6 知ってしまう
振り返ったフレアは、「ん?」と首を傾げた。
そこにいたのは、小さな子どもだった。近づいてよく見ると、濃紫色の髪に、同じ色の瞳をしている。色白で、人形のように整った顔立ちだ。
どこかで見たことがある。どこだったかは思い出せない。
『こんな夜更けに…。迷子だろうか』とほむら。
フレアは身を屈め、少年と目線を合わせた。
「えーっと、迷子?お父さんお母さんは?」
「……。迷子じゃない」
「あ、そう。早く家に帰りなよ。心配するから」
『家まで送ってやりなさい。こんな小さな子を一人で帰すのはよくない』とほむら。
フレアは内心面倒臭いなと思いながら、仕方なく家を尋ねた。
「家はどこ? おねえ…ごほんっ、お兄さんが送ってやるよ」
「……こっちだ」
無愛想な少年だ。愛想笑いの一つもない。折角良い気分でお酒を飲んでいたのにと、フレアはうんざりしながら少年の隣を歩いた。
彼は名を「シオン」と言うらしい。間違いなく偽名だろう。唯一神シオンの名を騙るとは、なかなか肝の太い子だ。
フレアは自身のことを「ルーク」と名乗った。シリウスに使った時の偽名である。
シオンは何か思い詰めていることがあるらしく、深刻そうな表情で語り始めた。
「…………僕には、婚約者がいる」
「婚約者?へえ」
この年で婚約者がいるとは。綺麗な顔をしているとは思ったが、それなりに良い身分の子なのかもしれない。
「ダンスパーティーがあったんだ」
お誕生日会だろうか。
「僕はパートナーとして彼女を迎えに行ったのに、当の婚約者は別の相手をパートナーにして、先に会場に行ってしまった」
「えっ、何それ。ひっどいなあ!!そんな酷いことある!?」
「僕もそう思う。確かに、ろくに当日の話はできていなかった。できていなかったが、まさか…。他の男とのダンスを見せつけられて、そのまま声も掛けられずに帰った」
「可哀想に…。そんな酷いことする子と結婚って大丈夫?君はその子のこと好きなの?」
「…わからない。面白いとは思う。今も、一体何をしているのか意味がわからなく興味は尽きない」
随分大人びた子だ。感心していると、目の前をふらりと黒い影が過った。
男のようだ。痩せてひょろりとしたその男は、首をぐねぐね動かしていたがフレアたちを見ると、突然こちらに向かって駆け出した。
昼間、クリスタを襲っていた男達を思い出した。
シオンを後ろに庇う。同時に、男は何か見えない力のようなもので不自然に弾き飛ばされ、壁にぶつかって気絶した。
「な、何今の!?何が起こった!?ここで飛んでいったけど!?シオンも見た!?」
「……さあ、何だろうな。その男は」
シオンは至って冷静に、男に近づきその顔を見下ろした。フレアもその後に続いた。
男の目は血走り、白目のところが真っ赤に染まっている。息はあるが、目を見開いたまま気絶している。
「昼間もこんな奴を見た。同じ顔だ。何かの薬?」
「…わからない」
動揺しているフレアに比べ、シオンは恐ろしい程冷静だ。自分より年上なのではないかと錯覚しそうになる。
おろおろしていると、背後から「大丈夫~?」と気怠い声が掛けられた。
レインだった。いつもはただひたすら不気味な彼も、この状況ではなぜか頼もしくさえ感じられた。
レインは男を見下ろし、「ああ」とため息を吐いた。
「最近いるんだよねえ、これ。薬物でもないみたいだけど、変だよねえ、ほんと。取りあえず私が警備兵にでも突き出しとくから、おこちゃまたちはお家にお帰り」
にやにやしながら、レインは気絶している男の頬をツンツンと突いた。
背後を見ると、シオンの姿はすでになかった。
――――――――
――――――――――――――
アクア家のお嬢様と一回踊って、スイーツと大金をゲット。ただそれだけの話だったはずだ。
なのにこれはどういう訳か。
