87 兄弟
「エルゼ王女は見つかったか!?」
「それよりも賓客対応を……」
「城下にもっと衛兵を配置しろ!!」
エルンスタール王宮は、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
平和の象徴のような豊穣祭の最中に、どこからか魔獣が現れ人々を襲い始めたのだ。
しかも、花嫁候補の一人で他国の王女であるエルゼが行方不明になっている。
未曽有の事態に、誰もが右往左往していた。
そんな中、リヒャルトの下へやって来たのは普段は滅多に顔を合わせることのない異母兄――アルブレヒトだった。
「リヒャルト……」
彼は明らかに憔悴していた。
元々は穏やかな性格の人間なのだ。
皇太子という責ある立場でこんな事態に遭遇し、疲弊するのも無理はないだろう。
彼を前にすると、少し前に目にした……彼とエルゼが仲睦まじく話していた光景が脳裏に蘇った。
いったい何故、彼はエルゼに近づくような真似をしたのか。
苛立ちや憎しみのような感情が湧き上がって来て、リヒャルトは内心で舌打ちをした。
……今は、アルブレヒトと顔を合わせたくなかった。
「話をしている時間はない。自分の仕事に戻ったらどうだ」
「あぁ、話が済んだらすぐに戻るよ」
冷たく突き放そうとしたリヒャルトにもめげず、アルブレヒトはまっすぐこちらを見つめて口を開く。
「君はエルゼ王女の捜索だけに全力投球してくれ。他のことはすべてこちらで引き受ける」
思ってもみなかった言葉に、リヒャルトは目を見開いた。
……リヒャルトからすれば願ってもない申し出だ。
面倒な事象をすべて他者が引き受けてくれるのなら、リヒャルトは今すぐエルゼの捜索に全力を尽くすことができる。
だが、それを言ったのがエルゼと親しくしていたアルブレヒトだということに、リヒャルトは納得できなかった。
「なんのつもりだ。お前はあいつに近づいて何をしようとしていた」
冷たくそう問い詰めると、アルブレヒトは唇を噛みしめた。
「気づいていたのか……」
「皇太子が異母弟の花嫁候補に近づき何を企んでいる? 愛人候補でも探していたのか?」
「……元々の目的はそうじゃない。だが、ヨゼフィーネは彼女を側妃として迎え入れても構わないと言っていた」
「は?」
あからさまに苛立った声を出したリヒャルトに、アルブレヒトは一見怖気づいたような顔をしたが、すぐに果敢に言い返してきた。
「君が彼女を手放すというのなら、僕の方で彼女の面倒を見る心づもりはある。だが、そうじゃないだろう!?」
アルブレヒトは澄んだ目で、まっすぐにこちらを見つめている。
そのまなざしは、どこかエルゼを思い起こさせた。
だからだろうか。リヒャルトは一瞬、言葉に詰まってしまった。
「……僕が彼女に近づいたのは、彼女に期待していたからだ。彼女なら……君を救うことができるのではないかと」
エルゼの笑顔が瞼の裏によぎる。
のこのことリヒャルトに近づいて、まとわりついて、最初は鬱陶しいとすら思っていた。
だが、いつからだろうか。
彼女の姿が見えないと物足りないと思うようになった。
その声が耳に届けば、その姿が視界の端に映れば、自然と視線を向けるようになっていた。
……彼女はリヒャルトに何か隠しているのかもしれない。
あの舞踏会の後、エルゼとの距離が開いてから、リヒャルトはそう考えるようになっていた。
アルブレヒトと結託して何か企んでいるのではないか。そう疑ったこともあった。
だが、今は……。
――エルゼに会いたい。その思いが溢れてくる。
「エルゼ王女も、他の誰でもなく君を待っているはずだ。根拠はないが……君なら彼女を見つけられる。そんな気がするんだ」
大国の皇太子にしては、なんとも無責任な言葉だ。
だが今のリヒャルトにとっては、その言葉が何よりもの激励に感じられた。
「……わかった」
リヒャルトはすぐさま動き出した。
皇太子の許可は下りたのだ。
望み通り、エルゼの救出だけに全力を尽くしてやろうではないか。
リヒャルトの言葉を聞いて、アルブレヒトがほっとしたように表情を緩める。
思えば、彼も難しい立場に置かれた人間だ。
自身に瑕疵はないとはいえ、自分を皇位の座に就かせるために母親が許されざる罪を犯した。
きっとリヒャルトに対し、途方もない罪悪感を抱いていることだろう。
それでも、彼はこうしてリヒャルトの下へ来てくれたのだ。
過去のわだかまりを乗り越えて、未来へ進むために。
「恩に着る」
アルブレヒトの横を通り過ぎる際に、リヒャルトは小声でそう口にした。
その途端、アルブレヒトが驚いたように息をのんだのがわかった。
きっとエルゼなら、自分の家族のエピソードを交えながら「過去にいろいろあったのはよくわかります。でも……それでも兄弟なら仲良くした方がいいんじゃないでしょうか!」と能天気なことを言うのだろう。
かつてのリヒャルトなら、その言葉に苛立ったかもしれない。
だが彼女が戻ってきたのなら……きちんと、アルブレヒトも交えて話がしたいと思った。
何はともあれ、今はエルゼを取り戻さなければ。
きっと彼女は生きている。
そう信じ、リヒャルトは足を進めた。




