第21話 事態急変
ドンドン
ドンドン
七海からやっとのことで解放され、一睡もできぬまま朝食の準備をしていた時、誰かがドアを叩く音が聞こえた。
街から外れたこんな家に、一体誰が何の用でやって来たというのだろう?
「どちら様ですか?」
「すいませーん、昨日モンスターから店を救っていただいた者です。
御礼だけでもさせていただけないかと思ってこちらに参りました」
昨日の御礼か……
モンスターを倒した張本人はまだ寝ているし、一応挨拶だけして、丁重にお帰りいただこう。
そう思って僕はドアを開けた。
だが、そこにいたのは。
「え……? ……シヴァ……兄……?」
赤い髪と褐色の肌は、僕が亡くした幼馴染のサティと全く同じ。
ただ、彼は男で、短髪で、身長も僕より一回り高く、鍛え上げられた筋肉の鎧を纏っている。
数年ぶりに顔を合わせたが、目の前に立っているのは紛れもなくサティの兄−−シヴァ兄だった。
彼が口を開く。
「よぉ、久しぶりだな、クソ野郎」
そして−−
グサッ
……え?
お腹のあたりが熱い。
焼けるように熱い。
僕は何が起きたかわからず、視線を下に移した。
脇腹に、ナイフが深々と突き刺さっていた。
(な…なん…で…………)
シヴァ兄の右手が、ナイフを勢いよく引き抜いた。
傷口から真っ赤な血がどくどくと流れていく。
脊髄まで突き刺さるような強烈な痛みに体が耐え切れず、僕は膝から崩れ落ちた。
「サティの仇だよ。この大量殺人者が」
「……サ…ティ…の……」
「てめぇの下らねぇ実験のために、俺のたった一人の大切な妹は死んだ。
それだけじゃねぇ。
学術都市で、既に15万もの人が死んだ。
全部、てめぇがやったことだ。
苦しんで死ね!
この殺人犯が!」
(……15…万……僕…は……それだけの……人を……殺し………)
激痛に体中から全ての力が抜けていくが、なんとか思考はできた。
幼い頃はサティと一緒によく遊んでくれたシヴァ兄。
その彼が僕を明確な敵として殺そうとしている事実は、僕を打ちのめした。
それに、シヴァ兄は軍人だ。
軍人である彼が僕を殺しにやって来た。
ということは、既に王都から僕に対して討伐命令が下っているのだろう。
きっと事故の原因だって調査したはずだ。
その結果、やはり僕が悪い、ということが明らかになったのだろう。
ごめんなさい、サティ。
僕が君を殺したんだ。
ごめんなさい、15万もの人々。
僕があなたたちを殺したんだ。
ごめんなさい、七海。
やっぱり僕に生きる資格はなかったみたいだ。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい−−−−−−−−−−−−−−
「今更後悔したって遅ぇんだよ。
苦しみ抜いて死にやがれ」
そう言って、シヴァ兄はもう一度ナイフを突き出してきた。
その瞬間−−−−
『貯まったな』
奈落の底から響いてくるような、低い低い声が聞こえた。
同時に、脇腹の傷口から、黒と紫の混じった凶々しい瘴気が大量に吹き出してきた。
(な……んだ……これ……)
「何だこれは……
てめぇ、もしや本物の悪魔だったか……
殺す! 今すぐ殺す!」
瘴気に驚いて一旦下がったシヴァ兄が、猛スピードでナイフを突き出す。
しかし、突如として腕のような形に凝縮した瘴気に阻まれた。
『そんなもので我を殺せるはずがなかろう』
大量の瘴気は吹き出したそばから徐々に凝縮され、形になっていく。
そして、凝縮した瘴気が、その正体を現す。
『ようやく出られたな』
巨大な黒い……動物?
大蛇のような尾。
空を我が物顔で飛べそうな翼。
雄々しいたてがみに包まれた顔は、獅子のようであった。
凶々しさと神々しさが同居する、謎の生命体。
これは一体……?
まさか、これがILIM……?
「なんだこれは!?
異常種モンスターか!?」
シヴァ兄も驚きを隠せない。
「くそがっ! 方針変更だ! 全力で行く! 一瞬で仕留めてやる!」
彼は、自分の肉体に宿るマナを練り上げた。
「喰らえ、”スライド”」
ナイフを持たない彼の左手が、ILIMらしきものを切り裂こうと、水平に鋭く動く。
”スライド”とは、腕の一部にマナを収束させ強靭な刃物と化す、シヴァ兄の得意技だったはずだ。
サティと僕が幼い頃、シヴァ兄が訓練中に見せてくれたことがある。
10年以上前の話だが、その時既に彼は大岩を素手で切り裂いていた。
軍人として厳しい訓練を重ねた今なら、金剛石すら容易く切り裂くのではないか。
僕にはそう思えた。しかし、
『遅いな』
シヴァ兄の腕が届く直前、ヤツが一瞬ブレたように見えた。
と同時に、シヴァ兄が大きく吹き飛ばされた。
「ぐわあああああああああ!!!!!!!」
悲鳴をあげながら吹き飛んでいくシヴァ兄。
彼が地面に墜落する前に、茂みから一人の男が飛び出し、シヴァ兄を受け止めた。
「隊長! 大丈夫ですか! 隊長!」
「隊長! しっかりしてください!」
「隊長!」
一人が出てきたのをきっかけに、茂みからわらわらと鎧を纏った男たちが出てきた。
シヴァ兄の部隊に所属する軍人だろうか。
その時、家の奥からもドスドスという足音が聞こえてきた。
「アキト! なにがあったの!?」
七海だった。
「アキト! ……ッ! 酷い傷!」
彼女は真っ先に僕の方に駆け寄ってきた。
「なな……み……ごめ、ん……あれ……止められ、なかった……」
僕は力の抜けた腕を必死に持ち上げ、黒く蠢く巨大な動物を指差した。
ヤツは、シヴァ兄の部隊と睨み合っていた。
といっても、睨んでいるのは軍人たちだけで、ヤツ自身は自分の体の動きを確かめるように、翼をはためかせたり、腕や尻尾をのんびり動かしたりしている。
「ILIM……! 顕現したのね……前に見た時よりもずっと凶々しい……でも今はそれよりっ!」
彼女は近くにあった自分のリュックから応急薬とタオルを取り出した。
傷口に消毒液らしきものを振りまく。
「ぐああああ!」
焼けるような痛みに思わず悲鳴をあげる。
「しっかりして! アキト! これで出血を押さえるの!」
七海はタオルを傷口に当てると、圧迫して止血した。
「アキト! 意識を保つのよ! 図書館は開ける!? 魔術は使える!?」
「いい…んだ……七海……僕には…生きる……資格、なんて……」
「………………この……ばかアキト!!!」
彼女は、僕の左の頬を全力で平手打ちした。




