5 契約する
酔っ払いにでも絡まれているのだろうかと、軽い気持ちで様子を窺ったが、事態はそんな生易しいものではなかった。
マントを被った、明らかに上流階級の出で立ちをした少女が、数人の男たちに迫られ、壁に追い詰められている。男たちの目は真っ赤に血走り、その形相はとてもまともな人間のものとは思えない。ほむらも『何か薬でもやっているのか?』と声に焦りを滲ませた。
ただならぬその雰囲気に、面倒ではあるもののこれはさすがに助けた方が良さそうだと体が動いた。
フレアは背後から男を突き飛ばして少女の手を取り、遮二無二走り出した。
随分走った後、フレアは辺りを確認してから、彼女の手を離した。
少女はハッと顔を強張らせた。
「あ…私、手袋…」
「手袋?」
「落としたみたい、です。私…私、貴方と、手を繋いで…?」
何か酷く動揺している。手袋なしに直接手に触れていたことが気に食わなかったのか。だとすれば相当な潔癖であり性悪である。
助けてあげたのだから礼の一つくらい言ってしかるべきだろう。
フレアがあからさまに顔を顰めると、少女は慌てたように口を開いた。
「あ、あの、ありがとうございます、助けていただいたことは…本当に、感謝して…あの…」
この声、どこかで聞いたことがあるような。
怪しく思って顔を覗きこんだフレアは、思わずぎょっと後ずさった。
知っていた顔だったのだ。冷や汗がどっと流れる。
なぜ、あんたが、ここに。
思わず口走りそうになってから、いや余計なことを口走ってはまずいと、慌てて口を噤む。
心臓の音が煩い。
バレただろうかと怯えるフレアに、彼女は「その…お願いがあるのですが」震える声でフレアを見上げた。
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どうやらバレてはいないらしい。
彼女の願いは大したものではなかった。ただ、家まで送ってほしいと、フレアに懇願した。
『この辺りのことは詳しくなくて…。道に迷っていたら、気づいたら先程の者たちに囲まれていました。言葉が通じず、ただの強盗という訳でもなさそうでしたが…。お恥ずかしい限りですが、このまま一人で帰れる自信も、度胸もなくて…』
顔を真っ赤にして、たどたどしく話すその様子は、フレアの知る彼女ではなかった。
彼女はもっとすまし顔で、どんなことも軽々とこなしくていく、そういう印象を持っていた。
警備兵でも呼んで後を頼もうかと思ったが、家柄的にあまり大事にはしたくないだろう。
かと言って断るのも、ああいうことがあった後では心配ではある。街の人に道を聞いて一人で家まで戻るなんてことも難しいだろう。世間知らずのお嬢様とバレれば、最悪狡賢い人間に捕まって食い物にされかねない。
『わかったよ。家まで送る。それだけだからな』
住所を聞けば案の定、彼女の暮らす王都の別荘というのは、ここから随分離れた所謂高級住宅街であった。
どうしてこんなところまで、しかもたった一人で来たのかと尋ねれば、過保護な従兄弟からの監視をくぐり抜け、どうしても彼に誕生日プレゼントを用意したかったから、らしい。
そんなもの従者に頼めばいいのに、と思わず突っ込んだが、彼女としては、自分が実際にお店に行って選ぶことに意味があるのだとか。
気持ちはわからなくはない。だが、それならそれで護衛の一人くらいつけなければ危なすぎるだろう。実際、彼女は得体の知れない男たちに襲われていたのだから。
まあ、あまり根掘り葉掘り聞くのも控えた方が良さそうだ。
正体がバレないうちに、早く彼女を家まで送り届けなければ。
そう思いつつ、結局まだプレゼントを買えていないと聞いたフレアは、途中小洒落た店に寄り、一緒に従兄弟へのプレゼントを検討、購入し、その後も市場で買い食いまでして、少女の別荘に着く頃には日が傾きかけていた。
(なんだかんだ楽しんでしまった…)
少女も少女で、随分楽しんだ様子だった。
買い食いなんてはしたない真似は勿論のこと、店をゆっくり見て回ることもしたことがなかったらしい。
年相応にはしゃぎ、にこにこしている彼女を見ていると、なんとも言えない複雑な気持ちになった。
