第6話 リゼッタ視点
バルト家の屋敷へ戻ると、父と母はすでに夕食の席についていた。
食堂へ入った途端、香草と肉の焼ける匂いが鼻をくすぐる。
「おかえり、リゼッタ。それで、王太子妃教育はどうなの?」
「最悪」
そう答えながら席へ着くと、給仕がすぐにグラスへ赤ワインを注いだ。
母は切り分けていたローストビーフから顔を上げる。
「まあ。そんなに大変なの?」
「アシュレイが私に仕事を押しつけたせいでね」
「ああ、オルブライト家の娘か」
父が鼻を鳴らした。
「公爵家も王都を離れるそうだ。ずいぶんなご身分だな」
「え? そうだったの?」
「ああ。父親は療養、兄は領地へ戻り、娘は国外だ。親子揃って逃げ出したようなものだな」
父はグラスへ手を伸ばし、満足そうに笑った。
「それに比べ、リゼッタは立派なものだ。まあ、お前は昔から何でもできた子だからな」
「本当にね。騎士学校へ進みたいと言い出したときも、こちらが出した条件を全部こなしてしまうんだもの。困った娘だこと」
私は笑って、ワインを口に含んだ。
熟した葡萄の甘い香りが鼻へ抜ける。
「あ、このワイン美味しい。どうしたの?」
「伯父上が送ってくださったのよ。あちらの領地では今年、葡萄の出来がよかったそうなの」
「ふうん」
もう一口飲む。
渋みも強すぎず、疲れた身体へ染み込んでいくようだった。
最初に渡された教材の山を見たときは、さすがにぎょっとした。
けれど、実際に始めてみれば、何もあれを全部頭へ叩き込む必要などなさそうだった。
必要な場へ出る前に、会う相手のことを確認しておけばいい。
何年もかけてあれだけのことを全部覚えていたアシュレイの方が、むしろ要領が悪かったのではないだろうか。
「それにしても、殿下も少しお厳しいわね。お父様から一度、お話ししてもらったら?」
「いいよ、別に」
「必要なら言いなさい」
父もすぐに続ける。
「いくら王太子妃教育とはいえ、いきなり何もかも押しつける必要はないだろう」
「うん。でも、それはいいの」
私はフォークで肉を切り分けながら答えた。
「それより最近、近衛の皆が急によそよそしいのよね」
「近衛? お前の元同僚たちか?」
「そう。前は普通に話しかけてきたのに、今はやたら畏まるの。『リゼッタ様』だの、『未来の王太子妃殿下ですから』だの」
思わず頬杖をつきかけ、母の視線に気づいて手を引っ込めた。
騎士たちには、今まで通りで構わないと何度も言っている。
私は騎士たちの中から選ばれたようなものなのだから、急に態度を変えられる方が違和感あるだろうと。
それなのに、話しかければ一歩引かれ、以前なら気軽に付き合ってくれた打ち合いにも、誰も応じてくれなくなった。
「まあ、それは仕方がないんじゃない?」
母は笑いながらワインへ口をつけた。
「未来の王太子妃に剣を当てて、怪我でもさせたら大変でしょう」
「そんなことで罰したりしないわよ」
「あなたが許しても、シャイン殿下がお怒りになるでしょうね」
「……面倒くさいなあ」
そのシャインにも、最近は相手をしてもらえていない。
政務が忙しいらしく、誘っても「王太子妃教育は?」と言われてしまう。
以前はあんなにも一緒に過ごしていたのに。
食事を終え、食後の茶が運ばれてきた頃、食堂の扉が開いた。
「奥様、仕立て屋が参っております」
「あら、もう?」
母が顔を上げる。
今度の茶会へ着ていくドレスが出来上がったらしい。
食後なのに今から試着するの、と満腹になった腹をそっと撫でながら別室へ移ると、待っていた仕立て屋が大きな衣装箱を開いた。
中から現れたのは、深い青緑色のドレスだった。
光の加減で色合いを変える上質な絹で、胸元は浅い四角に開き、腰から裾へ落ちる線もすっきりとしている。銀糸の刺繍も袖口と裾だけに抑えられていた。
まあ、悪くはない。
余計な飾りも少ないし、これなら身体も動かしやすそうだ。
