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9、世界で一番のあなたへ

 今日は二月十四日、バレンタインデー。

夕食を終えたキヨと大希たきは、コタツに入って向かい合わせに座っていた。

コタツの上には、白い大皿が置いてある。

「はい、婆ちゃん。これが俺達二人のバレンタインチョコだよ」

直径三センチ程度の大きさの、薄くて丸いチョコレートが皿一面にずらりと並んでいる。

キヨが監修して、大希が作ったチョコだ。

キヨは目を輝かせて言った。

「おおーっ、これは迫力があるのぅ。小さな煎餅せんべいみたいぢゃ。美味しそうぢゃな」

「煎餅? クッキーみたいと言ってほしいけど…」

二人はチョコを手に取り、食べ始めた。

大希は言った。

「うん! 美味しいね!」

「ん? 干しブドウが入っておるのぅ。大希のアイデアじゃな。美味しいのう」

「婆ちゃん、この煮干しが入っているのは、微妙な味わいだけど…。

まあ、慣れたら美味しいかな」

「カッカッカッ! ワシのアイデアに間違いはないぞよ。マミーにも煮干しチョコはあげねばならんのぅ」

「あ、え~っと…、煮干しチョコは全部俺が食べるよ、うん。」

「そういえば大希よ、ユアピーからチョコレートをもらったぞ」

キヨはコタツの横にある、大きな箱を指差した。評判が良い洋菓子店の、チョコレートの詰め合わせだ。夕空は手作りはしなかった。

「うわぁ、大きいね。しかも美味しそう。しばらくオヤツに困らないよ」

「うむ。それとワシが歓雫家を代表して、ユアピーに『バレンタインチョコ』ならぬ『バレンタインチョコクッキー』を渡しておいたぞ。『夕威と食べます』と言って、喜んでおったわい」

「そっか。なら良かったよ」

「ところで大希よ、ユアピーとは順調かのぅ?」

大希は夕空ゆあと『三年後の約束』をした事を、すでにキヨに話していた。

「うん、順調だよ。ラインは毎日しているしね。短い時間だけど、喫茶店でお茶したりしているんだ」

キヨは顔をほころばせて言った。

「カッカッカッ! それは良かったのぅ」

嘘だった。ラインは毎日していたのだが、夕空の返事が翌日、二日後と、段々遅くなっていた。喫茶店で会うのも、大希が誘っても多忙を理由に来てくれない事が多くなった。

 それから五日後。十九日の昼過ぎ、大希と夕空はいつもの喫茶店でお茶をしていた。

大希は夕空の重い表情を見て、どんな話をされるのか大体察しはついていた。

夕空は重い口を開いた。

「大希君、まずは君に謝らないといけないの」

「謝る? 何をですか?」

「この間、この喫茶店で女の子と会ったじゃない? えっと、楮乃かみのさんだっけ?」

「はい」

「二人が話し始めたら、私はお手洗いに行ったでしょ? あの時ね、録音していたの。

スマートフォンを録音状態にして、置いておいたんだ。卑怯でごめんね」

「えっ、そうだったんですか? いえ、卑怯なんて事はないです。

あっ、楮乃が失礼な事を言いましたけど、本気じゃないんです。許してあげてください」

「うん、きっと本気じゃないって思ってたよ。最後に謝ってたしね」

「そうなんです…。あれ? もしかして楮乃の奴?」

「うん、私の録音に気付いていたんだろうね。タイミング的には、私がお手洗いに行った時点で、もう気付いていたと思うよ。だから私が帰ってくるまでに、謝ったんだろうね。でも、サッパリしてる感じの子だから、録音なんて関係無く謝ってた気がするよ」

「僕もそう思います。気はイイ奴なので」

「後で録音の会話を聞いたよ。大希君怖かった。お手洗いに行く前の、楮乃さんへの顔つきも怖かったけど、話し方も怖かった。女の子に『殴る』なんて言葉も使っていたね」

「いっいや、それは! …はい、言いました」

「前にも言ったけど、配送の仕事で色々なお宅を訪ねるから、噂話を耳にする事があるの。大希君の怖い話を聞いた事があるよ。でも、それが本当かどうか分からない。だから私、今度は噂じゃなくて、自分から町の人に聞いて回ったんだ。君の事をね」

