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8話 「振り向いてください」

 二月に入ってすぐ、アニメ「超常現象依頼記録書」の打ち上げパーティーが行われた。

 全話納品完了を祝い、作品に関わった人間が一堂に会す。澪が現場でお世話になった人から直接は関わらない人まで。

 普段は地味めのオフィスカジュアルといった服装の澪も、シックなグレーのドレスを着こなしている。メイクはいつもより華やかに、髪も晴れの日らしくアップスタイルにして。


 メインの立食パーティーでは飲食はほどほどに、三好の同伴で挨拶回りをした。堅い空気も二次会になるとほぐれていく。夜遅く、三次会まで残ったのは一部の声優のみ。ほとんど貸し切り状態のバーで思い思いに飲んでいた。澪は智紀と並んでカウンター席にいる。少し離れたボックス席に沙耶と他の声優が。


 澪は酒に弱くないが、パーティーでワイン、居酒屋でビールを飲んだ後だ。軽く甘いものにしたい気分だった。自分で決めきれなくて、智紀に選んでもらったのはアプリコットフィズ。ほどよく甘く、さっぱりとした口当たりで飲みやすい。智紀はジントニックを飲んでいる。ここまで二人の時間は取れず。顔を合わせても話し込む余裕はなかった。ようやくゆっくりできている。忙しくてすぐに別れた最終話アフレコ後の分も取り戻すように、たくさん語らった。


「それなら『呪いの本』はどうですか?」

 続編があったらやりたい話で盛り上がっている。澪が挙げたエピソードは、興味本位で呪いの本を借りたら、友達が本の世界に閉じ込められてしまった……という依頼で、ジュンと隼人は助けるべく異空間にもぐる。

「ああ、あれも演じがいがありそうです。本の中の意外とメルヘンな世界観が、映像でどうなるのかも気になります」

「ダークメルヘンってやつですね。普段のジュンたちとはアンマッチな世界なのに不思議と合うという」

「そう、軽いトリップものとしてもおもしろいんですよ。ちょっと長めですから、やるなら二話構成でしょうか」

 尺を想定する智紀に、澪も具体的な話数を考え出す。

「巻数的に二期六話、七話あたりに入りそうな。構成まで想像すると、本当に二期が決まっている気がしてきます」

「あってほしいですよね。二期も、できることならその次も」

「本当に……。何期でもやりたい」


 アニメショップと書店で流す販促ボイスも収録済みだ。演じる場はもうない。残る仕事は、数ヶ月先にあるパッケージ版第一巻のお渡し会だけ。続編が決まるまでジュンたちとはお別れになる。物語に区切りがつき、智紀と演じてきた時間も終わり。二重の別れがつらい。特にこの作品は、ジュンと隼人と、依頼主といういわばゲスト役で成り立つ。たった二人のメインキャストとして、共有してきた経験は数知れない。


 ふと、パーティーでの原作者を思い出した。澪と智紀を見て、「お二人で本当に良かった」と告げたのだ。改めて感慨深そうに。そこにはキャスティング背景が見て取れた。

 ジュン役が澪に仮決まりした段階で、原作者は智紀を逃したくないと主張したらしい。二人とも作品に必要だと。結果、審査が難航していた隼人役で再検討することに。ジュンしか受けていなかった智紀は、急遽呼び出されて隼人を受けた。推してくれた原作者はもちろん、制作陣を納得させて今に至る。

 澪も「解呪迷宮のアリス」で同じチャンスをもらった。おそらくヘンリーでいい線までいき、作品に欲しいと望まれたから。期待されていただろうに、智紀のようにはなれなかった。


(アリス役、受かりたかったな)

