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「あーあ」

 それを公園脇の木の上から見下ろす女の子がいた。それはそれは、芽亜里と比べても遜色ないほどの日本人離れした容姿の女の子だった。フランス人形のような、おとぎ話にでも出てくるような女の子だった。青色のワンピースを着て、かの有名なおとぎ話を想起させる見てくれの女の子は、行儀悪く、木の枝の上で足をぶらぶらとさせていた。

 彼女の目に移るのは、怖がりで臆病で、現状理解もまともにせず、逃げ惑うばかりの憐れな少女。女の子と同じ日の光を紡いだような金髪は乱れ、頭に被っていた麦わら帽子はどこへやら。けれど、その空間ではもう、麦わら帽子は必要なかった。

 芽亜里は逃げることに必死で気づいていないが、真夏の日射しがきつかったはずのその空間は嘘のように薄暗くなっていた。そう、ちょうど日本人が黄昏時と呼ぶような時間の色に。

 黄昏時というのは「誰そ彼時」から来ており、そこにいるのが誰なのか、はっきり認識できない時間である。逢魔時もそうだが、例えば幽霊などが好む時間である。

「あんなに怯えて脇目も振らず、逃げることしか考えないなんて……十年あっても人ってここまで変わらないものなのかしら?」

 女の子は疑問を口にする。十にも満たない齢に見える子どもが放つには不自然な言葉だ。だが、この独り言は風の囁きに浚われ、誰かに聞き届けられることはなかった。

 そもそも、この空間が異常なのだ。今、芽亜里が逃げ場を見失っていることからもわかる通り、この空間は現実世界から逸脱している。けれど、芽亜里と他二人は現実世界からこちら側にやってきた。亜都が手引きしてくれたことだ。この女の子も一枚噛んでいる。

 逃がしてあげない、と女の子は無邪気に歌った。特にこの女の子は、芽亜里を目の仇にしているようだが、芽亜里はその存在にすら気づいていないだろう。既に芽亜里の中からは、これが「かくれんぼ」という遊びだったことなど吹っ飛んでいる。ただただ怖いだけ。わけがわからない。そういうときに逃げることしかできない芽亜里の行動力の乏しさが、芽亜里を追い込んでいた。

「あれ? あれえ!?」

 公園を縁取る植木をぐるぐる辿りながら、芽亜里は混乱の最中、大変なことに気づく。

「なんで!? 出口、どこ!?」

 そう、植え込みは本来どこかで途切れており、出入口があるはずなのだ。だが、芽亜里が公園を何周しても、植え込みは途切れない。延々と公園の中を廻り続けるだけだ。

「なんで、なんで!?」

 錯乱状態一歩手前……というか、半ば錯乱状態の芽亜里は、スマホを使うなどという思考にも辿り着かないらしい。頭がお粗末なのは相変わらずね、と女の子は貧乏ゆすりをしながら、そんな芽亜里を眺めていた。その眼差しには侮蔑の色が色濃く宿っていた。

 まあ、外部との通信手段に気づいたところで無意味である。亜都が構築したこの空間はおおよそ人類の叡知でどうにかなるものではないのだ。そこに櫻子や諦がいたなら、真っ先にスマホを確認したことだろうが、そうであっても結果は同じなのである。

 芽亜里たちはこの公園に閉じ込められ、出ることができない。それは三人が公園に足を向けた瞬間から、もっと言うなら、薄露を共通認識した瞬間から定められていたことだ。いい気味である。

「誰か、誰か助けてよ! さくらちゃん、アキラくん、どこ……?」

「あはは!」

 女の子は声が届かないのをいいことに、思い切り芽亜里を嗤った。そこには子どもらしい無邪気さなど一切なかった。息をするように犯罪を犯す愉快犯のような悦楽と愉悦が滲んでいる。未就学児の子どもが出すような声ではなかった。

 犯罪者よりもっとずっとおぞましい。それを感じさせるのが女の子の声だった。

 女の子は滑稽で仕方なかった。探索の最中、一人ずつ消えていたのにも気づかずに、今頃になっていないことに気づいて、怯える。怖がりな割に鈍感で、これを計画した側からすれば、笑えるくらいに思い通りに動く芽亜里はあまりにも可笑しかった。

 そんな芽亜里がトイレの前に落ちた野球帽に気づく瞬間、ブランコに吊り下げられた死体のワンピースに思い当たる瞬間、どんな絶望の声を上げてくれるのだろうか。女の子は楽しみで楽しみで仕方ない。

 不注意の友人は、果たしてワタシを見つけてくれるだろうか。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 子どもの遊戯の童歌を歌って、女の子はぽんぽん、と手を叩いた。

 芽亜里はその声にはっとした。今まで怯えきっていたのが嘘であるかのように、思考がクリアになっていく。鬼さんこちら、と言われて思い出したのだ。今、自分たちは「鬼」なのである。かくれんぼの。

 隠れている亜都を含めた残り四人を見つければ、この意味不明な状況から解放されるかもしれない、そう思い至ったのだ。

 けれど……では、櫻子と諦は?

