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記録No.11『その男、軽薄につき』

 店を閉めた後の時間に、裏の引き戸が開く音がした。


「邪魔するぜ~」

「遅い」


 振り返らずに言った。声でわかる。軽薄というものを纏うかのような声が。


「仕方ねぇだろ、酒場が長引いた。しかもお前から来てくれるならそれでいいかと思ったんだが、なんで緊急なんて送ってくるんだ。心臓に悪い」


 男は荷物を床に下ろして、勝手知ったる様子で椅子を引いた。許可を取らず、灰皿を勝手に奪ってはタバコをふかし始める。昔からそうだ。カイの背中をバンと一発叩いて、今度はグラスを手でトントンと叩き始めた。出せ、という意味だ。ため息をつきながらカイはグラスを二つ用意する。


「女か」

「違う、今日は本当に酒だ」

「今日は、ってのが怪しいな。なら酔い覚ましだ」

「げ、ただの水かよ。萎えるぜ」

「金をとらないだけマシと思え」


 男は肩を揺らして笑った。それから、グラスを受け取って一口飲んだ。酒ではないからと露骨にテンションを下げるが、カイは気にしない。一気に水を飲み干したかと思うと、カイの顔を見て男は真面目な顔をする。


「機構の話か」

「ああ」

「聞かせてくれ」


 カイはグラスを手に持ったまま、少し間を置いてから話し始めた。コア地区から来た人間のこと。担当していた契約者の記録に、外部から誰かがアクセスしていたこと。参照者の名前が残っていなかったこと。その人間が、フリーゾーンまで来てカイの店を訪ねてきたこと。

 男は途中で口を挟まなかった。水のお替りはねだってきたものの、茶化さずカイの話を聞いていた。余計なことを言わずに、最後まで聞く。それだけで、この男がこの話をまだ笑い飛ばしていないとわかった。


「外部から、ってのはどういう意味だ。基本機構の記録は外から見られるものじゃないはずだろ」

「機構の専用端末からアクセスすれば、必ず参照者の名前が残る仕組みになってる、ってやつか。それはお前が来た時から変わってないらしい。で、その参照者の名前ってのが残っていなかった。つまりは、例外を使用されたってことだ」


 男はグラスの水を口に含んだ。思い当たる節があると言わんばかりに考える顔をして、グラスをテーブルに置く。


「……緊急外部アクセスポート。そいつを知ってるやつが使った、ってことか」


 カイは頷いた。


「可能性はある。そのポートへの接続方法を知ってるやつが、タツヤ、お前以外にいるかどうかを聞きたい。そのポートから入れば、名前が残らないはずだろ?」

「俺が知ってるのは、中にいたからだ」


 タツヤと呼ばれた男は短く呟いた。それだけで、説明は終わりだという口調だった。続きを求めるなら求めてもいいが、出てくるものは多くない。そういう言い方だが、カイは黙ることで続きを促す。


「設計に関わった人間だけが本来は知っている情報だ。一般の職員は知らない。俺みたいに外に出たやつもいるし、まだ中にいるやつもいる。まぁそいつらが——」


 そこで、タツヤは止まった。呟きかけたその言葉を、思うだけで後悔すると言わんばかりの表情で。タツヤは止まったまま、再度水を一口飲んだ。何かを、飲み下すような間だった。


「酒。気分が悪くなった。金は払うから酒寄越せ」

「はぁ?」

「頼む。続きも、聞いてやる」

「気分が悪いから飲むとかお前の口くらいでしか聞かないな」


 そういってカイは後ろの棚から、安酒を持ってくる。この酒はタツヤが金のない時に愛用していた酒だ。これくらいがちょうどいいだろう。


「まあ、知ってる人間が使ったとしたら候補は絞れる。絞れるから、余計に厄介だな」

「そうだな」


 カイはタツヤが止まった瞬間を、見ていた。何度か、機構の話をすると誰かの名前を出しそうになっては、自重するかの如く言葉を止める。酒でべろべろになったときでも、それは変わることはない。だから、カイはこれまで一度も聞かなかった。それほどまでに、この男にとっては言いたくない言葉なのだろうと理解したから。


