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【改稿版】ほむらの剣  作者: 神田祐美子
最終章 フレアと小さな恋の約束

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16 【クリスタ】落ちる



数日後、王宮でダンスパーティーが催されることになった。主役のアクア家はぎりぎりまで参加を渋っていたが、クリスタ本人の希望があって、予定通り開催されるに至った。


レオンは終始苛ついていた。白い手袋をはめ、今まで以上に美しく着飾ったクリスタを前にしても、その苛つきも焦りも、隠しようがない程だった。


「レオン、私は大丈夫。何も心配要らない」

「あいつは約束を破った」

「きっと、何か事情があったのよ。私たちも強引だったし――」

「今度あいつを見かけたら氷漬けにして屋敷の地下に埋めてやる」

「レオン!怖いことを言わないで」


クリスタは困ったように眉を下げた。

ただの冗談であれば良いが、こうなったレオンは本気でやりかねないから恐ろしい。



(私がこんな厄介な体質でなければ…)



男性恐怖症。突然発症した、とルークには説明したが、事実は違う。

小さい頃、クリスタは誘拐されたことがある。身代金目当てではなく、アクア家に恨みを持つ者による犯行だった。

後に知ったことは、首謀者の一人がイグニス家の末端の出だった、ということだった。その者は素行の悪さから既にイグニス家を追放されており、クリスタの件も決してイグニス家が関わっていた訳ではないのだが、アクア公爵やクリスタの父親の怒りは凄まじかったと聞いている。


あれ以来、レオンもとにかくイグニス家を毛嫌いするようになった。


クリスタ自身は、恐怖のあまり意識を失っていて、ほとんど覚えていない。怪我もしていない。

だが、あれ以来体が勝手に男性を拒絶するようになった。



(確か、イグニス家は今夜のパーティーは欠席と言っていたかしら)



長期休暇に出ていたらしいフレア・ローズ・イグニスが屋敷に戻って、何やら慌ただしくしているらしい、というのは風の噂に聞いていた。


そう言えば、とクリスタは彼の顔を思い浮かべた。

金の髪に碧眼。ルークは、フレア・ローズ・イグニスによく似ている気がする。

正直フレアとはあまり顔を合わせたことがないから自信はないし、ルークの言葉遣いも雰囲気も貴族のそれとは全く違うが、それでもどこか、あの二人は似ている気がする。



(いえ、そんな訳がないわね。私、何を考えているのかしら)



時間がきた。クリスタはレオンにエスコートされる形で、会場へ入ることになっている。

不安はあるものの、魔道具の手袋さえ嵌めていれば、エスコートくらいなら余程のことが無い限り特殊能力が発動することはない。


手を取る。その途端、クリスタの力が発動した。


勢いよく放たれた水の柱によって壁に叩きつけられ、ずるずるとその場に崩れ落ちたレオン。呆気にとられた顔で、クリスタを見つめる。クリスタもまた、信じられない表情で自分の手を見つめた。


魔道具の印がついた手袋。

だがよく見れば、それはいつも彼女が使っている手袋の刺繍とは微妙に違う。


肌身離さず持っていたはずの手袋だ。それを外すのは自室でのみ。だとしたら、クリスタの身の回りの世話をする侍女の内の誰かが、彼女の手袋を別のものに替えていたということになる。


クリスタは必死で荷物を漁った。常に持っているはずのスペアが、一つも見当たらない。

アクア邸を探させる時間はない。


「急な体調不良で欠席。そうした方がいい、クリスタ」

「けれど…」

「嵌められたんだ。きっとアレクシア王女が――――」

「レオン!」


その時、女王が呼んでいると知らせが入った。

どう答えるべきかまごついていると、突然アレクシアがノックもなしに入って来た。


「ほら、早く来なさいよ水女。貴方のためのデビュタントなんだから」


そう言って、白魚のような彼女の手を掴んだ。




――――――――――

――――――――――――――――――



心臓が口から飛び出そうだった。クリスタを見つめる大勢の目、目、目。

クリスタは好奇の目に晒されながら、一人で会場に入るしかなかった。本来、誰か男性にエスコートされるべきなのに、その隣には誰もいない。女王にこれだけお膳立てされ、女王自ら開催したパーティーだというのに。


レオンは急いで着替えて彼女の後ろをついてきていたが、今の彼ではクリスタに触れることもできない。触れればすぐさま、この大勢の中で力を発動してしまうだろう。


今からでも体調不良を訴え、退場させてもらうべきか。

今のクリスタの顔を見れば、女王も無理は言わないだろう。


だらだらと冷や汗が流れる。化粧が崩れてしまうかもしれない。

どうすればいいのか考え過ぎて、頭が沸騰しそうな程熱かった。


女王の目の前に辿りつく。


女王がクリスタに微笑む。クリスタが一人でいるのに怪訝な顔はしつつも、デビュタントを迎えたことを祝い、賛辞を送る。溢れんばかりの期待の言葉を浴びせられ、クリスタは今すぐ回れ右をして逃げ出したくなった。


今回ルークがいなくなったことで、ダンスをしない旨は伝えてある。異例の事態ではあるが、クリスタは挨拶のみにさせてもらい、ダンスは他のご令嬢たちのために行うようにしてほしい、と。



だが、女王が最後に発した質問は、クリスタを絶望の底に叩き落とすものだった。



「それで、貴方のダンスパーティーのお相手は誰なのかしら?レオン?」



伝えたはずのことが、伝わっていない。

女王への言付けを、誰かが意図的に捻じ曲げたとしか思えない。


そんなことまで、アレクシアが手を回したのだろうか?

それともそれ以外の悪意が、クリスタを陥れようとしている?



