第4話 白鹿の森で
白鹿が生息する森にやってきたアイリスは、すぐに気配を消した。
白鹿の特徴を表す言葉がある。
──十メートル先にいても逃げられる。
これは誇張でも何でもない、事実だ。
気配を消しても、五メートルくらいまで近づけば気づかれる。
だから気づかれる前に息の根を止めるしかないのだ。
アイリスは背後を振り返る。
気配の欠片すらないリオが、のんびり森を眺めて歩いている。
「……実は暗殺者です、とか言わないですよね」
気配を消す技術が完璧すぎる。落ち着かない。
疑いの目を向けると、リオはふっと笑った。
「人を手にかけたことはない」
それならよかった。でも、納得はいかない。
「どうやって学んだんですか?」
問うと、リオは少し遠くを見るような目をした。
「……父の特訓に耐えかねて、逃げ出したときに自然と」
リオが逃げ出すほどの特訓。
狩人の長、誰もが最強と認める存在すら欺く隠密技術。
アイリスは言葉を失った。
頭が痛くなってきて、すぐに考えるのをやめた。
*
しばらく歩いていると、リオがはたと足を止めた。
訝しんで振り返ると、リオは森の一点をじっと見据えている。
「見つけた」
驚き、慌ててリオの視線の先を探る。
確かに、白鹿らしき気配があった。
「すごいですね、索敵力も高すぎじゃないですか?」
改めて、Sランクの実力に圧倒される。
「簡単なことだ、薄い魔力を常に張り巡らせるといい」
「薄い魔力?」
アイリスはじっとリオに目を凝らす。
確かに、じっくり見れば非常に薄い魔力の揺らぎが確認できた。
「……器用ですね。範囲はどのくらいですか?」
「今は五十メートルくらいかな」
アイリスはむせた。
「待ってください……まさか街中でも?」
恐る恐る尋ねると、リオが困ったように笑う。
「まさか。普段は逆に、自分に魔力で圧をかけて鍛えている」
開いた口がふさがらない。
つまり、街にいるときは身体負荷を上げて身体を鍛え、依頼時は広範囲索敵を実施していると。
「……ふざけてますね」
「ひどいな、実用的と言ってほしい」
そんな実用があってたまるか。
「ただ日常動作をしているだけで運動になるんだ。合理的だろ?」
「ああ……はい、そうですね」
諦めたように返すが、確かに合理的だ。
──真似してみようかな、と思う。
「それで。今日は俺に任せてほしいんだけど、構わないか?」
アイリスは頷いた。
リオの実力を、自分の目で確かめたかったからだ。
「首を落とす、で問題ないかな?」
「はい。……なんでそこは知ってるんですか」
薬草の採り方は知らないくせに。
アイリスが呆れた目を向けると、リオはただ笑顔を返した。




