幕間 サラ
行きつけの店、月灯りの樽で、サラは声を震わせた。
「どうして、誰もアイリスのことをわかってくれないの……!」
唇を噛む目元に、涙が滲む。
この世にはろくな奴がいない──そんな気持ちが、胸の奥から溢れ出た。
*
受付嬢になったばかりの頃。
失敗続きのサラを助けてくれたのが、当時Bランクのアイリスだった。
夜、すっかり静まり返った狩人本部。
依頼書の記述を間違え、上司に怒られ、泣きながら居残りで修正していた。
署名をもらい直さなければならない。
だが、担当の狩人はすごく怖そうで、それだけでまた涙がこぼれそうになる。
「……どうしたの?」
澄んだ声に、ハッと顔を上げる。
受付の向こうに、少女が立っていた。
思わず涙が引っ込む。
柔らかいミルクティー色の髪に、ハニーブラウンの瞳。腰には剣を差している。
狩人なのだろう。だが、武骨な人が多い狩人とは思えない、繊細な人だった。
「新人さん?……ああ、この人の担当なんだ」
少女が苦笑する。
「この人、顔は怖いけど、優しいから。大丈夫だよ」
その視線が、走り書きだらけのメモに落ちる。
小さく眉がひそめられた。
「新人用の手順書があるはずだけど、もらってない?」
その問いに、サラは我に返る。
「あ……はい。そんなのがあるんですか?」
知らなかった。
少女が眉間に皺を寄せる。
「あの人、新人の担当をよく任されるのに、すぐに大事なことを忘れるんだよ」
なんと。上司は、かなりいい加減な人だったらしい。
「……ありがとうございます。明日、聞いてみます」
「うん。応援してるよ」
少女は微笑んで、踵を返す。
扉をくぐって建物を出るまで、サラはその背をじっと見つめていた。
*
翌日。無事に手順書がもらえた。
最初からこれを寄越せ、本気でそう言いたくなった。
だが、起こる問題がすべて手順書で解決できるわけではない。
*
サラは受付で遠い目をしていた。
目の前には、狩人。
Bランクでそれなりに実力はあるが、女にだらしないことで有名だった。
「サラちゃん、今日は何時に終わる?よかったら夕食でも……」
勤務中の受付嬢を誘うのは、厳禁だ。
規則本の該当ページを開いて、その顔に叩きつけてやりたくなる衝動に駆られる。
「今は勤務中です。他の方の迷惑になりますので、用が済んだ方はどうぞ向こうへ」
手で外を示すが、男はへらへらと笑う。
「質問してるだけじゃん。なあ、いいだろ?」
──うざい。
張り付けた笑顔の奥で、何かがピキリと割れそうになる。
その時だった。
「邪魔です」
聞き覚えのある声が響いた。
視線を向けると、あの少女が立っていた。
「げ、アイリス」
男の顔が引きつる。
少女が横目で、鋭く睨んだ。
「彼女に用があります、どいてください」
「は!?他の受付に行けよ!」
少女は静かな瞳で男を見据えた。
「フィオナさん、呼びますよ」
その一言で決着がついた。
男は顔を歪め、脱兎のごとく逃げ去る。
少女はすぐに掲示板の方へ向かい、礼を言う暇もなかった。
「あら。アイリスさん、さすがね」
ちょうど戻ってきた先輩受付嬢が、サラの後ろで言った。
「私も助けてもらったわ……」
振り返ると、先輩は懐かしそうに目を細めていた。
その後も、少女は幾度となく助けてくれた。
*
サラは、アイリスという少女と仲良くなりたいと、心から思った。
受付嬢と狩人。立場上推奨されない付き合いだが、ある日、思い切って直球でお願いした。
アイリスは目を見開き、やがて頬を緩めた。
「私の方こそ、ぜひ。友達に、立場は関係ないもんね」
その日、サラは自宅で小躍りするほど喜んだ。
*
深呼吸するサラ。
目の前には、狩人の長の執務室があった。
長たるアレンと、その妻フィオナが本部に滞在する時間。
それをなんとか調べ上げ、予定をもぎ取った。
親友のためなら、なんでもできる。
扉をノックして返事を待つ。
「どうぞ」
低い声が返ってきた。
「失礼します」
サラは扉を押し開け、中へ入る。
戸をしっかり閉め、正面を向く。
執務机に座って書類を捌くアレン。
机の前のソファで紙を見ていたフィオナが顔を上げ、こちらを見つめる。
「Aランク狩人、アイリスさんのパートナーの件で、お願いがあって参りました」
震える声で告げるサラ。
アレンとフィオナの視線を浴び、サラは唾をのむ。
公私を混同するな、と言われても仕方がない状況。
──それでも。
次は、私の番だ。