クリスタは青ざめた顔で立ち尽くすしかなかった。名を呼ばれたレオンが、真っ青な顔で前に進み出る。

女王はエスコートするよう促した。軽やかな音楽が流れる。顔を上げると、泣きそうな顔のレオンと目が合った。


今からでも断るべきだ。クリスタは口を開いた。



「陛下、申し訳ございません、私は――――……!」



その時、クリスタの手を誰かが掴んだ。



金の髪に、青い瞳。この場にいるはずのないその人が、クリスタの手を優しく掴んでいた。

彼女の手を取って、能力を発動されずにいられる男性は、この世に一人だけ。少しの間会っていなかっただけなのに、随分久しぶりに感じた。



青の正装を身に纏い、髪も綺麗に整えた彼は、まるで本物の王子のようだった。



「ルークさん…!」



音楽が止む。

女王は何事かと眉間に皺を寄せた。



「クリスタから手を離しなさい!貴方は一体どこの誰です!!」



近衛兵に命じ、今にも取り押さえさせんばかりの剣幕だった。クリスタもレオンもあまりの状況に何も言えずにいると、静かな、凜とした声が割って入った。



「女王陛下、恐れながら申し上げます」



現れたのは、フレア・ローズ・イグニス公爵令嬢だった。



落ち着いた雰囲気のボルドーのドレスを身に纏った彼女は、以前見かけた時よりずっと大人びて見えた。

実際、その声音や表情は、どこか別人のようにさえ感じられる。


女王もレオンも、あからさまに険しい表情で警戒する中、彼女は優雅に微笑みながら、驚くべきことを口にした。



「彼は私の遠い親戚です。ですが、イグニス家の者ではありません。私の母の出身であるシノノメ帝国にて、母とゆかりのある人物であると聞いています。ご覧の通り、まるで姉弟のようでしょう。偶然彼と市場で出会いまして、話をする内、そういう関係であると明らかになった訳です」



言われてみれば、確かに二人は顔がそっくりだ。こうして並んで立っていると、血縁関係と言われても一切不思議ではない。


レオンの方はあまりに動揺し過ぎて、口をぱくぱくさせている。

フレアはクリスタへ視線を向けた。


「彼はクリスタ様とも懇意と聞いています。本当は、デビュタントの相手として話しも進めていたと」

「そ、そうなのですか…?」


女王の問いに、クリスタははっきりと肯定した。指先から、ルークがほっと安心したのが伝わった。

フレア・ローズ・イグニスも同様に、少し安心した様子で先を続けた。



「やむにやまれぬ事情があって、彼はしばらくクリスタ様に会えていませんでした。連絡もなく、突然このような形となってしまったことは、私からも謝罪いたします。ですがどうか、今宵のダンスの相手として、女王陛下よりお許しいただけませんでしょうか。どうか、この通りでございます」



フレア・ローズ・イグニスが頭を下げた。その途端、ダンスホールに激震が走った。

プライドが高く、決して頭を下げないことで有名な彼女が、二人にダンスをさせるという、ただそれだけの為に頭を下げたのである。

犬猿の仲であるはずの、アクア家の令嬢のために。



女王はしばし言葉を失った後、躊躇いがちにルークに視線を向けた。



「それで、貴方は…クリスタを、愛しているのですか…?」



その質問に、急に何てことを聞いているんだと、顔が発火しそうになったのはクリスタだった。

ルークはレオンが買収したに過ぎない。そこに恋愛感情がある訳はないと、それは明らかなことだった。


この場を収めるためにただ肯定すれば、それはあまりに陳腐で嘘臭い。

否定すれば、それはそれで何か裏があるのではないかと勘ぐられる。


しばらくの沈黙の後、ルークは言葉を選ぶように口を開いた。


「愛している、と言える程、俺は彼女のことを知らない。ただ、レオンの馬鹿みたいな分刻みのスケジュールこなしてることとか、ダンスで足痛くても弱音一つ吐かないとことか、ムカつく奴がいても貶めるようなこと言わないとことか、そういうところは、知ってるし、そういうところは…嫌いじゃない」


ああ、嫌いじゃないさ、と、彼はもう一度、何かを確かめるように繰り返した。



「少なくとも、他の男に指一本触れられたくない程度には、俺はこの人のことが大切だ」



見つめられ、そう言われた時、目の前で何かが爆ぜたような錯覚を覚えた。

目眩さえ感じたクリスタの傍らで、ルークは女王に頭を下げ、クリスタとのダンスを許してほしいと懇願した。

女王はそれを一も二もなく承諾した。



フレアは全てを見届けると、ほっとした様子で丁寧に礼を述べた後、静かに壁へ歩いていった。その所作といい雰囲気といい、とてもイグニス家の問題児とは思えない、極めて優雅なものだった。



音楽が始まった。ルークがクリスタをエスコートする。向かい合い、いつもより間近に彼の熱を感じる。より鼓動が早まるのを感じた。

視線が合う。彼の頬が、さっと上気した。


「忘れろよ。俺恥ずかしいこと言ってただろ」

「わ、わかっています!ああ言わざるを得なかったことは――――」

「そうじゃない」


ルークの顔が、薔薇のように赤くなっている。


「嘘は吐いてない」


ダンスが始まる。練習通り、完璧に。それだけを意識しようと必死になりながら、けれどどうしても、ルークのことしか見えない。嘘は吐いていない、という言葉が、いつまでもいつまでも、頭の中で木霊する。

ルークの足がほんの少しもつれる。すまん、と焦る彼の顔が、可愛くて堪らない。

思わず笑みがこぼれる。つられて、ルークも微笑む。蕩けるような、優しい笑みだった。



永遠に終わらなければいい。このまま永遠に、踊っていられたら。

この人の傍らにいられたなら。




――――恋に落ちた、音がした。


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