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第三話 お向かいさん

 朝六時、起床。

 といっても、快眠ではない。昨日は結局、何ひとつ答えが出ないまま、だらだらと夜を明かしてしまった。瞼に鉛がぶら下がっているみたいに重い。

 だが学校に行かなきゃならないのが、高校生というものなのだ。俺はぼんやりとした意識で棚から食パンを取り出し、トースターに放り込む。やっぱ朝はパンに限るよな。焼きあがったそれをチビチビと食べる。

 朝食を食った後は、服を着替え、歯を磨き、やることすべてをやった後、何もしなくてもいい時間の優越感ほど気持ちのいいものはない。......はずなのだが、今日はなんだか落ち着かない。昨日のことが頭の隅にこびりついて離れないのだ。

 まあいい。少し早いが、行くとするか。


 外はよく晴れていて、小鳥がやかましく鳴いている。朝くらいは静かにしてくれ。

 そして相変わらず、でけぇな。道を挟んだ向かいにそびえるあのマンションは、俺の住処をちっぽけな犬小屋に見せてくる。最上階を仰ごうものなら、首が痛くなってしまいそうだ。同じ「マンション」という単語でくくるのがおこがましいくらい、住む世界が違いすぎる。

 お向かいさんだっていうのにな......

 それも建物だけじゃない、外周をぐるりと囲む庭にまで、金のかかった趣向が凝らされている。見上げるほど高い建物に、高級ホテルのようなエントランス。手入れの行き届いた庭の緑が、生き生きとしている。その庭先に、朝日を弾いてきらめく銀髪がひとすじ、風になびいている。高級マンションとはなんてすばらしいんだ。憧れる——ん?いま、何かひとつ混ざらなかったか?ていうかこんなこと昨日もあったよな......

 もううすうす気が付いてはいるが、俺はそっと目を凝らした。やっぱり白石さんだ。この辺で銀髪なんて、彼女くらいだからな。というか、そうじゃない!なんであいつがあのマンションから出てくるんだよ!まさか、白石さんって向かいに住んでいるのか!?そうだとしたら俺は一年間一度も鉢合わせることなく過ごしたってことだぞ。同い年で同じ学校に通っているのだぞ。それなのに......いや、ありえなくないか。俺はいつも遅い時間に学校に行くうえ、死んだ魚の目をしているし、あいつは人の顔なんて覚えていないだろうからな。もし偶然すれ違っても互いに気づかなかっただけだろう。現に今も、白石さんはこっちに気づく様子がない。てか芳野の話が本当ならば、俺の顔なんて覚えてすらいないだろうな。

 そうこう考えていたら白石さんはかなり遠くに行っていた。さて、俺もぼちぼち行くかぁ。

 今日からは通常授業、俺の平穏な学校生活が、いよいよ始まるのである。多分。


 学校に着き、教室に入ると、まだ四人しか生徒がいなかった。教室内はしんと静まり返っている。いつも予鈴ぎりぎりの俺からすると見慣れない光景だな。

 そういえば、白石さんの姿がない。俺よりも少し早く学校に行っていたはずなんだが......道中で追い越したわけでもないから、どこかで暇をつぶしているのだろうか。コンビニで昼めしでも買っているのかもしれない。......って、なんで俺がそんなことをいちいち気にしてるんだ。

 椅子に腰を落ち着かせると、途端に眠気が押し寄せてきた。予鈴まで三十分あるんだ、ひと眠りしたって罰は当たるまい。大きくあくびをしながら、机に向かってうつ伏せになる。


 なんだか視線を感じた気がして、目が覚めた。予鈴まではあと三分ほど。教室は俺が来た時と比べていつの間にか大半の生徒で埋まり、すごくにぎやかになっている。多分周囲の話し声で目が覚めたのだろうな。俺に人の目線やら殺気やらを感知する上等な能力なんてないからな。


