第4話 シャイン視点②
扉が閉じ、俺は舌打ちを飲み込んだ。
「……殿下」
振り向くと、側近が遠慮がちに口を開いた。
「レーヴェン侯爵はひとまず置き、ほかの家へお声がけされてはいかがでしょう。たとえば、エーベル伯爵家などは、近年中央でも随分と――」
「お前、本気で言っているのか?」
側近が口を閉じた。
「あの家に、オルブライトやレーヴェンの代わりが務まると思っているのか!」
「……失礼いたしました」
声をかければ、喜んで王太子府へ入る家はいくらでもある。
だが、俺が欲しいのは席を埋める人間ではない。
諸侯と各省の間に立ち、こちらが指示せずとも動ける人間だ。
今から育てている暇などない。
そして、バルト家は――。
そこまで考えたところで、俺は長椅子に背を預け、天井を仰いだ。
「宰相を呼べ。今すぐだ」
「……承知いたしました」
◆
宰相が執務室へ現れたのは、それから一時間ほど経った頃だった。
挨拶を終えるのを待ち、俺はすぐに本題へ入った。
「アシュレイを一度、王都へ戻せ」
宰相の眉が、わずかに動いた。
「どのような名目でございましょう」
「は? 俺が呼んでいるんだぞ」
「現在、アシュレイ様には王太子府へ出仕する義務がございませんので」
俺は腕を組み、指先で肘を何度も叩いた。
「ならば、王太子府の引き継ぎを理由に王都へ戻せ」
宰相は少し間を置いてから答えた。
「恐れながら、アシュレイ様が担っておられたのは、王太子妃となられることを前提とした補佐でございます。すでに婚約が解消されておりますので、まずは残された業務を確認する必要がございますが……」
「進行中だった案件があるだろう。本人に確認しなければ分からない判断経緯の一つや二つ、残っているはずだ」
「必要な書類と記録につきましては、すでにすべて返却されております」
肘を叩いていた指が止まった。
「……なんだと? いつだ」
「リゼッタ様とのご婚約を披露された夜会より数日前には、ほぼ一式が王太子妃用の執務室へ移されております」
そういえば、リゼッタが何度か言っていた。
アシュレイが使っていた書類や資料が次々と運び込まれ、業務を押しつけようとしている、と。
一度、アシュレイにも尋ねたことがある。
『ずいぶん資料を移しているそうだな』
そう言うと、あいつは何でもないことのように答えた。
『これまで、王太子妃のための執務室はございませんでしたでしょう? せっかくご用意されたのですから、関係する資料をまとめて置くにはよろしいかと思いまして』
あのときは、随分と嫌味な言い方をするものだと思った。
「北部三領の水利協定に向けた事前調整はどうする。あれにはアシュレイが何年も関わっていただろう」
「あちらも、交渉経緯と各領の要求をまとめた記録が残されており、担当者への引き継ぎまで済んでおります」
「おい……なぜそこまで引き継ぎが進んでいる。その時点でおかしいと思わなかったのか!」
宰相はわずかに肩を落とし、目を伏せた。
「アシュレイ様からは、別件へ時間を割きたいこと、水利協定についても大枠がまとまりつつあるため、今後は実務担当者へ任せたいとのお話がございました」
あいつは、最初から側妃になるつもりなどなかったということか。
……いつからだ。
俺が側妃の話をした時点で、もう決めていたのか。
椅子の肘掛けを握る手に力がこもった。
何なんだ、アシュレイ。
俺を苛立たせて、何がしたい!
「……王太子府から見舞いの使者を出す」
「殿下個人ではなく、王太子府からですか?」
「ああ。長く王太子妃となる予定だった者が国外で療養している。こちらから何も出さない方が不自然だ」
「ごもっともでございます」
「宮廷医も同行させろ」
「承知いたしました。ただし、診察をお受けになるかどうかは――」
「オルブライト公爵は病床にある」
俺は宰相を見据えた。
「アシュレイが診察を受けるなら、その結果を公爵にも知らせてやればいい。余計な心配の種くらい、取り除いてやるべきだ」
「……承知いたしました。そのように手配いたします」
「それから、帰国の要請も書状へ入れろ」
「理由は、どのように?」
「王太子府の引き継ぎについて確認したいことがある。王都へ戻るように、と伝えろ」
宰相は一瞬だけ黙った。
「……承知いたしました」
そのまま一礼し、執務室を出ていく。
扉が閉じると、俺は机の上で手を組んだ。
今は感情的になっているだけだ。
こちらの事情と、オルブライト家が今後失うものを順に説明すれば、アシュレイなら理解する。
理解すれば、戻る。
あいつは昔から、話の分からない女ではなかった。
それなのに、ここまで意地になるとは思わなかった。
昔から、もっと冷静な女だったはずだ。
――意地?
『いいえ、シャイン殿下』
まだ幼かったアシュレイは、ゆっくりと首を振った。
『この件は、わたくし自身のこととして受け止めます』
俺は机の端に置いてある呼び鈴へ手を伸ばした。
鳴らすと、ほどなくして控えていた近衛騎士が入ってくる。
「隣国へ人を出せ。それと、アシュレイが王都を出てから国境を越えるまでの足取りを、もう一度すべて洗え」
「承知いたしました」
「それと――」
そこで、一瞬言葉が止まった。
「オリバーについても調べろ」
近衛騎士が、わずかに目を瞬いた。
「アシュレイ様の護衛騎士でございますか?」
「……ああ」
俺は椅子へ背を預けた。
「王都を出てから、二人がどう過ごしていたのかもだ」




