7話 異国暮らし一年生/瀬野 雪奈
ブース内で澪は椅子に座る。机の上には台本や筆記具、マイク。今からナレーションを録るのだ。
漫画原作アニメ「異国暮らし一年生」は澪の初メイン出演作にして初主演作。誰もが知る人気作というわけではないけれど、根強いファンのおかげでメディア展開が盛んである。
澪が二年目のときに第一期、四年目の昨年度に第二期が放送され、今秋には第三期を控えていた。第三期ゼロ話は主人公のナレーションに合わせた総集編。ファン向けのおさらいと新規ファン獲得の狙いを兼ねたもの。
「『ハロー。みなさま覚えていますか? カイです』」
はつらつとした少年の声で幕が開いた。カイは日本人の母とイギリス人の父を持つハーフだ。日本生まれ日本育ちだが、父親の仕事の都合で渡英することに。
「『十四歳の九月、ロンドンのセカンダリースクールに転入してから早一年。異国暮らしも二年目に突入します。だけどタイトルは一年生のままで、第三期なのに二年目で――なんて、堅苦しい挨拶と細かい突っ込みはこのへんにしておいて。これから今までの一年間を振り返るよ。準備はいい?』」
優等生のような口調をくだけさせる。気さくに視聴者へ語りかけ、異国情緒溢れる物語に引き込んでいく。
日常系に分類される作品ながらも、カイの日常は新しい発見に満ちている。異文化に触れて心身ともに成長するカイを、澪はずっと見守ってきた。
カイは明るく人懐っこく、大雑把で能天気な性格をしている。一方、言語に対してはとても勤勉だ。ハーフだろうと何もせずにバイリンガルにはなれない。幼児期には母親とは日本語で、父親とは英語で話すよう教育された。家族三人の会話では両言語が飛び交う。英会話教室にも通った。カイの言葉には、彼自身と両親の努力が乗っている。両方喋れても日本語優勢であること、現地で暮らしてみないとわからない語彙があること。自分が英語を喋るわけではないが、澪はよくよく意識して演じていた。イギリス英語の発音についても勉強した。
澪は役の育った環境を考えるのが好きだ。生まれてから物語開始に至るまでの年月をも丁寧に紐解き、演じる材料にする。初めて覚えた日本語は、英語はなんだったのか。ハーフらしい容姿をどう見ていたか。母方と父方、それぞれの祖父母への接し方。幼稚園や学校、英会話教室での交友関係。考え出すときりがない。澪がカイと歩んだ時間は、話数にして全十二話を二回で二十四話分、作中時間にして一年間であるが、感覚としてはカイの年齢分だけ一緒にいる。駆け出しの頃に得た主役ゆえに思い入れも強く、その後の役との向き合い方を決定づけたキャラクターだった。
「『――じゃあまた来週、第一話で会おう!』」
元気な挨拶で振り返りを締めくくった。
『オッケーです。いやあ良かったですよ』
『キャラナレーションにして正解でしたね。主観と客観のバランスが素晴らしかったです』
音響監督と監督がスピーカー越しに感心している。普通にナレーションする案もあったが、監督が「カイとしてやってみてはどうか」と提案しこうなった。役の置かれた状況を俯瞰して演じる澪と、キャラクターナレーションは相性がいい。
「ありがとうございます。これからもご期待に添えるよう精進いたします」
リテイクも少なめに収録を終え、その足でラジオスタジオに行く。今日は番組収録前に大事な打ち合わせがあった。プリプリを代表して雪奈が訪れる。
雪奈と接点はないが、澪の存在は知られているはず。雪奈は気まぐれにSNSでおすすめの本や漫画を募り、読んだ作品を報告する。昨年度、「異国暮らし一年生」も読まれていた。しばらく経ってアニメも観てくれたようだ。「現在アニメ第二期が放送中で、電子書籍のセールもやっていますよ!」と紹介したファンには感謝しかない。
来客準備を済ませ、会議室に雪奈とプチプリのマネージャーを迎え入れた。
「星崎芸能事務所から来ました。プチジュエル・プリンセスの瀬野雪奈です。この度は貴重な機会をありがとうございます」
花咲くような笑顔が向けられる。ギンガムチェックのニットワンピースを纏い、長い髪は三つ編みおさげにしている雪奈。私服でもキラキラとしたオーラが隠せない。
(生のゆっきーかわいい……)
「エクセプショナルプロダクションの高倉澪です。本日はお越しいただきありがとうございます」
見とれそうになってしまうも、プロとしてはきはきと対応した。
雪奈の隣に控えるマネージャーと、番組ディレクター、篠崎も名乗り合い、打ち合わせが始まる。