「はい…」

「大希君は、本当にいくつか暴力事件を起こしているんだね。でも、それを全部否定する気はないよ。大希君の動機やキッカケがどうあれ、どれもこれも、弱い立場の人を助けていた。でも、思っちゃうんだよね。一歩間違えたら、どうなるんだろうって」

「間違えたら…ですか?」

「やっつけた相手が逆恨みして、復讐してくる事もありうるでしょ? 家族が襲われる可能性もあるじゃない? キヨさん・将来の私と夕威ゆい…」

「はい…」

「一番怖いのは、その暴力が私や夕威に向かうかもしれないって事なの」

「そんなっ! それは無いです! 絶対にありません!」

「私もそう信じたいよ。でもね---」

大希はうなだれて答えた。

「…はい。最近でも暴力沙汰を起こしているんだから、信じられないですよね」

「結婚しかけた社長はさ、暴力も多少あったんだ。だから、過敏になってしまうの」

「いえ、過敏じゃないです。不安になって当然と思います」

「分かってくれてありがとう。だからごめんね。君と将来の約束はできなくなったの」

「はい…」

二人はうつむいたまま黙り込んだ。

数分経った頃、夕空は言った。

「ごめんね大希君。これじゃあ全部君が悪いみたい。そんな訳ないよ。本当はもう一つ、大きな理由があるの」

「なんでしょうか?」

「私が悪いんだ。君を信用しきれない、私が悪いの」

「信用って?」

「前にここで聞いたよね? 『大学には若くて可愛い女の子が沢山いるんでしょ?』って。君は『接点は無い』って言ったけど、本当? 女の子の友達もいるでしょう?」

「…はい、います」

「私、思っちゃうんだよね。大学っていう若い女の子が沢山いる場所に、毎日大希君がいるんだなって。楽しそうに話したりするんだろうなって。想像するだけで胸が苦しいの。嫉妬に圧し潰されそうになる。黒い感情があふれてきて…辛いんだ」

「夕空さん…」

「こんな気持ちがあと三年も続くのかと思うと、気が遠くなって。いや、付き合い始めても、君はまだまだ若い男の子だから、嫉妬し続けると思う。とても耐えられないよ。だからもう、私を解放してほしいの」

「僕は夕空さんが好きです。夕空さんが望む事を、一番に叶えたいです…」

「大希君、君には本当に感謝しているよ。私ね、仕事と育児に追われる毎日で、薄々感じていたんだよね。『私、女として終わりつつあるな』って。でも、大希君が変えてくれた。『可愛い』って、『綺麗だ』って、何度も言ってくれたね。私、体に痺れが走る気がしたくらい、嬉しかったよ。ありがとう」

「いえ、僕は感じた事を、そのまま言っていただけですから」

「キチンと男性を好きになったのは、君が初めてかもしれない。これは初恋だったと思う。私の遅い初恋の相手は、大希君。君だった。君で良かった」

夕空はテーブルの中心に右手を置き、手のひらを広げた。

大希はその手を、右手で強く握った。

 喫茶店を出て、大希はあても無くウロウロしていた。二~三時間が経ち、日が暮れかけている。人気ひとけが無い道で、大希は左肩をバシッと叩かれた。

歓雫かんだぁ、おつー! こんなトコで何してんの?」

大希が振り向くと、笑顔の心子みこがいた。心子は大希の憔悴しょうすいした顔を見て戸惑った。

「え…大丈夫? なにかあったの?」

「楮乃か…。タイミングが良いのか悪いのか、分からない奴だよ、お前はさ」


大希は、夕空との会話を心子に話した。

「それじゃあ、二人が分かれたのは私が原因! あの時はまだ歓雫と友達じゃなかったから、茉の事しか考えてなかったの。そこまで歓雫と夕空さんを追い詰めるとは思わなかった。ごめん! 本当にごめんなさい!」

心子は深々と頭を下げた。

「楮乃、それは違うよ。最初はお前のせいだと思い、怒りが湧いた。でも違うんだ。これは『あの会話』は関係無い。俺が原因だ。俺に力が無かったんだよ」

「力って?」

「夕空さんを安心させる力だよ。俺は夕空さんの不安をぬぐってあげられなかった。あの会話が無くても、夕空さんは近い将来、俺と別れる選択をしていたと思う。むしろ、感謝すべきなのかもな。お前の乱暴な行動のおかげで、夕空さんは早く決断ができたんだよ」

