へ
諦はトイレを探索していた。まあ、探索といっても、男子トイレなんてたかが知れている。隠れられるのは個室くらいなものだろう。
男子トイレは女子トイレより個室が少ない。個室でするのは大概が大きい方と決まっている。かくれんぼで男子がトイレに隠れた場合、大抵が「お前大してたのかよ~」という弄りになる。そういうくだらない、くそつまらないネタで人を弄る行為が、諦には理解できなかった。
そういう弄りを後々に受けたとしても、これはかくれんぼなのだから、トイレに隠れるのも戦略の一つだろう。トイレは弄られるのが嫌だからと隠れる人物が少ないし、トイレに行って、ガチの用足し中の人に当たってしまう方がよっぽど気まずい。探す側にとってもリスキーなのだ。
とはいえ、公園のどこを探してもいないのだ。アンモニア臭が漂う清潔感の欠片もない公衆トイレに好き好んで隠れるやつはいないと思うが、それは偏見でもあるし、裏をかいて隠れ場所に選んでいる場合もある。裏をかいたのだとしたら、相当な策士だ。
それに、諦は男子トイレを一見しただけで、そいつが相当な策士であることを確信していた。
個室の扉が全部開いているのだ。これは扉の裏に隠れるしかないだろうが、開閉の加減はどれも一緒。裏に隠れているとして、そいつはかなり小柄であるというのが窺える。体型を生かした隠れ方。相手が幼いと侮ることなかれ、というわけだ。
外見が幼くても、実年齢が幼くても、それが頭脳と直結するとは限らない。櫻子なんかがいい例だ、と考えたところで諦は気づく。
櫻子といつの間に別れた?
女子トイレには、芽亜里が一人で行ったはずだ。トイレを探そうとなったとき、既に櫻子はいなかった。では一体いつから? 三人で三十を数えたのは覚えている。それからでこぼこ山に行って、何もないことを確認した。遊具の裏、トイレの建物の周辺なども確認したが……そうだ、でこぼこ山の後、諦も芽亜里も櫻子と会話していない。会話の内容を思い出すと、「そもそも最初から櫻子なんていなかった」かのように二人で探索をしていた。
何故、今の今まで忘れていたのだろう。櫻子の存在がなければ、今自分たちはここにいないというのに。
つまりは、この空間に関わる怪異のようなものに、諦も芽亜里も惑わされていたということになる。場合によっては櫻子も。その原因の主たるものとして挙げられるのは亜都の存在。亜都はこの空間を自由自在に操れる。それが、空間という曖昧な境界だけでなく、物体やその人間の記憶まで操れるのだとしたら。櫻子をわざと孤立無援にして、危険な目に遭わせているのではないだろうか。
芽亜里は大丈夫だろう。女子トイレで何か起きとしても、隣だ。あのびびりまくる芽亜里の声がこの距離で聞こえないなどあり得ない。何かあったなら……例えば、何もないとしても、虫の一匹や二匹で叫ぶタイプの人間なのだから、すぐに気づけるだろう。
問題は櫻子だ。櫻子は危険に遭って、大声を出して逃げるタイプではない。むしろ果敢に立ち向かってしまうタイプであろう。長い付き合いだ。それくらいは理解している。
この空間は亜都が自由自在に操れて、何なら一瞬で人を殺せるような空間だ。そんな中、一人でいて、助けも呼ばないとなれば恰好の的だろう。
「個室を調べたら終わりだ。さくらを探しに行こう」
何故忘れていたかも気になるし、もしかしたらでこぼこ山で何かを見落としているかもしれない。あんなに隠れ場所に最適なでこぼこ山で誰も見つけられないということ自体がおかしいのだ。もう一度行って確かめる価値はある。
男子トイレの個室は二つ。扉の裏を調べればもう調べるところはない。さくっと終わらせてしまおう。
一つ目の扉。きい、と軋むような気味の悪い音がする。この公衆トイレは基本的にボロいから仕方のないことかもしれない。扉の裏には何もなかった。誰もいないことを確認して、扉を戻す。
二つ目の扉。ここも一つ目と何ら変わりなかった。トイレ探索で不便だとすれば、扉の裏を確認するために、扉を一度閉めなければならないことだろう。何もないと無意味なことこの上ないので、面倒だな、と諦は考えていた。