「おいそこぉ!リズムが狂ってるぞルーク!もう一回!!!」
何十回目かわからないダメ出しに、フレアは柄にもなく声を荒げた。
「だあああああ!!もういいだろ!!細けえんだよクソが!!!」
「貴様なんだその汚い口の利き方は!?貴様にはクリスタのパートナーという自覚が足りない!!!」
抜群の運動神経を誇るフレアだが、元々女性のパートしか踊ったことがない上、やる気もあまりない。それでもそれなりにうまいことやっているはずだが、レオンの求めるダンスはほんの少しのブレも許さない、厳しいものだった。
大切なクリスタのデビュタントに向けて、正気とは思えない熱が入っている。
フレアは「やめたやめた!」とクリスタの手を離した。
「おい逃げるつもりか!?」
「休憩だ!あんただってそろそろ休憩したいだろ!?」
クリスタはおどおどと頷いた。
可哀想に、レオンのスパルタ訓練を受けたせいで息も上がり、足下もふらついている。
ヒールの高い靴で踊り続ける大変さは、同じ女であるからこそ理解はできる。
別に放っておいてもよかったが、フレアはしばし逡巡した後、彼女を両腕に抱きかかえた。
「ッ!?」
「いいか、俺はあんたみたいなお嬢様は嫌いだが、怪我なんぞされたら俺の金がパアなんだよ。それだけだからな」
クリスタには嫌われていたかった。余計な情など邪魔なだけだし、実際自分はスイーツと金目当てである。
男性恐怖症だか何だかの所為で、身分の低いがさつな男と踊らざるを得ない、可哀想なクリスタ。
きっとこの先一生、今回のことを思い出しては腹立たしくなることだろう。
「…おい!貴様またクリスタに余計なことを言ったな!?」とレオン。
「言ってませーん」
「いいや言った!!俺には聞こえたぞ!!貴様には言葉遣いから所作からマナーから何から何まで教えてやらなければ――――――!!」
「レ、レオン、落ち着いて…」
クリスタを椅子に下ろしてから、フレアはお茶とスイーツを捜しにアクア邸の探索を始めた。
例のパティシエはアクア領内から呼び寄せているところだが、他のパティシエのスイーツも充分に美味である。
レオンはクリスタに引き止められたのか、追ってくる気配はない。
キッチンへ歩いていると、聞いたことのある声が聞こえた。
咄嗟に柱に隠れて様子を窺うと、現れたのはイグニス公爵とアクア公爵だった。
犬猿の仲である二人が、言い争いながら廊下を歩いている。フレアの心臓はバクバクと振動し、破裂せんばかりだった。
「――――仕方ないだろうが!!ソフィアが心配しているんだ!!あんな不良娘、どこで何しようが俺はどうでもいいが――――」
「どうでもよくはないだろうが馬鹿か貴様は!!あの娘は加減というものを知らない。もし万が一、レオンやクリスタに接触でもしていたらどうしてくれる!?あんな娘は檻の中でも閉じ込めてちゃんと管理していろそれが貴様の仕事だろうが!!」
「煩い!貴様の息子に接触することはあり得んから余計な心配などするな話を聞け!!アクア家は王都に詳しいだろ、その人脈を駆使してだ――」
「なぜイグニスのために私が動かねばならんのだ!!」
「だからソフィアが心配してるんだ馬鹿!!!王家にこんな身内の恥を晒す訳にもいかんから仕方なく貴様を頼ってやっているんだろ!!」
「何が頼ってやってるだ!!それが人に物を頼む態度か!?」
「ソフィアの為だ!!」
「ぐッ…」
フレアの捜索のためにイグニス家がアクア家に協力を仰いでいる?明日は雪でも降るかもしれない。
乱蔵づてに「フレアは長期休暇」と伝えてあるが、便りの一つもないとあってさすがに不審に思われているのかもしれない。
ソフィアめ。
頼むから余計なことはしないでほしい。
「…いいか、いくらソフィアのためでも私は手は貸さない。大体、あれは貴様の娘じゃないだろ」
(……ん?)
