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2、キヨは鎹(かすがい)

 お正月も終えた一月八日。新年の大学が始まった。講義も一限が終わり、昼休みになった。茉が机の筆記道具を片づけていると、親友の楮乃心子かみの みこが声を掛けてきた。大学の入学当初から意気投合している仲良しだ。

二十歳で、身長は百七十四センチで細身。髪は背中まであるストレートのロングヘアーで束ねた毛先は肩の前に垂らしている。色はブラウンに染めている。上半身は薄い紫色のニット・下半身は黒のロングスカートだ。上下共にタイトなサイズを着ており、細さが際立っている。

心子は元気よく茉に声をかけた。

まち、おつー!」

「あっ、心子。お疲れさま」

「お正月はフルにバイトしててさー、今日から大学はキツイよ。半分寝ちゃった」

「あれ? 『お正月はコンビニのバイト、シフト入れなかった』って言ってたじゃない」

「そうだったんだけどさ。バカな知り合いがミスしちゃって、とばっちり受けちゃった。急にシフト入れるのは勘弁してほしいよ」

「ふーん。よく分かんないけど、お疲れ様。それで今回は大丈夫だった?」

「なにが?」

「遅刻。自分でも言ってたじゃない。『急なシフト変更は、うっかりして遅刻しちゃうの』って。ちゃんと行けたの?」

「それが行けたの! 私って、性格が大らかじゃない? 急にシフト変更されるなんて細かい事をされたら、よく遅刻してたのに、今回は大丈夫だった。自分でもビックリだよ」

「『大らか』と言うより、『いい加減』の方が合ってるね」

「茉! ヒドイよっ!」

「アハハ、ゴメンね。冗談だよ」

「もう…。あっ、そうだ! また男子に聞かれたよ。『花梨さんはいますか』って」

「まっ、またか…」

「いないって言っといたよ。大変だねー、有名人は」

「いや、あんたのせいでしょうが! 勝手に大学のミスコンなんかに応募して!」

「アハハ、ごめんごめん! 入学からの親友としては、茉の実力を試してみたくて。でも、茉は不愛想に体育館の舞台に立ってただけなのに、準優勝だもん。凄いよね」

去年の秋の文化祭で行われたミスコンに、心子が茉を興味本位で出場させたのだった。

「おかげで毎日のように男子が訪ねてくるから、大学生活に支障をきたしているんだからね! でも、私は二位だったんだよ? 一位の人のトコロへ行けばいいのに」

「あっ、それはね、一位が『売約済み』だからだよ」

「なにそれ?」

「恋人がいるって事」

「あっ、なるほど」

「それにさ、一位と茉って、六票しか差が無かったんだから。茉も負けてないね」

「だから! そんなのどうでもいいの! 私は勉強で忙しいの! 二月の末に認定試験があるんだから」

この大学には、奨学金制度がある。それを維持して享受するには、毎年二月に行われる認定試験を受けなければならない。合格ラインを下回ると、資格を剥奪される。逆に好成績を残すと、ランクが上がる。


こう → 全額免除   おつ → 半額免除   へい → 二割免除


現在一回生の茉は、乙の半額免除で入学した。二回生では甲を目指している。

「去年はあと少しで、甲を逃したからさ。二回生では絶対に甲を取るんだ」

「しかしアレ、難しすぎるよ~。一年中、猛勉強してないと無理だって。…ってか、茉はしてるよね。遊びにも行かずにさ」

「それでも甲・乙の境界線ぎりぎりだから。ウチはお父さんが病気で亡くなってからは、お母さん一人で頑張って、私を大学に入れてくれたからね。兄は自分の家庭で精一杯だから頼る訳にはいかないし。だから奨学金が絶対に欲しいの。絶対に甲が欲しいんだ。一回生は、わずかな貯金を取り崩して乗り超えたけど、二回生は無理だから。それに、遊ぶのは心子がいれば十分だよ」

「うん、ありがと。でも、さっきの男は珍しかったよ。プレゼント持参で来る男はいるけど、さっきの男はコンビニのレジ袋だったの。変だから聞いたんだ。『なに入ってんの?』って。そしたら、『どら焼き』って言ったよ。まあ、顔とスタイルは悪くなかったな」