二つ目の扉の裏にも何もなかった。男子トイレの個室は二つだけ。もう見るところなどないだろう、と諦は外に出ようとした。
が、いつの間にか個室には鍵がかけられ、出られなくなっていた。とはいっても、鍵を開ければ出られる。冷静になるまでちょっと時間は食ったが、諦はちゃんと気づいた。
しかし、その「ちょっと」のロスが命取りだった。
がっ、と頭を殴られた。いや、殴られたというよりは、便器に叩きつけられた。誰も用は足していないのだが、鼻をつく異臭がする。換気が不充分なのと、充分だとしても、トイレのこの臭いというのはそう簡単に抜けるものではないのだ。それに付け加え、便器に少し溜まった水が、叩きつけられることを想定していなかった諦の口に入る。気持ち悪かった。
えづきそうになるが、頭を押さえつける何者かがそれを許してくれない。がっがっと繰り返し繰り返し、諦の頭を便器に叩きつける。便器はこれでなかなか固い。痛みで思考が鈍る。やがて痛みもわからなくなるくらい意識が蒙昧になっても、便器に頭をぶつけられた衝撃と音が収まるわけでもない。それはまるで諦に恨みでもあるかのように執拗に、諦の頭を便器に叩き続けた。
諦が人間の頭から鳴ってはいけない類の音を捉える頃には、便器の中の水が赤黒くなっていた。それが何か、諦に答えを導き出す余力はなかった。
「ひどいや」
声が聞こえた。諦には聞き覚えのある男の子の声だった。亜都ではない。
「ひどいや。僕は帰らないでずっと待ってた。それを、僕が帰ったと君たちは勝手に思い込んで、僕を探すのをやめて君たちは帰っちゃった。ひどい、ひどいよ」
樋ノ上正樹。それは未就学児の頃、諦たちと一緒に遊んでいた男子だ。気が弱く、コミュニケーションが苦手だが、仲間外れにされるのを極端に怖がっていた。
運動神経があまりよろしくない正樹だが、かくれんぼとなると達人級で、正樹がどこに隠れているか、見つけ出せた者は少ない。
そういえば昔、この公園で、正樹たちとかくれんぼをした記憶がある。諦はうすらと思い出した。
正樹が隠れて、かくれんぼを終わらせられるパターンは二つだけ。鬼もその他全員もお手上げして降参する。もしくは、正樹が帰ったと疑って全員が帰ろうとするところに正樹が自ら出てくる。
正樹の言うように、そのどちらでもない回があった。十年前のことだ。はっきり思い出せるわけではないが、かくれんぼのメンバーには諦と正樹の他に、芽亜里と櫻子もいた。芽亜里の友達の有梨栖や櫻子の友達も一人……
「なんで、オマエ……」
「見つけてくれないから」
正樹はあの頃の臆病さなど微塵もないように、顔を怒りで満たして、諦の頭から手を放した正樹は足を上げる。
がっ、と足が諦の頭を踏みつけて、便器にめり込むようにぐりぐりと押しつける。
「見つけてくれないから、僕は見つけてくれるのをずっと待ってた。なのに、なのに! 誰も僕を見つけてくれなかった。トイレに探しにも来なかったよね? 能無しの君たちのことは見損なったよ」
「それ、は」
「僕はこの隣の掃除用具箱に隠れてた。密閉されていて、外の様子なんかわからない。でも掃除用具箱なんて、よくある隠れ場所じゃないか。そんなことに気づけなかったの? 高校生にもなって? 僕は僕を見つけようとしない君を、逃がさないことに決めたんだ」
また、足が諦の頭を踏みつける。
「僕を見つけてくれない鬼なんて鬼じゃない。だから今度は僕が鬼になろうと思った。ねえ、知ってた? 僕、隠れるのも上手いけど、見つけるのも上手いんだよ?」
もはやいくら頭を蹴りつけても反応のなくなった諦にお構い無しに、正樹は言った。
「諦くん、みいつけた」
がごっ、と諦の頭は潰れた。
はあ、はあ、と荒い息が響く薄暗い空間の中、櫻子をそのまま小さくしたような容姿の女の子が、にこにこと笑っていた。ちなみに、荒い息の主は櫻子である。
