記録No.22『その男、正直につき』
扉を叩く音。乱雑とも捉えられる、強い衝撃音にタツヤは振り返る。約束より早い。ユウトも勤勉で、必ず集合五分前には到着するが、この時間は早すぎる。
「開いてる」
言葉では応じず、行動で応じるように引き戸が開いた。カイだ。荷物を肩にかけたまま、部屋を見渡している。
「アイツはまだ来ていないのか」
「そりゃな。まだ三十分も前だぞ」
「まぁそりゃそうか」
カイは苦笑しながら作業台の端に腰を預けた。タツヤはグラスを二つ取り出し、対面側に座る。
「——で、アイツは本当に持ってくるのか」
「あぁ、連絡が来たぞ。資料を取ってきたってな。旧資料室の中に、色々あったんだろうよ」
カイは、無愛想と形容できるその一文字の口を、さらにキュッと引き締めた。その瞳に宿る感情は複雑だ。敢えてその感情を逆撫でするようなことはしない。その代わり、カイが話しやすくなるよう、本題に切り込むだけだ。
「で、態々秘密話の一つや二つできる時間を確保したカイは、俺と何の話がしたいんだ?」
「——いきなり、だな。そりゃ話したいが」
「お前さんがアイツを信頼していないのは構わん。二人で話す事はユウトが来てからもあったが、今回ばかりは違うだろう」
鋭い目つきでカイを見やるタツヤ。その瞳に、カイは視線を落とす。その視線の先。テーブルの上には、自分が持ち込んだ紙がある。
「それに、すぐに機構のヤツを信じたという方がどうかしてる。特にお前さんはな」
「……まぁ、な」
カイは困惑していた。ぽっと出の機構の人間が、機構に疑問を持ち、わざわざこの地に足を踏み入れることも。初対面だったこちらの言を聞き入れ、危険な場所に放り込まれたというのに、成果を持ってきたことも。
「あの機構の人間、信用できるとタツヤは思っているのか」
「信用できるかどうかと、使えるかどうかは別の話だ」
「答えになってない」
「なってるだろ」
反射的にカイは顔を上げた。だが、タツヤは至って冷静だ。
「機構の内側から動ける人間は俺たちにとっても長年必要としてきていたろ。今回、そういう人間が自分から来たんだ。巡り合わせの運。それをつかんだ、ただそれだけなんだ」
「……それだけ、か」
「お前が気に入るかどうかは、俺の知ったことじゃない。アイツが危険だと判明したら切り捨てる。その為にこちらの情報だって、最低限しか開示していないんだからな」
カイは視線を紙に戻した。ユウトがここを訪れてから、タツヤとの密会の機会は増えた。フリーゾーン内で得た知識を共有し、噂の出所を掴み、真っ白なパズルのピースが一つずつ埋まって来ている。
「そうだな。情報は、こっちが多く握っている。それは、お前も機構の人間を信じてない証として見ていいんじゃないのか?」
逡巡、タツヤはカイの揺れる瞳を見た。縋るようなその瞳は、真っ直ぐタツヤを捉えているわけではない。願うような、祈るようなその言葉に、タツヤはキッパリと返す。
「機構がどうとかは関係ない。それで言えば、俺も機構に所属した、元機構の人間だ。ユウトに情報を絞ってるのは……まぁ、アイツが若すぎるからだな」
「若すぎる?」
「お前さんとの初対面でも端末渡そうとするヤツだ。俺たちがユウトの事をどう考えているかとかはちゃんと考えられるタイプだろう。ユウトも完全に信頼は置いていないようだが、リスクヘッジがなってなさすぎる。心の奥底では、人は全員善性に満ちているとか思ってるタイプなんだろうよ」
小さく息をつき、タツヤはグラスを傾ける。そこにカイは口を挟まない。
「だから、信じていたものが信じきれなくなった時、アイツがどうなるかわからん。情報にパンクしちまうかもしれん。アイツが機構側だった場合なら、情報を隠せる。だが、もしもアイツが真の意味で仲間になるというのなら……少しずつ、現実に目を向けさせてやりたい」
「……そうか」
口ではそう言っているものの、タツヤがユウトに肩入れをしているのは明らかだった。機構側ならと言いながら、仲間であることを望み、そのための展望の方がより理想論的なことがその証拠だ。
「お前がそこまで肩入れするのは、珍しいな」
「——そうか?」
「昔のお前なら、機構のやつなんて名前も覚えなかっただろ。俺が聞き出そうとしても、メモ帳とか取り出してようやく伝えられたレベルだったじゃないか」
その言葉にタツヤは答えない。ただ、バツが悪そうな表情でグラスの縁を指でなぞっている。
「あの頃のお前は、誰のことも信じてなかった。機構を出てきたばかりの時だ。俺が声をかけても、しばらく口も利かなかったろ」
