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1、心の友よ!

 翌日の元旦、十五時。二人は町内にある小さな神社に来ていた。人影はまばらだ。

初詣が混むのは深夜から早朝のため、その時間帯は避けていた。

二人は拝殿を済ませた。

大希たきは、キヨを神社のスミに置いてあるベンチに座らせた。

「婆ちゃん、今年も絵馬を買ってくるからね。ここで待ってて」

「うむ、頼んだぞよ」

大希は拝殿の近くにある、臨時で作られた売店に来た。絵馬は普通なら動物やダルマだったりするが、この笠地蔵市は少し違う。動物・ダルマに加えて、ゆるキャラの『六神体』もある。毎年、ジョンの絵馬を買うのが、歓雫かんだ家の恒例だ。

大希が売り場を見ると、ずらりと絵馬が並んでいる。おさるのジョニーなど、六神体もある。もちろん目当てはジョンだ。意外な事に、ジョンの残りは一枚だけだった。

人気で売れたのではなく、人気が無いので入荷を少なくしてあるのだ。

大希は右手でジョンの絵馬をつかんだ…のだが、ほぼ同時に、ジョンの絵馬をつかむ他の手があった。大希はその手を見る事なく、つかんだ絵馬を強く引っ張り、無表情で相手の手を振り払った。

会計に行こうとすると、『他の手』の主から声をかけられた。


「あの、ちょっと!」


声の主は若い女性だった。昨日、コンビニで被害を受けた女性だ。今日の大希はピンクのパーカーを着てないからか、気付いていない。大希もコンビニの女性だと気付いてない。

大希はイラついた表情で返事をした。

「はぁ? 俺に言ってんのか?」

『相手が女性なら優しい態度をとろう』などという感覚は、大希には無い。

「それ、私も買いたいんですけど」

「あっ、そう。もう俺の物だ。諦めな」

「その絵馬、同時につかんだよね?」

「だから?」

「話し合って決めるとか考えないの?」

大希は目つきの鋭さを増して言った。

「考えないね、さっさと失せな」

だが、女性はひるまない。コンビニの一件以来、理不尽な相手に屈しないと誓っていた。

「あんたって、卑怯者だよね」

「なんだと?」

「相手が腕力で負けない女だから、大きい態度に出ているんだ。会社の上司とか、立場が上の人間ならペコペコするタイプじゃない? 『この絵馬どうぞ~』なんて言ってさ」

「…お前に警告してやるよ。見ず知らずの人間と揉めたら、挑発しない方がいいぜ」

「それはアドバイスありがとう。

挑発したら、暴力を振るわれるかもって言いたいんでしょ?」

「そうだ。分かっているじゃないか」

「あんたもそうなんでしょ? 『女なんか簡単に殴れる』と思ってるんだ。見下してさ」

「あんた『も』とはなんだ?」

「こっちの話よ。で?」

「思ってねぇよ。俺は女と子供は殴らない。俺が思っているのは、

『揉めるのが面倒くさい・時間がもったいない』という事だけだ。さっさと引っ込めよ」

言い合っていると、二人の間から声がした。


「大希、何をしとるんぢゃ?」


二人は声の方を見た。そこには杖をついて、背中を丸めて立っているキヨがいた。

大希の形相は一瞬で消え、焦った口調になって言った。

「ばっ、婆ちゃん! あっ、あのね、この女…じゃなくて、

こちらの女性に絵馬をお譲りしていたトコロなんだよ。アハハッ!」

大希はそう言うと、ジョンの絵馬を女性の右肩辺りに押し付けた。

女性は落ちそうになった絵馬を、慌てて両手でつかんだ。

女性は呆気にとられていた。先程まで人を殺しかねないような形相だった男が、この老婆が現れた途端に大人しくなった。

そして自身もふと老婆を見て、何かを思い出したかのように言った。

「お婆さん…?」

キヨは女性を見て言った。

「はぁ? ワシかの?」

「お婆さんだっ! ジョンのお婆さんだー!」

女性はそう言うと、両手でキヨの左腕に軽く触れた。

「ん? お主は、いつかのお嬢さんかの? 久しいのぅ」

盛り上がっている二人を見ていた大希は、今度は自分が呆気にとられていた。



イラスト:migmag

挿絵(By みてみん)

