお!!」
飛びかってきたのはトラファグαだった。
討ち損じたことに対する己の惨めさを渾身のアイテルでぶつける。
まさに死力の突進だった。
「ブ、ラ、ウ」
彼女のブラウ・ビットが身長の倍以上の大きさに膨れ上がり、持ち主の感情に呼応したアイテル補助器が刃の塊を模した幻想生物と見紛う蛇腹状の武器へと変化した。
……獲物が、吸い寄せられていく。
喪失した者から排出される思いの塊が、目の前の人の形を粉々に切り裂いた。
たったの二秒であった。
トラファグαの存在が血溜まりと化してもマイヤーズの表情は変わらなかった。
それどころか、おもむろに耳からイヤフォーンを外すと通信をはじめた。
「……社長、わたくしです! たった今非常事態が発生しました! 残念ですが、今すぐに落としてもらえますか……。はい。承知しました。よろしくお願いします。こちらこそ、ありがとうございました! それでは、失礼いたします……」
「マイヤーズ!!!」
「……殺すか。今のお前になら容易に出来そうだな。さて、この弱いわたくしを殺してその気分が晴れるのだろうか。それもまた容易に想像がつく。感情的になると必ず後悔が生まれるものだ。人を殺めてしまった今、もう後戻りは出来ない。つまりだ、お前は既に負けている……。このわたくしに負けたのだ!! 低脳は所詮低脳! ろくに守ったこともないクズが今更なにを成せる! なにも成せまい!! いいか、よく聞けこのクソが!! お前など生かしておく価値もない!! ここでオレを殺したところで誰も救えない!! すぐにまた同じ弱肉強食の狩りがはじまる!! お前は食われて死ね!! 特別に許そう!! お前だけは、救う価値はないと!!」
マイヤーズは全身から巨大なアイテルを放出すると咆哮した。
声がかすれて出なくなるまで、ずっと、ずっと……。
頬には大粒の涙が垂れていた。
死の孤独を純粋に恐れていたのだ。
笑顔で死にたかった。それだけだった。
彼もまた、後悔していたのである。
あの時、確実に仕留めておけばこうなることはなかった。
運命は彼に暗い孤独な死を与えた。
彼は生きたままにして、死んだのである。
二人の拳は合わされることなく終わった。
歪な形の悪魔に飲み込まれたマイヤーズは、余韻に浸ることなく絶命する。
リネンの心も、同時に死んだ瞬間であった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
周囲の者達はなにが起きたのかを理解するのに難儀していた。
リネン一人が敵を倒した。コトリが死んだ。それだけではなかった。
取り返しのつかないなにかが起こった。事実そうだった。
そして、彼女の心を本当に理解できた者は一人もいなかった。
リネンは座り込んだまま誰からの応答にも答えなかった。
目はまるで白目を向いているような、どこを見ているのか定かではない場所を捉えていた。
ブラウ・ビットの悪魔はもとの形状に戻り、彼女の手から離れていた。
エルノウは泣いていた。自分が行って止めるべきだったと深く反省していた。
それと同時にイルカの言葉の意味を噛み締めていた。
彼女の未来選定が正しいことを信じるしかなかったのである。
「これは怒られても仕方がないと思っている。すまない」
「なんだ、いたのか」
「いいのか? 聞かなくても」
「……いいよ。次の相手は確か、人じゃないんだよね」
「憶えていたんだ」
「馬鹿にするな。で、どうすればいい」
「……ついてきて」
エルノウはイルカに手を引っ張られて上空に飛んだ。
「全部で四発、飛んでくる。それを一人二発ずつ受け止める。それだけだ」
「誘導弾か」
「察しがいいね。しかも核兵器のおまけがついてくる」
「ここに落とす予定なんだな」
「さっきやつが通信していたでしょう」
「だけど、うまくいくかね」
「大丈夫よ、あんた、私よりもうまいんだから」
「君が言うと服を脱がされるくらい恥ずかしい気持ちになる」
「うまくいったら私のほうが脱いでもいいくらいよ」
「……今は、そういう気分じゃないね」
「じゃあそういう気分になってからもう一度聞くわ」
「出来れば、そうしてくれ」
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