門のところでさよならを言おうとした時だった。けたたましい音を立てて、別荘の扉が開いた。
荒々しく駆け寄ってきたのは、薄く青みがかった銀髪の、見目麗しい、ムカつく顔の青年だ。
「クリスタ!!どこに行っていたんだ!?」
「あっ、レオンごめんなさい、心配をかけて…」
フレアはゆっくりと後ずさった。自然と顔が引き攣る。
少女の名は、クリスタ・デルフィニウム・アクア。
青年の名は、レオン・デルフィニウム・アクア。
フレアが最も嫌いな一族、アクア家の坊ちゃんお嬢ちゃんであり、それぞれ氷と水の能力を持つ聖騎士。
フレアはごくりと唾を飲み込んだ。
まさかこんな形でこの二人に会うことになるなど、ただ日に浴びたいと外出した時は思いもしなかった。
もし万が一正体がバレれば一生馬鹿にされるのは目に見えている。
幸い、数える程しか会ったことがないのが幸いしたのか、フレアの顔など興味がないからあまり覚えていないのか、クリスタには正体がばれなかった。
じゃ、これでとおさらばしようとして、レオンに腕を掴まれた。
「待て。貴様何者だ。クリスタとどこで何をしていた。まさか貴様がクリスタを連れ去っ――――」
「レオン!彼は私を助けてくれたの。説明するからちゃんと聞いて」
「助けてってどういうことだクリスタ!危険な目に遭ったんじゃないだろうな!?だから王都なんて危険な場所なんだからどこにも行くなとあれほど言ったのに…!」
随分過保護なお従兄弟様である。レオンがクリスタを実の妹のように大切にしていることは有名な話だ。
しばらくすったもんだした後、クリスタがフレアの手を掴んだことで、レオンがびくりと固まった。
「クリスタ…?そんな、まさか…!!」
レオンの目が大きく見開かれる。まさか地獄の三角関係でも始まろうとしているのかと震えた次の瞬間、レオンの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
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「――――――――いや、すまない。驚かせてしまったことは謝る。まさかクリスタが触れることのできる男が現れるなんて思いもしなかった。こんな奇跡が…このタイミングで…!ぐす…」
急に泣き出した男に腕を掴まれ別荘に引きずり込まれソファに座らされた後、始まったのは涙混じりの長々しい事情説明だった。
曰く、クリスタは極度の男性恐怖症であり、男性に直接触れると聖騎士の能力を発現してしまう。
レオンや実の父親も例外ではなく、どんなに信頼していたとしても、彼女の意思とは関係なく特殊能力を発動して水をぶっ放してしまう。
ここまでの恐怖症に陥った原因は不明であり本人にもそれはわからないらしい。幼い頃はそんなこともなかったのだが、ある日突然こんな体質になってしまった、と。
もう何年も苦しめられてきた。能力を無効化する手袋(特注の魔道具でいくつもストックしているらしい)をしていれば日常生活にそこまでの支障はないものの、ほんの少しでも肌と肌が触れると発動してしまう。
当然、男性とのダンスなど絶望的だ。
このままではデビュタントは難しいかもしれない、とまで思い詰めていた。
「奇跡なんだ。女性以外で、クリスタが普通に触れることができるなんて。神が貴方を遣わせたのだとか考えられない」
「はあ…」
ここまで感動されてしまうと、多分中身が女だから触れたんでしょうね、とは言えず、フレアは適当に相づちを打つしかなかった。
アクア家の秘密を知れたことは喜ばしいことだが、ここまで事情を知ってしまうともし万が一正体がバレた時が悍ましい。生きたまま氷漬けにされてしまうかもしれない。
レオンは涙ぐみながら、「そこで」とフレアに熱い視線を向けた。
「君に提案なんだが――――」
「断ります」
「まだ言っていないぞ」
「いや、もう流れでわかるんで、話の。結構です。どんなに金を積まれても無理なもんは無理です」
「金を積むなんて汚い真似はしない」
「ああそうですか。それは安心――――」
