第7話 俺も(中編)―問題一と、盗まれた未来― 【挿絵あり】
ここから先は、飛ばしたい部分だ。
シオン:明日、図書館どう? すごくいい問題集を見つけたんだ。
ごめん、無理。アカリと。
シオン:もちろん! 楽しんでね!
(その感嘆符は、ものすごく頑張って働いていた。)
シオン:坂、一緒に下りない? 自販機に新しい味が出たよ。
悪い、明日で。
シオン:大丈夫!!
感嘆符が二つ。それが手がかりだったはずだ。俺は、忙しかった。
無視はしなかった。全部の返信に答えた。ただ、明るく元気な声でダメと答えただけだ。そして「明日」は、世界で一番安上がりな日だ。
三十三日目、図書館へ行く途中、学校の坂の下を通りかかった。そこの自販機の横に、コーラの缶を持った少年がいた。
「あっ! ハルト!」シオンは、一秒遅れて、一オクターブ高い声で言った。「すごい偶然だね!」
俺は立ち止まった。「まだここに来てるのか? 休みなのに」
「ううん! たまに。冷たいのがあるから」あいつは、証拠品みたいに缶を掲げた。「飲む?」
「俺が買う」
「いいよ、そんな——」
「利子だ」俺は言った。「まだ返済中なんでね」
あいつは笑った。元気そうに見えた。同じ眼鏡。同じ寝ぐせ。俺はコーラを買って、二人で、自販機に二人の盗人みたいにもたれた。
何かがおかしいと気づくまで、一分かかった。
シャーペンだ。耳の後ろになかった。どちらの人生でも、生まれて初めて、あの耳にシャーペンが挟まっていないのを見た。それから、あいつの手の缶は、ぬるかった。わかった。金属に結露がなく、プルタブもまだ閉じたままだった。
長いこと、握っていたのだ。
「あのさ」シオンが言った。「君とアカリさん」
「俺たちが、何だ?」
「……付き合ってる、んだよね?」
「違う!」缶を落としかけた。「違う。付き合ってない。まだ。厳密には。俺たちは、その。保留中だ」
「保留中?」
「確定申告みたいに」
シオンは、吹き出した。
「それは——」あいつは目を拭いながら言った。「今まで聞いた中で、一番ロマンチックじゃない言葉だよ」
「努力中だ」
「いいよ、それ」
あいつは、微笑んだ。
いい笑顔だった。温かくて、気楽で。あいつはしばらく、缶に目を落としていた。何かを言おうとして、別の何かを見ていたいときみたいに。
「あの朝のこと、覚えてる? 運河の」
「ああ?」
「僕、あの朝、アカリさんに夏の問題集を渡そうとしてたんだ」あいつは、缶を手の中で回した。「彼女、いつもあの道を通るから。目覚ましまでセットしてたのに」
俺は、何も言わなかった。
「寝坊しちゃった」小さな笑い。「だって、夜更かしして、君に夏の問題集を作ってたから。君が楽しみでやるって言ってた、あれ」
「シオン——」
「いいんだ! 全然いいんだ。僕はただ……」あいつは眼鏡を押し上げた。「もし君が探しに行ってなかったら、僕は二十分遅れてた。それで、僕は……」
あいつは、止まった。もう一度やり直した。微笑んだ。
「君でよかったって、本当に思ってるんだ」
「……コーラどころじゃ、全然足りない借りだ」
「何も借りてないよ」
その笑顔。同じやつ。温かくて、気楽で、釘にかけた絵みたいに、固定されている。
あの笑顔は、わかっているべきだった。前にも見ていた。俺が作ったのだ。教室で、まだ味を覚えている人生で。
代わりに、笑った。いいジョークだったから、あいつはいい友達だったから、そして、美しい日だったから。
携帯が震えた。アカリ:図書館にいるよ! 早く来て、のろま。
「行かなきゃ」俺は言った。
「行って!」シオンは言った。「行って、行って。よろしく言っといて」