「観測されてるかどうかを確かめたい。機構の外から記録に触れられる人間が必要だ。ひっかけを仕掛けることはできるか」

「唐突だな……だが、仕掛け方は知ってる。そのコア地区の人間の記録に、小さな変更を入れる。誰かがそれを確認しようとすれば、アクセスの痕跡が残る。誰かが動いているかどうか、それだけは確認できるはずだ」

「名前まで出るか」

「出ない可能性が高い。痕跡自体は残る。ただ、誰かまでは絞り切れないかもしれないな。そもそも、外部ポートはこんな目的で作られたわけじゃねぇ。核心には至らないし、それでもやる価値があるかどうかは、そっちが判断することだ」


 酒を一気に飲み干して、タツヤはそう言った。そのまま人差し指を立てる。


「で、やるにしても条件が一つ。そのコア地区の人間本人が、了解するかどうかだ。知らないうちにやるのはまずい。それはお前もわかるだろ」

「ああ」

「直接話す。俺がそのコア地区の人間と。お前じゃ、上手くいかねぇだろ」


 カイは腕を組んで考える。当然、リスクのある行為であるのは知っている。ここでこのタツヤを頼ったのも、うまく切り抜けられるだろうと腕を見込んでのことだ。


「わかった。連絡先を送る」

「名前は」

「ユウト」


 端末を操作して送った。タツヤは画面を確認する。


「機構の人間に名前で呼ぶのか。珍しいな」

「向こうがそう名乗った」


 タツヤはふっと笑った。


「お前は機構の奴毛嫌いしてるじゃねぇか。てっきり機構の奴の名前なんか呼びたくもないとか言うと思ったぜ。んで、そのユウトってやつ、どんな人間だ」

「交渉下手で、正直で、嘘がつけない。カマかけてみたら端末も俺に渡そうとしてきた」


 ぶっきらぼうに答えるカイの言葉に、タツヤがピタリと止まった。


 一秒。


 それから、声を上げてタツヤは笑い出した。近隣の迷惑も考えていないような大声量で、カイの肩を押しながら。


「まじかよ、お前にとって一番相手にしたくないタイプじゃねぇか。珍しすぎておもしれよ」


 肩を押され、叩かれ、視界に勝手に入ろうとしてくるタツヤだが、カイは口を一文字に結んで答えなかった。


「交渉下手で正直で嘘がつけない。どこかで聞いたことあるなぁ、その説明」

「……黙れ」

「悪い悪い、でも、図星だから黙れって言うんだろ」


 タツヤはまだ笑っていた。笑いながら、グラスを持ち直した。


「なんでそいつはここに来た。仕事でか。だったら、笑ったのは謝るよ」

「聞いた。義務じゃないと言ってた。気づいたら動いていた、とも」


 タツヤはそこで笑うのをやめた。酒を一口飲み、窓の外を見るように顔を傾ける。窓の奥、フリーゾーンの夜は街灯が少なく、ここからでも星が煌めいているのが見える。


「……気づいたら動いていた、か」


 繰り返した言葉に、違う重さが乗っていた。口調が変わり、笑いの色が消える。


「ああ」

「——そういうことか」


 カイはタツヤを見た。茶化すでも、お道化るでもなく、ただただ、真っすぐカイを見た。


「何がだ」

「お前が頼みに来た理由。引っかけに使える人間が必要なだけなら、俺じゃなくてもよかったはずだ。ある程度、情報は回ってるんだからな」


 カイは答えなかった。


「そのユウトってやつ、昔のあいつに似てるって、お前も思ったんだろ。機構の奴で馬鹿正直とかって聞いて、そうだろうなと思ったよ」


 答える前に、グラスの中の水面を見た。水面は揺れていなかった。それだけを確認してから、タツヤを見る。


「――――」


 それでも、答えなかった。

 タツヤはまた笑った。今度は静かに、口元だけで。


「だからかよ。それともなんだ。自分でも自覚がないってやつか」

「うるさい」