「ジョンのお婆さんだぁー! また会えて嬉しいな!」



三人はキヨが座っていたベンチに移動した。キヨと女性が座り、前に大希が立っている。

女性は大希に目をくれる事は無く、笑顔でキヨに話しかけた。

「久しぶりですねー。もう一年近く会ってませんよね? 心配してたんです」

「ワシも寂しかったぞよ。しかしのぅ、すまん。名前が思い出せんのぉ」

「あっ、大丈夫です。きっと名乗っていないと思いますよ。『おばあさん』・『おじょうさん』って呼び合っていましたから。私の名前は『花梨はななし まち』です。よろしくお願いします」

茉はショートヘアと黒髪が印象的な、可愛らしい女性だ。年齢は十九歳。身長は百五十三センチで小柄。灰色のハーフコートと、薄い青色のデニムを履いている。

「うむ、ワシの名前はキヨじゃ。で、こいつはワシの孫ぢゃ」

大希はバツが悪そうな顔をして、茉を見ずにボソリと言った。

「…歓雫大希です」

茉も同様に、大希を見ずにボソリと言った。

「…花梨です」

茉はすぐにキヨと話し始めた。

「最近はどうされていたんですか? お見かけしないから、もうお掃除はなさっていないのかなぁと思っていたんですけど、ジョンはいつも綺麗ですよね?」

「うむ、一年くらい前から、悪かった膝が、さらに悪うなってのぅ。掃除を代わってもらったのじゃ。この大希にな」

茉は『信じられない』という表情で、チラリと大希を見ながら言った。

「こいつ…じゃなくて、このお孫さんがジョンの掃除を? へぇ…」

またキヨの方を向いて言った。

「私、キヨさんにお会いできるんじゃないかと思って、いつも月末あたりにジョンの所へ行っていたんですよ。でも、お孫さんはお見かけしなかったです」

「うむ、こやつはのぉ、夕方になって人気ひとけが無くならんと行かんのぢゃ。それでぢゃないかのぅ? おかげで、未だにジョンを掃除しているのがワシぢゃと思っている者が多いのぢゃよ。困ったもんぢゃ」

大希はため息交じりに言った。

「ふーっ、そんなの誰と思われてもいいじゃない」

キヨは大希の言葉を無視して言った。

「ところで大希、お前は何をボーッと突っ立っておるのぢゃ?」

「どういう事?」

「美人二人が話しておるというのに、手ぶらにさせてどうする? 甘酒でも買ってこんかい! 気が利かんのかっ!」

大希は体をビクッとさせ、怯えながら答えた。

「分かったよ! 怒鳴らないでってば! 買ってくるよっ! ただ、その前に---」

大希は茉を見て言った。

「お前…じゃなくて、あなたさ、年いくつ?」

「年? 今年で二十歳だけど」

「今年? じゃあまだ十九って事か?」

「五月で二十歳だけど。それがなに?」

「じゃあ未成年だ。甘酒はダメだ。ジュースにしろ」

「いや、なに言ってるの? 甘酒なんてジュースみたいなもんじゃん! 周りの子供もみんな飲んでるでしょ?」

「周りはどうでもいいんだよ。この神社の甘酒は米麴から作ってるんじゃない。酒粕から作ってるんだ。ごく微量だがアルコールが入っているんだ。飲ませられねぇ」

「あっ、あんたねぇ…」

茉が言い返そうとすると、キヨが一喝した。

「大希! 正月は特別なんぢゃ! 早う買うてこいっ!」

「はっ、はいっ!」

大希は小走りで、甘酒を買いに行った。

大希がいなくなると、キヨは言った。

「融通が利かない孫ですまんのぉ、マミー」

「え…? 私、マミーですか? アハハッ! はい、マミーです。いえ、確かにお孫さんの言う通りではあるんですけどね」

「あやつは、数年前に大きな交通事故に遭ってのう。死線をさまよったのぢゃ。それはあやつが、信号を守ってさえいれば防げた事故だったのぢゃ。以来あやつは、法律や規則は絶対厳守になったんぢゃよ」