「どら焼き?」

「うん。女の子のプレゼントにどら焼き持ってくるなんて、変な奴だね」

「…その男の子、何処で会ったの?」

「さっき廊下で言われたから、まだ遠くに行ってないんじゃない?」

茉はそう言われると、少し考えた。そして小走りで廊下に出て行った。

廊下で大希の後姿を見つけた茉は言った。

「ちょっと! 私を訪ねて来たのって、歓雫かんだ君?」

大希は振り返ると、オドオドしながら答えた。

「はっ、花梨はななし…。うっ、う、裏庭に来い」

「はっ?」

ここは大学の裏庭。東見とうみ大学には中庭と裏庭がある。中庭は綺麗な花や樹々が沢山植えられており、華やかな場所だ。しかし裏庭は、特に何もない殺風景な場所だ。人気ひとけも全く無い。この裏庭で、大希と茉は向かい合って立っていた。

大希たきは緊張気味に言った。

「…ど、どーぞ」

大希は手に持っていた小さなビニール袋を、不愛想に差し出した。

「なによ?」

「いっ、いいからどーぞ」

茉は渋々ビニール袋を受け取った。中はどら焼きの『影丸』が二つ。それを見て驚いた。

「あっ! 影丸だっ! よく買えたわね。簡単に買えないって噂なのに。あのさ、これはどういう事なの? 私、君に物をもらう理由なんて無いんだけど」

「俺じゃない。婆ちゃん…歓雫キヨからだ。『マミーに渡してほしい』って」

「キヨさんが? へぇ…」

茉は大希の様子に驚いていた。元旦の神社で揉めた時は、恐ろしい形相だった。『さっき、俺は人を殺してきました』と言われたとしたら、信じられるぐらいだった。しかし、今は違う。言葉はぶっきらぼうだが、表情は普通…というより、緊張しているように見えた。

「正月に影丸を沢山もらってな。お前にお裾分けするように言われたんだよ」

「そうなんだ」

「用事はそれだけだ。じゃあな」

大希は『無事に終わった』と思い、ホッとした。

茉に背中を向けて行こうとすると、茉が止めた。

「あっ、ちょっと!」

大希は歩むのを止め、振り返った。そして茉の顔をしばらく眺めた。

「…」

「なっ、なによ? にらむことないじゃない」

「別ににらんでいたんじゃない。一つ聞きたい」

「なに?」

「ジョンの銅像の事だよ」

「あっ、ゴリラのジョンね。それが?」

「お前、婆ちゃんがジョンの掃除をする時に、話し相手になってたって本当か?」

「うん。高校一年の時にキヨさんと出会って、今年でもう四年目になるのかな? 私もぬいぐるみのジョンは好きなんだ。だから、銅像が汚れ放題なのは気になってたの。でも、勇気がでなかった。掃除しているトコなんて、見られたら恥ずかしいなって。そうしたらある日、キヨさんが毎月掃除をしている事に気付いたの。それで声をかけたんだ」

「婆ちゃんは、嬉しそうだったか?」

「うん! 挨拶したら、すごい笑顔で返してくれて。すぐに仲良くなったよ。『私もお掃除を手伝います』って言ったら---」

大希は茉の話をさえぎって言った。

「『ワシがやるからいい。手が汚れるぞ』って、言われた?」

茉は驚いて言った。

「そう! その通り! 『これはワシの仕事ぢゃ。若い娘の手を汚さんでエエ』って言ってね。全然やらせてくれないの。だから差し入れを持っていくようにしたんだ」

「そう…」

「私、お婆ちゃんっ子だったから、すごい嬉しかったな」

「そう…」

「なに? どうしたの?」

「婆ちゃんがジョンの掃除をする時に、誰かと話をするのを楽しみにしているは知っていた。俺はてっきり、お喋り友達のお婆さんだと思ってたんだ。それがお前…いや、あなたみたいな若い女の子だったとはね」