「高倉さん、私推しですか?」
……の前に。雪奈が思わぬ一言を投げかけた。大きな瞳にはすでに確信が宿っている。澪のつけているエメラルドのネックレスで気づいたのだろうか。それがなくても見抜かれていたかもしれないが。
「はい、瀬野さん推しです。瀬野さんの歌とダンス、お芝居も大好きです」
仕事モードなこともあり、澪は握手会に参加したときより落ち着いていられた。すると雪奈は目を輝かせ、
「わ~嬉しい。実は私も高倉さんのファンなんです」
と告げては続ける。
「ファンのみんなからおすすめされた『異国暮らし一年生』がきっかけで。それから『ジャンクタウンは眠らない』の演技も好きです。ケイン死亡シーンでは泣きました」
「ジャンクタウンは眠らない」は小説原作のアニメ。欧米風の摩天楼都市を舞台にした現代マフィアものである。澪が演じたケインは天才ハッカーで、活発な少年と見せかけて裏の顔があった。仲間を裏切り、最終的には銃殺される悪役なのだが、背景に同情の余地があるためか、キャラクターとしての人気はそこそこ高い。
「他にもたくさん出演作観てます。この番組も聴いてました。大好きな人たちのお母さんに会えたようで……本当に嬉しいです」
キャラクターの生みの親は原作者や原案者だが、澪をもう一人の親のようにとらえるファンも多い。澪も役を自分の子供のように愛しているから、声優として冥利に尽きる。
(ゆっきーがこんなに私のファンだったとは)
「『異国暮らし一年生』のことは存じておりましたが、他の出演作も観てくださっているとは思わず。光栄です」
「アイドルの立場を利用して認知してもらうのはずるいかなと思い、表に出してこなかったんですよ。何も発信していないのにこのお話をいただけて、正直驚きました」
「でしたら、わたしも声をおかけして良かったです」
お互いの浅からぬ想いを確認し、澪と雪奈だけでなく、見守っていた大人たちもなごやかな雰囲気になった。
「では、打ち解けたところで本題に入りましょうか」
四十代の男性ディレクターが仕切り進めていく。
コーナーの構成はこう。メンバー三人の紹介後、好きな楽曲を二つ取り上げ、一曲目を流して終了。雪奈とマネージャーに説明し、要望を聞いた。
「曲紹介は『宝石の魔法』、『さくらみち』の順番なんですか?」
出されたお茶を上品に一口飲んで、雪奈は尋ねる。触れたばかりの曲を流す方がスムーズではないか、という意図だろう。
「曲をかける流れとしては多少の不自然さがありますが、二曲並べたときの見栄えを優先しました」
疑問には篠崎が答えた。「宝石の魔法」はデビュー曲、「さくらみち」は四年前の曲だ。メンバー紹介、デビュー曲紹介の連続性は保ちたかった。かけるのもデビュー曲にしたい。
「自然な曲振りを心がけますので、この案でいかせてください」
「それなら。お任せしますね」
澪が後押しすると、雪奈はにこりと笑った。
「私も曲順はこちらで異存ありません」
資料を見ながら言うのはマネージャー。三好よりは年上であろう男性だ。
「ですが『さくらみち』は、誤解を恐れずに申し上げますとマイナー曲ですので、選曲の理由を詳しくお聞きしたいです」
マネジメント側が自らマイナー認定するように、ライブのセットリストに入りにくい。何かのテーマソングでもシングルの表題曲でもなかった。
「物語仕立ての歌詞に惹かれて選曲しました。一番の歌詞は少女、二番は少年と別視点で恋物語を楽しめる点も好きです」
プチプリはアイドルにしては珍しくラブソング少なめだ。あっても恋愛相手は細かく描写されない。おそらくファンが自分を当てはめやすいようにだろう。そういった曲も好きだが、澪は物語性の高いこの曲を気に入っている。
「それを是非、放送でも聞かせてください」
「はい」
返事をする澪を見て、雪奈が小さく手を挙げた。
「好きついでに、いつか別の回で『さくらみち』も流していただけたらな~…なんて、贅沢ですかね」
「それは喜んで」
願ってもない提案だ。篠崎とディレクターも頷く。
「そちらからはご質問ありますか?」
「……」
マネージャーに問われ、澪は一瞬だけ詰まった。篠崎が助け船を出そうとしたが、大丈夫だと視線で返す。質問内容は前もって決めていた。
「瀬野さんは、解散後のご自身についてどうお考えですか?」
すでにメディアで語られているが、本人の口から聞くことに意味がある。