「へぇ、そうだったんですね」

「ところで、さっきはどうしたのぢゃ?」

「えっ?」

「売店の前で揉めておったろう? 何があったのぢゃ?」

「いっ、いえっ! 別に何も…」

「マミー、年寄りに嘘は通用せんぞ。正直に言ってみぃ。悪いようにはせんから」

「あ、はい。実は…」


まちは、事の顛末を説明した。


「う~む、それはいかんのぉ」

「いえ、こちらもケンカ腰で話し掛けましたから、それも良くなかったです」

「うんや、大希が悪い。しかも女相手に怒りだすとは情けない」

「お孫さんはジョンの絵馬を、何故そこまで欲しがったんでしょうか?」

「ワシが毎年、ジョンの絵馬を買っているからのぅ。それでぢゃよ」

「あっ! そうなんだっ! じゃあお返ししますっ!」

「マミーは何故、絵馬を欲しがったのぢゃ?」

「兄の子供、甥っ子が遊びに来ているんです。お正月の恒例なんですけどね。ジョンの絵馬を欲しがっていて。だからです。でもいいですよ。一番人気の、おさるのジョニーを買って帰ります」

茉はジョンの絵馬をキヨに差し出した。しかし、キヨはそれを優しく押し返した。

「まぁ待ちなさい。大希にも聞いてみるとしようぞ」

間もなく、大希は帰ってきた。両手に暖かそうな紙コップを持っている。

「婆ちゃん、もらってきたよ」

キヨは紙コップを受け取らず、大希に言った。

「大希、聞いたぞ。絵馬の一件をな」

「え…? あ、うん」

「マミーの甥っ子がのぅ、ジョンの絵馬を欲しがっているそうじゃ。ワシは譲りたいと思うがの。お前はどう思うのぢゃ?」

「マミーって、この人の事? また妙なあだ名を…。…うーん、分かったよ。婆ちゃんが良いって言うなら問題無いよ。それに---」

「それに?」

「その甥っ子は、ジョンが好きなんだよね? よくよく考えたら、ジョンが好きだなんて、貴重な同士だよ。喜んでとは言わないけど、嫌々じゃないよ。普通に譲るよ」

キヨは大声で笑った。

「カッカッカッ! それで良いのじゃ! 同士は大切にせねばのぅ」

『同士』という言葉が面白かったのか、茉もクスリと笑っていた。

大希は二人に紙コップを渡した。

キヨは大希を褒めた。

「うむ、ご苦労じゃった。大希」

茉はうつむき加減でボソリと言った。

「どーも…って、あれ?」

茉はコップの中身を見て言った。

「これ、甘酒じゃないよね?」

「お茶だよ。売店の人に頼んだらくれた。それを飲んでおけ」

「あっ、あんたねぇ!」

二人の様子を見て、キヨは笑った。

「カッカッカッ! マミー、大希の言う事にも理がない訳ではないぞ。まあ今日のトコロはお茶を飲んでおきなさい」

そう言われ、茉は不満気ながらもお茶をすすった。

「はーい」

二人が甘酒とお茶を飲み始めると、大希は言った。

「じゃあ婆ちゃん、俺はコンビニへ、お節料理を引き取りに行ってくるよ。ここで座って待っていてね」

帰りで良かったが、ハッキリ言って茉といるのが居心地が悪いようだった。

「うむ、分かった。行ってくるがよい」

大希がいなくなると、茉は言った。

「キヨさんは毎月、銅像のジョンに『会って』いたでしょう? 会わないのは寂しくないですか? 掃除している時、たくさん話かけていましたもんね」

「それは大丈夫ぢゃ。掃除はできんが、散歩がてらにジョンに会いに行く事もあるしのぅ。それに、家にもジョンはいるのぢゃよ。三頭身のぬいぐるみぢゃがの。ずっと話しておるよ」

