記録No.12『星は見ている』
「はい、どちらさまですか?」
ユウトの問いに、端末越しの人物は答えない。息遣いすら聞こえず、奥にあるのは無だった。数秒、沈黙が流れる。
「あの、間違い電話でしょうか?」
まだ、回答は来ない。イタズラ電話だと認識してよいだろうか。そのまま切ろうかどうかと悩んでいるところで。
「――機構のやつか?」
低い声だった。月並みな表現だが、ドスの効いた、というのがこの場合は適しているだろうか。契約の相談に来る人間は、このような声色はしない。ユウトは反射的に背筋を伸ばした。
「……はい、市民生活向上機構の——」
「って、冗談冗談。マジになんなって。真面目君ってのは本当みたいだな。フリーゾーンのカイから聞いた。こう言えばわかるだろ?」
声が変わった。大笑い混じりで、声の調子は軽くなった。端末越しの劈く笑い声に顔をしかめつつ、あまりにも急な変化にユウトは間を置いて返答する。
「……カイさんから」
「そう。俺はタツヤ。カイの古い知り合い。引っかけの話はもう聞いてるぜ。今日の夜、来れるか? 場所はカイに聞け。場合によっちゃカイも呼ぶが、まぁ二人でいいだろ。初対面の奴と話すの緊張しちゃうぜとかないはずだよな?」
「はい、伺います」
元々、いつでも対応できるよう準備はしていた。カイの手早い対応に感謝しつつ、今日はより早めに退勤することを考える。
「おう、即答する奴は好みだぜ。あ、ただ一つだけ先に聞いていいか」
「……はい?」
「お前、自分が観測されてるかもしれないって、考えたことあるか」
問われ、一瞬呼吸が止まった。ドクン、と、心臓の拍動で呼吸を再開する。
「……観測、というのは」
「あぁ、やっぱりその反応じゃ気にしてなかったか。機構の記録が通常のルート外から見られてると気づいて、お前は他のやつの記録を調べたんだろ?それはわかる。良い判断だな。ただ、お前自身の記録を、お前は確認したことあんのか?」
ユウトは落ちそうになる端末を強く握り、その問いの意味をゆっくりとなぞった。
「……まだ、ありません」
「そうか。あ、責めてるわけじゃねぇよ?」
返し、タツヤは少し間を置いた。
「ま、どうせ核心には至らないだろうがな。そこは抜かりないんだろ、きっと」
「どういう――」
問う前に、電話が切れた。一方的に斬られてしまったが、折り返しをかけようとは思わなかった。
自身の記録。グレーアウトした調整区分詳細。それは確認した。ただ、それは果たして見られていると言えるのだろうか。
レナが渡してくれたコーヒーを一口飲む。
――熱い。
いつも、レナが淹れてくれるコーヒー。胸騒ぎは、そのコーヒーとともに、胃の中に溜まっていった。
――――――――――――――――――――――
――夜。
タツヤの作業場は、フリーゾーンの境界から遠い、組み入った路地の奥にあった。カイの店から歩いて十五分ほど。表に看板はなく、知っている人間しか来ない場所だ、とカイが連絡とともに通話上で口頭補足をしてくれた。確かに、ぱっと見では気づけない。
インターホンというものもない。鍵も、かかっていない。「失礼します」と言いながら引き戸を開けると、雑多な機材と工具が棚に並んでいるのがまず目に入った。カイの店と似た雰囲気で。ただカイの店より、もう少し油の独特な匂いが漂っていた。
「おう、来たか。とりあえず座れ、どこでもいい」
奥から声が聞こえる。電話の人物と同じ声だ。
ユウトはいくつかの短い椅子のうち、一番近い椅子に腰を下ろした。
部屋の奥から電話の声の主――タツヤが顔を出す。年齢は恐らく、三十代前半ほどか。目元に疲れか小皺がある。ただ、目自体は鋭く、生やした無精髭も含めてみると、総合した評価はワイルドな人、という感じだった。
「お前が機構の――ユウトか。聞いた通り、コア地区の顔してるな」
「そうですか」
「あぁ、気を悪くすんな。悪い意味じゃあない。俺もそっちにいたことはあるからな」
「……機構に、ですか」
その言葉を聞き、ユウトは興味本位で尋ねてみる。ということは、彼がFREEへ移行した人物その人なのだろうか。
「ああ、出たのは三年半前だがな。悪いが、今とは色々変わってるだろうし、その頃の話はあんましたくねぇ」
ユウトの興味に気づいてか、タツヤは先んじてシャッターを敷く。今回の本題はそれではないし、お願いをする立場だ。ユウトも続きを求めなかった。
「悪いな。気を遣わせたか。じゃ、本題に入るぞ? まず、カイから話は聞いた。お前の担当の記録を、外部から誰かが参照していたってな。んで、お前はその犯人を絞りたい」
「はい、そうです」