「明日」俺は言った。「勉強しよう。約束する」
「うん!」
道を上っていった。一度だけ、振り返った。
あいつはまだそこに立っていた。封を切っていない、ぬるいコーラを見つめて、まるでラベルを初めて読むみたいに。
戻りかけた。
そのとき、また携帯が震えて、彼女からで、俺は戻らなかった。
* * *
夏休み最終日、俺は目覚ましなしで六時に目が覚めた。それが、俺の人生がどこに向かっていたかを、すべて物語っている。
メッセージが、届いていた。
シオン:おはよう、ハルト。
笑った。四十秒ほどかけて、左手の親指で「おはよう!!」と打って、また天井を見つめた。
四百何回目。数え忘れた。分割払い。
机の上のカレンダーを見上げて、横になっていた。「ハルト テスト!」と小さな星。その隣に、母さんの字で、今日の新しい一行。
夏休み最終日。
ちょっと待て。
起き上がった。
この日を、知っている。
前のとき、まさにこの日に、俺はわざとカフェの前を通って(わざとだ)、そこに彼女が立っていた。俯いて。友達にこづかれて。秘密。
「明日、教えるね」
「私ね、シオンくんに気持ちを伝えたの。そしたら、いいよって言ってくれたの」
一秒、それを置いておいた。
よし。つまり。これは、彼女があいつに打ち明けた日だ。
そして、この人生では……
非常に素早い暗算をした。運命は違う。日付は同じ。まるごとひと夏分の、違う選択。ほとんど、別のゲームだ。別ルート、新エンディング、真ルートをクリアしたプレイヤーへのおまけコンテンツ。
悪いな、シオン。早い者勝ちだ。
自分を止めた。期待するな。期待するから、やられる。前にも一度、校門の女の子に期待して、親友だと言われた。期待はしない。大人になる。冷静な大人の男で、今日は絶対に、馬鹿なことはしない。
九時、シャツにアイロンをかけた。
理由はない。自由の国だ。
袖に、ごく小さな焦げ跡がついた。
母さんが、台所のドアから見ていた。アイロン台を見た。シャツを見た。シャツを着て、髪を整えた俺を見た。
それから、振り返って、天井に向かって微笑んだ。
何かに勝ったみたいに。
あの笑顔の意味が、今はわかった。わかるまでに、人生をひとつ丸ごと使った。そしてその意味は、台所のドアから、俺に向かって来た。
「アイロンかけたのね」母さんは言った。
「襟のせいだ」
「ん」
俺の口癖だ。母さんが、俺の口癖を使った。母さんは、唇を結んで笑いをこらえて、ご飯のところに戻った。
正午、携帯が震えた。
アカリ:五時に運河で。秘密だよ。(カモ)
彼女は、カモという言葉を括弧に入れて打っていた。ガラケーでは、カモの写真は送れない。だから彼女は、次善の策を取ったのだ。ラベルをつけた。
十五回、読んだ。
秘密だよ。
前のとき、その言葉は、別の男に向けられていた。俺は道に立って、心臓を靴の中に落としながら、それを聞いた。
今回は、俺の画面にあった。
大人の男なら誰でもすることをした。枕に顔を埋めて、叫んだ。
* * *
学校の坂の下では、勉強会の女子二人が、自販機の裏にしゃがんでいて、かつてないほどバレバレだった。
一人は、両手の親指を立てた。もう一人は、ノートの切れ端を掲げていて、それには、とても大きな、とても震える字で「ファイト!!」と書いてあった。
気づかないふりをした。二人は、いないふりをした。美しいシステムだ。
運河に着いたのは、四時四十五分だった。
新しいはしごがついていた。
市は、一週間以内に来て取り替えたのだ。市としては、ほとんど瞬間移動に等しい。ピカピカの銀色。壁にしっかり固定されていて、無事なほうの腕を預けてもいいくらいだ。そしてその隣には、見たことのない黄色い看板。「危険——雨後は急な増水」。四か国語で。まるで水が、読めるようになったかのように。