「私はこれまでの演技経験と、プチジュエル・プリンセスで培ったスキルを生かせる女優になります。ドラマや舞台にもっと出演して、映画デビューもしたい。それから……これは言ってこなかったんですけど、声のお仕事もやってみたくて。高倉さんみたいに、声で感動を与えられる人になりたいです」
知っていた夢に初めて聞く夢も応援したいと思う。憧れられているのも嬉しい。しかし胸中は複雑だ。雪奈ならば、アイドル時代には叶わなかった映画出演を果たし、キャラクターに声も吹き込めるだろう。信じているからこそ、アイドルの雪奈は戻ってこないのだと強く感じてしまった。本人と話して整理がつくどころか逆効果である。澪は悟られぬよう気を張った。
「わたしも声の仕事をされる瀬野さんを見てみたいです」
「もしかしたら、高倉さんのお仕事も奪っちゃうかもしれません」
てへへと小悪魔的に挑発されては、澪もこう返すしかない。
「本職のプライドに賭けて、負けません」
ピリっとした緊張が走った次の瞬間には、二人して吹き出した。余計な考えを今だけは忘れようとする。雪奈に声の仕事が決まったそのとき、今以上に胸を張れる声優であるために。
「陽南子と菜摘とは道が分かれても仲間です。解散後の二人のことも応援よろしくお願いします」
「もちろんです。これからも皆様のご活躍を願っております」
澪は自分の気持ちに智紀と沙耶の分も乗せた。二人も色々な思いがあるだろうが、笑顔で送り出す準備をしている。澪は二人ほど準備できていない。心に現れそうになる影を追い払い、打ち合わせの最後までその状態を貫いた。
次の週。プチプリのラストアムバムが発売された。表題曲は「ジュエル」。歌詞には三つの宝石が入っている。それぞれ自分だけの輝きを胸に旅立つ門出の曲だ。澪はしっとりしたメロディに聴き入り、プチプリとの思い出を振り返ってから、ラジオ収録へ向かった。
「続いては、『わたしの好き』のコーナーです」
台本をめくるとプチプリの文字が飛び込んでくる。いよいよだ。
「今回のテーマは三人組アイドルグループのプチジュエル・プリンセスさん。略称はプチプリ。さわやかで疾走感ある楽曲や息の合ったパフォーマンスが魅力的です。三月に解散を控えておりますが、今から好きになっても遅くはありません」
放送中、番組公式SNSに最新アーティスト写真が投稿される。知らないリスナーにもビジュアルを知ってもらうために。「見ながら聴いていただくとわかりやすいですよ」といつものように誘導した。
「グループ名にちなんで、お三方にはそれぞれ担当の宝石があります。そちらも交えながらメンバーさんを紹介しますね。アーティスト写真の左側の方から順番にいきますよ」
陽南子を真ん中とし、左に雪奈で右に菜摘。自己紹介順だと陽南子が最後だが、今回は並び順のままでいく。雪奈のファンだからといって雪奈に偏らないよう、平等に紹介することを心がけて。
「まずはエメラルド担当、メンバーカラー緑の瀬野雪奈さん。清楚かつおしとやかで、癒し系という言葉がぴったり。ほんわかしていながら真面目で博識な一面も見せてくれます」
雪奈は名門大学を出ている。菜摘は高卒、陽南子は二十歳過ぎてからデザイナー系の専門学校に社会人入学しており、大学に進んだのは雪奈だけ。実はプチプリきっての才女なのだ。
「抜群に歌が上手く、感情豊かな歌声で楽曲の表現の幅を広げています。その表現力はステージ上だけに留まりません。お芝居にも生かされ、ドラマや舞台などでも活躍中です」
そして、いつか声の仕事でも演技力を見せてくれるだろう。
「次にルビー担当、メンバーカラー赤の久島陽南子さん。天性のかわいらしさと愛らしさの虜になること間違いなし。華のあるパフォーマンスでグループを引っ張るリーダーさんです。ファッションデザイナーのお仕事もされていて、グループのステージ衣装を考案したり、洋服のデザインに携わったりすることも。どれもセンスが光っています」
陽南子のデザインした洋服は澪も持っている。アイドルの才能にあふれる彼女だからこそ出せる味があった。
「最後はサファイア担当、メンバーカラー青の守原菜摘さん。さっぱりした立ち居振る舞い、トレンドに敏感なところから同性人気も高い方。ダンスが得意で振り付けを担当した楽曲もあるほど。キレのある動きはもちろん、静止時のポーズがとても綺麗です。それはモデルのお仕事でも発揮されており、様々な表情で誌面を飾ります」
沙耶があれこれ語るものだから、プチプリを知った当初は菜摘に注目していた。おかげで菜摘の載っている雑誌も手元にある。