「アハハッ! そうなんですね。仲良いなぁ」

「あのゴリラが家にきて、もう七年くらいかのぅ。暇さえあれば、話し掛けておるよ」

「ぬいぐるみのジョンに? それは凄いですね。もう家族みたいなモンだぁ。ジョンを好きになったキッカケってあるのですか?」

「大希が初めてくれた誕生日プレゼントが、そのぬいぐるみのジョンだったのぢゃ。だからぢゃよ。可愛いぞよ」

「へぇ~、だから銅像の掃除も始めたのですか?」

「うむ。銅像があると聞いて見に行ったら、ひどく汚れていてのう。世間から忘れられているように見えて、不憫ぢゃった。ワシや大希のように見えて、放っておけんかった」

「え…?」

「カッカッカッ! なんでもないぞよ。そんな訳ぢゃ。最初の六年はワシ。最近の一年は、大希が掃除しておるのぢゃよ」

「へぇ、大希君がね。大希…たき? キヨさん、名字は『歓雫かんだ』でしたよね?」

「そうぢゃよ」

「『かんだ たき』…? あの、お孫さんは大学生ですか?」

「うむ、東見とうみ大学ぢゃ」

「やっぱり! 私、そこの一回生です。同じ大学だったんだ…」

「ほぉ~世間は狭いのぅ。ただ歳は、大希が一つ上かもしれん」

「えっ? そうなんですか? 年上なんだ」

「うむ、大希は中学校を卒業して、一年後に高校に入学したのぢゃ」

「何かあったのですか? 病気とか?」

「そうではない。あいつは小中学校では、ロクに勉強せんかったのぢゃ。学校へも行かずに呆けてばかり。九九も言えんかったんではなかったかのぅ?」

「それが、今では東見大学生に? 自分で言う事じゃないんですけど、ウチの大学はこの地方で試験が一番難しいんです」

「うむ、中学三年生の夏ぢゃったかのう。改心しての。勉強に打ち込んだのぢゃ。まさに『寝ずに勉強するとはこの事か』と思ったぞよ。盆や正月など関係なく、一日も休まず頑張ったのぢゃ」

「へぇ…」

茉は信じ難かったが、キヨの言う事なので信じられた。


二人で話し込んでいると、大希が帰ってきた。二人の前に立ったのだが、顔色が悪い。

キヨが心配気味に言った。

「大希、どうしたのぢゃ?」

「…えっ? いやいや! なんでもないよ」

何やら困っている様子の大希だが、茉は気にせず聞いた。

「えっと、歓雫君。聞きたい事があるんだけど」

「…なに?」

「あなた東見とうみ大学の一回生なんだってね。キヨさんから聞いたけど」

「それがなんだよ」

「私もなんだよね」

「えっ! …あ、そう」

「歓雫大希。珍しい名前だから憶えてたの。貴方、受験を首席で合格した人じゃない? しかも満点に近いって噂だよ? その上、年二回の定期テストの成績も常に一位」

「そうらしい。でも、それは結果の話だ。俺の興味はソコじゃないからな」

「じゃあドコなのよ?」

「奨学金。受験の結果次第で、奨学生になれる。好成績を収めれば、全額免除の『こう』になれる。それだけだ。主席とか一位なんて、どうでもいいんだよ。ただの結果」

「ふーん…」

大希は茉との会話をすぐに終わらせ、キヨに言った。

「婆ちゃん、そろそろ帰ろうよ」

「うむ、そうぢゃのう」

キヨは杖を支えにゆっくりと立ち上がると、茉に言った。

「マミー、楽しかったぞよ。元気でいなされよ」

「私もですっ! またお会いしたいんですけど…。決まった日に散歩なさったりしてません? 例えば『第二土曜日にジョンの前で十五時』みたいな感じでいかがでしょうか? 膝の調子が良い日だけで結構なので。これなくても、気にしないでくださればいいですよ」

