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【改稿版】ほむらの剣  作者: 神田祐美子
最終章 フレアと小さな恋の約束
113/115

18 踊る



カイウス――前世の名は碓氷義勝。

彼とこうして言葉を交わすのは、牢屋での会話以来だった。


『いつから気づいた?仮面をつけていればわからないはずだが』

『声を聞いてすぐにわかった。薔薇なんて持って何の冗談だと思ったぞ』

『ああ、あれは忘れてくれ。とりあえず花だろうと持っていったが、馬鹿なことをした』

『なかなかよかったようだぞ、あれは』


義勝は意外そうに笑った。

その笑みを見て、ほむらは目を瞠った。そう言えば、そうだったと。義勝はこういう風に、穏やかに笑うこともあったのだったと。


時折見せるその笑みは、いつもほむらを安心させてくれた。


目が合い、ほむらは咄嗟に視線を逸らした。

気まずい沈黙が流れる。何を話せばいいか、途端にわからなくなった。

黙り込んでいると、義勝が口を開いた。


『面倒なことに巻き込んですまない。だが、約束する。不本意な結婚などさせないし、不必要に他の者とも接触させない。決して、誰にも、お前を傷つけさせはしない。お前の選択は、俺が絶対に後悔させない、絶対に』


しばしの沈黙の後、ほむらは小さく噴き出した。


『真面目な顔をして何を言うかと思えば…。自分の身くらい自分で守れるし、お前の提案に乗ったとして、その先何が起ころうと自分で責任を持つ。俺はお前より長生きしたんだぞ。ババアを舐めるなよ』


呆気に取られたように目を丸くした後、義勝は『そうか』と、柔らかな表情で微笑んだ。

ほむらは、う、となってまた言葉に詰まった。どうにもだめだ。その笑みを向けられると調子が狂う。


『まあ、何にせよ気遣いはありがたいものだ、うん。俺が言いたいのは、お前は何も気にする必要はないということで…。そうだな、とりあえず美味い茶と菓子は用意しておいて貰おうか。…おっと、まだ行くと決まった訳じゃないぞ。おい、何を笑っている。本当にお前は、俺なら容易に丸め込めると思って』

『だから思っていないと言っているだろう』


その時、ダンスホールから拍手が聞こえた。


フレアが優雅にお辞儀をしている。無事に踊り終えたらしい。クリスタと連れ立って舞台をおり、くたびれたとばかりに飲み物を貰いにいっている。


義勝は首を傾げた。


『本当にどういう状況だ?これは。ほむらが2人いる』

『説明は難しい。そうだな、泡沫の夢のようなものだな。…神様が時間をくれたんだ。お前に会えてよかったよ、義勝。俺は多分、ずっとお前と話したかったんだ』



前世で一つ、後悔していることがある。

義勝が倒れたという連絡が来た時、ほむらは東京にいた。仕事を放り出して急いで向かえば、間に合ったかもしれない。だがほむらは、そうしなかった。


死に目には会えなかった。葬式にも出なかった。


自分にはその資格がないと思ったし、出たところで義勝は喜ばないと思ってのことだったが、時が経つにつれ、最後くらいきちんと別れを告げても良かったのではないかと、そう思うようにもなった。



義勝は『俺も同じだ』と、呟くように言った。



『お前と会って話したかった。あの時の、牢屋でのことを、謝りたかった』



心臓を鷲掴みにされたような、嫌な感触が蘇る。

ほむらはその感触を振り払うように、首を振った。



『謝ることなど何もない。お前は正しいことを言っただけだ。何も間違っちゃいない』

『違う、俺は間違っていた。先生にも問題はあったはずなんだ。処刑は妥当じゃない。少なくとも、刀士郎の身代わりに痛めつけられるなど、言語道断だ』

『…驚いたな。俺のことが憎くないのか』


声が震えた。ああ情けないと額に手を当てていると、『憎まれるべきは俺だろう』と、静かな声が降ってきた。

顔を上げる。義勝は、今まで見たことのない表情をしていた。



『お前には憎まれていると思っていた。次に会うことがあれば、その時は斬られるだろうとも』

『俺が、お前を?何言って…』

『刀士郎も俺を憎みながら死んだ。藩の者も、新政府についた俺を許しはしなかった。我ながら憎まれることばかりしてきた。…死ねば地獄だろうと思っていたが、まさかこんなところに生まれ変わるとはな』