「そうだけど?」

大希は、深々と頭を下げて言った。

「長い間ありがとう。これからも、婆ちゃんと仲良くしてくれ」

茉は目をむいて驚いた。

「なになに? 別にそこまで感謝される事してないんだけど。話してただけだし」

大希は頭を上げて言った。

「あなたさ、休みの日は何をしている?」

「まさか…、私をデートに誘おうとしているの?」

大希はあっさりと言った。

「違う。何をしてる?」

「…えっと、撮り貯めてるドラマを見るとか? 友達と遊ぶとか? 料理はしないしね。卵焼きが苦手どころか、卵をマトモに割るのも苦手。料理なんて時間の無駄だから、絶対にしないかな。だから、その時に思いついた楽しい事をする。まあそんな感じよね」

茉の休日。本当は、ほとんどが奨学生認定試験の為の勉強だ。でも、あえて隠した。

「だよな。でも、年寄りはそうもいかない。映画館に行きたいと思っても、足腰が悪いと一人じゃ無理だ。急にケーキが食べたいと思っても、買いに行けない。本が好きでも、目が悪い。老眼のような矯正眼鏡も限界がある」

「なにが言いたいの?」

「つまり、楽しめる娯楽が限られるんだ。娯楽・趣味は生活を楽しくする。それが制限されるのは辛い。でも、あなたとの会話を婆ちゃんは楽しんでいた。しかも若くて可愛い女の子だった。貴重な楽しみの一つなんだ。幸せは言い過ぎかもしれないが…。いや、幸せの一つだろう」