「じゃ、次は手順だ。内容は単純。向こうさんにひっかけを仕掛ける。お前自身の記録に、外から小さな変更を入れるんだ。機構内部か、内部でなくとも誰かがその変更を確認しようとすれば、アクセスの痕跡が残る。そっちの機構にゃサイバー対処班?だったかなんだったかがいるが、そいつらにも本来は気づかれない代物だ。誰かが動いているとしたら、そこで確かめられる」
「そうですね。マルウェアとかに感染した際に備え、機構内は外部ではなく自社内で対処するための部署を設立していますが……今回はそれとは違う、と。ちなみに、名前まで特定できますか」
その問いに、タツヤは力なく首を振る。
「難しい。痕跡は残る。ただ誰とまでは出てこないかもしれない。そもそもこのポートはそういう用途で作られたわけじゃない。できることには限界がある」
ユウトは少し考えた。核心には至らないが、恐らく言葉に嘘偽りはない。機構の内容にもある程度精通しており、部署の班名は社外に基本は漏らさないことが、その根拠だった。
「それでも、やる価値はある、と」
「それは俺が判断することじゃあない。お前さんが決めることだ。そうだろ?」
タツヤはそう言いながら、端末を操作し始めた。何かを確認している様子だが、対面のユウトはその画面が見えない。
「一つだけ確認させてください」
「なんだ」
タツヤは操作を止めず、こちらも見ないで聞き返す。
「これは、違法ですか」
「真面目ちゃんだな。回答するならこれはグレーだ。ダメとも、いいとも、どっちとも書いていない。機構が想定していなかった使い方をするというだけで、明文化された禁止事項には当たらない。ただ、機構側にとっては都合が悪いことは確かだな。それでも、やるか?」
ユウトは考える。三年間、マニュアルの外に出たことはなかった。出る必要がなかった。
しかし、今、この場ではマニュアルにない質問を問われている。これまでも、マニュアルにはないことが起きていた。そのたび、ユウトの答えの指針となっていたのは、心の奥底に眠っていた自分自身の声だった。
「――やります。僕は、この違和を突き止めたい」
タツヤは手を止めない。ただ、ユウトの回答に歯を見せて笑って、
「そうか。準備は今ので済んでるぜ。じゃ、お前の記録の番号を教えろ」
心なしか、声のトーンも上がっていた。
――――――――――――――――――――
作業は一時間ほどかかった。タツヤが端末を操作し、ユウトは時々確認を求められて、そのたびに答えた。
何をしているかは見えない。見たこともない機械を取り出したかと思うと、端末につなげては再度操作をしたりと。恐らく、こうして駆けなければ、一生縁のなかった場面にユウトは出くわしていた。
「――うし、終わった」
「本当ですか、お疲れ様です」
終わった後、タツヤはコーヒーを二つ出してきた。メーカーは見たことがないもので、インスタントだった。ユウトは礼を言って受け取る。
「これで向こうが引っかかれば痕跡が残る。引っかからなければ、誰も動かなかったってことだ。まぁ、十中八九ヒットするとは思うがな」
「いつわかりますか」
「早ければ明日、遅くても三日以内には何か出るはずだ。俺から連絡する。お前の端末に反応するんじゃなく、こっちの端末がデータを抜き取る仕組みだからよ」
配線塗れで、機械同士が繋がれた端末をトントンと指さし、タツヤはユウトに返す。正直、何が何だかわからないが、成功した、ということだろう。
「ありがとうございます」
「礼はいらない。俺にも確かめたいことがある」
タツヤはコーヒーを一口飲んだ。
「つか、お前これ中身見てねぇのによく普通に感謝できるな。もうちょい、疑われたりこの画面見せろって言われるかと思ったぜ」
「まぁ、確かに。わかんないのはわかんないです。でも」
ユウトは、眼前のタツヤと、端末を交互に見る。
「真剣な顔のあなたを見てたら、信じて良いと思ったので」
直球の言葉に、タツヤは一度間の抜けた顔をして、
「――カッカッカッ! そうかそうか。お前さん、それで信じるタイプか」
「え、ちょっと、痛い痛い」
対面に座っていたタツヤは立ち上がり、ユウトの背中をバシバシと叩き始める。
勢いが強く、かなり痛い。
「悪い悪い。いや、機構側にもお前さんみたいなやつがいるんだな……そうか」
一瞬、タツヤの目が伏せられる。その瞳に宿る意味は、こちらからは汲み取れない。
「ま、要はお前さんのこと、俺は気に入ったってこった。祝勝を祈って、飲めよ。本当は酒を浴びるほど飲みてぇんだがな」
「は、はい。いただきます」
そう促され、ユウトは置いていたコーヒーに口をつけた。
味は、これまで飲んだどれとも違う。恐らく、フリーゾーンで出回ってるコーヒーなのだろうと分かった。インスタントのわりに、不思議と味は悪くなかった。




