12、伝えたい想い
三月二十四日。キヨの体力は、格段に落ちた。食事はほとんどしなくなった。
水やお茶などの飲み物と、少量のお菓子を食べるのが精一杯になっていた。
十四時頃。今日は天気も良く、温かい。大希はキヨを車椅子に乗せ、散歩に出た。
人気者のキヨは、外出すれば沢山の人から声を掛けられる。でも町の人々は、弱った雰囲気で車椅子に乗るキヨを見ても、それには触れなかった。いつも通り、キヨとの世間話を楽しんだ。その心遣いが、大希は嬉しかった。
車椅子は道に凸凹あると、振動が乗っている者に伝わってくる。
それがキヨには辛いようだった。
「いてて…」
「あっ、ごめん! 膝に響くよね。もっとゆっくり押すよ」
「なになに、構わん」
「最近、夜中によく起きているよね? 膝が痛くて眠れないの?」
「どうせ昼間も寝ているから良いんぢゃ。カカカ…」
「婆ちゃん…」
二人でいると、自然とたどり着く場所がある。ジョンの銅像がある場所だ。
二人は銅像の前に到着した。
キヨはジョンの銅像を見て言った。
「うむ、綺麗ぢゃのう。大希よ、大儀であるぞ」
「へへっ、ジョンの掃除は欠かしていないからね。あと一週間か…」
「ん? 一週間がどうした?」
「アハハ、なんでもないよ」
「大希、これからもジョンの掃除は続けるのぢゃぞ。怠けたら、化けて出てやるからの」
「そうなんだ。じゃあ怠けようかな」
「うつけ者めが!」
「冗談・冗談! 絶対に綺麗にするからね。約束するよ」
「うむ、嬉しいのぅ。頼んだぞよ」
「ジョンの銅像もだけど、この町には色々な所に思い出があるよね。
婆ちゃんは、何処が一番かな?」
「うむ…病院ぢゃ。お前が七年前、危篤で担ぎ込まれた市民病院ぢゃ。肝を冷やしたぞ」
「あっ、うん。あの時はごめんね。でも、あれは思い出というよりは、辛い記憶じゃないの?」
「確かにそうぢゃ。お前が危篤で集中治療室にいる間、本当に辛かった。だが、お前が助かったと分かった時、これまた本当に嬉しかったぞ」
「うん、俺が意識を取り戻した時に言ってくれたね。『目を覚まして良かったのぅ』って」
「大希、お前少し思い違いをしておるのではないかのぅ?」
「えっ? そうかな?」
「確かに『意識が戻って良かった』という意味もある。だがの、ワシが思ったのは、『お前が真人間に目覚めた』と思ったのぢゃ。お前、あの瞬間、何かを誓ったのではないかのぅ?」
「どうして分かったの!」
「カカカッ、簡単な事ぢゃ。大好きな孫の考える事などお見通しぢゃ」
「そっか、そうだよね。流石は俺の婆ちゃんだ」
「ワシはの、女の子が欲しかった」
「ん?」
「子供を産むなら、女の子が欲しかった。孫なら女の子がいい。そう思っておった。だが、自分の子はできんかった。だから実の孫もおらん」
「うん…」
「だがの、大希。ワシはお前がいい。血もつながっていない、男の子のお前がいい。大希、お前は出来た孫ぢゃ」
「俺もだよ婆ちゃん。婆ちゃんこそ、俺の婆ちゃんだよ。血縁なんてどうでもいいんだ」
「ありがとうよ、大希。しかしなんだのぅ、『神様』というのは気まぐれぢゃ。ワシに試練を与え続けたくせに、大希に巡り会わせてくれたりする。良い事だけにしてほしいのぅ」
「アハハ、本当だよね。俺もそうだよ。婆ちゃんと出会えるまでは、ひどかったから。神様って、きっと怠け者なんじゃない? しっかりしてほしいよね」
「うむ、きっと見た目もシャキっとしない、トロそうな感じなんぢゃろうな」
「うん、そうだね。こんな感じかもしれないよ?」
大希はジョンの銅像を指差した。
「カッカッカッ! そうぢゃ! こんな感じぢゃ!」
久し振りにキヨの高笑いが聞けて、大希は嬉しかった。
●
三月三十一日。ついにその日はやってきた。歓雫キヨ、最後の日だった。キヨは布団に横たわっている。声を掛けても、あまり反応は無い。呼吸はしているが、意識があるかどうかは微妙な状態だ。大希はキヨの横に座り、キヨの顔を見つめていた。
「婆ちゃん…」
もうすぐキヨの命が終えようとしているのは明らかだった。キヨがいなくなるという事。たった一人の家族を亡くして、自分は一人きりになるという事。
その現実が目の前に迫ると、言いようのない恐怖と不安が、大希を締め付け始めた。
「婆ちゃんは言ったね。『この家で眠るように逝きたい』って。その願い、叶えてあげられないかもしれない。俺はもう、婆ちゃんに生き続けてほしいと思い始めてる。死んでほしくない。どんな姿になったとしても、あなたに生きていてほしい…」
大希は部屋のスミにある固定電話が目に入った。救急に電話すれば、病院に救急搬送してくれるだろう。そして命が危うくなったら、すぐに蘇生措置をしてくれる。だが、心臓マッサージや電気ショックを受けている時は、本人は苦しんでいるとも聞いた。それでも延命は一日どころか、三十分かもしれない。いや、一週間だったらどうする? 大希の頭の中は、堂々巡りを繰り返していた。そして気が付けば、電話の受話器を握っていた。
次の瞬間、玄関のインターホンが鳴った。
キヨから離れ、部屋のスミで大希と茉が向かい合わせで座っている。