 新学期の授業なんてものは、退屈の一言に尽きる。ほとんどの授業が自己紹介とかして終わりで、あとは自習。これなら学校行く必要ないんじゃないか?と毎年思う。

 おまけに俺は自己紹介が苦手だ。紹介するほどのものが名前以外何もないからな。案の定、俺の番は「神崎秋人です。よろしく」以外何も言わなかった。他の連中はもっと趣味だのなんだのを律儀に添えていたのに。俺だけ......いや、俺ともう一人、白石さんも名前と挨拶だけ言ってすぐに着席していた。


「やっと終わった~」

 大きく伸びをして、思わず声が漏れる。退屈。あまりにも退屈な一日だった。でもそんな時間も終わって、待ちに待った下校の時間だ。......にしても今日は芳野から話しかけられなかったな。いつもなら「やっほ~!神崎くん!!!」と言いながら肩を思いっきり叩いてくるのだが。昨日から、どうも様子がおかしいようだしな......とりあえずそっとしておくに他ならないだろう。......要はどうしたらいいのかわからないだけである。

 それに、俺には珍しく用事があるのだ。俺は適当に帰る準備を済ませて、教室を後にした。

「あっ、神崎く——」

 芳野が何かを言いかけ手を伸ばしたが、当の俺には聞こえていなかった。教室を出て、少し歩いてから、ふと思い出した。さっき芳野、何か言いかけてなかったか?昨日から様子が変だし、やっぱり今度、ちゃんと話をしてやらないとな。


 多分、同じ道のはず......俺は学校を出た後、小走りで帰った。理由か?そんなもん聞かなくてもわかるだろ、白石さんを追っかけてるんだよ。向かいのマンションだから、通る道もそう違わないはずだ。

 ——っと、見つけたぞ!あの銀髪のロングヘアは、あいつしかいないだろ。

「白石さん——や、やあ。俺のこと、覚えてる?神崎だけど......」

「...ヒト......さん?」

「そうそう、ヒト......だからぁ——もういいや......」

 諦めた。訂正したところで意味がない。と思ったら、あいつ、すたすたと普通に歩き始めやがったぞもう用はすんだと思ったのか!?わざわざ走って追いかけて、自分を覚えてるか確認するだけのやつが、この世にいてたまるか!

「おい!ちょっと待てって」

「......?」

「『?』じゃねぇよ」

 首を傾げ、それからまた歩き出してしまった。

「ちょいちょい、待てい!」

「......」

 呼びかけても、足は止まらない。振り返りもしない。まるで、俺はその辺を通り過ぎるだけの人間だとでも言うのかよ。実際、名前を教えたところで、俺のことはヒト呼ばわり。芳野の言っていた「誰のことも記号としか見ていない」ってのは、こういうことなんだろうな。珍しく頑張ってこの有様か。こいつと関わることなんて、無駄なのかもな。そう思って、足を止めかける。

 ——いや。でもやっぱり、ここで諦めるのは、なんか癪だ。

「......白石さんに用があるんだって。ちょっとくらい、聞いてくれや」

 もう一度だけ声をかけた。

「......」

 無反応。無駄......か。

 天を仰いで、髪を後ろにかき上げる。諦めて別の道から帰ろうとした——その時だった。

「......ヒトさんが、私に何か用?」

 あちら側が立ち止まって、振り向いたのだ。その透き通った碧眼が、俺を映している。

 ......食いついた!止まりかけた足が、再び動き出した。

「いやな、今朝学校行くとき白石さんがマンションから出てくるのを見てな。しかも高級マンション」

「ストーカー?」

「そうそう、ストーカー——なわけあるか!たまたま見かけたんだよ。それでちょっと気になってな」

「......合ってる。あそこに住んでる」

 端的だな。必要以上は話さないらしい。

「やっぱそうか。実は俺、向かいの小さいマンションに住んでいるんだ。それで今朝マンションから出たら見かけてな」

 びっくりするぐらい反応が薄いな。少しくらい目を丸くしてもいいんじゃないか?話している間も、たまにしか目が合わん。

 ——こうして横に並ぶと、綺麗だな。と改めて思う。遠目には表情ひとつなく、感情が読み取れない。笑うでもなく、困るでもない。何も感じていないのではないか。そう思わせるが、どこか少しだけ、寂しさみたいなのを覚えた。それでも、近くで見ると、睫毛が長く、瞬きするたびに頬に影が落ちる。

