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第9章 火曜 18:00(狂言の破綻と男たちの自滅)

第9章 火曜 18:00(狂言の破綻と男たちの自滅)


 18時。外はすっかり夜の闇に包まれ、閉店まであと2時間となった店内は、死んだように静まり返っていた。

・

 二階や一階にわずかに残っていた客も、売り場に漂う刺々しく不穏な空気を察して次々と退店していき、館内には換気扇の回る低音だけが不気味に響いている。

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 スタッフルームの中では、掴み合いの喧嘩寸前だった僕と新田が、店長によって無理やり引き剥がされ、荒い息を吐きながら互いを睨み合っていた。

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・

「……もういい。もういいんだ……」

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・

 長山店長が、今にも途切れそうな掠れた声で呟いた。

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 パイプ椅子に力無く腰掛け、両手で顔を深く覆っている。髪はぐしゃぐしゃに乱れ、顔色は土色だった。自分の保身と「警察を呼びたくない」「本部に知られてクビになりたくない」という一心で男たちを問い詰めて迷走し続けた結果、店長の精神は完全に限界を迎えていた。

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「新田……君は明日から、当面の間……出勤停止とする」

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「はぁぁぁっ!? なんで俺が出勤停止なんスか!? 俺は被害者……じゃなくて、トイレでブツを見つけただけッスよ!?」

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「黙りなさい!!」

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 店長は悲鳴のような大声を張り上げた。血走った目が、新田を鋭く射抜く。

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・

「君が日頃から遥ちゃんに対して不適切な言動を繰り返し、嫌がられていたのは紛れもない事実だ! 今日も一階の指示を聞かずに二階へ上がって執拗に付きまとい、トイレからあのブツを持ち出して店内の秩序を徹底的に乱した! 挙句の果てに、休みの笠原や遥ちゃんにまで支離滅裂な言いがかりをつけて責任転嫁した……! これ以上、君を売り場に出すわけにはいかない!」

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「なっ……! 本気で言ってんのかよクソジジイ!!」

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「本部に報告がいかないよう、この件は『社内でのハラスメントおよび店舗トラブル』として処理する! 新田、私物をまとめて今すぐ帰りなさい!! 二度と遥ちゃんに近づくな!」

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「くそっ……! 冗談じゃねぇぞ……! どいつもこいつも狂ってやがる!! 嵌められたんだよ! 俺じゃないって言ってるだろ!!」

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 新田は顔を真っ赤に歪めて吐き捨てると、パイプ椅子を豪快に蹴飛ばした。ガシャン!と高い金属音が響き、新田は捨て台詞を残してスタッフルームを跳び出していった。バタン!と重いドアの音が館内に虚しく響き渡り、やがて彼の乱暴な足音が遠ざかっていった。

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・

 ――新田の失脚。

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 その瞬間、僕の胸の中には猛烈な達成感と、甘美な全能感が満ち溢れていた。

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(……勝った。僕が……遥ちゃんを守り抜いたんだ)

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 新田という下品で有害な害虫を店舗から叩き出し、不在の笠原への濡れ衣も僕の正義感で阻止した。

 僕は静かに、壁際にいる遥ちゃんの方を振り返った。彼女はエプロンをきつく握りしめ、目を潤ませながら僕を見つめている(気がした)。

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(大丈夫だよ、遥ちゃん。君を脅かす嫌な奴は全員消えた。これからは僕が、君の永遠のヒーローとして一番近くで守り続けるからね……)

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 昨夜、彼女の生足を思い出して自慰行為をしてしまったという不潔な罪悪感。それは今や、「悲劇のヒロインを救い出した聖なる功績」として僕の脳内で完璧に美化され、清算されていた。自分がどれほどキモく、身勝手な自惚れに浸っているかなど、僕は微塵も気づいていなかった。

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「……山田。君も売り場に戻りなさい。今日の閉店作業は……僕と君でやる」

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「はい、店長。お任せください!」

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 僕は誇らしげに胸を張り、力強く頷いた。店長は惨めに肩を落とし、疲弊しきった様子で目をつぶっている。

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 ――その時。

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 部屋の隅でずっと気味悪く黙っていた三田が、眼鏡の奥の光を妖しく蠢かせながら、静かに立ち上がった。

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「店長。僕も三階の締め作業に戻ります。……実に、興味深い一日でした」

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 三田は誰とも目を合わせず、口元に薄笑いを浮かべながらすっと部屋を出て行った。

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 三田の脳内では、自分だけが「ホスト風の客と遥が一階トイレで密会していたという秘密」を握っているという、歪んだ優越感が渦巻いていた。他の男たちが新田の処分でドタバタと自滅していく中、自分だけが高みから『真実』を把握し、彼女の弱みを握った気でいる――その狂気的な勘違いに酔いしれながら、彼は三階へと消えて行った。

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・

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 そして――。

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・

 男たちがそれぞれの自惚れ、保身、そして妄想で勝手に自爆し、散っていったバックルーム。

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 静寂が戻ったその室内で、七海先輩は、パイプ椅子で小さくなっていた遥ちゃんの肩を優しく抱きよせた。

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「遥、顔を上げなさい。もう大丈夫よ」

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「……はい、七海先輩」

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 遥ちゃんは目元の涙をそっと指先で拭うと、静かに顔を上げた。

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 そこに漂っていたのは、怯えでも、涙でもなく――もちろん、僕や店長に対する感謝などでもなかった。

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 彼女の瞳の奥にあったのは、男たちの愚かなドタバタ劇を見届けた、暗く静かな透明な光だけだった。

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「新田さん、本当に出て行っちゃいましたね」

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「自業自得よ。これで少しは静かになるでしょう」

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「……はい」

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 遥ちゃんはエプロンの裾をきゅっと整えると、いつもの可憐な表情に戻り、静かにバックルームを後にした。

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 誰一人として、真相には辿り着けない。

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 男たちの身勝手な欲望と見当違いの不信感が交錯したこの古本屋で、事件は男たちの勝手な狂気と確執を残したまま、不気味な静けさの中で閉店の刻を迎えようとしていた__。

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・

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第10章へ続く





さあ、いよいよ次がラストの第10章。

9章が短めな分10章は多少長めです。

種明かしのエピローグをお楽しみに!

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