第10章 水曜日(残された狂気と歪んだ日常)[エピローグ]
第10章 水曜日(残された狂気と歪んだ日常)[エピローグ]
・
一夜明けた水曜日の朝。10時ちょい前。
秋の澄み渡った空の下、古本屋の自動ドアが静かに開いた。
・
「おはよーございまーす! ギリギリ遅刻じゃないですよね〜?」
・
店内に入ってきたのは、すっかり熱の下がった笠原だった。マスク越しにハキハキとした声を出しながら、ポリポリと頭を掻いている。
・
「いやぁ〜すみません山田先輩! 月曜の夜、雨の中走って帰ったら速攻で38度出ちゃいまして! 昨日一日、死んだように爆睡しててスマホの通知全然気づかなかったッス! いや〜マジバカは風邪ひかないって嘘ッスね!」
・
「んで起きたらびっくり。店長から100件近く通知があって慌ててなにかなって深夜に折り返したら『今日はすごく疲れたから明日また話す』って言って切られたんですよ。え?100件近くかけて来て明日なの?って思いましたよ」
・
「店長はもう来てますか?」
・
「いやまだ来てない。店長は今日遅番なんじゃないかな。頼りないけど時間だけはきっちり守る人だから」
・
「ですよね〜。時間に超うるさいですよね店長って」
・
「あ、そうだ。先輩からも10件近くありましたが…どんな用件だったんですか?」
・
「いや、俺の口からじゃなく詳しく事情は店長から聞いてくれ」
・
「あ、やっぱり同じ用件ですか。じゃあ七海さんからの2件もそうなのかな?」
・
「七海さんも笠原にかけてたんだ」
(店長が僕に頼んで来たように店長の代理で?それとも七海さんも笠原を疑ってたのかな?)
・
「俺昨日、大人気だったんですね?」
・
ケラケラと呑気に笑う笠原。昨日、自分がこの店舗で「性的事件の容疑者」として疑われ、土壇場まで追い詰められていたことなど、彼は知る由もない。
・
「……本当に、お前は能天気な奴だな」
・
僕は苦笑いを浮かべながら、優越感に満ちた眼差しで笠原を見つめた。
・
(可哀想に……。僕が昨日の現場で踏ん張って新田の暴走を止めなかったら、お前は冤罪でクビになるところだったんだぞ。命拾いしたな、笠原)
・
昨日の混乱を経て、新田は出勤停止(事実上の解雇)となり、店内には静けさが戻っていた。
・
・
「あれ? そういえば新田のやつは? 今日遅刻ッスか?」
・
・
「新田は……当分来ないよ。ハラスメントの問題で出勤停止になったんだ」
・
・
「えっ!? マジッスか!? あいつついにやらかしたんスか〜、ウケるなぁ」
・
・
笠原は能天気に笑い飛ばすと、「じゃ、俺一階の品出ししてきます!」と元気よく降りて行った。
・
・
一階のレジ前では、開店早々にやってきた常連の佐々木さんが、木本さんと並んで立っていた。
・
・
「あ、あらぁ〜……佐々木さん。おはようございます……」
・
・
「おはよう、木本さん。……あのさ、昨日はごめんね。上着のポケット探したら『あれ』が無くてさ……。まさか、入れたつもりでお店のトイレに落としたりしてないよね……?」
・
・
「ちょっと佐々木さん! 大声出さないでよバカ!!……大丈夫だから!でも、 もう二度とお店であんなことしないでね! みんなが騒いでいた原因が『それ』だとわかった時、ほんとに寿命が縮んだんだから……っ!」
・
・
二人は声を殺してひそひそと焦り合い、気まずそうに目をそらし合っていた。
・
・
(……ふん。相変わらず朝から韓ドラの話でコソコソやってるな)
・
・
一階の吹き抜け越しにその様子を見下ろしていた僕は、冷ややかな鼻笑いを漏らした。
・
・
__ふと、二階のカウンターに目を向けると、昨日僕が綺麗に修理したチノパンを今日も穿いてきた遥ちゃんが、七海先輩と並んで文庫本の検品をしていた。
・
・
僕が階段の上から視線を送ると、遥ちゃんはハッと気づいたように顔を上げ、小さく微笑んで深々と頭を下げてくれた。
・
(ああ……伝わっている。僕の想いは、ちゃんと遥ちゃんに届いているんだ)
・
僕の胸の中は、暖かく甘美な全能感でいっぱいになった。
・
一昨日の夜、彼女の生足の幻影で自慰をしてしまったという後ろめたい罪悪感。そんなものは、いまや完全に消え去っていた。
・
僕は彼女を守り抜いた。新田という害虫を排除し、笠原の濡れ衣を晴らし、店長のか弱い保身を支え切った。僕こそが、この不気味な古本屋で彼女を救い出した唯一のヒーローなのだ。
・
(新田みたいな不潔な奴がいなくなって、店も清々した。これからは僕が、遥ちゃんにとって一番安心できる居場所を作ってあげるんだ)