茉が言った。
「ごめんね、大変な時に来ちゃったね」
「いや、むしろ良かったよ。でも、今日はどうしたの?」
「心子がさ、急に『歓雫の家に行こう』って電話をくれたの。まだ来てないみたいだね」
「楮乃が? うん、来ていないよ」
「さっき『むしろ良かった』って言ったよね? キヨさんの事?」
「うん、危うく救急車を呼ぶところだった。我に返れたよ。ありがとう、花梨」
「いや、それは偶然だからさ、気にしないで」
「花梨、婆ちゃんの布団を見てどう思う?」
「え? どうって…? あっ、大きいよね。二人分くらいかな」
「その大型の布団は最近買ってさ、二人で一緒に寝てるんだ」
「そうなんだ! それは良いじゃない。キヨさんも喜んでるでしょ?」
「うん、少しでも婆ちゃんの寂しさを、埋めれないかと思ってさ。特に夜は心細いだろうし。そう思って買ったんだけどね。でも、本当は違うんだ」
「違うって?」
「俺が怖いんだ。寂しいんだよ。婆ちゃんの死期が迫ったら、俺が耐えられなくなってきた。少しでも長い時間を・少しでも近い場所で過ごしたいと思い始めてさ。偉そうに『婆ちゃんを、しっかり看取る』なんて言ってきたのに。情けないよ」
大希はうなだれた。茉は右手を、大希の左肩に優しく置いて言った。
「情けなくないよ。キヨさんの孫の歓雫君だからこそ、悩むんじゃないかな? 命は、諦めなければいけない時がくると思う。でもそれと、『慈しむのを止める』は違う気がする。悩んでいいと思う。葛藤していいと思う。気持ちの整理って、そういう事が必要なのかもしれないよ」
大希はゆっくりと顔を上げた。
「そうかもね、ありがとう花梨」
「歓雫君はどうしたいの?」
「俺は…どんな形でもいいから、婆ちゃんに生きていてほしいと思い始めている。婆ちゃんの希望よりも、自分のエゴが大きくなってきた感じがするんだ」
「それで、キヨさんが苦しんだとしても?」
「…」
「歓雫君。私さ、キヨさんに二つの事を頼まれているの」
「頼み?」
「一つ。『無理な延命をしないよう、大希を説得してほしい』って」
「えっ? 婆ちゃんとは何度も『延命をしない』って話し合ったよ?」
「キヨさんは、分かっていたんだね。歓雫君が直前で迷うって事を、それで苦しむって事をね。だから、その苦しみから解放してあげたかったんだよ。自分で自分の意思を伝えられない状態になった後も、なんとしても伝えたかった。だから私に頼んだんだろうね」
「そう…」
「二つ目は、『大希の恐怖や不安を、受け止めてあげてほしい』って」
「俺? 婆ちゃん本人じゃなくて?」
「キヨさん言ってたよ。『大希は初めて家族を亡くすという経験をする。今も苦しんでいるし、ワシが亡くなった後も苦しむと思う。力になってやってくれ』って」
「俺は、婆ちゃんが逝ってしまう日を恐れていた。それはどんなに恐ろしい日になってしまうんだろうって。その後、俺はどんなに苦しい日々を生きるのかなって。でも違ったよ。『その日』が恐ろしいんじゃない。そこにたどり着くまでの時間が恐ろしくて、辛いんだ」
「うん…」
大希は深くため息をつき、少し苦笑いをして言った。
「しかし婆ちゃんは凄いよ。なにもかも、俺の事はお見通しなんだから」
「歓雫君は、今どんな気持ちなの?」
大希は寂しそうな表情になった。自分を抱きしめるように、両手で両腕をさすった。
「怖いよ。不安で心が圧し潰されそうになる…というか、もう潰れてしまった気がする」
「歓雫君、立てる? ちょっと立ってくれない?」
「えっ? うん」
二人とも立ち上がると、茉は両手を広げた。
「はい。来て、歓雫君」
「ん?」
「心子に相談したの。『気持ちを受け止めるって、どうしたらいい?』って。そうしたら『話を聞く事も、一緒に時間を過ごす事も大切だけど、抱きしめてあげなよ』ってさ。身体的には相手の暖かさが伝わる。精神的には肯定感に包まれるらしいよ」
「そうかもしれないが、いくら婆ちゃんに頼まれたとはいえ、それじゃあ花梨が困るだろ?」
「キヨさんに頼まれたからじゃあないよ。私も歓雫君の力になりたい。歓雫君を抱きしめたい。君の不安を受け止めたいの」
茉はそういうと、両手を大きく広げたまま、ニッコリ微笑んだ。
大希も安心した表情になった。
「花梨、ありがとう」
大希はそう言うと、茉をしっかりと抱きしめた。茉も同様だった。二人は目をつむった。
茉は大希の耳元で言った。
「気分はどう?」
大希も茉の耳元に答えた。
「うん、いいよ。気持ちが軽くなった気がする。胸の奥にあった重りが、スーッと消えた感じがするよ」
「歓雫君は、今から辛い試練に立ち向かうんだよね。でも、一人じゃないから。私がいるし、心子もいるよ。なにより、キヨさんが味方だよ。私達の事、忘れないでね」
「分かったよ。ありがとうな」
イラスト:migmag
「歓雫くんを抱きしめたい。君の不安を受け止めたいの」
茉は大希に『一緒にいようか?』と聞いたのだが、大希はキヨと二人で過ごす事を望んだ。
茉は大希を元気づけると帰って行った。
茉の温かさに包まれた大希は、キヨとの別れに立ち向かう決意をしたのだった。