「んーっ? そんなまどろっこしい事せんでも、ラインで約束したらいいぢゃろう?」

「ラインって、スマートフォンのラインですか?」

「他にあるのかのぅ?」

「わっー、キヨさんすごいっ! はい、ラインしましょう! アカウント交換しましょう!」

「うむ、いいぢゃろう。大希よ、ワシのスマホをマミーに渡すのぢゃ」

大希は怪訝そうな顔をしながら、茉にスマホを渡した。

「ホントにいいの? …はい」

茉はスマホを受け取ると、アカウントを交換した。

「これでキヨさんとラインができる。嬉しいな。仲良くしましょうね」

「うむ、これでワシとマミーは心の友じゃ」

「はいっ! 心の友ですね!」

茉は大希にスマホを返すと、キヨに向かって言った。

「キヨさんって、すごいですね。スマホ使えるなんて。大希君に習ったのですか?」

「うんや、ワシが大希に教えたのぢゃ。こいつは機械には疎くての。勉強ばっかりしていたから、しゃーないが」

「キヨさんって本当に凄いですね! まぁ、祖母にスマホを習うのも凄いけど」

大希は居たたまれなくなって言った。

「婆ちゃん! もう行こうよ!」

キヨと大希は横並びで歩いていた。杖をついているキヨのペースで歩いているので、ゆっくりだ。大希は慣れた様子で歩調を合わせている。

大希は、キヨが少し辛そうな表情をしている事に気が付いた。

歩きながら大希は聞いた。

「婆ちゃん、大丈夫? 右足の膝が痛むんだよね?」

「いてて…。しばらく歩いていれば、慣れてくる。大丈夫ぢゃ」

「うーん…」

「面白い娘ぢゃったのう。お前と同じ大学なら、また会えるかもしれんぞ。『がーるふれんど』になってくれたらいいのぅ」

「あっ、それは無いよ。それにしても花梨さんだっけ? 以前から、よく会っていたの?」

「うむ、初めて会ったのは三~四年前になるかの? 確か、まだ制服を着ていたと思うがの。ジョンの掃除をしていたら『いつもありがとうございます』って話かけられてのぅ。マミーもジョンがお気に入りなんぢゃ。よく会ったし、差し入れも沢山もらったのぅ」

「差し入れ?」

「うむ。ペットボトルのお茶やら、どら焼きやら、色々もろうたのぅ。二人でジョンの台座に座って、どら焼きを食べながら話し込むなんて、しょっちゅうぢゃった」

「あっ…そうなんだ」

「通りすがりの者は皆、ジョンを掃除をしているワシを見て、怪訝そうな顔をする。ぢゃが、あの娘は違ったのぅ。年寄りのつまらん話に毎月毎月、よう付きおうてくれたわい。久しぶりに会えて嬉しかったぞよ」

