第8章 火曜 16:30(新田の破綻と擦り付け)
第8章:火曜 16:30(新田の破綻と擦り付け)
僕は何度も何度も作業の合間に笠原に電話をした。
気付くと30分以上時間が経過していたが笠原とは今だに連絡が取れない。
(やっぱり風邪でも引いて寝込んでいるんじゃないか?)
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夕方16時30分。外の陽が陰り始め、バックルームの蛍光灯がジジジと不快な低音を立てていた。
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もはや店内は営業どころではなかった。一階と二階に僅かに残っていた客も、ただならぬ殺伐とした雰囲気を察して次々と退店していき、館内には不気味な静けさが広がっている。
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「もう限界だ……! 誰なんだ……誰がやったんだよ……っ!!」
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バックルームの中央で、長山店長が血走った目で叫んだ。髪はボサボサに乱れ、ネクタイは緩みきり、爪を噛みすぎて指先から薄っすら血が滲んでいる。
部屋には店長と僕、新田、自由を奪われたかのようにパイプ椅子で小さくなっている遥ちゃん、そして壁際で腕を組む七海先輩が集められていた。
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「おい新田!! お前だろう!? 正直に言え!!」
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店長が狂ったように新田の胸倉を掴みかからんばかりに詰め寄る。
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「だから俺じゃないって言ってるでしょうが!! しつこいなクソジジイ……じゃなくて店長!!」
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新田は完全にテンパっていた。いつものヘラヘラとした余裕は微塵もなく、顔を真っ赤にして唾を撒き散らしている。自分が本物のブツ(使用済みコンドーム)を一階トイレで発見して持ち込んだせいで、一番の容疑者として追い詰められているのだ。
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「じゃあ誰なんだよ!? トイレに捨てたのもお前、バックルームに空き袋を捨てたのもお前じゃないなら、誰がこんなことできるんだ!!」
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「だから笠原ですよ!! 何度も言ってるでしょうが!!」
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新田は半狂乱になりながら、激しい手振りで叫び散らした。
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「笠原は昨日、最後まで山田先輩と残ってたんスよ!? あいつ、昨日帰るとき『雨の中走って帰る』とか言ってたんだろ!? でもあれ嘘っスよ! 本当はずっとどこか店内に隠れて潜んでて、閉店後に遥ちゃんのチノパンを破いて、バックルームとトイレで……やったんスよ!!」
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「な……なんだと……!?」
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「あいつが今日ずっと電話に出ないのは、後ろめたい罪悪感があるからに決まってんだろ!! 風邪で寝込んでるなんて嘘だ!! あいつが犯人だ!! あいつを警察に突き出せばいいだろ!!」
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「新田、何回言わせるの? 昨日の夜に潜んで破いたって、昨日の遥はチノパンなんて穿いてきてないでしょ!?」
冷静な七海先輩のツッコミが入った。
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「何回言ったらわかるんだはこっちのセリフっスよ! 俺じゃないって壊れたラジオ並みに何回も言ってるのに誰もちっとも信じない! この場にいない奴が一番怪しいでしょうが! 普通そうでしょうが!」
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(……こいつ、どこまで醜い男なんだ)
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「だったらどうやって笠原は昨日の段階で遥のチノパンを破くの?」
七海先輩が至極当然のツッコミを入れる。
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「そ、それは、だ、だから遥ちゃんが同じチノパンを2枚持ってて、笠原と遥ちゃんがグルで共犯して俺を嵌めようとしているんだ!」
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「そ、そうだ。そうだよ。きっとそうだ。これです店長! これが真相です!」
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七海先輩の追及に応じるように、新田は閃いたとばかりに次々と狂った言葉を吐き出した。
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「遥ちゃんは今日破れてないチノパンで出勤してきて、時間を見計らって昨日笠原と仕込んどいた破れたチノパンに履き替えたんだ!」
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「だから『破れていないもう1つのチノパン』がどこかにあるはずなんだ!」
「もしないなら笠原が持って帰ったんだ!」
「コンドームの空き袋は笠原が仕掛けた! 使用済みコンドームも笠原の精子!」
「笠原が全て昨日のうちに仕込んでたんですよ!」
「これが俺の推理です! 俺が犯人じゃない証拠です!」
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店長が「なるほど……!」と一瞬感心したような顔で新田の話を聞いているのに対して、冷静な七海先輩が冷ややかな口を開いた――。
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「笠原がここにいないことをいいことに、よくもまあそんな自分勝手なストーリーを捏造するわね。感心するわ」
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「同じチノパン? 遥のチノパンは古着のヴィンテージなのよ? 1点ものなのよ? 既製品じゃないとそのあんたの推理は成立しないわね」
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「それに笠原が潜んでたって、どこに? どこに隠れられるのよ。笠原は190cm近い長身なのよ? あんな巨人、嫌でも目立つでしょ?」
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「それでもあんたの推理を証明したいなら、笠原をここに連れてきなさいよ」
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「うぐ、うぐぐ……」
ぐうの音も出なくなった新田。
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七海先輩に口で勝てるわけがないのに新田はバカだ。
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「クソが! クソが! クソが! 俺じゃねぇんだよー!!! 誰か信じてくれよ!」
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新田の悲痛な叫びを聞きながら、僕の脳内では怒りと冷ややかな考察が激しく交錯していた。
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(新田の理屈は滅茶苦茶だ。笠原が店内に潜伏してそんなことをする猶予なんてなかった。だが、新田がここまで必死に笠原に罪を擦り付けようとしているのはなぜだ? 自分が犯人だからだろ! 確定している3つの痕跡――遥ちゃんの破れたチノパン、バックルームの空き袋、男子トイレの射精済みコンドーム。今日、一階の作業を放棄して二階で遥ちゃんにしつこく触れようとしていたのは新田だ。バックルームの空き袋も、一階トイレの使用済みコンドームも、あいつが自作自演で『発見者』を装って自分の疑いを逸らすために仕組んだ仕掛けに違いない……!)
