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【連載版】傲慢な王太子から「婚約は解消する。でも側妃としてこれまで通り支えろ」と言われた、その後。  作者: 福嶋莉佳@集英社WEB小説大賞金賞


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第5話 アシュレイ視点②

別邸での暮らしにも、少しずつ慣れてきた。


屋敷にある本を読んだり、庭を散歩したり、オリバーと馬で近隣を巡ったり。


最近では、侍女たちの仕事にまで顔を出すようになった。


とはいえ、させてもらえるのは乾いたリネンを畳んだり、洗い終えたハンカチを籠へ入れたりといった簡単な仕事ばかりだ。


今は厨房で、湖へ持っていく昼食のサンドイッチを作らせてもらっている。


私の前には、切り分けられたパンと薄く焼いた肉、チーズ、それに洗ったばかりの葉野菜が並んでいた。


「レタスは、このくらいでいいかしら?」


手にしていた葉を二つにちぎって見せる。


「はい。そのくらいがちょうどよろしいかと」


シィラに頷かれ、パンの上へ載せる。


その上に肉とチーズを重ね、最後にソースを匙ですくった。


「あ、アシュレイ様。ソースはもう少し少なくても……」


「え?」


手を止めたときには、すでにたっぷりとかかっていた。


「あら……多かった?」


「うーん、そうですね。あまり多いと、パンがべたついて食べにくくなってしまいます」


「まあ……どうしましょう」


「大丈夫ですよ。こちらのパンを一枚重ねれば、ちょうどよくなると思います」


「本当?」


「はい。やってみましょう」


言われた通りにもう一枚パンを重ね、両手でそっと押さえる。


端から少しだけソースが覗いた。


「……今度は大丈夫そうね」


「はい。ちょうどいい具合です」


「凄いわね。食べて知っているはずなのに、思いつかなかったわ」


「慣れの違いですよ」


果物を切り分けていたマリアベルが口を挟んだ。


「アシュレイ様なら、そのうち目分量でも分かるようになりますよ」


「じゃあ、毎日厨房へ来ようかしら」


「料理人が、仕事を取られると焦りそうですね」


皆で笑いながら、私は次のパンを一枚取った。


こちらへ来てから、シィラとはよく話すようになった。


王国にいた頃から毎日のように顔を合わせていたのに、妹がいることすら、私はつい最近まで知らなかった。


その妹が最近騎士に憧れ、庭で木の枝を剣代わりに振り回していること。


母親はそれを見るたび頭を抱え、父親は叱るどころか、こっそり木剣を作ってやったこと。


そんな他愛もない話を、今ではリネンを畳みながら聞いている。


別邸で働く侍女たちも、顔を合わせるたび、この土地のことをあれこれ教えてくれた。


「昨日お出しした果物、召し上がりました? 採れたばかりのものは味が濃いでしょう。あれは、この辺りでしかなかなか食べられないんですよ」


「領地の中央広場では、毎月市が開かれるんです。旦那様の計らいで、楽師や旅芸人が呼ばれる月もありますよ」


「礼拝堂はもうご覧になりました? あそこのステンドグラスは、先代のクラーク伯爵が王都でも名の知られたガラス職人を招いて作らせたものなんです。晴れた日の夕方が一番綺麗ですよ」