「そう…」

「後でラインしようかのう。カッカッカッ!」

「うん、そうだね」


話し込みながらゆっくり歩いていると、二人はジョンの銅像の前に到着した。

満足そうにジョンを眺めているキヨに、大希は言った。

「元旦のジョンに会うのも、恒例だね」

「うむ、やはり元旦はジョンに会わねば締まらんのう。これも初詣ぢゃ」

二人はジョンに向かって手を合わせて、目を閉じて拝んだ。

キヨは思った。

「(今年こそ、大希が真人間になりますように)」

大希は思った。

「(今年も婆ちゃんが元気でいますようにって願いたけど…。コイツに拝んでご利益なんてあるんだろうか?)」

大希が疑っていると、何処からか咳払いが聞こえた。


《ゴッ、ゴホン!》


大希は思った。

「(ん? 今の咳はジョンか?)」

大希はキヨに聞いてみた。

「婆ちゃん、今なにか聞こえた?」

「うむ、お前が咳をしたのぢゃろう?」

「え…? へぇ、聞こえたんだ」

「はぁ? なんの事ぢゃ?」

「ううん、なんでも無いよ。ところで婆ちゃん」

「なんぢゃ?」

大希はキヨに体を向けて、深々と頭を下げた。

「ごめんなさい」

「ん? なんの事ぢゃ?」

「お節料理の事だよ。さっきコンビニに予約しておいたお節を引き取りに行ったんだ。でも、前払いの料金を払い忘れてて…」

「おや、買えんかったのか?」

「ごめん! 本当にごめんなさいっ! あんなに楽しみにしていたのに…」

「カッカッカッ! よいよい! 数の子は今度、スーパーで買えばよい」

「ごめんよ…」

「大希、その代わり、黒豆はお前が炊くのぢゃぞ。ワシが教えたから、できるな?」

「もちろん! 俺は婆ちゃんの料理の継承者だからね! 明日、さっそく炊くね」

「うむ、楽しみぢゃ。ところで大希。ワシが案じているのは、お節料理などではない」

「えっ、なにかな?」

「さっきの絵馬の件ぢゃ。マミーとのケンカぢゃ」

「あ…、うん」

「よいか大希。確かにワシとお前は、『世間』からヒドイ仕打ちを受けた。しかしそれは、『ワシとお前以外は敵』ではないぞよ」

「だってさ---」

「よく聞け。お前はちょっぴりでも敵意を感じると、カッとしてしまう。相手の事を理解しようともせず怒ってしまう。これがイカンと言っておるのぢゃ」

「…はい」

「だがのぅ、お前はイイ子ぢゃ。カタブツと言ってもいいぐらい、真面目ぢゃな。そこさえ直れば人生が変わるぞ。『がーるふれんど』ができるかもしれん」

「それはもういいって! でも、分かったよ。頑張ってみるよ」

「うむ、ゆっくりでいいぞよ。物事は一朝一夕にはいかんからのぅ」

「うん、分かったよ」

「ところで大希よ、例の答えは見つかったかのぅ?」

「ん? 答えって?」

「『天国へ行く方法』ぢゃよ」

大希はぎこちない感じで答えた。

「え? あぁ、アレね。ごめん、気にしないで。なんとなく聞いただけだからさ」

大希の様子を見たキヨは言った。

「ふむ…。お前、どうやら悩んでいるようぢゃのぅ」

「いや、そんなオーバーなもんじゃないよ。ちょっとした考え事ってだけ」

「ワシの考えを聞かせようかのぅ?」

「うっ、うん! 聞かせてよ」

「『天国へ行く方法』は、ワシは知らん。そんなものがあるかどうかも知らん。ただ、ワシは思うのぢゃ。そういう『未曽有みぞうの事』を知りたいと思ったら、『動く』のぢゃ」

「動く?」

「うむ。行動を起こすのぢゃ。じっとしておっても、何も分からんし、何も変わらんぞ」

「…なんか難しそうだね」

「そんな事はないぞ。いったん、『天国へ行く方法』の事は忘れるのぢゃ。そして、普段とは違く事をするのぢゃ。例えば…大希よ。お前の昼飯は、自作のオニギリぢゃな?」

「うん、食費の節約の為にね。毎朝作って、大学に持っていってるよ」

「たまには、コンビニでサンドイッチでも買ってみたらどうぢゃ?」

「え?」

「お昼に食べるのを、十四時や十五時にずらしてみたらどうぢゃ?」

「は?」

「大学へ通う道を、遠回りして普段とは違う道を歩いてみたらどうぢゃ?」

「ごめん、婆ちゃん。意味が分からないよ」

「つまり、いつもとは違う方を選んで、『新しい景色を見てみる』という事ぢゃ。些細な事で良い。ちょっとした『普段とは違う経験』が、何かをもたらしてくれるかもしれん。難しくないぢゃろう? 物は試しぢゃ。やってみるがよいぞ」

「なるほど、そういうモノなのかもね」

「そして選ぶなら『自分にとって苦手な方』を選ぶと良い。些細な事であっても、それが積み重なれば、お前を成長させてくれるやもしれん」

大希はスッキリした表情で言った。

「うん、分かったよ婆ちゃん。試してみるね」

「ワシはそんな事より、『こいのなやみ』が聞きたいのぅ」

「アハハ…。それは天国へ行くより難しいかも。じゃあ、そろそろ帰ろうか」

「いや、ちょっと待つのぢゃ」

キヨはそう言うと、右手の人差し指の先で、ジョンの頭のテッペンをこすった。昨日の大晦日に、大希が掃除した出来を確認する為だ。

そして汚れていない指先を見て言った。

「うむ!、綺麗ぢゃのぅ。大希よ、大儀であった!」

「あのねぇ、婆ちゃん。姑じゃないんだから」

「カッカッカッ! 帰るぞよ、大希」

「はいはい、お供しますよ」

二人はゆっくりと家路についた。歩きながらキヨは言った。

「大希よ、お前は真面目ないい子じゃ。こんなにもジョンを綺麗にするのが、その証拠ぢゃ。時間はかかってもええ。その短気を直すのぢゃぞ。特に、女に怒るのは絶対にイカン! 分かったかのぅ?」

「うん…」

二人は帰宅後、家にある材料で夕食を済ませた。二十二時になり、二人は就寝した。

気持ちよく眠っていた夜中に、ある出来事が起きた。


ゴトッ!