母は一歩離れ、ドレスを眺めながら首を傾げた。
「……地味じゃない?」
「まあね。こういうものにしなさいって先生に言われたんだもの」
王太子妃となる以上、身体の線を強調しすぎるものや、胸元が大きく開いたものは控えるようにと言われている。
私はそういう意匠の方が似合うのに。
だいたい、身体の線が出ない服なんて、自信のない人が着るものではないか。
「未来の王太子妃なのよ。もう少し華やかでもいいでしょう」
母はドレスへ近づき、裾の刺繍を指先でなぞった。
「せめて胸元と腰回りにも、銀糸を足したらどうかしら」
「いいんじゃない? その方が華やかだし」
仕立て屋は一瞬だけ母と私を見比べた。
「……かしこまりました」
小さく答え、手帳へ何かを書き込んでいった。
◆
茶会を終え、王太子妃用の執務室へ戻った頃には、すっかり肩が凝っていた。
「……疲れた」
椅子へ腰を下ろし、背もたれへ身体を預ける。
「本当っ……気分悪い」
昨日、女官長から言われたことは一通り守ったつもりだ。
ローブ公爵夫人には娘の出産祝いを伝え、メルヴァ伯爵夫人には南部から戻った息子の話を振った。自分ばかり話さないようにもした。
それなのに、会話の途中で何度も妙な空気になった。
特にローブ公爵夫人。
今度の茶会用に仕立てたドレスを見て、
『ずいぶん華やかな装いでいらっしゃいますのね』
などと言ってきた。
褒められたのだから礼を言って、仕立て屋のことまで教えてあげたのに、そのあと妙な顔をしていた。
何なの、あれ。
軍馬の話だってそうだ。
北部では軍馬の値が上がっているというから、近衛にいた頃に聞いた話をしただけだ。
安いからといって質の悪い軍馬へ切り替えるべきではない。それくらい当然だろう。
なのに、侯爵夫人と伯爵夫人が途中で顔を見合わせていた。
何か言いたいなら、言えばいいのに。
一番腹が立ったのは、王妃陛下だ。
『ところで、アシュレイ様がおられなくなって、王宮もずいぶん寂しくなりましたでしょう?』
ローブ公爵夫人がそんな話を始めたから、
『別に何も変わりませんけど』
と答えた。
だって、本当にそうなのだから仕方がない。
すると王妃陛下まで、
『アシュレイは幼い頃から長く王宮へ通ってくれていましたから。わたくしは寂しく思っていますよ』
などと言い出した。
わざわざ私の前で言うことだろうか。
だから、
『それなら、王妃陛下にきちんとご挨拶もしないでいなくなったのは、ひどいですよね』
と返した。
その瞬間、なぜか全員が黙った。
そして王妃陛下は、
『いいえ。わたくしは、そうは思っておりませんよ』
とだけ言って、すぐ別の話題へ移ってしまった。
「……何なのよ」
机の上に置かれていた資料を指先で押しやる。
実際、困っているのはこちらではないか。
「あー……もう、また書類増えてるし……」
机の上に積まれた書類から一束を取り上げる。
戦没者遺族への支援金について、地域ごとの配分案をまとめた資料だった。
「シャイン、絶対私に仕事押しつけすぎでしょ……あ」
頁をめくっている途中で、見覚えのある家名に目が止まった。
たしか、お父様の知り合いだ。
幼い頃、何度か屋敷へ来ていたのを覚えている。
資料を読み進めると、その家が治める地域には退役兵や戦没者の遺族が多く暮らしているらしい。
騎士団への寄付も、長年続けている。
「ふーん……」
私は配分案の金額を見比べ、その地域へ回す額をわずかに増やした。
当然、どこかを減らさなければ総額が合わない。
似た条件の地域を探していくと、ローブ公爵領の名前が目に入った。
「……ここでいいか」
配分額を少し減らし、その分を先ほどの地域へ回す。
これくらいなら、全体から見れば大した差でもない。
国のために長く尽くしてきた家や土地へ、報いるのは、当然だ。
「……ふん」
それに、ちょっといい気味だ。