「う~ん、そうなのかな?」

「これからも頼む」

「それは、頼まれなくてもそうするけどね。私はキヨさん好きだし。私が引っかかっているのは、あなただよ。歓雫君」

「俺?」

「神社で会った時とは別人だよね? 何かあったの? 私に怒っているんじゃないの?」

「この間の件は、俺は悪いとは思っていない。反省もしていない」

「は?」

「婆ちゃんに言われたんだ。『マミーと揉めるな・女とケンカするな』って。だからだ」

「ふーん。あなたが私の所に来たのは、キヨさんのお使いだもんね。嫌々来たんだ。『面倒くさいなぁ』って思いながら」

「そうだ。『新しい景色』を見る必要があったんでな」

「は? なんの事?」

「なんでもない。あなたには関係の無い事だ」

「ふーん。まぁいいけど。で、キヨさんの話し相手の事でお礼を言ったのは、本心なわけ?」

「本心だ」

「しっかし分からない人だね。君って善人なの? 悪人なの?」

「善・悪か…。そうだな、例え話をしよう。

目の前に歩いている人が、財布を落とした。善人なら、どうすると思う?」

「『落としましたよ』って言って、拾って渡す」

「だよな。悪なら?」

「黙ってネコババする」

「だよな」

「じゃあ、君ならどうするの?」

「俺なら拾って渡したりしない。ネコババもしない。つまり、何もしない。落としたのを気付かなかったフリをして、通り過ぎる。面倒だ」

「ふーん。あなたって、確かに悪人じゃないかもしれない。でも、人が困っていても気にしないタイプ?」

「気にしない」

「あっそ、分かったわ。もう用事済んだ? 行っていい?」

「どーぞ」

茉はプイとその場から離れた。大希も別の方向へ歩き出した。しかし数秒後、茉は振り返って大希の元へ駆け寄った。最初に聞こうとした事を思い出したのだ。

「そうだ、ちょっと歓雫君」

大希は振り返った。

「なに?」

「なぜ、こんな場所に呼び出したの? 廊下で話せばいいじゃない」

「ああ、そんな事か。あなた、本当に俺の事を知らないんだな」

「知らない」

茉は勉強ばかりしているので、友達は心子しかいない。講義が終われば、すぐに帰って勉強か、図書室で勉強。大学の噂や流行には疎い。

「俺は町中で、暴力事件を何回も起こしている。学内で起こした事もある。有名なんだ」

「だから?」

「俺と一緒にいるトコロを人に見られたら、あなたの評判が落ちるんだ。それだけ」

「私を心配したって事? 君に心配されるほど、私達は親しくないよね?」

「あなたは婆ちゃんの話し相手…いや、友達だ。俺にとっては、婆ちゃんと楽しくお喋りしてくれる恩人…とまではいかないが、まぁ、感謝はしているよ。だからだ」

「じゃあ、私がキヨさんの友達じゃなかったら、平気で廊下で話してたって事?」

「そうだ。それなら別にあなたの評判なんて、どうでもいい」

そう言われて、茉は呆れ顔でため息をついた。

「あなたねぇ、とことんキヨさんありきなんだね。他に基準ないの?」

「無い」

そうやって話していると、二人の間に割ってはいる男がいた。


「花梨さん! いやぁ、学内中探したよ。まさか裏庭にいるなんてね」


男の名は甲斐広人かい ひろと。高身長でイケメンの四回生だ。

甲斐が現れて、茉の表情は一気に曇った。甲斐の背中のせいで、大希には見えていない。

大希は知り合いが来たと思い、その場を離れた。

「じゃあな」

甲斐は大希の背中を怪訝そうに見た後、茉の方へ向き直した。

そして心配そうな表情で言った。

「大丈夫? 今のって、評判の悪い歓雫って奴じゃない? 何かされなかった?」

茉は無表情で言った。

「いえ、大丈夫です。彼が良い人とは言いませんが、悪い人ではないです」

「そうなの? 講師を殴ったなんて噂があるよ。証拠が無くて退学は免れたらしいけど」

「本当かもしれませんね。でも、意味も無く殴ったりはしないから大丈夫ですよ」

「いや、意味があったら良いってものじゃないよ。気を付けなよ」

「私はあなたの方が怖いですよ、甲斐さん。入学当初から、ずっと付きまとってますよね? 裏庭まで来るなんて、徹底的に私を探してますよね? 止めてもらえませんか」

「付きまとうなんて誤解だよ。学内でたまたま見かけた花梨さんを気に入ってしまってね。話をするキッカケが欲しいなって思ってるだけでさ。一度時間を作ってもらって、ゆっくり話を聞いてもらえたら、僕の事を分かってもらえると思うよ」

「休み時間には絶対来るし、帰りは待ち伏せしているし。もう犯罪ですよ」

「そんな、犯罪って」

「夜になると、頻繁に電話が架かってくるんです。母親が出ると無言で切れるし、私が出ると、相手はあなたです。どうやって番号を調べたんですか?」

「今時、電話番号なんて簡単に分かるよ。それに、無言電話は僕じゃないよ。本当だよ」

「そんなの、信じるとでも?」

「花梨さん、ちょっと身構え過ぎだよ。もう少し信用してほしいね。僕、これでも結構女子から人気あるんだけどな。最近じゃあ空手のインカレ(インターカレッジ・大学対抗戦)で活躍して、全国三位になったんだよ。主将としても頑張ったしね」