水自体は、細い流れだった。眠そうな、茶色がかった緑。無実の顔をする度胸があった。
カモたちが戻っていた。二羽。一羽は礼儀正しく浮かんでいる。もう一羽は土手に立って、俺の性格全般に意見のあるカモの目で、俺を睨んでいた。
「あれが、失礼なほう」アカリが言った。
彼女は、もう来ていた。当然だ。いつもどおり早く、飾り気のない白いブラウスで、黒い髪ゴムで髪を結んで、両手で紙袋を持って、手すりにもたれていた。まだ俺のほうを見ていなかった。水を見ていて、袋を握る指の関節が白かった。
「よう」
「やあ!」声が大きすぎた。彼女は顔をしかめた。「ごめん。こんにちは」
「大丈夫か?」
「うん! ううん。うん。ただ……」彼女は、自分を笑った。「リハーサルしたの。六日間。鏡の前で。お母さんは、私の頭がおかしくなったと思ってる」
何も言わなかった。言えなかった。口を開けば、「俺は十七回だ、鏡の前で」と言ってしまいそうだった。
「どうして、ここなんだ?」しばらくして訊いた。
「ここだから」彼女は水を見た。「取り戻したかったの。変かな? 今月、ここを通るたびに、膝がこんなふうにがくがくして。それで、思ったの。ここを、怖い場所のままにしたくないって。ここを、あの……」
彼女は、止まった。息を吸った。
「あの朝のこと、ひとつ話してもいい?」
「ああ」
「数えてた。言ったよね、十五分。でも、何を考えてたかは、言ってなかった」
失礼なカモが鳴いた。彼女は無視した。
「リストを作ったの。頭の中で。後悔することの。もし……」彼女の口元が引き締まった。「短かった。それに驚いたの。長くなると思ってた。試験とか、自転車とか、お母さんのご飯とか、二度目の夏とか。でも、たったひとつだけだった」
息ができなかった。
「ハルトくんに、言ってない」
「何を言ってないんだ?」声が先に出た。
それは馬鹿げていた。わかっていたからだ。もちろん、わかっていた。一生分、練習してきたのだから。
彼女は、袋を開けた。メロンパンを取り出した。二つに割った。
難しい問題を解く人みたいに、しばらく半分ずつを見つめた。それから、片方を俺に差し出した。
大きいほうを。
それを見た。彼女を見た。
「これ、大きいほうだぞ」
「知ってる」
「お前、今まで一度も——」
「知ってる」
頭の中で、警報が鳴った。メロンパンの法律用語で言えば、彼女の分は今や小さくなった。それは、事実上の拘束力のある契約だ。
彼女はもう一度袋に手を入れて、四つ折りにしたノートの紙を取り出した。指先に、青、緑、赤のインクがついている。賞状みたいに、両手で差し出した。
「読んで。終わるまで、何も言わないで」
広げた。
三色で、彼女の整った小さな字で書かれていた。
問題一。
条件:図書館がひとつ。窓際の机がひとつ。誰にも責められる前に「よだれは垂らしてない」と言った男の子がひとり。
求めよ:その子を好きになるまでの日数。
答え:十一日。(二回確かめた。十一日だった。)
そしてその下に、赤で、二重線を引いて、暗闇でもわかる字で。
好きです。
(ハルトくん、見て見て。わかった。)
戻ってきてから三度目、頭の中の声が、黙った。
今度は、正しい理由で。
運河沿いの道に、片手に紙、もう片手に半分のメロンパンを持って立っていて、カモが俺を睨んでいて、頭の中は何も聞こえなかった。ジョークも。台詞も。ただ、低いうなりがあるだけだ。静かな家の冷蔵庫みたいに。
言え、ハルト。
十七回。鏡の前で十七回、彼女が決して知ることのない人生の中で、驚きと喜びが混ざった三種類の顔と、ずいぶん高くついたアイロンがけとともに。