どのタイミングで逃げだそうと考えていたフレアだったが、その言葉を聞いた途端、冷水を浴びせられたように固まった。
「あの女がお前との結婚を繋ぎ止めるために、イグニス家の人間を手当たり次第誘惑して出来た子供だ。本当の父親なんて誰だかわからない。お前はあの女に指1本触れていない。そうだろう」
「……その話はするな」
「少しくらい父親に似ていれば誰が父親かわかったかもしれないが、あの娘は何もかも母親にそっくりだ。成長するにつれ、あの女が蘇ったようでゾッとする」
「カイル」
「俺はまだあの女を許してはいないぞ。ソフィアに暴漢を仕向けたのはあの女狐の仕業だ。お前のことだって許してはいない。フェルド、お前は誓ったはずだ。ソフィアを幸せにすると。なのに一度ならず二度までもソフィアを危険な目に遭わせた」
「それは…」
「出て行け。二度と来るな」
イグニス公爵は立ち止まり、悔しそうに拳を振るわせ、踵を返した。
フレアは動けなかった。
(あ、そうだわ。甘味、甘味を…)
『お嬢さん』
頭の中で、ほむらの声が響く。
目の前が酷くぼんやりする。
「甘味が、ほしいのだった。甘いもの。それにあったかいお茶も…」
『お嬢さん、しっかりするんだ』
「だって、それしか要らないもの。それさえあれば、私は…」
『お嬢さん!!』
視界が歪む。フレアは堪らずその場に蹲った。
「お婆ちゃんにはいたじゃない。船の仲間も、先生も、心桜も……。いなくなったけれど、いたじゃない。愛してくれた人が。でも、私は……私は……」
イグニス公爵のことなど、父親とはもう思わない。そう決めてから心は楽になった。
だから、血の繋がりがなかったのだと知ったところで、別に何も変わらないはずだ。
頭ではわかっている。なのに、この気持ちは何だろう。
心のどこかが、ぽきりと折れてしまったようだった。
ずっとひとりぼっちだった。
血の繋がった家族さえ、いなかった。
『……私に、体があったらなあ』
ほむらの声が、空っぽになった心にそっと触れる。
『そうしたらお嬢さんを抱き締めてやれるのに。お嬢さん、私はお嬢さんのことが好きだよ。君はなかなか我が強いしおかしな行動を取ることもあるが、その全てが愛おしい。私にとっては、お嬢さんは可愛い孫のような存在なんだよ』
「……乱蔵の方が可愛いくせに」
『はっはっは、何を言う。ここだけの話、お嬢さんの方が可愛いぞ』
軽やかなほむらの言葉に、フレアは泣き顔のまま微笑んだ。
ようやく目元を拭って、立ち上がった時だった。
前方に、青ざめた顔のレオンが突っ立っていることに、ようやく気づいた。彼はルークに駆け寄り、両肩に勢いよく手を置いた。
「すす、す、す、す、すまない。俺の指導が厳しすぎたんだろう。図太い奴かと思っていたが、まさか裏で泣いているとは…」
「いや違うけど」
「美味いものがなかったのか?何がほしい?何でも作らせてやるから――――」
「だから違うって!気ぃ使わなくていいからほんと!」
どうやら独り言は聞かれていなかったらしい。
フレアはレオンの手を払いのけて歩き始めた。ついてきて欲しくないのに、レオンがしつこくついてくる。
「俺も焦っていたと思う。クリスタにも厳しすぎだと怒られた。計画を立て直すから、しばらく待て!」
「分刻みのスケジュールなんて組むなよ面倒くせえ」
「今は協力してくれ!頼む!お前だけが頼りなんだ!」
「わかったからちょっと黙ってろ。約束は破らない」
「ならいいが…」
泣きすぎて頭が痛い。
フレアは「外の空気を吸ってくる」と伝えて、屋敷を出ようとした。
丁度その時、門の辺りがざわついた。
何か嫌な予感がした。わざとらしい、甲高い声が響き渡る。
「あのクリスタがとうとうデビュタントを承諾したって聞いたから、お祝いに来てあげたわよ?さあ、早くティーパーティーの準備をして頂戴!」




