第2話 ギルベルト視点②
「失礼いたします」
扉が開き、アシュレイの護衛を終えたオリバーが入ってきた。
「悪いな。こんな時間に呼び出して」
俺は長椅子に寝転がっていた身体を起こし、向かいを顎で示した。
「まあ、座れよ」
テーブルの上には、わざわざ用意させた琥珀色の蒸留酒が置いてある。
瓶を手に取り、グラスへ注ぐ。樽と燻した木のような香りがふわりと立った。
そのままオリバーの前へ置く。
「いえ、結構です」
「いいから飲め。俺は飲めないんだから、お前が減らせ」
「なぜ用意されたのですか……」
「お前に飲ませるためだよ」
呆れたような顔をしながらも、オリバーはグラスを受け取った。
かなり度数の高いものを選ばせたつもりだったのだが、一口飲んでも顔色ひとつ変わらない。
……これでも駄目か。
昔から、こいつは酒が強かった。俺が酔いつぶれるたび、部屋まで運んでいたのもオリバーだ。
それにしたって、お前もいい年だろう。少しくらい酔え。
仕方なく、そのままどうでもいい話をした。
領地の孤児院を出た子供たちが今はどこで働いているだとか、バルト侯爵家の長男が騎士団で相変わらず偉そうにしているだとか。
オリバーも多少は付き合ってくれたが、酒を飲ませたところで相変わらず表情に変化はない。
諦めて、俺は本題を切り出した。
「お前、アシュレイを側妃にするという話、どう思う?」
グラスを持つ手が止まった。
「ここには俺しかいない。無礼講だ。正直に言えよ」
少し笑って付け足す。
「俺はシャイン殿下のこと、相当なろくでなしだと思ってるから安心しろ」
「……そのようなことを、私におっしゃらないでください」
「否定しないんだな」
「…………」
オリバーはしばらく、グラスの中の酒を見つめていた。
やがて、ゆっくりとテーブルへ戻す。
「許せません」
低い声だった。
「アシュレイ様が、これまでどれほど努力されてきたか……私はずっと側で見てまいりました。婚約を解消されるだけでも到底納得できません。それを今度は側妃として、これまでと同じように支えろなどと……」
グラスを置いたあとでよかった。
オリバーの手の甲には、はっきりと血管が浮いている。
そのまま握っていたら、割っていたんじゃないか。
「じゃあ、もう一つ聞くが……お前、アシュレイのことをどう思ってる?」
「……命に代えてもお守りすべき方です」
「そういう話じゃない」
俺は即座に返した。
「女としてだ」
オリバーが黙った。
「昔から見てるから、今でも子供にしか見えないのか? それとも単純に好みじゃないとか。お前、もっとこう……豊満で色気のある女が――」
「アシュレイ様は魅力的な女性です!」
思った以上の勢いで遮られ、俺は目を瞬いた。
オリバーも俺と目が合うと、すぐに視線を逸らした。
「……ほう。そうなのか」
「お忘れください」
「無理だな」
俺は笑ったが、オリバーは笑わず、口を引き締めていた。
「……私は一介の護衛騎士に過ぎません。アシュレイ様とは年齢も離れております」
「それで?」
「アシュレイ様は、いずれシャイン殿下ではない、もっとふさわしい方と結ばれるべきです。私は……そのお姿を側で見守ることができれば、それで」
「オリバー、お前、本気で言ってるのか?」
俺は長椅子から身体を起こした。
「お前、気づかなかったとは言わせないぞ。アシュレイがあれだけ頑張っていた理由を」
「それは……」
「なのに、身分がどうだ、年齢がどうだって理由をつけて、勝手に身を引くのか? それこそ、あいつの想いを馬鹿にしてるとは思わないか」
「……」
「はっきりしろよ。好きじゃないなら、それはそれでいい。だけどお前、これまで――」
「ギルベルト様」
オリバーはグラスに残っていた酒を一気に飲み干した。