 作り物ではなく、ちゃんと息をして生きているんだなと、当たり前のことを実感した。それと、並んで歩いていると俺の方が自然と少し先に出る。白石さんの背が低いんだと、改めて思い知らされるな。自転車の籠に乗せて走れそうだ。そんなことしたら通報される案件だが。

「やっぱ、お前んちって金持ちなんだな。あそこ、結構いいところだろ」

「......」

 返事がない。まずいこと聞いたのか?おい、なんか言ってくれよ......

「あ、あのぅ......」

「父親が、経営者」

 なるほど。それならあのマンションなのも納得だ。いいねぇ、うちもそこそこ余裕がある家だけど、経営者様の足元にも及ばないな。

「部屋とか結構広いんだろうな。俺も広い部屋に住んでみたいな。とは言っても、俺の部屋は一人暮らしなら十分の広さなんだけど」

「......一人暮らし、なの?」

 おや?さっきとは違い、声に何かがのった気がするぞ?

「そう、訳あって、地元から離れて一人暮らしでな」

 なんということでしょう、やっと、普通の会話ってものができました。多分だけど。

「一応、俺は大阪の方から来てるんだ」

「たこ焼き......」

 ぽつり、と落ちた声。軽く俯いていた顔を少し上げて放ったそれが、今日初めて白石さん自身から出たものだった。

「食いたいのか?」

「......」

「食ったことないのか?」

「.........」

「食ってみるか?」

「...」

 最後の質問には、少し黙ってから、こっちを見てこくりと頷いた。なんだ、こいつにも食ってみたいものくらい、あるじゃないか。それなら、たこ焼きの布教をしてやろうではないか。

「なら今度、俺が作ってやるよ。死ぬほどうまいもん食わしてやる」

「......うん」

 今日いちばん小さく、けど今日いちばん、こっちを向いた声で言った。確約だ。......って、俺は何を約束してるんだよ。

 昨日芳野に、「白石さんとは関わらない方がいい」とか言われたばっかだろ。それについては、学校では変に目立たない程度に立ち回ればいい。放課後何をどうするかは俺の自由だ。

 俺は白石さんと関わりたい。噂に聞いていたほど、不愛想でもない気がしてきた。ただむやみやたらに人と関わる気がないだけなのだと思う。

 それに友達もいなくて、変な噂をされて、気づけば人から煙たがられる。どこか昔の俺を見ているようで、ほっとけないのかもしれない。だから俺は、俺のやりたいようにやる。......昨日の夜さんざん悩んだことの答えが、思ったよりあっさりと出てしまったな。しかし、人生なんてそんなもんだよな。


 気づけば、マンション前まで来た。道中はほとんど会話はなかった。さっきのたこ焼きのくだりが、間違いなくピークで、あとは俺が話しかけては無反応の繰り返しで疲れたよ......

 それにしても、あいつは最後まで俺のことを『ヒト』としか呼ばなかったな。そう、あいつにとって俺はまだ『ヒト』でしかない。いつかちゃんと名前で——『秋人』って呼ばせてやる。

 でもなぜ、頑なに名前を覚えようとしないんだろうか。そこだけが頭に居座って、もやっとするな。

 ......そういや、たこ焼きの具材、買わなきゃだな。だがまあ、なかなかに退屈しない学校生活にはなりそうだ。

第三話ですね。頑張りましたよ。

なかなか無理やり感がありますが、ご愛嬌ということでお願いします。


次回第四話 約束

ンジャメナ!

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