「お前もアイツもそうだったもんな。気づいたら体が先に動いてる。俺が知ってるお前から、何も変わってないじゃないか」


 カイはグラスを飲み干した。アルコールが強いそれを一気に胃の中に流し込むことで、カイは溜まる言葉を逆に押し出す。


「引き受けるのか、引き受けないのかを聞いている。無駄話はよせ」

「引き受けるよ」


 あっさりと、タツヤは言った。


「おいおい。んな話聞いて、引き受けないとか言うと思ったのかよ? 連絡も諸々、俺の方から動く。お前も必要なら呼ぶわ」

「そうか」


 心外だというジェスチャーをするタツヤだが、カイはそれには応じない。ただ、そうかと一言呟き、


「……なぁ」

「なんだ」

「お前、機構を出た後のことを、アイツに話すつもりか」


 問われ、タツヤは露骨に視線を逸らした。右下に目を背けるのは、タツヤが濁したい時の表れだ。


「必要になったらな」

「お前が何を見て出たのかとか、聞いたらどうするんだろうな」

「まぁ、その辺はうまくやるさ。お前が心配することじゃない」


 タツヤは立ち上がった。荷物を肩にかけて、引き戸に進もうとして――


「あ、そういや、お代は?」

「……今日は俺の奢りだ」

「そうかよ、サンキュー!」


 ピシャリと、勢いよく引き戸は閉まった。


 カイは一人になってから、もう一度グラスに手を伸ばした。

 グラスの中にあった酒は、一滴も残っていない。


 窓の外のフリーゾーンの夜は、まだ続いていた。街灯が少なく、暗い部分は多い。

 昔は、それが当たり前だった。今も、変わっていない。


 コア地区から来たあの人間は、この景色をどう思ったのだろうか。義務でもなく来た。気づいたら動いていた、と言った。あのコア地区の人間――ユウトが、笑っていた、とも言った。


 そうかと、俺はそれだけしか言えなかった。それでしか答えを返すことができなかった。言えてしまった言葉は、思ったより軽くて。


「……んな感傷、ガラじゃねぇ」


 沈む空気から逃げるように、電気を消した。


 ――――――――――――――――――――


 翌朝。

 ユウトが事務所に着いたのは、九時を少し過ぎたころだった。廊下を歩いていると、給湯室からコーヒーの匂いがした。

 ――レナだ。

 こちらに気づくが、何も言わない。ただ、いつもより少しだけ長く、ユウトの顔を見ている。丸く大きな瞳に捉えられ、ユウトは自然と背筋が伸びた。


「昨日、どこ行ってたの」

「あ、その。ちょっと、用事があって」

「そう。休暇申請は確認したけど、どっか遊びに行ったり?」


 砂糖を二つ入れて、ミルクを一つ入れて、カップをユウトに差し出す。ユウトは受け取りながら、言葉を返した。


「ま、まぁそんなところです」

「ふーん、なーんでそんな緊張してんだか。なんか、言えないところに行ったりしたの?」


 問われ、小さく肩を震わす。微細な揺れだが、レナに気づかれただろうか。だが、


「何?女の子に言えないようなとこ行ったってこと?」

「い、いやいやいや! そうじゃないですから」

「ふーん。ま、ユウトがどうあろうとお姉さんは見守ってあげるよ」


 壮大な勘違いをされている気がする。思わず声を荒げ、否定に入るが、どうやら勘違いは拭えなさそうだ。


 と、そこで――


「ん、ユウト。鳴ってるよ。ミーティングもあるし、私は先行くから。電話に出な」

「あ、そ、そうですね。ありがとうございます」


 そういって、レナは自分のカップを持って給湯室を出ていった。


 そのまま、ユウトは視線を端末に向け、見慣れない番号からの着信に応じることにした。

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