心子は涙目になった。

「歓雫、ごめんよ。もう、言葉じゃ表せないくらい、申し訳ないよ」

「お前のせいじゃない。本当だ。気を使って言ってるんじゃないからな」

それは大希の本心だったが、心子は大希が気丈に話しているように見えた。

「歓雫、無理しないでよ。家に帰ったら、たっぷり落ち込んでよね」

「ん? どういう意味?」

「歓雫は今、心が『折れている』んでしょう? 例えば足が骨折していたら、無理に立ち上がったりしないじゃない? ゆっくり寝転んでいればいいんだよ」

「奇妙な慰め方だなぁ。ま、言わんとする事は分かったよ」

「うん。今すぐ泣きたいんだったら、私の胸を貸してやろうか?」

大希は絶句した。

「え…?」

「冗談だよ」

「なんだよ、びっくりするだろ」

「冗談じゃなかったら、飛び込んできた?」

「ええいっ! うるさい! さっさと帰れ!」

「アハハッ! そうする。歓雫、また明日ね」

「楮乃」

「なに?」

「ありがとうな」


《こうなったか…。『恋』とは分からないものだな、歓雫大希》

その日の晩。部屋で大希とキヨが正座で向かい合っていた。二人から少し離れた場所にぬいぐるみのジョンが壁にもたれている体勢で置かれている。

キヨは悲しそうに言った。

「そうか、駄目ぢゃったか」

「ごめんね、婆ちゃん。がっかりさせて」

「うんや、謝る必要はないぞ。縁のものぢゃから仕方ない。それに謝るのはワシぢゃ」

「なぜ、婆ちゃんが謝るの?」

「お前に変な期待を掛けてしまっていたのぅ。辛かったぢゃろぅ?」

「全然そんな事はないよ! 確かに婆ちゃんに喜んでほしい気持ちもあったけど、それは一部に過ぎないよ。単に俺が夕空さんを好きになったんだ。それだけの話だからさ」

「大希。ワシはのう、お前がフラれた事は、残念に思うておる。でも、それは半分ぢゃ。もう半分は良かったと思うとる」

「半分は良いの?」

「好きな女にフラれた。しかも初恋ぢゃったんぢゃろう? それを誰のせいにする事も無く、キチンと受け止めた。それは良い経験ぢゃ。必要な人生経験ぢゃ。この失恋は、お前を大きくしてくれる事ぢゃろぅ」

「うん。それに最近、友達もできたんだよ」

「なに! お前に友達が? それも初めてぢゃのう。良かったのぅ!」

「一緒に勉強する友達もいるし、さっき慰めてくれた友達もいるんだ。嬉しかったな」

大希はうつむいた。正座をしている膝に、ポタポタと涙が落ち始めた。

「婆ちゃん、だから大丈夫…。俺は大丈夫だよ…」

大希は肩を震わせ、嗚咽しだした。

キヨは言った。

「大希、ワシの膝を使え」

大希は涙が止まらない顔でキヨを見た。

「え?」

「ババァの膝はの、孫を泣かす為にあるんぢゃ。遠慮なく使うがよいぞ」

大希は涙を流しながら、少し笑って言った。

「アハハ、そうなんだ。知らなかったな。じゃあ使わせてもらおうかな」

大希はキヨの膝に、顔をうずめて泣いた。

「うぅ…」

キヨは右手で大希の頭を撫でながら言った。

「お前は恋をして、失恋をした。生まれて初めて友達ができた。人付き合いができないお前にとって、これらは本当に大きな試練と幸せぢゃったのう。これをキッカケに、お前は変わるんぢゃよ」

大希は涙で濡れた顔を上げて、キヨを見た。

「変わる? 俺が?」

「ワシはのぅ、お前はもう暴力は振るわんと思うぞ。今回の出来事で、お前の心にとり憑いていた『黒いモノ』が取れた気がする。うむ、きっとそうぢゃ」

「よく分かんないけど、婆ちゃんが言うなら、きっとそうだよね。僕は誓うよ。婆ちゃんに誓います。もう暴力は振るいません」

「うむ、そうぢゃな。お前ならできる。お前は世界一ぢゃ。世界一のワシの孫ぢゃ。今のお前を見ておると、ワシは心が温かくなる。

そうぢゃな…例えるなら、『天にも昇る気持ち』ぢゃ」

「うん、ありがとう。婆ちゃんも、俺の世界一の婆ちゃんだよ」

こうして大希の恋は終えたが、同時に得たモノも大きかった。


《『天にも昇る気持ち』か…》

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