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新田のむき出しになった醜いエゴと擦り付け。――その見苦しい姿を見下ろしながら、僕(山田)の胸の中では、猛烈な「正義感」と「自惚れ」が最高潮に達していた。
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(笠原は昨日、僕の目の前で濡れながら笑顔で走って帰ったんだ。あんなバカだが真っ直ぐな奴が犯人であるはずがない! 自分の保身のために仲間にぬれぎぬを着せる新田……そしてパニックになって右往左往するだけの店長……! 誰もまともじゃない。僕が手縫いで遥ちゃんのチノパンを救ったように、この泥沼から真実を見抜き、遥ちゃんを守れるのは……僕しかいない!)
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僕は一歩前に踏み出し、新田と店長の間に割り込んだ。
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「新田。いい加減にしろ」
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「あぁん!? なんだよ山田先輩!! 先輩だってさっき更衣室のカーテン越しに遥ちゃんと二人きりになってただろ! 先輩が遥ちゃんとやってたんじゃねーのかよ!」
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「ぼ、僕が遥ちゃんと!? バカなことを言うな! 僕が遥ちゃんにそんなことするわけないだろ! 遥ちゃんが嫌がったり傷つくことを僕がするわけがない!」
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「それは俺だって同じだから俺もしてないって言ってるのがなんでわかんねーんだよ!」
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「黙れ!! お前は散々嫌がられているのにしつこく付きまとっているだろうが! そんな欲望全開スケベ心全開のお前と一緒にするな! 僕のこれとお前のそれは全然違う!! 別物だぁー!!!」
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僕は腹の底から怒号を叩きつけた。新田がビクッと肩を跳ね上がらせる。
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「笠原も同じだ、そんなことをする訳がないだろう!! あいつは昨日、傘も持たずに土砂降りの中を走って帰ったんだ!! ズボラでバカだが、お前みたいに自分の保身のために仲間を売るような卑怯者じゃない!!」
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僕は七海先輩の隣で怯える遥ちゃんにチラリと視線を送った。彼女の大きな瞳が、僕の勇姿をじっと見つめている(気がした)。
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(見ているかい、遥ちゃん……。店長は怯え、新田は醜く責任をなすりつけ合っている。でも、僕だけは違う。昨夜、君の生の太ももを思い出して自分を慰めてしまった罪……その汚れた僕だからこそ、命を懸けて君のためにこの泥沼の嘘を暴いてみせる……!)
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昨夜の自分勝手な自慰行為に対する罪悪感は、今や「悲劇のヒロインを救い出す孤高のヒーローとしての使命感」へと完全に昇華されていた。僕は自分都合の正義に泥酔し、新田の胸元を力任せに掴み上げた。
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「新田……本当はお前なんだろ? 今朝一階の指示も聞かずに二階へ上がって、遥ちゃんに粘着していたのもお前だ。お前が遥ちゃんのチノパンに手をかけ、追いつめ、こんな事件を起こしたんじゃないのか!?」
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「ち、違う!! 俺じゃない!! 離せよ山田先輩!!」
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窮地に追い詰められた新田は、すがりつくような目でパイプ椅子の遥ちゃんへと向き直り、必死の様相で叫んだ。
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「遥ちゃん! 春歌ちゃん、君もなんとか言ってくれ!! 君が一番わかってるはずだ、俺がそんなことしてないってことを!! お願いだから『違う』って言ってくれよ!!」
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新田の悲鳴のような問い詰め。
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だが――遥ちゃんは一切何も答えなかった。
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さっき僕の疑いを晴らす時には「山田さんは違います!」と即座にハッキリ言った彼女が、新田に対しては……ただただ目元を真っ赤にし、身体を小さく震わせ、ポロポロと涙を流して沈黙を守っているだけだった。
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(……見ろ。遥ちゃんのあの姿を)
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その決定的な「沈黙」が、僕の脳内で新田への確実なクロ判定(真犯人)として結実した。
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(僕の時にはあれだけハッキリ庇ってくれた遥ちゃんが、新田に対しては恐怖で声も出せない……。これが答えだ。新田、お前が遥ちゃんを恐怖に陥れた真犯人なんだ!)
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「新田!! 遥ちゃんに謝れ!! これ以上彼女を脅かすな!!」
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「やめなさい二人とも!! 喧嘩はするな!!」
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店長がオロオロと間に割り込もうとし、新田は僕の手を振り払おうと暴れ、バックルーム内は怒号と罵声が飛び交う完全な無秩序状態へと陥った。
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男たちが欲望と保身をむき出しにして見苦しく醜態を晒し合う、地獄のような泥沼。
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その混乱の最中、壁際に立つ七海先輩は、軽蔑を通り越した冷酷な眼光で男たちを見つめていた。そしてその隣で、遥ちゃんは涙を拭うフリをしながら、エプロンの下で静かに、小さく唇の端を歪めていた――。
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第9章へ続く