「……昔の話だ」
「昔の話が、今のお前を作ってんだよ」
タツヤは短く息を吐いた。否定はしなかった。否定できない、という沈黙だった。当然カイも、自分で言っておいて自分で傷ついている。あの時の苦い記憶は、今でも鮮明だ。
「あいつを見てると、思い出すんだろ。機構にいた頃のお前が、助けられなかった誰かを」
カイは踏み込んだ。踏み込んでいい、と判断した。二人だけの、記録の残らないこの場所でしか、この話はできない。
「——違う」
ただ、タツヤの目が、仄かに暗く翳りを見せたのが伝わった。くすむようなその表情は、あの時に見たタツヤの表情にそっくりだった。
「——助けられなかった、じゃない」
低い声だった。いつもの戯けたような声色ではない、タツヤ本来の声。
「助けようとすら、しなかった。俺は、見て見ぬふりをして外に出た。そのくせ、肝心な時には何もできていない。それだけの、矮小な人間だ」
その言葉に、カイは何も返さない。お互いに過去の傷の意味は知っている。それを、忘れてはならないことも。過去の傷として終えていいものではないということも、知っている。
「だから、今度は違うなんて格好いいもんじゃあない。ただ、あの時の続きを維持するために。俺たちの望みのために、進むだけだ。ユウトは、そのための鍵になる」
強い意思を、熱を、再確認するようにタツヤは力強く言い切る。そうしてカイの目を見据えれば、フッと、タツヤの目元が緩んだ。
「——お前さんが機構の人間を嫌う理由も、わかるさ。その時、俺は何も出来なかったんだからな」
戒めのようにグラスを強く握るタツヤを見て、カイはハッと気づく。タツヤはあの日の密会以降、二人だけの話し合いの時は、酒を飲まなかった。自分のテリトリーでもだ。酒瓶は棚に増えているのに、その中身の減りようは少ない。
これまでの長い付き合いだ。それが、アイツを助けられなかったことへの戒めと、カイ自身の為なのだと、遅れて気付いた。
タツヤ自身も向き合おうとしている。そう思ってしまえば、あとはカイが、カイ自身の気持ちを吐露するだけだ。
「——気に入ってるわけじゃない」
「知ってる」
「ただ」
カイは言葉を一度止めた。小さく、肺に空気を入れる音が聞こえる。続きを探すような間だった。
「気づいたら動いていた、と言っていた。それだけは、否定しにくい。それがアイツの、善性なんだろ」
タツヤは何も言わなかった。
「否定したいんだがな」とカイは続ける。「機構の人間に対して、それをやられると困る」
「困るのか」
「困る。困るさ、ああ困る。下手に揺らさないでほしいからな」
タツヤが少し笑った。カイにとっては小さくない問題のため、笑えない。肩をすくめて戯けたポーズを取るしかない。
「機構の奴らは俺らのことを下に見ているからな。救ってやるだなんて顔つきで、その結果があのザマだ。」
カイは言葉を続ける。
「アイツが正直すぎるほど正直なバカなのは、俺でも理解できる。それが誰かによって操られているかもしれないがな。違うなら、俺たちは仮だが仲間になる。なら少なくとも、交渉力は身に付かせた方がいいな」
真剣な顔で呟くものだから、タツヤは今度は大きく笑い出す。交渉力などと、それっぽい言葉で自身を納得させようとするカイに面白半分、形容できない暖かな気持ちが半分、入り混じっていた。
「違いない。あいつは正直すぎる。はっきりと俺たちの関係も、これから関わるだろう奴らとの関係も理解してもらわないと、全部好意だと受け取る」
「好意じゃないからな」
「好意じゃない」
カイが紙を一枚めくった。
交渉して、調べて、自分の力で手に入れたこの資料。当然、好意的な関係は大切だ。だが、これから進む道はそんな生半可な道ではない。ユウトの存在は、毒にもなり薬にもなり得る。
「方向が一致してるだけ。今は、それで俺は納得する」
その答えに、タツヤは答えなかった。ただ、一度目を伏せることで、カイの意思を尊重する。
カイもタツヤに言葉は促さない。
「なら、ここでの話は終わりだ。後の時間はこっちの資料に目を通しといてくれ。一部はアイツにも見せる予定だ」
「わかった。まずはそっちからって感じか。くれ」
資料を読んでいる間は、互いに口を開かない。しばらく静かだった。タツヤが資料の内容を確認しながら待っていると、扉を叩く音がした。
予定時刻の五分前。相手は確認するまでもない。
タツヤとカイが一瞬だけ目を合わせた。今の話は、ここで終わり。そういう合図だった。
「遅い」
タツヤの声が飛んだ。