玄関から大きな音がした。何か物を置いたような音だ。時計を見ると、深夜二時。

キヨは寝たままだが、大希は起きた。不気味に思った大希は、布団から出て、ゆっくりと玄関のドアを開けた。薄暗い外を見て、大希は思った。

「あれ? 先の曲がり角に人影が消えていったような…?」

そんな気が一瞬だけしたが、やっぱり誰もいない。『なんだ気のせいか』と、大希は気に留めなかった。しかし足元を見ると、ある物が置いてあった。

朝の六時。キヨと大希はコタツに入りながら話をしていた。まだ朝食をとっておらず、顔も洗っていなかった。その前に、話さなければいけない事があったからだ。

大希は深夜の出来事を説明した。

「…と、いう訳なんだよ。婆ちゃん」

「う~む」

コタツの上には、大きくて豪華な三段重ねのお節料理が、二つ置かれていた。

「ねっ? 不思議だろう? 誰かが置いていったんだろうけど」

「大希よ、隣に置いてあるでっかい紙袋はなんぢゃ?」

「あ、これ? 一緒に置いてあったんだよ。中身は餅と日本酒とどら焼きだね」

大きな紙袋の中に、パンパンに入っている。

「正月用品ぢゃのう。しかし、どうしてどら焼きなのか分からん。一つ見せてみぃ」

大希は個別に包装されているどら焼きの一つを、キヨに渡した。

「むっ! これは老舗和菓子屋のどら焼き『影丸』ではないか! これ一つで、普通のどら焼きが五~六個買えるぞよ。死ぬ前に一度でいいから食べたいと思っておったわ」

「婆ちゃん、これどうする? 警察に届けようか? 新手の詐欺かもしれないし。もしかすると、毒が入っているかもしれないよ? 捨てた方がいいかもね」

キヨは即答した。

「うむ、ワシらで食べよう」

「いやいや! それはお節とどら焼きを食べたいだけじゃない!」

「カッカッカッ! まあ良いではないか。落とし主を探している間に、腐ってしまうぞ。

それに、毒なんて考え過ぎぢゃ」

「まあ、そうだね。二人で食べようか」


《ふぅ~、ヒヤヒヤした。捨てたりされたら、たまったもんじゃない》


大希とキヨは、部屋のスミに置かれているジョンのぬいぐるみを見た。二人はぬいぐるみの方から音が聞こえたと思ったが、小さくて聞き取れなかった。

大希は言った。

「あれ? なにか聞こえなかった?」

「ワシは耳が遠いからのぅ。よぅ分からんわい」

「そっか、まぁいいや。気のせいだね。とにかく、お節を見てみようか」

お重のフタを開けると、二人は驚いた。

「婆ちゃん! 数の子だよ! 伊勢海老だよ! 栗きんとんだよ! 豪華だな」

「うむ、美味しそうじゃ。ところで大希よ、この餅と日本酒とどら焼きぢゃが、皆に配ろうと思うのぢゃ。こんなにも食えんしのぉ」

「配る? 誰に?」

「ご近所さんや、お喋り友達の婆さん達ぢゃ。影丸をやったら腰を抜かすぞい。喜びは分かち合わなければのぅ。これは大事な事ぢゃ。大希、覚えておくのぢゃ」

「うん、わかったよ。『喜びは分かち合う』か。婆ちゃんらしいね。覚えておくよ」

キヨは残念そうに言った。

「マミーにも渡したいのぢゃが、ワシの膝の調子が良い日でないと、難しいのぅ。早うせんと、腐ってしまうしのぅ…」

キヨの寂しそうな表情を見て、大希は少し考えた。

そして恐る恐る言った。

「あのー婆ちゃん。どら焼きは…俺が…大学で渡そうか?」

「なんと! それはまことか! お前が若い女に話し掛けるぢゃと? 大丈夫か?」

「さっきみたいにケンカ腰だったら、逆に話せるんだけどね…。とにかく『婆ちゃんから』と言って渡せばいいんでしょ? 渡しておくよ」

キヨは嬉しそうに言った。

「ふむ、どうやら『新しい景色』を見てみる気になったようぢゃの。まぁ気楽にのぅ」

「うん、とにかく渡しておくね」

「それとお節のお重。こんなでっかいお重二つは、ワシらには多すぎる。

一つはユアピーにあげるとしようぞ」

「ユアピー? あっ、創紫つくしさんね。良いんじゃないかな」

こうしてキヨと大希は、楽しいお正月を過ごしたのだった。

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