ここはでこぼこ山の中……のはずだった。でこぼこ山には人が通れるくらいのサイズの穴が一、二個あり、櫻子は芽亜里や諦との探索中、その穴の一つに引きずり込まれた。明らかな異常事態に櫻子は芽亜里と諦が行くのを止めようと声を上げたのだが、芽亜里も諦も一切気づくことなく行ってしまった。あの近距離で叫び声が届かないわけがないというのに。
そうして、成されるがままにでこぼこ山の中に引きずり込まれた櫻子は当然のように脱出を試みたのだが、何故か人が通れるサイズの穴はなくなっており、でこぼこ山の中は日射しが微かに入り込むのみになっていた。
そんな中、女の子と二人きり。蒸すような暑さの中で、櫻子は思考が鈍っていくというのに、女の子はにこにこにこにことずっと笑って櫻子が衰弱していく様子を眺めていた。
暑さで頭がぼーっとする中、櫻子は懸命に言葉を絞り出す。
「どういうことだ、カオル。お前は十年前……」
「そうだよ。ねえ、びっくりした? 櫻子ちゃん。櫻子ちゃんは頭がいいから、わたしを見ればすぐ気づくと思ったんだ」
城能登馨子。それがこの女の子の名前だ。櫻子に似ているが、血の繋がりはない。本来なら、櫻子たちと同じく、高校生となっているはずだった。
しかし、馨子は十年前、世を儚んだ。いや、それは語弊があるかもしれない。何者かによって殺害された。詳細を櫻子は知らないが、馨子の葬式に出たのは覚えている。知人の葬式というのは初めてだったから、「人って死ぬとこうなるんだ」くらいの認識だった。
とにもかくにも、一つ確かなことを言えるのは、目の前の馨子は故人で、俗な言い方をするなら幽霊なのだろう、ということだ。
「みんな、ひどいよね。わたしはずっと言ったよ。正樹くんや有梨栖ちゃんをちゃんと探そうって。でも櫻子ちゃんと芽亜里ちゃんと諦くんは帰っちゃった。本当は正樹くんも有梨栖ちゃんも見つけてもらえると信じてずーっと待ってたのにひどいよね」
「お前は探したのだろう?」
「男子トイレ見に行く勇気なんてないよ。それにわたしは遅くまで公園で一人だったから殺されたんだ」
それは凄惨な事件だった。そういう趣味嗜好の大人による、幼女殺害。その亡骸は捜索を難航させるためであろう、見つかりにくいここ、でこぼこ山の中に投棄された。
「みんなで探していれば、正樹くんも有梨栖ちゃんも見つけられたかもしれない。大人を呼べたかもしれない。子ども特有の短慮が、わたしたちの命を奪ったの」
そんなことを言われても、そこまで頭の回る未就学児などそうそういない。小学生だって、低学年のうちはそういう適切な対処はできないであろう。
それでも、死んでしまった事実は変えられない。その原因に櫻子たちが噛んでいたことも、被害者側からすれば、怨恨の対象になるであろう。
だが、いくら恨んだところで、正樹も有梨栖も馨子も生き返ることはない。恨まれたからといって、櫻子たちにできることはもうないのだ。
櫻子はそう割り切っていた。割り切っていたからこそ、聞くだけ聞こうと馨子に訊ねた。
「私たちを恨んでいるのか?」
「まさか!」
返ってきた声色と言葉が想定外のもので、櫻子が目を見開く。馨子は相変わらずにこにこしたまま続けた。
「わたしは自分の死を享受しているわ。死にたくなかったとか今更喚いたところで、生き返るわけでもなし。それしきで生き返れるなら、いくらだって泣きわめいたりしましてよ?」
「じ、じゃあ、何故私をここに閉じ込めた?」
「櫻子ちゃんだけじゃないわ」
芽亜里ちゃんも、諦くんにも、と馨子はうっそりと笑って、愉しげに告げた。
「一緒に遊んでほしかったのよ。亜都くんには会ったでしょう? 最後までちゃんとかくれんぼができなかったって未練がましく話してみたら、三人を招いてくれるというじゃないの。それまでは亜都くんと一緒にずうっと遊んでいたのよ。亜都くんもかくれんぼが上手でね。とっても楽しかったわ」
朦朧とする意識の中、櫻子が最後に聞いたのは、馨子の愉しげな、弾んだ声だった。
「だから、最期まで一緒に遊びましょうね!」