 ようやく我に返った芽亜里は気づく。気づいてしまう。

「あ……あ……」

 ブランコからゆらゆらと揺れるスカート。見覚えのある焦げ茶色。それに、トイレの前に落ちている野球帽。

「そんな、そんな……いやああああああっ!!」

 風のざわめきが芽亜里を嗤う。それは女の子のきゃぴきゃぴとした笑い声にも聞こえた。純度の高い悪意を纏った声。

 殺されたんだ、二人共! そしてアタシも殺される!!

 そんな芽亜里を追い立てるように、ゆうやけこやけが流れ始めた。異常な空間で異様に響く。正確な音階で。

 ばさばさばさ、と死体を啄んでいた鴉が飛んでいく。どこかへ、帰っていくように。

「……あっ!」

 芽亜里はそこに一筋の希望を見出だした。ゆうやけこやけの最後の歌詞。有名な一節は「鴉と一緒に帰ろう」と言っている。

 芽亜里は鴉の飛んでいった方向へ、歩を進めた。公園の方は決して見ず、鴉を追いかけた。

 その様子を木の上から見ていた女の子はぽそりと呟く。

「つまんないの」

 そうして、芽亜里はこの怪異からどうにか逃れることができた──






「なーんて、そう上手くいくと思った?」

「えっ?」

 芽亜里の前に現れたのは、フランス人形みたいな容姿の五、六歳くらいの女の子。公園から出られて、帰路に着いていた芽亜里にとって、あまりにも唐突な邂逅であった。

 けれど、芽亜里は目をよく凝らした。何故かといえば、その女の子に見覚えがあったからだ。

「アリスちゃん……あなたアリスちゃんなの!?」

「あはは! ちゃんと覚えててくれたんだ。偉いねえ、芽亜里ちゃん」

 フランス人形みたいな女の子の名前は、芽亜里の幼なじみの一人、水戸(みずのと)有梨栖(ありす)。彼女は芽亜里と同じく外国人の血を引く女の子で、快活で、ちょっぴり悪戯好きで、お茶目な女の子だった。アリスという名前に違わない好奇心の旺盛さで、臆病な芽亜里とは対照的に、どんなことでも興味が湧けば突貫していく果敢な女の子だった。

 幼い頃、芽亜里と有梨栖はよく遊んだものだ。櫻子と、諦と、あと何人かと一緒に公園で鬼ごっこやかくれんぼをした。日が暮れてゆうやけこやけが流れる頃まで遊んでいた。そういう仲だった。

 仲のいい友達だった。そう、友達()()()

「あれ、え?」

 何故全て過去形なのか。何故、同い年のはずの有梨栖は、五、六歳頃の姿なのか。

「アリスちゃ……あ、ああ、アリスちゃんは、何年も前に……」

「やーっと思い出した!」

 有梨栖は機嫌よさそうににんまり笑った。

 放たれた言葉は、笑顔に相応しくないものであったが。

「そうだよ、ワタシは十年も前に死んでいるもの! お葬式来てくれたのに、忘れちゃってるからびっくりしちゃった!」

 「びっくりしちゃった」で済ませられる内容ではない。

 今、芽亜里の前に立つこの女の子は、紛れもなく故人である。つまり。

「ゆ、幽霊……」

「あはは、そう、ゴースト! ……って、そんな生易しい表現で済むと思ってんの?」

 夕日に伸びた芽亜里の影を、有梨栖はどん、と踏んだ。芽亜里は目を見開く。踏まれた影の辺りの部位──今回は肩、が影から伸びてきた黒い棘に貫かれたのだ。当たり前だが、痛い。

「な、んで……」

「まーだわからないの? ワタシ()()は恨んでいるのよ? かくれんぼを提案しておいて、見つけられないからって、ゆうやけこやけと一緒に帰っちゃったアナタたちを。ワタシたちは見つけてほしくてずっと待っていたのに」

 子どもの無責任。それが他の子どもを死に至らしめた。有梨栖たちにとって、芽亜里たちは自分たちの死を招いた、許されざる存在なのだ。

 先に、有梨栖は幽霊なんて生易しい存在ではないと言った。それは確かだ。何せ、子どもの純粋な憎悪の成れの果ての怨霊なのだ。

「ワタシは影踏みって遊びを教わったんだ。影を踏んで、恐ろしい鬼を殺すの! 影を踏んだら動けなくなるっていうから、逃げるばっかりの芽亜里にぴったりだと思って!」

 狂気を灯した青い目が、芽亜里をきらきらと眺める。だんっと影を踏んで、芽亜里が刺し貫かれる痛みに呻くたび、霊だというのに、有梨栖の顔には生気が宿っていく。

「どう? 苦しい? 死にたくない? 大丈夫よ! この世界はずうっと続いていくわ。アナタがもう許してと泣きわめいたって、苦しみは続いていく。アナタはかくれんぼから逃げられない。ねえ、芽亜里、知ってる?」

 胸を貫かれて呼吸もままならない芽亜里に、有梨栖はうっそりと微笑んだ。

「『隠れる』って『死ぬ』って意味もあるんだよ?」

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