自嘲するような言葉に、ほむらはいたたまれない気持ちになった。


清史郎の顔が浮かぶ。あやめの顔も。

あの二人も、随分苦労したことは知っている。藩の者にとって、碓氷家は裏切り者だった。長い間、高松の地を踏むことさえ叶わなかった。



『…仕方が無いさ。日の本一の武士になるためだろう』

『馬鹿馬鹿しい、子供の頃の戯言だ。忘れてくれ』

『おい、馬鹿馬鹿しいとはなんだ。子供の頃のお前に謝れ。私利私欲のために政府で働いた訳じゃないだろう。国のためを思えばこそだ。違うか』

『…そのつもりだった。だが、それが結局国のためになったのか、今となっては自信がない』


俯き、暗い目で義勝はそう言った。

子供の頃、あんなに真っ直ぐ前ばかり見つめていた男が。



次の曲が始まろうとしている。

ほむらは『なあ』と、自分でも思いも寄らないことを口にしていた。



『踊るか、義勝』

『何?』

『気が変わった。こんな夜は最後かもしれんし、気晴らしに踊ってみるか?』

『いや、だが…』

『踊るなら俺とがいいんだろ?可哀想だから踊ってやるよ、可哀想だからな』



迷うような目をしていた義勝は、そこで一度噴きだした。

ほむらが差し出した手を、義勝が掴む。曲の始まるぎりぎりのタイミングで、二人はホールに並んだ。





――――――――

――――――――――――――――



乱蔵は至極複雑な心地で、ほむらと義勝のダンスを見ていた。

ほむらが何かやらかした時のためにできるだけ近くにいてくれと頼まれたから、慣れない格好で目立たない場所に控えていたが、まさかこんなものを見せられることになるとは。


ただならぬ様子で二人がバルコニーに出た時から、何となく予想はしていたことだったが、あの男はどうやら、ほむらの前世関係者であるらしい。それも相当、深い仲だろう。

初めて仮面の下を見たが、顔はなかなか整っている。乱蔵の知らない顔だ。


乱蔵と知り合う前に出会った人物。どういう関係なのか、バルコニーにこっそり近づいていれば何か聞こえたかもしれないが、盗み聞きのような真似はしたくなかった。



いつも飄々として、どこか達観していたほむらが、乱蔵の知らない顔で踊っている。

曇りのない笑顔。まるで幼い子どものように、ただ無邪気に楽しそうに、あの男に体を委ねている。心を許している。


前世で旅をしていた頃、楽しそうに笑っていても、その笑顔にはいつもどこか、影があった。

乱蔵は聞かなかった。ほむらがどんな過去を背負っているのか。悲しみを背負って生きてきたのか。無理に聞くことではないと、思っていたからだ。



それが今の彼女は、何か吹っ切れでもしたように、心から楽しそうに笑っている。



乱蔵にはそう見えた。

そしてただそれだけのことに、心が掻き乱され荒れ狂っている。



「チッ…何だこれ」



ほむらに恋人がいたところで何だと言う。もしかしたら夫かもしれない。ほむらが結婚していたのかどうか、乱蔵はそんなことすら知らない。



「ババアだぞ。別にあいつが誰と何しようが俺に関係ねえだろ」



なりゆきでたった数年、一緒に旅をしていただけ。

大切な存在ではあった。尊敬もしていたし、恩もある。

はちゃめちゃ過ぎて何度か死にかけたが、それも今となっては悪くない思い出ばかりだ。



自分たちの関係が何だったのか、形容する言葉はよくわからない。



相棒なのか、仲間なのか、家族なのか。



ただ一つ確かなことは、あの頃はそこに恋情などなかった。

それが、これではまるで――――……



(だああああクソッ!!ないないないないない!!ババアだぞ!?ババア相手に何でんなッ…あほか!!ああクソ、外見だ、外見が悪い、なんでわざわざ若い頃の外見になんてしやがったんだあの嬢さんは…!!)



曲が終わる。長いダンスが終わって、二人がホールを離れる。

ほむらは余程喉が渇いたのか、給仕から飲み物を貰っていた。勢いよく飲み干して、その頬がふんわりと赤らむ。


(あの馬鹿!呑み癖悪いくせに何カクテルなんか飲んでやがる…!!)


どうやら酒とは思わなかったのか、少し目を丸くしていたが、ああ美味しいとばかりにおかわりを貰っている。

気が大きくなったほむらが何をしでかすか、わかったものでない。



乱蔵は慌てて二人に近寄ったが、すぐに立ち止まった。



頬を赤らめ義勝に笑みを向ける、その様はただ普通に恋をしている、少女のものだった。

邪魔をするべきではない気がした。折角体を得たのだから、好きなようにさせるべきだ、と。


ほむらが誰と何をしようと、乱蔵には関係のないことなのだから。



談笑する二人。不意に、義勝の指が、ほむらの髪に触れた。

ごく自然に、愛おしむように、懐かしむように。




それを見た途端、乱蔵の中で何かが切れた。




「おい、離れろ。こいつに触るな」




二人の間に割って入ると、義勝は少し驚いたように目を丸くした後、「すまない。恋人か?」ととんでもないことを口にした。


カッと顔が熱くなり口籠もった乱蔵と対照的に、ほむらは「わはは!大体合っているぞ!」と更にとんでもないことを言い出した。



「馬鹿!何言ってんだ、そういうんじゃ――――」

「何年も旅した仲だ!愛しい愛しい、恋人みたいなものだろう、なっはっは!」

「違う!!」

「拗ねているのか?愛い奴め。よしっ、一緒に踊るか!」

「は?」

「ほらおいで。折角の夜だ。存分に楽しまねばな!」



ほむらが乱蔵の手を掴む。「ダンスなんてわかんねえよ!」という乱蔵の叫びを無視して、ほむらはスキップしながら再びホールへ向かった。


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