「……柴田さんとの共演作が終わるのも寂しくて。またご一緒したいです」

 心細さがそのまま声に表れた。智紀は心配したのか、明るく言う。

「そこまで深刻にならなくても。まだ終わっていない作品も、これからの作品もあるじゃないですか」

 いくら共演作があっても、主役・準主役として関わる機会は限られる。今後の見通しは立っていない。

「そうじゃなくて……それだけじゃなくて、もっと近くで柴田さんといたい」

 複雑な思いに押され、澪は智紀へ身を寄せる。肩と肩を密着させて腕同士を触れ合わせると、スーツ越しに跳ねる肌を感じた。智紀は体温が高い。ぬくもりに触れてほっとした。


「……」

 智紀の瞳が動揺と期待に揺らぐ。澪は自分の言動がどう伝わったのかわからない――ふりをして、しっかり把握していた。

「酔ってます?」

 智紀が知りたいのはもっと深いことなのだろう。肩と腕を伝う体温からも真意を探ろうとしているようだ。

「……かもしれません」

「そろそろお開きにしますか?」

「ですね」

 そっと智紀から離れ、ボックス席の方を振り向く。それで意図が伝わったらしい。帰る流れができた。

「良かったら駅まで送っていきましょうか?」

 酔いしれそうになるほど魅惑的な響きだ。澪だってまだ一緒にいたい。一方で、引いていたつもりの線を意識させられた。

「あ、えっと……」

 残りわずかなグラスの中身へ視線を落とす。アプリコットフィズのカクテル言葉は「振り向いてください」。片想いのカクテルとして有名だ。二人で観た映画にも出てきた。

 キザな行為でも、智紀がやると自然でストレートな口説き文句になる。少なからず心を動かされた。……けれど。

「大丈夫です。沙耶さんに送ってもらうので」

 大きめの声が出た。静かに会話を楽しむバーには不釣り合いな。沙耶がこちらを見る。

「沙耶さんは電車の路線も方向も同じですから」

「そうですか。深見さんがいてくださるなら安心です」

 哀愁滲む笑顔からしばらく目を離せなかった。

 グラスを傾け最後まで飲む。やはり甘くて美味しい。


 沙耶と帰り道をともにした。澪は酔っていると思い込んでいたが、いざ歩いてみるとよろけもしない。雰囲気に酔っていただけだろうか。沙耶は気づいていたようでスタスタ歩く。先ほどからまともな会話はない。何か話しかけても気のない返事があるばかり。

「沙耶さん。怒ってます?」

「なんで怒ってるかわかる?」

「いいえ……」

「あのさあ……」

 沙耶はわずかに迷う表情を見せた後、強く澪を見据えた。

「澪は人に踏み込ませないよね。ここまでと決めた一線を越えさせないのに、手前までは戸を開けてさも歓迎しますよって顔してる」

「なんのお話ですか」

 とぼけてみせたがさすがに勘付いている。続きを聞くのが怖くて耳を塞ぎたくなるも、沙耶は容赦しない。

「さっきの何? わざとらしく『沙耶さんに送ってもらう』とかさ。私が男でも同じことするんじゃないの?」

「し、しません」

「どうだか。いつまでこんな関係続けるつもり? その気がないなら解放してあげてよ」

「…………」

「この際はっきり言うけど、澪の……藤原未緒の、そういうところが嫌い」

 突然の本名呼びに萎縮しては、なんとか言葉を絞り出す。

「ごめんなさい」

「私に謝られても困る」

 それさえもぴしゃりと跳ね返されてなす術もない。


 駅に着き、電車に乗っている間も無言だった。澪の手前で降りるはずの沙耶は、下車駅に停まっても動かなかった。

「どうして……」

「私は澪を送らなきゃいけないらしいから。最後まで付き合うよ。家まで送る」

「……ありがとうございます」

 嫌味な物言いに不満はあるが口に出せない。再びの沈黙はマンションのエントランスで別れるまで続いた。


 入浴してすぐベッドに倒れた。起床は九時過ぎ。今日はなんの予定もない。

 昨夜ハシゴしたせいか……智紀と沙耶のせいか、食欲がなかった。顔を洗っても台所には立たず、ラグマットに座る。


(お腹が空くまでアニメでも観よう)

 テレビをつけて録画番組の一覧を出す。ローテーブル上のパソコンを起動して、オーディションの記録をつけているノートも机上に置いた。

 澪はアニメ視聴時に出演作以外でもメモを取る。画面を見たままでもメモしやすいようにパソコンで。落ちた作品ならオーディション記録と見比べて研究するし、そうでなくても人の演技は参考になる。この頃は観れていない作品がいくつかあり、一日オフの日に消化すると決めていた。


 何作目かで智紀の出演作・「あやかし大江戸町へようこそ」に行き着いた。

 昨年秋クールからのアニメで、現在は十三話以降が放送中だ。先週と今週の二話分溜めていた。智紀の出番は先週から。澪はまだ声を聴けていない。昨日の出来事は考えないようにして再生した。


 江戸時代をベースにした世界で、人間と妖怪の共存が描かれる。江戸の町と異界が繋がって三十年弱。両者は折り合いをつけて暮らしていた。だが実際にはトラブルも多く、今で言う警察にも専門の対策課が設置された。そこで働く者たちを中心に話は進む。


 構成だけなら「超常現象依頼記録書」に似ているが、こちらは人ならざる者が公認化されている。社会的な建前とのギャップ、公的な正義の味方としての苦悩は、ジュンたちにはないものだ。