さすがに喉が焼けたのか、ひとつ大きく息を吐く。
それから、重い口を開いた。
「実は――」
◆
アシュレイが隣国へ療養に出て、もう数週間になるが、最近やたらと王宮へ足を運んでいる気がする。
もちろん、自ら進んで来ているわけではない。
案内された部屋へ足を踏み入れた瞬間、今日も面倒な話になりそうだと思った。
侍従たちの表情が硬い。
そしてシャイン殿下は、俺を見るなり眉間へ皺を寄せた。
「なぜ先日の会合に出なかった」
挨拶もなく投げられた問いに、俺は肩をすくめた。
「父が療養中ですので」
父はアシュレイがいなくなってから、急に老け込んだ。
正直、俺は驚いた。
母は「まあ、そうなるでしょうね」という顔をしていたが。
どうやら父なりに、アシュレイを愛していたらしい。
――父なりに、というところが困ったものなのだが。
「ならば、お前が代理だろう」
「ええ。ただ、今は引っ越しの準備で忙しくて」
「……引っ越し?」
「領地へ戻りますので」
シャイン殿下の表情が止まった。
「おい……オルブライト家が王都を離れるというのか」
「まあ、そういうことですね。ただし、国王陛下からの召集にはもちろん応じますし、年次会議にも出席いたします」
「そういう話をしているのではない!」
まあ、そうなるよな。
困るのだろう。
これまでシャイン殿下が多少無茶を言っても、父が水面下で他家と話をつけ、衝突しそうなところを収めてきた。
アシュレイもそうだ。
あの二人が、ずっとこいつと周囲との間に立っていた。
その迂回路が、一度に二本とも消える。
「これまでオルブライト家が調整していた諸家はどうする」
「それはシャイン殿下の手腕で何とかしていただかないと。……ああ、バルト侯爵家がおられるではありませんか」
「何を言っている!」
シャイン殿下が即座に声を荒らげた。
「バルト家にオルブライト家と同じ役割が務まるわけがないだろう! あの家は――」
そこで言葉が止まった。
俺は笑いそうになるのを堪えた。
「それは困りましたね。ですが、リゼッタ様を正妃に選ばれたのはシャイン殿下でしょう?」
「お前は、王太子派の勢力図が崩れても構わないというのか? 公爵家の嫡男ともあろう者が」
「シャイン殿下」
俺は両手を軽く広げた。
「一つの公爵家が積極的な支持をやめただけで崩れる勢力図なら、そちらの方が問題ではありませんか?」
「アシュレイが側妃を断り、オルブライト家まで王太子府から手を引けば、周囲がどう見るか分からないわけではないだろう!」
「シャイン殿下。俺たちは国を離れるわけでも、国政を放棄するわけでもありません。公爵家としての義務は、これまで通り果たします」
そこで、にっこり笑う。
「ただ、シャイン殿下を特別にお手伝いするのをやめるだけですよ」
「ギルベルト!」
「では、俺はこれで。まだ荷造りが残っていますので」
「待て。話は終わっていない!」
「申し訳ありません。父上も体調を崩しておりますし、母まで倒れないか心配でして。長男として、早く帰ってやらないと」
わざと眉尻を下げ、困ったように息を吐く。
それから一礼し、踵を返した。
扉へ向かいながら、背中へ突き刺さるような視線を感じたが、振り返らなかった。
俺は父上ほど、我慢強くない。
アシュレイほど、貴族としての志も高くない。
扉が閉まりきる直前だった。
「殿下……来週予定しております北部諸侯との事前会合ですが」
側近の、どこか焦った声が聞こえた。
「オルブライト家より仲介を辞退するとの連絡がありまして、各家との再調整が必要になります……」
「分かっている!」
シャイン殿下の怒声を背中に聞きながら、俺はそのまま廊下を歩いた。
だけどな、アシュレイ。
次期当主として――お前の代わりに、この先どうなるのか、最後まで見届けてやるよ。