「評判良いよね。誰に相談しても信じてくれないから困ってるのよ。誰も助けてくれない」

「助けてくれないって、ひどいなぁ」

「この間、家の前まで押しかけてきましたよね? 『これ以上拒むなら、考えがある』って言った。しかもカッターナイフ持って。どういう意味よ。何をする気ですか?」

「そんな言い方はしていないよ。あまり僕を困らせないでほしいなって事を言ったつもりなんだけどね。カッターナイフは見間違えだよ。暗かったし」

「夜遅くに、家に押し掛ける事自体がおかしいのよ」

「花梨さん」

「なによ」

「いい加減にしてくれないかな」

甲斐はそう言うと、右手をポケットに入れた。

ポケットから出てきた右手には、小さく、そして鋭いナイフが握られていた。

一月十四日。大希とキヨは自宅でコタツに入って夕食を取っていた。

「大希よ。今日は膝の調子が良かったから、マミーとお茶をしたぞ。ラインで誘ってのう」

「そうなんだ。いつものコンビニのイートインコーナーで? 婆ちゃんはコンビニの煎りたてコーヒー好きだもんね。新年初の花梨さんとのお茶はどうだった?」

「楽しかったぞ。どら焼きのお礼も言うてくれてのぅ。ただ---」

「ただ?」

「マミーは、左手に大ケガをしていたんぢゃ。痛々しかったのう」

「大ケガ?」

「うむ、左手が手首の先から包帯でグルグル巻きぢゃった。お前知らんのか?」

「俺、大学で花梨さんとは滅多に会わないからね。知らなかったよ」

「『大丈夫ですよ』なんて言って気丈に振舞っていたが、辛そうじゃったのぅ」

「どうしてケガしたんだろうね?」

「『料理でヤケドした』なんて言っておったが、何かに怯えている感じがしたのじゃ」

「料理? 花梨さんが?」

「大学で一言見舞ってやるのぢゃぞ。優しくな」

「うん、分かったよ」

大希はそう返事をしたが、茉を見舞う事はなかった。

「(ごめんね、婆ちゃん。今の俺に、女の子に『大丈夫?』なんて優しく言うのは、ハードルが高過ぎるよ…)」

 一月十五日の深夜。甲斐広人はコンビニにいた。大希とクレーマー男が、大晦日に揉めたコンビニだ。甲斐はネクタイはしていないが、スーツ姿。合コンの帰りにコンビニに寄っていた。お弁当やペットボトルの飲み物、日用品を買ってコンビニから出てきた。すると、甲斐のスマートフォンから通知音がした。

甲斐は薄ら笑いをしながら、スマートフォンの画面を見た。

「(さっきの合コンの女か。軽そうな奴だったから、すぐに喰えるだろうな)」

またスマートフォンに通知がきた。マッチングアプリの女性から来たメールだった。

甲斐は顔をしかめた。

「(こいつはもう飽きたな。金払いもイマイチだし。そろそろ切るか。それにしても花梨め…。この俺が目を掛けてやっているのに無下にしやがって! 次は脅しの切り傷程度じゃあすまさねぇぞ。なんなら、今から呼び出すか? 『反省した。もう会わないから、一度だけ話をさせてくれ』とか言ってな。それでも折れないなら、殺してやる…!)」