 対策課の職員は人間が七割、妖怪が三割。新しく募集をかけようとしたとき、一人の青年と縁があった。智紀が演じる新キャラクター、シグレ。人間と妖狐の間に生まれた半妖だ。

 妖狐は普通なら炎の異能を持つ。シグレに与えられたのは優れた聴覚だった。遠くの音を拾える反面、聞きたくないことまで聞こえてしまう。妖狐としては異質、かといって人間でもない。容姿には大変恵まれ、狐の耳と尻尾を隠せば美青年そのものだけれど、正体がバレた途端に人間からも妖怪からも距離を置かれた。まだ人口の少ない半妖は肩身が狭いのである。町の中心地に出ればさらに風当たりは強くなるが、自分にしかできない仕事を探してやってきた。そんな折、対策課の追っていた事件に巻き込まれる。


 シグレが出てきてから澪のタイピング速度が落ちた。隼人と同じ低音域の役で、隼人より若干高いのに、響きはこちらの方が重い。といえど、既存の役を引き合いに出しても上手く表せなかった。今までに聴いたことのない声が鼓膜を揺らす。なによりも魅力的に聴こえた。


(喋るたびに放つ輝きが唯一無二で、宝石みたい)

 眩しさに追いつめられる。オーディションを受けた作品でもなければ、原作に思い入れがあるわけでもない。アニメ化でタイトルを知ったぐらいだ。

 対策課には少年の姿をした妖怪もいて、女性声優が演じていた。澪が意識すべきはそちらのはず。それなのに、シグレに心をかき乱されてならない。いつしか両手はパソコンのキーボードから離れていた。


 先週放送分から話をまたいで今週放送分。紆余曲折あり、シグレの力を借りる形で今回の事件は解決した。正式加入しないかと誘う主人公たちに被せて、芸能の道へ勧誘する者が現れる。以前シグレに声をかけたが、半妖だと知るやいなや撤回した人物だった。対策課に取られるのが癪で再び接近してきたのだ。 「二枚舌野郎よりうちの方が」と主張する主人公に、シグレは明るく返す。

『この能力と半妖の立場を生かすためにも、きみたちを選ぶよ』

 澪はとっさにリモコンをつかんだ。停止ボタンを押そうとして押せないままうなだれる。


 再生が終わっても呆然としていた。やるせなさをどうにかしたくて、立ち上がり胸に手を当てる。

「『この能力と』…………出せない」

 はなからできるとは思っていないが、現実を知り喉が焼けるように熱くなった。発声の仕方からして違う。青年に近い役ならできる分、なおのこと壁を感じた。女性には入れない領域。入る必要もないと頭では理解している。心は追いつかず押し潰されそうだ。


(柴田さんじゃなければ良かったのに。……柴田さんじゃないとダメ)

 うずくまり、ズルズルとベッドになだれ込む。毛布にもぐって唇を噛み締めていると、昨夜の記憶が襲ってきた。

 あのとき、寂しげな横顔から優越感を得た。智紀は澪に触れられそうで触れられない。欲しくてたまらないものが手に入らない苦しみを、澪は行動一つで与えることができる。智紀の上に立った気になれる。これまでも何度か優位性を確かめていた。だけど智紀に惹かれる気持ち、そばにいられる幸福感も本物で。

 反発し合う感情に溺れて息が浅くなったとき。

『あなたのことなんてもう嫌いになりました』

 ぎゅっと目を瞑った先に、澪は智紀の幻影を見た。

『卑怯な手を使い、人の気持ち弄んで、ずっと好きでいてもらえるとでも?』

 智紀が背を向けると、お互いしかいなかった空間に女性の影が出現した。その後ろ姿は陽南子に似ている。

『相手をするのも疲れました。あなたを忘れて、ひなのような女性と幸せになります。さようなら』

 智紀は女性の肩を抱いてどこかに行ってしまう。どんどん遠ざかり澪だけが残された。

(やだ。誰にも渡さない)

 毛布を払いのけた。壁に貼っているプチプリのポスターを見て、勢い良く反らす。陽南子で想像したせいで見たくなかった。


(でも……でも、柴田さんだってもどかしさを味わえばいいと思ってしまう。藤原未緒を知られるのも怖い)

 交際するなら本名や生まれを明かさねばならない。それにも抵抗があった。隠したいことは隠しておき、ギリギリ触れさせない距離で求められ続ける。どこまでも澪に都合のいい関係だ。沙耶が呆れるのも無理はない。

「柴田さん……」

 またベッドに寝転ぶ。どうしようもない想いを持て余すうちに二度寝していた。

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