第2章 ケツの新田と、オッパイの三田
二階の文庫本コーナー。
新田は、品出しのために低い棚の前で屈んだ遥ちゃんの背後に、すっと忍び寄った。
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新田の視線は、遥ちゃんが穿いているタイトなスキニージーンズのお尻――そのキュッと引き締まった曲線に固定されている。鼻から抜ける呼吸が、隠しきれない欲望で荒くなっていた。
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「ねえ遥ちゃんさー。前から思ってたんだけど、今日のジーンズのケツ。マジでラインヤバくない? めっちゃスタイル際立ってるっていうかさ」
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新田は声を低く落とし、親密さを演出するように距離を詰めた。息がかかるほどの至近距離だ。
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「あ……ありがとうございます。新田くん、ちょっとそこ、本入れづらいから離れてもらえる……?」
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遥ちゃんは困惑したように眉をひそめ、持っていた文庫本を胸元で強く抱きかかえて身を引いた。声は小さく震えている。
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「えー? なんで遠ざかるのさ。俺、遥ちゃんの手伝いしたいだけだって。ほら、その下段の『夏目漱石』の束、俺が屈んで入れてあげるからさ。代わりに今度、仕事終わったら二人でメシ行こうよ。いい店知ってんのよ」
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新田は手伝うフリをして遥ちゃんの手に自分の手を重ねようと指を滑らせた。
軽薄な態度の中に、相手を強引に押し切ろうとする男特有のずうずうしさが透けて見えている。
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「本当に大丈夫だから……! 近藤先輩に怒られちゃうよ……?」
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「大丈夫だって! 近藤先輩なんて今一階で事務所の書類作ってて見てないって。ねえ、ちょっとだけでいいからさ――」
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「新田。私の名前を勝手に使わないで」
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背後から響いた氷のように冷たい声に、新田の肩が跳ね上がった。
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台車を押して通りかかったのは、二階の先輩スタッフ・近藤七海さんだった。
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七海さんは一切の感情を排した無機質な瞳で、新田の手元をじっと見つめている。
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「げッ……近藤、先輩……いつからそこに……」
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「最初から。新田、一階の値札貼り、終わったの?」
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「いや、それは……木本さんが佐々木さんと話してて指示くれないから……」
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「木本さんがどうあれ、あなたの今日の担当は一階の値札貼り。終わってないのに二階に上がってきて、作業中のスタッフの手を止めて何してるの?」
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「いや、俺は遥ちゃんのフォローをですね――」
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「邪魔。降りて」
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七海さんの一言には、一切の反論を許さない圧倒的な拒絶がこもっていた。
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新田は舌打ちを噛み殺し、「ちぇっ、真面目ぶっちゃってさ……」と小声で捨て台詞を吐きながら、逃げるように階段を下りて行った。
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「遥、大丈夫? 嫌なことされたら、ハッキリ『やめて』って言いなさい。あの手の人種は、曖昧に微笑んでると調子に乗るから」
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「……すみません、七海先輩。ありがとうございます……」
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遥ちゃんは心底ホッとしたように胸を撫で下ろし、小さく頭を下げた。
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――その光景を、三階の手すり越しに見下ろしていた僕――山田の胸の中には、ドロリとした優越感が広がっていた。
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(ほら見ろ。新田のやつ、七海先輩にバッサリ切られてやんの。ダサすぎるだろあいつ。女の気持ちも分からないで、ただ自分の欲望だけ押し付けてさ……)
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僕は自分の手元にある文庫本を整頓しながら、フッと嘲笑を浮かべた。
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(遥ちゃんが困ってたのは、新田がデリカシーのないガキだからだ。僕みたいに彼女の服装や趣味を理解して、対等な目線で会話できる大人の男なら、彼女だってあんな嫌そうな顔はしない。七海先輩は『ハッキリ断れ』なんて冷たいこと言ってるけど、遥ちゃんみたいな繊細な子がそんな強く言えるわけないじゃないか。やっぱり、僕が影からしっかり見守って、あの手の大蛇から守ってあげなくちゃ……)
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自分は新田とは違う。自分は七海先輩よりも彼女の痛みを理解している。
湧き上がる自惚れと見返りへの期待を「優しい先輩の配慮」という美名で包み込み、僕は自分の特別な立場に酔いしれていた。
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だが、その僕のすぐ数メートル隣。
三階の『サブカル・グラビアコーナー』の死角から、壁と同化するように佇む男がいた。同僚の三田達也だ。
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(新田のバカ……ケツばかり追いかけて、何も分かってない……)
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三田の脳内では、新田のような浅はかな下心とは全く異なる、異様な「観察記録」と「美学」が再生されていた。
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(遥ちゃんの真の美しさは、あの胸の『お椀型のシルエット』にあるんだ。世の中のバカな男どもはすぐに巨乳だのDカップだのと数値の大きさばかりありがたがるが、本質はそこじゃない。重要なのはサイズではなく、【形状・質感・色味・そして弾力係数】の四要素が描く奇跡の調和なんだ)
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三田の手帳には書かれていない。すべては彼の頭の中のデータベースに刻み込まれている。
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(数ヶ月前、二階の在庫整理でダンボール箱を抱え上げた時のあの瞬間……。重みで歪んだ段ボールに押し当てられた遥ちゃんの左胸の潰れ具合、肉の逃げ方、そして箱を置いた瞬間に「ふわり」と元の綺麗なカーブへと戻った復元スピード……。あの肉感と弾力から導き出した、弾力係数と92%のお椀型確率。あれはシリコンやブラジャーの補正では絶対に作れない、天然の芸術品だ)
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三田は一切の瞬きを忘れたような無機質な瞳で、遠くの遥ちゃんを見つめ続ける。
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(そして、今年の猛暑の日……。エアコンが故障して店内の室温が三十度を超えたあの日、汗だくになった遥ちゃんの薄い白いTシャツ越しに、くっきりと浮かび上がったあのシルエット……。生地の水分によって浮き彫りになった、綺麗な上向きの乳首のライン。下垂せず、天に向かって誇り高く描かれたあの角度こそ、彼女の胸が真のお椀型である動かぬ証拠だ。あれはエロなどという下品な言葉で処理していい代物じゃない。俺だけの聖域であり、神聖な美術品なんだ……)
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三田にとって、彼女の胸は触るためのものではなく、脳内で鑑賞し、記録し、守り続けるための絶対的な神域だった。それゆえに、それを下品な視線で汚そうとする周囲の男たちへの冷ややかな蔑視は、誰よりも深かった。
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(新田みたいな害虫が、ヘラヘラと触れようとするなんて万死に値する。勝手に興奮してお尻を追いかけて自滅していけばいい。そして山田も山田だ。ヒーロー気取りで『守ってあげる』なんて気持ち悪い視線を送って……遥ちゃんがお前みたいな善人面の男に心を開くわけないだろ。遥ちゃんの美しさを正しく理解し、鑑賞できるのは世界で俺一人だけなんだ。毎日、彼女が何時にどの棚にいて、誰と何秒話して、どんな角度で屈んだか……俺の頭の中に全部記録してあるんだから……)
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一人の可憐な女の子――遠山遥ちゃんを巡り、男たちの勝手な妄想、見下し、そして不気味な自惚れが、本棚の死角で静かに、重く交錯していた――。
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第3章へ続く