そんな事を考えていた。すると、背後からハキハキとした明るい声がした。


「こんにちは~。甲斐広人さんですか?」


甲斐は振り向いた。そこに立っていたのは明るい声とは対照的な、不気味な雰囲気の人物だった。体格は細身で、顔を隠すようにピンク色のフードを被っている。

甲斐は怪訝な表情で言った。

「なに? あんた誰?」

その人物は、さらに明るい声で言った。

「東見大学四回生の、甲斐広人さんで間違いないですね?」

「…ああ、そうだけど?」

甲斐がそう言った瞬間、その人物の様子が変わった。顔は見えないが、異様な雰囲気だけは伝わってくる。そしてドスの利いた低い声に変わって言った。

「そうか、なら良いんだ。いきなりキレて話し掛けたら、トボける可能性もあったからな。本人確認は完了って訳だ。お前が、甲斐広人か。間にあって良かったよ」

甲斐はイラついた表情と声で言った。

「だから、お前は誰だって聞いてんだよ。それに『間に合う』ってなんの事だ?」

その人物は、甲斐の問いを無視して言った。

「花梨茉をキズ物にしやがって。骨の一本や二本で済むと思うなよ」

「花梨? あの女がどうしたと言うんだ?」

「てめぇが一月八日の十二時四十一分に、大学の裏庭でナイフで襲った女性の話だよ」

「えらく具体的に言うな。なにか証拠でもあるのか? 目撃者がいるのか?」

「無い。いない」

甲斐は勝ち誇ったかのように言った。

「なら帰るんだな。俺は何もしていない」

「俺は話し合いをしに来たんだんじゃない。てめぇを痛めつける為にきた。関係ない」

「俺は空手のインカレで全国三位の腕前だぜ。知ってるのか?」

甲斐が『空手』と言った瞬間、フードの人物の声色が小さくなった。

「空手…?」

「ビビった? 今なら一発殴るだけで許してやるよ」

「なんだ、三位か。じゃあ大したことはないな」

甲斐の目つきが鋭くなり、右足でパーカー男の太ももを横から強く蹴った。フードの人物はピクリとも動かなかった。

甲斐は傲慢に言った。

「…いい加減にしろよ。お前こそ、骨の一本じゃあ済まなくしてやるぜ」

フードの人物は静かに言った。

「よぅし、先に打ったな。それでいい」

「あん? なんだと?」

「こっちの話だよ。それよりこんな店先じゃあ、お前が空手を思い切りやれないだろう? 駐車場のスミへ行こう」

甲斐は偉そうに鼻で笑って言った。

「フッ、いいだろう」

甲斐は駐車場に行こうとして、パーカーの人物に背を向けて歩き始めた。その二~三秒後、甲斐の後頭部に激痛が走った。苦しみながら、うつ伏せに倒れた。

「いっ、痛い…。背後から襲うなんて、卑怯者めぇ!」

甲斐の背後に、パーカーの人物が立っていた。右手にはコンビニの前に立てられていた旗が握られている。旗には『美味しい肉まん発売中』と、印刷されている。その旗の棒を使い、力一杯に何度も何度も、甲斐の後頭部を打ち続けた。

たまらず甲斐は叫んだ。

「痛い! 痛い! やっ、止めてくれぇ!」

そう言った途端、棒の殴打が止まった。甲斐は内心、ホッとした。しかしそれも束の間、うつ伏せの甲斐は無理矢理引っ張られ、仰向きにされた。

パーカーの人物は、怒気を込めて言った。

「花梨茉の恐怖と痛み、思い知るがいい」

 一月二十日。茉と心子は教室で話していた。机を挟んで、椅子に座っている。

「茉。手、大丈夫?」

茉の左手は、指先・手首は出ているが、手の甲は包帯で巻かれている。

「うん、襲われたのが八日で、もう十二日経ったからね。だいぶ傷は塞がってきたよ」

「あのストーカー野郎め…。警察には行ったんだよね?」

「うん、母親と一緒にね。でも、証拠が無くて。襲われたのは裏庭だったから目撃者もいないし。あいつ、学内ではめちゃくちゃ評判が良いんだよね。だから、誰も信じてくれない。警察も親身に相談に乗ってくれたんだけど、動きようがないって。警告はしてくれたらしいけど。そのせいか、ここ数日は私の前に現れないよ。大学にも来ていないみたい」