「全国パティシエコンテストで十年連続金賞受賞のアクア家専属パティシエのスイーツを堪能したくはないか?」
「何……!?」
「たった一度ダンスを踊ってくれれば、生涯心ゆくまでスイーツを提供させると誓おう」
「うっ…!ず、ずるいぞ!」
アクア家にとんでもないパティシエがいるというのは、風の噂で聞いたことがあった。
アクア家がイグニス家をティーパーティーに呼ぶことなどあり得ない。それはつまり、イグニス家である以上一生堪能することは敵わないスイーツということになる。
イグニス家とバレていない今だけしか味わえない、極上のスイーツである。
フレアは喉を鳴らした。
「つーかお前、なんで俺がスイーツ好きだと知って…!」
「買い食いしただろう。その買い物袋を見ればわかる。クリスタにはしたない真似をさせたことについては、今回は目を瞑ってやる」
「で、でも、そもそも俺はあんたたちとは身分が釣り合わないだろ。そんな俺が大切なダンスの相手って言うのはどうなん――――」
「問題ない。よく見れば顔も整っているし、小綺麗にすればそれなりに見えるだろう。必要なら貴族の身分は買えばいい。大切なのはクリスタが無事社交界にデビューするという、その一点だ。――どうだ、悪くない話だろう。高級スイーツ、貴族の身分、それでもまだ足りないなら好きなだけ金貨を用意する」
「結局金積んでんじゃねーか!!」
「契約書を持ってくる。それまでにどうするか考えるんだ」
そう言って、レオンは席を立った。
結局、フレアは契約書にサインをした。
スイーツと金に目が眩んだ。他で味わえない高級スイーツを心ゆくまで堪能できる上、大金をふんだくれるとなれば当分優雅な生活が送れる。売り払ったドレスだって全部買い戻せるだろう。
――――ただ、それだけが理由ではなかった。
フレアのデビュタントは、その他大勢と同じだった。あの夜、フレア以外にもデビュタントを迎えた者はいたし、フレアだけが特別扱いされることはなかった。四大公爵家の本家の娘であり、聖騎士の一人でもあるというのに。
……唯一違うのは、カイウスに求婚なみのアプローチをされた点だ。
だがクリスタのデビュタントは、クリスタのためだけに女王が主催するらしい。
まるでお姫様扱いだ。女王はいたくクリスタのことを気に入っている。
実の娘もいるはずなのに、彼女よりクリスタの方を可愛がっているという噂まである。
誰からも愛されたお姫様。
自分でダンスの相手を見繕わなくても、こうして金を積んでまで探してくれる従兄弟までいる。
何て恵まれているのだろう。フレアは変な魔道具まで買って一人でずっと悩んでいたのに。彼女にはこんな惨めな気持ち、一生わからないだろう。
ああ面白くない。面白くない。
誰も彼もが、皆してクリスタ、クリスタ、クリスタ。
フレアは口元に暗い笑みを浮かべた。
可愛い可愛いクリスタの、念願のデビュタント。そのお相手の正体が、大嫌いなフレア・ローズ・イグニスだなんて、こんな面白いことがあるだろうか。
アクア家を出てレインの家に戻ったフレアは、ワインをくゆらせながら豪快に笑った。
「――――――てな訳!面白いでしょ!?あのアクア家の奴ら、私の正体を知ったらどんな顔をするかしらね!?」
「うっわ、性格悪いねえ。よく引き受けたよそんなの。ここ出るのもビクビクしてたくせに。バレたら八つ裂きじゃないの?」
「大丈夫大丈夫。アクア家はイグニス家と交流ないから。今の所バレる気配なし!暇ついでに美味しいスイーツを堪能して、大金稼いでがっぽがっぽよ!一回ダンス踊るだけでいいんだから、こんなうまい話ないわよ!」
「下品だねえ。て言うかそれ、口止めされてない訳?私に言っていいのー?」
「良いでしょ別に。レインは口が堅いものねー?」
レインは呆れたように肩を竦めた。この闇医者、変人のはずなのにたまに常識のあるところを見せるからよくわからない。意外に真面目なのかもしれない。
お酒を飲んで気の大きくなったフレアは、その夜ふらりと外に出た。
欠けた月を見上げていた。背後から、何か声を掛けられた気がして振り返った。




