ずれた会話
昼休みの教室は、少しだけ騒がしい。
弁当の匂いと、机を動かす音と、どうでもいい話が混ざって、まとまりのない空気になっている。
その中で、一か所だけ空気が偏っている。
教室の後ろ。
人が集まっている。
「なあ、あの子さ」
「転校生?」
「昨日来たやつだろ」
そんな声が聞こえる。
僕は席に座ったまま、そっちを見る。
ルリがいた。
窓際の席に座って、何もしていない。
ただ、そこにいる。
それだけで、少しだけ目立つ。
理由はよくわからない。
特別に派手なわけじゃないし、動いているわけでもない。
でも、周りの連中は落ち着かない感じで、視線だけが集まっている。
光希が、隣で小さく息をつく。
「……わかりやすい」
「何が」
「男子」
「まあな」
「露骨すぎ」
でも、光希も少しだけ見ている。
ほんの一瞬だけ。
「呼べば?」
僕が言うと、
「なんで」
「気になるんでしょ」
「別に」
即答。
でも、そのあとで少しだけ間が空く。
「……あの子」
「うん」
「昨日の子だよね」
「そうだと思う」
そのとき、ちょうどルリがこちらを見る。
目が合う。
少しだけ間が空いてから、立ち上がる。
そのまま、まっすぐこっちに来る。
迷いがない。
「おはようございます」
「昼だけどね」
光希が言う。
「時間帯の定義が曖昧でした」
ルリはそう言って、僕たちの前に立つ。
「座れば」
僕が言うと、
「ありがとうございます」
きちんと椅子を引いて座る。
その動作も、どこか少しだけ正確すぎる。
「……で?」
光希が言う。
「で、とは何ですか」
「なんで来たの」
「会話の継続です」
間。
「昨日の内容に未解決部分がありました」
「……何それ」
「コーヒーの再現性についてです」
光希は少しだけ笑う。
「まだやるのそれ」
「はい」
即答。
「重要です」
周りの連中が、少しだけ静かになる。
完全に聞いているわけじゃないけど、気にしている感じがある。
「じゃあさ」
光希が言う。
「この味、言葉で説明してみて」
「昨日のものですか」
「そう」
ルリは少し考える。
「苦味が主体で、後味に持続性があります」
「違う」
即答。
「それじゃ誰でも言える」
「再現性はあります」
「ないよ」
少しだけ強い。
「それじゃ、この店の味にならない」
「では、何が不足していますか」
光希は一瞬だけ詰まる。
「……それは」
言えない。
ほんのわずかな沈黙。
ルリはそのまま待っている。
助けようとはしない。
「……環境とか」
光希が言う。
「温度とか、豆の状態とか」
「変数ですね」
「そう」
「では、それらを固定すれば再現可能ですか」
「理屈ではね」
「実際は?」
光希は少しだけ視線を逸らす。
「……無理」
「なぜですか」
「だから——」
言葉が止まる。
僕はそれを見ている。
珍しいと思う。
光希が言葉に詰まるのは。
「……なんか」
光希が言う。
「違うんだよ」
「何がですか」
「全部」
少しだけ苛立っている。
「数字とかじゃなくて」
「数値化できない要素ということですか」
「そう」
「では、それは記録不可能ですか」
「……たぶん」
「不完全ですね」
ルリはそう言う。
悪気はない。
ただの評価みたいに。
光希の表情が、ほんの少しだけ変わる。
「……あのさ」
「はい」
「全部理解しようとしなくていいんだよ」
「なぜですか」
「その方が楽しいから」
「理解と楽しさは両立しないのですか」
「しない場合もある」
「非効率です」
即答。
「効率でやってないの」
「では、何でやっていますか」
「……好きだから」
少しだけ間が空く。
ルリはそれを聞いて、少しだけ考える。
「“好き”は再現可能ですか」
「無理でしょ」
「では、個体依存ですか」
「そういうこと」
ルリは小さく頷く。
「理解しました」
本当に理解したのかはわからない。
そのとき、後ろの方で誰かが小さく言う。
「やっぱ可愛いよな」
「な」
笑い声。
ルリはそっちを見ない。
気づいていないのか、気にしていないのか、よくわからない。
光希は一瞬だけそっちを見る。
それから、すぐに視線を戻す。
「……あんたさ」
「はい」
「自分がどう見られてるか、わかってる?」
「視覚情報ですか」
「違う」
「評価ですか」
「そう」
ルリは少し考える。
「把握していません」
「でしょ」
光希は少しだけ笑う。
「損してるよ」
「なぜですか」
「使えるのに」
「何をですか」
「……別に」
言いかけてやめる。
僕はそのやり取りを見ている。
うまく言えないけど、バランスが少しだけ崩れている気がする。
昨日まではなかった感じ。
「総一郎」
光希が言う。
「何」
「あんたはどう思う」
「何が」
「再現できると思う?」
少しだけ考える。
「無理だと思う」
「なんで」
「同じでも違うから」
「それ説明になってない」
「そうだね」
ルリがこっちを見る。
「興味深いです」
その言い方が、少しだけ昨日と同じだった。
でも、少しだけ近い。
距離が縮まっている気がする。
何が、とは言えないけど。
チャイムが鳴る。
会話が途切れる。
周りの空気が戻ってくる。
ルリは立ち上がる。
「また確認させてください」
「何を」
「未解決の部分を」
そう言って、自分の席に戻る。
周りの視線が、また少し動く。
光希は黙ったまま、机を見る。
「……ムカつく」
小さく言う。
「どっちに」
僕が聞くと、
「両方」
即答。
でも、その声は少しだけ弱かった。
僕はそれを聞きながら、ぼんやりと思う。
たぶん、何かが始まっている。
でも、それが何なのかは、まだよくわからない。