心子は自分の顔を、茉に近づけた。

そして、他に聞こえないように小声で言った。

「茉、その事で聞いてほしい話があるんだ」

「なに?」

「大学に入学してから、一緒に住んでいる私のお姉ちゃん。市民病院の事務で働いているのは知ってるよね?」

「うん、明るくて面倒見の良いお姉さんだよね。心子の一人暮らしが心配で、この笠地蔵市についてきてくれたんでしょ? それがどうしたの?」

「あのさ---」

 大希は食堂にいた。中央にある四人掛けや二人掛けのテーブルには座っていない。

座っているのは、窓に向いて座る一人用のカウンター席だ。椅子は十五脚ある。

大希は一番左端に座っていた。

大希はサンドイッチを両手で持ち、不思議そうに眺めていた。

「これ、どうやって開けるんだ?」

大希の後ろ姿は、とにかく目立ちたくないと言わんばかりの雰囲気だった。

それを邪魔するかのように、大希の右の椅子が引かれた。


「ここ、もちろん空いているわよね?」


大希は慌てて右を向くと、大希の返事を待たずに茉が座った。

大希は驚いて茉を見た。

「はっ、花梨っ! …さん」

茉は、大希の持っているサンドイッチが目に入った。

そして感情の込もっていない、淡々とした口調で言った。

「あら、食事中? これは失礼」

大希も淡々と言った。

「なぁ、これ、どうやって開けるんだ?」

「は? サンドイッチの話? 裏にヒラヒラが出てるでしょう? それを引っ張るの」

大希は言われた通りに実践すると、サンドイッチが開封された。

大希は少し驚いて言った。

「あっ…、開いた」

「あなた、サンドイッチ食べた事ないの?」

「ない。米が好きなのもあるが、コンビニの品は高いからな」

「どうして急に食べる気になったの?」

「『新しい景色を見たかった』からだ」

「またそれ? まぁいいけど」

茉は不機嫌そうな表情で話し始めた。

「歓雫君。あなた、徹底的に私に会わないようにしてない? 元旦の神社以来、私達は知り合いなんだからさ。通りすがりに見かけたら気付くでしょ、普通は。それが一切ない。まるで、私の受講科目を全部把握して、私の居る場所に近づかないようにしてるみたい。私は昼食に食堂を使わないのを知っているから、安心してサンドイッチを食べている訳だ」

「は? なんの話をしているか分からないね。それよりも話をするんだったら場所を変えよう。裏庭に行くぞ」

「どうして?」

「だから前にも言ったが、俺といるとあなたの評判が---」

大希が言い終えるのを待たずに、茉は淡々と言った。

「そんな事はどうでもいいの。私は今、君とココで話があるの」

大希は困った表情で、小声で言った。

「…分かった」

茉は言った。

「まあ、私の事を避けるのは別にいいよ。勝手にしたらいい。それより、君に確認したい事があるんだ。二つね」

「二つも? 手短にしてくれよ」

「一つ目。歓雫君、去年の大晦日、コンビニで喧嘩した? ガッチリした男を倒した?」

「…ああ」

「へぇ、認めるんだ」

「俺は暴力沙汰を数え切れないほど起こしているが、その責任から逃れる気はないんでね」

「さっき友達から、ある暴力事件の事を教えてもらってさ。『後頭部を負傷』と聞いて思い出したの。最近コンビニで、そんな事があったって。あのピンクのパーカーの人は歓雫君じゃない?」

「『そんな事があった』って…? あの場にいたのか?」

「君の前で殴らた女は私なんだよ」

「あっ、そうなのか」

「あの時は助けられたよ、ありがとう」

「助けたのは結果だ。俺は早く会計を済ませたかっただけ」

「だと思ってたよ。私の事なんて、眼中に無かった感じだもんね」

「うん、無い」

「次に二つ目。甲斐広人って知ってるよね?」

「いや、知らない。誰それ?」

「この間、君と裏庭で話していた時、割って入ってきた男だよ」

「ああ、あの人か。覚えてるよ。後姿だったから顔は見えなかったけど。それがどうした?」

「つい先日、何者かに襲われたらしくて、今は重傷で病院に入院しているよ」

「へぇ。ほとんど知らない人だけど、気の毒には思うね」

「私の知り合いがその病院で働いててね。甲斐の病室に警察が事情聴取に来たんだって。それを廊下で盗み聞きしたらしいんだけど、恐ろしい内容だったよ」

「恐ろしい?」

「甲斐が言うには、夜に襲われたんだって。しかも、そのやり方は冷酷そのもの。まずは背後から、棒か何かで後頭部を何度も殴打する。倒れたら馬乗りになって、顔面にパンチを浴びせ続けて、目・鼻・口を潰していく。目の周りは眼球が隠れるほど腫れたそうよ。鼻は砕かれて形が残ってない。口は前歯が全部折れている。そして---」

「…」

「左手首を抑えて、石か何かで何度も打ち付けたんだ。まるで釘でも打つみたいにね。左手のひらは指先から甲まで、粉砕骨折したんだって。『もう以前の様に動かすのは諦めた方がいい』って、医者に言われたらしいよ」

「それは本当に気の毒だね。可哀そうに。でも、なぜ俺にそんな話をするんだ?」

「お礼は言わないよ。やり過ぎだよ」

「…えっ?」

「君、自分が正しい事をしたなんて思って、正義に酔ってるんじゃあないでしょうね?」

「はぁ? 俺がやったと言っているのか? それに『正義』って? その甲斐って人は、悪い事でもしたのか?」

茉は大希の質問を無視して続けた。

「『背後から棒で殴打する人』で、私と甲斐が共通する人物像は、君だけだよ。君は自分がした事が、どれだけ危険な事か分かっていない。まず甲斐が回復したら、私に復讐するかもしれない。直接攻撃したのは君かもしれないけど、私が関係してるって思うのが普通だからね。次に君自身。そんな酷い重傷を負わせたら、留置場どころか、実刑になるよ」