虚無を生き延びた。運河を生き延びた。二言くらい、生き延びられる。
「俺——」
「……それだけ?」アカリが、小さな声で言った。
「俺は、いろいろ——」
「スピーチ?」
「いや。それを用意してた。練習した。たくさん。俺は、こういうの、本当に下手なんだ」
彼女は、俺を見つめた。それから、笑い出した。本物の笑い。手を添えた、秘密の笑い。笑って、目がいっぱいになって、泣きながら笑っていて、俺は人生で、こんなに滑稽で、こんなに素晴らしいものを見たことがなかった。
「いつから?」彼女は、やっとの思いで言った。「どのくらい?」
考えた。
「お前が『よだれは垂らしてない』で笑った日から」
「それ、一日目だよ」
「……じゃあ、十一日より長いな」
「ずるい」
「負けず嫌いなんだ」
正直に言えば、それよりもっと長い。彼女が決して知ることのないほど長い。でも、それが声に出して言える答えだった。
「もう一回言って」彼女は言った。
「俺も」
「もう一回」
「アカリ——」
「もう一回」
「俺も」
彼女は、俺の左手を取った。無事なほうの手を。彼女の指は冷たくて、インクでべたついていて、ぎゅっと握りしめていた。青いにじみが、指の関節に残った。この手は二度と洗わないと決めた。
(翌朝、二回洗った。俺は臆病者だが、怪物じゃない。)
失礼なカモは、そのタイミングを選んで、風邪をひいたトランペットみたいな音を出した。祝福だ。失礼な形の。
俺たちは、手をつないで立っていた。空は、またオレンジとピンクだった。誰かが世界を最後の仕上げに磨いているみたいに。カツカレーの日と同じ空だった。前の人生で最高だった日。
どの日が最高だったか、俺は間違えていた。
俺の人生で最高の瞬間を、四十日間で二回、更新した。このペースなら、株価だ。
そして、胸の奥で何かが引っ張られた。
小さく。素早く。暗がりで階段を一段踏み外したみたいに。
蝶々だ、と自分に言い聞かせた。みんなそう呼ぶやつだ。読んだことがある。
そして頭の奥のどこかで、とても小さな声が言った。前のとき、彼女はこれを別の誰かに言った。
座っていろ、と言ってやった。小さな声にしては、騒がしすぎた。
俺は、幸せで忙しかった。
* * *
彼女は、俺たちが別れる角まで送ってくれた。
「今日はありがとう、ハルトくん」
前のときと同じ言葉。世界の違う角で。
「大したことじゃない」
「大したことだよ」アカリは言った。
残りの道のりは、雲の上を歩いて帰った。詩的に言っているんじゃない。水たまりを踏んだのに、気づかなかった。
その夜、九時四十七分、胸の上で携帯が震えた。
アカリ:今日はありがとう。大好きだよ、ハルトくん。おやすみ。
読んだ。
もう一度読んだ。
携帯をベッドに置いて、拾って、また置いた。部屋を二周歩いた。鏡の前に立って、自分に向かって、説明するつもりのない顔をした。
それから、携帯を手に取り、左手の親指と一生分の忍耐で、打った。
俺も大好きだ。
九分かかった。
連打式。「す」だけで三回押した。「、」は、独自の意志を持っている。そして、誤字を五回確認した。もし「俺も大好きだ」のつもりで「俺も大好物だ」と送ってしまっていたら。それで、すべてが終わる。
送信。
送信しました。
携帯を胸に置いて、仰向けになった。階下では、母さんが鼻歌を歌っていた。あの調子外れのメロディ。何千回もの朝に聞いてきて、一度も聞いたことがなかった、あれを。それは、床を通って、温かいお湯みたいに上がってきた。
思った。やった。終わった。直した。
二番のサビのあたりで、俺はその歌の中で眠りに落ちた。