「さて。プチプリさんの楽曲の中から、今回はわたしおすすめの二曲をピックアップさせてください。一曲目は『宝石の魔法』。記念すべきデビュー曲です」
デビュー曲というのはどのグループにとっても特別だ。ある意味では神格化されがちだが、デビュー曲補正を抜きにしても堂々と勧められる。
「キャッチーなイントロから始まり、最初の曲らしさのあるみずみずしい歌詞が並びます。個人的には、メンバーのみなさんがオーディションを経てアイドルになるまで、そしてデビューする際の心情のようにも思えて。何か新しいことに挑戦するときに背中を押してくれる楽曲。落ち込んでいるときにも聴きたいですね」
汎用性の高い歌詞はどんな感情にも寄り添ってくれる。このあと曲を聴くリスナーにもきっと。
「この曲のように夢や希望テーマの応援歌が全体として多く、グループの特色と呼べるかもしれません。一方で従来のアイドルらしいラブソングもあり、なかでも語りたいのは『さくらみち』です」
反対にストーリーラインがはっきりしている曲。また違った味がある。
「ゆるやかなメロディに乗せられるのは、一連のストーリーになった歌詞。お花見デートでたどたどしくも距離を縮める、付き合いたての学生カップルが描かれています。一番と二番で視点が入れ替わり、女の子と男の子の両方の心情を知ることができるのもおすすめポイントですね」
物語の中に入ったような感覚も是非味わってほしいものだ。
「他にも素晴らしい楽曲がたくさんあります。解散してしまう前に生で魅力を体感してみませんか? ライブ・イベント情報は公式ホームページでご確認ください。――それでは、本日の『わたしの好き』はここまで。最後に一曲お聴きください。プチジュエル・プリンセスで『宝石の魔法』」
ヘッドホンから聴き慣れたイントロが流れ、語りきった澪を温かく迎える。コーナーも曲も早く聴いてもらいたい。生放送でないのがもどかしかった。
収録後。スタジオの廊下でスマホの着信を確認した。チャットアプリとメールボックスも。今日はアリス役の合否発表の日でもある。合格者のみの通知とされていた。夕方もいい時間だが何もない。希望を賭けてまだ待ってみる。
時間の経過により希望が削られ続けた。三好から電話があったのは夜九時半を過ぎた頃。ベッドの上で震えるスマホを持ち上げる。結果は言われるまでもない。
「お疲れ様です」
『お疲れ様。さっそくだが、アリス役は……不合格だった』
「……はい」
『また次へ向けて頑張っていこう』
「これを踏まえて今度は受かります」
お決まりのやり取りをし、「ご連絡ありがとうございました」と言って切る。
どんな声優でもオーディション不合格は日常茶飯事。傷ついていてはキリがない。いつもなら上手く消化できるが、このオーディションは違った。
(柴田さんに落ちた報告しないと。もう知ってるかな)
智紀はキャストの一員として、合格者の情報を知らされているだろう。どんな気持ちで一報を聞いたのか。想像すると尻込みしてしまうが、連絡しないわけにはいかない。
通話してもいいかチャットアプリで聞き、返事が来てから発信した。
『こんばんは』
「こんばんは。夜分にすみません。お伝えしたいことがありまして。……アリス役落ちました。知ってましたか?」
『……お聞きしています』
「ごめんなさい。せっかく時間を取ってもらったのに」
『謝らないでください。あの時間が無駄だったとは思いません』
実際、智紀にとって意義はあっただろう。掛け合いで課題と改善策を見つけ、アフレコの予習になった。だから負い目を感じる必要はない。暗に伝える智紀は、澪もこの経験をどこかで生かすと信じているようだ。
(下手に慰めないところが柴田さんらしい)
おかげで、「協力してもらっておいて落ちた」という罪悪感が軽くなった。
「……ですね。わたしも無駄にはしません」
『ええ』
「一つお願いがあります。絶対いいアニメにしてください」
『もちろん。約束します』
叶えられなかった想いを託して、静かに通話を終えた。
多少は気が楽になったとはいえ、悔しいものは悔しい。智紀と競合しつつ共演も多いのは、智紀が澪のフィールド外でも役を取るからだ。今度は澪の番。……のはずだった。
こんなに重くのしかかる不合格も久しぶりで。楽しかった数時間前のラジオ収録が、しばらく前のように思える。まだ夜は長いけれど、今晩は眠れそうにない。