「…」

「…まあ、君がどういうつもりか知らないけど、コンビニの件は感謝しているよ。私は助けられたし。でもね、甲斐の件は、もっと考えてほしかった。違う方法を選んでほしかった。なぜだか分かる?」

「さあ?」

「キヨさんだよ。君が逮捕されたら、キヨさんどうなるのよ。こんな小さな町じゃあ、噂はあっという間に広まる。孫が凶悪事件を起こしたなんて事になったら、どんなに肩身の狭い思いをして暮らす事になるか…。それに、君が逮捕されていなくなったら、足の不自由なキヨさんは、施設に入る事だってありうるんだよ。もっと大切な人に想いを馳せて行動してよ。キヨさんは私の親友なんだからね」

大希は大きくため息をついて、呆れた表情で言った。

「あのー、俺も話してもいいか?」

「どーぞ」

「あなたの言いたい事は分かったよ。婆ちゃんを苦しめるなんて、俺は絶対にしたくない事だから。コンビニの件は俺。でも、甲斐って人をやったのは俺じゃない」

「いいや、君だ。証拠があるよ」

「へぇ、見せてほしいね」

茉は包帯が全体に巻かれた、左手のひらを見せた。

それを見た大希は首をひねった。

「その包帯が証拠?」

「そうだよ。これは甲斐にやられたの。散々ストーカー行為を繰り返された上に、ナイフで切られてね。普通、話してる相手に、こんなに目立つ部分があったら自然と目が行くもんだよ。さっきから全然それが無い。絶対に見ないようにしてるよね? それで確信した」

「だから、考え過ぎだって。こじつけもいいところだ。その左手のケガは、『料理でヤケドした』って婆ちゃんから聞いて知っていたんだ。だから見なかったんだよ」

「私、君に感心してたんだよ。変なトコロはあるけど、とてもお婆ちゃん思いなんだなって。私もお婆ちゃんっ子だったから。でも、もうそんな気持ちは無い。怖い。怖いよ。私は君が恐ろしい」

「は?」

「凄惨な暴力事件を起こしたのが怖いのもある。でも一番はそれじゃない」

「へぇ、なんだよ」

「顔色も表情も変えず、まったく動揺せずに嘘をつくトコロが怖いよ。

もう関わりたくない」

「そりゃあ動揺なんてしないよ。嘘をついていないから。でも、関わりたくないってのは賛成する。俺も大学で知り合いを増やすなんて、面倒で仕方がない」

「そう、初めて意見が合って嬉しいわ。じゃあね」

茉は立ち上がった。立ち去ろうとすると、大希は茉の背中に言った。

「一つ聞きたい」

茉は振り返らずに答えた。

「なによ」

「俺と会わないのは歓迎するが、婆ちゃんとはどうなるんだ?」

「これからも仲良くするに決まってんじゃん。キヨさんは親友だって言ってるでしょ? 『問題を起こした奴は、家族も同様だ』なんてクソな発想は無いんだよ。私にはね」

大希は少し吹きだした。

「プッ、クックックッ…」

茉は振り返った。表情は引きつっていた。

「いやな笑い方…。よく笑えるよね。真剣な話をしている時に」

「別にあんたをバカにして笑ったんじゃない。可愛らしいお嬢様風の外見をしてるのに、『クソ』なんて言葉使うんだなと思って面白かっただけだ。それに、婆ちゃんを親友だなんて言ってくれて嬉しいぜ」

「私、信じられないよ。君みたいなのがキヨさんの孫なんてさ」

「信じられないってのは良い感覚しているよ。人を見る目があるな。俺は『義理の孫』だ。婆ちゃんは俺みたいなバカと血縁はない。安心しろ」

「えっ?」

「そんな事より、一つだけあなたの話を訂正させてもらおうか」

「なによ」

大希は真剣な顔で言った。

「『犯人』は俺じゃない」

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