更衣室の掟
事件は、三宅に「運動不足でしょ、付き合いなさい」と区営のジムに連れて行かれた日に起きた。
問題は、運動そのものではなかった。問題は、その後の――更衣室だった。
女性用更衣室。当たり前だが、田中にとっては未知にして禁忌の領域である。第1部で女湯には入ったが、あれは他人ばかりで、無になることで乗り切れた。だが今日は違う。すぐ隣で、三宅が当たり前のように服を脱いでいく。
(見るな、見るな、意識するな……)
田中は自分に言い聞かせた。中身は男だ。男が、女性の着替えを前にして平静でいられるわけが――いや、待て。今の俺は、女だ。女が女の着替えを見て動揺するのは、それはそれで不自然だ。じゃあどうすればいい。どういう顔をすればいい。田中の脳内は完全に処理落ちしていた。
結果、田中は挙動不審の極みだった。ロッカーに向かって直立不動になり、着替えるでも脱ぐでもなく、ただ石像のように固まっていた。
「……あなた、面白すぎるでしょ」
隣で、三宅が肩を震わせていた。笑っている。
「顔真っ赤。中身が男だってこと、今ほど信じられる瞬間ないわ。女は女の裸なんかで、いちいちそんな顔しないの」
「わ、笑うな……! こっちは必死なんだよ……!」
「はいはい。ほら、こっち向かないで着替えれば? 私は気にしないから」
三宅の「気にしない」が、かえって田中を追い詰めた。この女は、田中の中身が男だと知っていて、なお平然と着替えている。信頼されているのか、単に無頓着なのか。たぶん両方だ。そしてその信頼が、田中に「絶対に変な目で見てはいけない」という強烈な自制を強いた。
田中は壁を向いたまま、人生で最も気まずい着替えを、汗だくで終えた。快感がどうとか、そういう次元の話ですらなかった。ただただ、居心地が悪くて、恥ずかしくて、消えてしまいたかった。
帰り際、三宅が真顔で言った。
「今日わかったこと。あなたの体は男の視線には反応するけど、女の空間では"男の羞恥"のほうが勝つ。……面白い。体と心が、ちゃんと別々に動いてる」
「観察日記つけるのやめろ」
だが、田中はこのとき、少しだけ救われてもいた。三宅の前でだけは、「女のふりをしなくていい」。男として恥ずかしがっても、笑われこそすれ、責められない。それは二ヶ月ぶりの、途方もない解放だった。




