第5話 アシュレイ視点①
『殿下、またリゼッタ様とお出かけになったのですか?』
シャイン殿下は、書類から目を離さなかった。
『ああ。と言っても、騎士たちと一緒だ』
『ですが、その場にいた女性はリゼッタ様お一人だったと伺いました。あまり外聞がよろしいとは思えません』
そこでようやく、シャイン殿下が顔を上げた。
『騎士たちと友好を深めるために出かけただけだ。何が悪い?』
『それは……』
『それにリゼッタは話が早い。騎士たちとも気兼ねなく付き合えるし、今のうちに親しくしておくのは悪いことじゃないだろう』
『……そうですわね』
シャイン殿下は、昔から何かを決めるときが唐突だった。
それでも理由を聞けば、大抵は筋が通っていた。
だから私も、そのたびに納得していた。
――あの頃は。
「ん……」
ゆっくりと目を開けた。
薄暗い視界の中に、見慣れない天井が映る。
薄暗い視界に、鮮やかな深い青が広がっていた。
……夢か。
天蓋に張られた織物をぼんやり眺めているうちに、ここがクラーク夫妻の別邸だったことを思い出した。
寝返りを打つと、カーテンの隙間から差し込む光が目に入った。
いつもの起床時間より、ずいぶん明るい。
起き上がり、カーテンを引くと、眩しさに思わず目を細めた。
「寝坊したわ……」
振り返れば、昨夜読み返していた手紙と、開いたままの本が寝台の上に残っていた。
どうやら、読みながら眠ってしまったらしい。
本を閉じ、手紙は机の端に置かれた書簡箱へしまった。
それから呼び鈴を鳴らし、両腕を上へ伸ばして大きく背伸びをする。
身体を左右にひねっていると、ほどなくして扉が開いた。
「おはようございます、アシュレイ様」
マリアベルとシィラが入ってくる。
シィラは洗面用の水差しと盥を卓へ置き、マリアベルは窓辺へ向かってカーテンを大きく開いた。
明るい日差しが、部屋いっぱいに広がる。
「駄目ね。ここへ来てから、わたくし、ぐうたらしすぎている気がするわ」
顔を洗いながら言うと、マリアベルが小さく笑った。
「よろしいではありませんか。療養中なのですから」
「それにしても、こんな時間まで眠るなんて」
「眠れるようになったことを喜ぶべきでございますよ」
顔を洗い終えると、マリアベルに促されて化粧台の前へ座った。
彼女は私の髪に櫛を通していく。
「今日は編み込みにしてみましょうか。こちらでは最近、髪を緩く編み込んで後ろでまとめるのが流行っているそうですよ」
「まあ、素敵ね。お願い」
髪を結ってもらったあとは、クラーク夫人が紹介してくださった仕立て屋で作ったばかりのドレスに着替えた。
若草色の柔らかな布地で仕立てられており、これまで王都で着ていた昼用のドレスよりも、ずっと軽い。腰をきつく締めつけることもなく、袖にも余裕があった。
部屋を出ると、廊下の壁際にオリバーが立っていた。
「オリバー、おはよう」
「おはようございます」
「もしかして、朝からずっとここにいたの?」
「ええ、まあ」
「ここは安全なのだし、あなたもまだ休んでいてよかったのよ」
「それでも、何かあったら困りますから」
相変わらず真面目な顔で答えるので、少しだけ悪戯心が湧いた。
「そんなに心配なら、一緒に寝てくれればよかったのに」
ゆるく首を傾げて言ってみると、オリバーの動きがぴたりと止まった。
「そういうことは、あまり簡単に言わないでください」
「あら、どうして?」
「……返答に困るからです」
背の高い彼が俯く姿が可愛らしくて、口元へ手を添え、くすくすと笑った。
耳を赤くしたオリバーを連れ、一階へ向かう。
食堂へ入ると、香ばしい小麦の匂いが鼻をくすぐった。
卓には焼きたてのパンとバター、白いんげん豆と燻製肉を煮込んだスープ、半熟に茹でた卵、それに切り分けられた果物が並んでいる。
私の席のほかにも、まだ手をつけられていない食器が三人分並べられていた。
「皆、先に食べていてよかったのに」
「アシュレイ様を置いて始めるわけにはまいりません」
マリアベルが当然のように言いながら、私の椅子を引いた。
「でも、わたくしが起きるまで待っていたら、お腹が空くでしょう?」
こちらへ来た最初の朝、一人で広い卓に着くのが寂しくて、療養中だけ一緒に食べてほしいと頼んだ。
最初こそ遠慮されたが、今ではこうして朝食を共にするのが当たり前になっている。
だからといって、寝坊した私にまで合わせなくてもいいのに。
皆が席へ着き、ようやく朝食が始まった。
焼きたてのパンを割ると、中からふわりと湯気が立った。
まだ温かなパンへバターを塗って口に運ぶ。表面は香ばしく、中は驚くほど柔らかい。噛むほどに、麦の甘みが広がった。
「美味しい……」
続けてスープを口へ運ぶ。
柔らかく煮込まれた白いんげん豆には、燻製肉の塩気と旨味が染み込んでいた。野菜の甘みも溶け込んでいて、飲み込むと身体の奥まで温かくなる。
「アシュレイ様、本日のご予定はいかがなさいますか?」
マリアベルがスープを飲み終え、スプーンを皿の脇へ置いた。
「そうね……近くに湖があると聞いたわ。そこへ行ってみない?」
「よろしいですね。では、お昼を持って参りましょうか」
「わたくしも作りたいわ」
「もちろんでございます」
「何を作ろうかしら」
「こちらのパンに、お肉やチーズを挟むのはいかがです?」
「いいわね。それなら果物も持っていきたいわ」
シィラも加わり、あれこれ相談が始まる。
そんな中、ふと向かい側を見ると、オリバーと目が合った。
微笑みかけると、オリバーも目を細めた。
けれど、すぐに何事もなかったような表情へ戻ってしまう。
「……?」
最近、こういうことが多い。
どうしたのかしら。