近くに美しい湖があると教えてくれたのも、別邸の侍女だ。


湖までは、馬車で三十分ほどだった。


私とマリアベル、シィラが馬車に乗り、オリバーは馬でその横をついてくる。


森の中を抜け、緩やかな坂を下ったところで、不意に視界が開けた。


「まあ……!」


森に囲まれた湖は、空の色をそのまま映したように青かった。


波はほとんどなく、風が吹くたび、水面に細かな光が走る。


湖畔には低い草が広がり、そのところどころに白い花が群れるように咲いていた。


「本当に綺麗……」


馬車を降り、そのまま湖の方へ歩いていく。


「ねえ、シィラ。あの花は?」


「あれは星鈴花ではないでしょうか。春の終わりから夏にかけて咲くんですよ」


しゃがみ込み、花を覗き込む。


白い花弁の中心だけが淡い黄色をしていて、風に揺れるたび、小さく頭を振っているように見えた。


「アシュレイ様、あまり遠くへ行かれませんように」


振り返ると、マリアベルたちが木陰へ敷物を広げているところだった。


「分かっているわ」


返事をしながら、湖へ近づく。


岸辺の水は澄みきっていて、底に沈んだ小石まで見えた。


「……入ってもいいかしら」


「駄目ですよ」


後ろから、間髪入れずに声が飛んできた。


振り返ると、馬を木陰へ繋いだオリバーがこちらへ歩いてくるところだった。


「どうして分かったの?」


「見れば分かります。この気温では、まだ水が冷たいでしょう」


「少しくらい大丈夫よ」


靴を脱ぎ、素足で草の上へ降りる。


木陰の芝が、足の裏へひんやりと触れた。


「アシュレイ様」


「なあに?」


顔を上げると、オリバーが眉間へ皺を寄せていた。


「本当に入るんですか。風邪を引きますよ」


「心配性ね。少しだけよ」


スカートの裾を両手で持ち、濡れないよう膝の下まで持ち上げる。


そのまま恐る恐る片足を水へ入れた。


「つめたいっ……!」


想像していた以上の冷たさに、肩が跳ねた。


離れたところから、シィラの笑い声が聞こえる。


「だから言ったでしょう」


「でも、気持ちいいわよ」


もう片方の足も水へ入れ、足首まで浸かる。


一歩進むたび、丸い小石が足の裏でころりと動いた。


足を動かすたびに水が押し分けられ、冷たさが指の間をすり抜けていく。


「オリバーも来ればいいのに」


振り返ると、オリバーはなぜか私ではなく、湖のずっと向こうを見ていた。


「行きません。仕事中です」


「気持ちいいわよ?」


「結構です」


相変わらず、こちらをまともに見ようとしない。


スカートをもう少したくし上げ、私は片足を上げた。


「えい」


ぱしゃり、と水を蹴る。


飛沫がオリバーの靴へかかった。


ゆっくりと、こちらへ顔が向く。


「……今、わざとやりましたね」


「何のことかしら」


もう一度、水を蹴る。


今度はさっと避けられた。


「やめてください。……令嬢のすることではありませんよ」


「でも、こんなことができるのも元気になった証でしょう?」


「それは喜ばしいことですが――」


足の裏で、小石が滑った。


「あっ」


身体がぐらりと傾く。


「危ない!」


次の瞬間には、水の中へ踏み込んできたオリバーの腕が腰へ回っていた。


「……ほら、言ったでしょう」


「ごめんなさい」


「まったく……」


そっと顔を上げる。


思っていたより、ずっと近くにオリバーの顔があった。


腰を抱いた腕に支えられ、身体はほとんど彼の胸元へ預けるような格好になっている。


少し近づけば、額どころか唇まで触れてしまいそうだった。


オリバーは何も言わず、ただまっすぐに私を見ていた。


急に、胸の奥が落ち着かなくなる。


「……オリバー」


腰へ回っていた腕に、力が入ったのが分かった。


オリバーの顔が、わずかに近づく。


そのときだった。


「アシュレイ様、大丈夫ですか!」


声に驚き、オリバーの腕の中で顔を横へ向けた。


敷物の方から、マリアベルとシィラがこちらへ急いでくるところだった。


オリバーが小さく息を吐いた。


「……戻りましょう」


「でも、靴が向こうに――」


言い終えるより早く、身体がふわりと浮いた。


「きゃっ」


オリバーが私を抱き上げていた。


「足を拭いてもらってください。このまま歩けば冷えます」


「自分で歩けるわ」


「また転ばれても困ります」


そう言って、こちらの返事も待たずに岸へ向かった。


仕方なく彼の首へ腕を回し、胸元へ身体を預ける。


オリバーは濡れた靴も気にせず、草の生えた岸へ上がった。


近づいてきたマリアベルが、私たちを見るなり足を止めた。


「マリアベル?」


「いいえ。何でもございません」


そう答えながら、マリアベルは敷物の上へ乾いた布を広げた。


「アシュレイ様、こちらへ。足をお拭きいたします」


「ええ」


返事をすると、オリバーがそのまま私を敷物の上へ下ろしてくれた。


離れていく腕が、少し惜しかったけれど、そのことには、気づかなかったことにした。

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