・
(大丈夫だよ、遥ちゃん。これからは僕が、君の隣でずっと見守ってあげるからね……)
・
・
・
自分のキモさにも、身勝手な自惚れにも、僕は死ぬまで気づくことはないだろう。
・
・
・
三階の吹き抜けの手すり越しに、三田が静かに僕たちを見下ろしていた。
・
三田が、「僕だけが秘密を知っている……」と眼鏡の奥の濁った瞳で、遥ちゃんの胸元をじっと見つめ、「僕だけが……あの二人の秘密を知っているんだ……」と気味悪い満足感に浸り、満足げに口元を歪めながら。眼鏡の奥を光らせている。
・
・
・
・
・
――だが。
・
・
・
二階の奥、バックルームへ繋がる通路の死角で、二人きりになった遥と七海は、売り場の方を冷ややかに見つめながら低く囁き合っていた。
・
・
「……七海先輩」
・
・
遥がエプロンの下から、綺麗に繕ったチノパンの端を撫でながら声をかけた。泣きじゃくっていた昨日の面影は微塵もなく、その瞳は冷たく冴え渡っている。
・
・
「新田、出勤停止になりましたね。これで店舗からも追い出せました」
・
・
「ええ。あいつの自爆ね。でも……遥、あの『使用済みのコンドーム』って、一体何だったのかしら?」
・
・
七海が腕を組み、眉をひそめて小さく首を傾げた。
・
・
「あのスタッフルームのゴミ箱に、コンドームの外側の空きフィルムを設置したのは私よ。月曜の夜にあなたが仕込んだチノパンの破れに合わせて、あいつら3人の気持ち悪いセクハラ男たちと、頼りない店長の醜いエゴを浮き彫りにして……一気に警察沙汰にしてやるつもりだったじゃない?」
・
・
「はい。警察を呼ばせて大騒ぎにして、こんな腐った店、私たち2人ともスッキリ辞める計画でしたもんね」
・
・
「そうよ。……だから、新田が一階のトイレから『本物の使用済みのブツ』を持って駆け上がってきた時は、私、本当に焦ったわよ。あんなの計画に無かったし、あれ一体何だったのかしら……?」
・
・
「もしかしてと思って笠原君に2回も電話しちゃったわよ」
「あれは本当に『謎』ね」
・
・
「ふふ……本当ですね。『謎の人』が勝手にリアルな汚い物まで用意してくれて、男達も勝手に自爆してくれて、私達の計画を早めてくれたみたいです」
・
・
遥はクスッと可憐に微笑むと、胸の前で小さな手を重ねた。
・
「でも、警察は呼ばれなかったけど……新田は消えたし、店長はオロオロして使い物にならなくなったし、山田さんは自分が『ヒーロー』になったつもりで勝手に満足してますよ」
・
・
「本当ね……キモい男たちが勝手に妄想して勝手に自爆してくれたんだから、笑っちゃうわ」
そういうと七海はため息混じりに小さく笑った。
・
・
「あと、忘れてた。存在感のない三田っていう人。あの人昨日キモさに磨きがかかってて、『秘密をバラされたくなかったら…』ってなにかネチネチ言い寄って来たんです」
「私、一体なんのこと言ってるのかさっぱりわからなくて困っちゃいました。ここの男ってどうしてこんな変な奴ばっかりなんですかね?」
・
・
七海は再びため息混じりに小さく笑うと、遥の肩を優しく叩いた。
「まあいいわ。計画とは少しズレたけれど……目的は果たせたんだから」
「じゃあ次は、三田を嵌める計画でも考えましょうか?遥」
・
「はい、七海先輩。一生ついて行きます」
・
二人はすっと表情を消し、いつもの「素直な後輩」と「頼れる先輩」の顔に戻ると、何事もなかったかのように光の射す売り場へと歩き出した。
・
男たちの身勝手な自惚れ、歪んだ欲望、見当違いの推理。
それら全てを完璧に踊り子のように操り、切り捨てた女たちの静かな勝利とともに、古本屋の破滅の一日は幕を閉じたのだった__。
・
・
・
・
・
(【火曜日の古本屋】・完)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
いかがでしたでしょうか? この結末、予想できましたか?
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
本作は「手軽にテンポよく読める密室劇」を目指して一気に書き上げました。
楽しんでいただけた方は、ぜひ【フォロー】や【評価(星・ブックマーク)】をしていただけると、今後の執筆の大きな励みになります!
この他にも、さまざまなテイストの短編作品を多数公開しております。 よろしければ、ぜひ作者ページから他の作品も覗いてみてください!




