第三話 腐敗した信仰
かつて──戦争があった。
人類と魔族。種の存続を賭けて、多くの命が失われた忌まわしき聖戦だ。
事の発端は王国の先々代の王、カローネ・ルクシア・エルロダイスが悪種殲滅を掲げ、魔族に戦争を仕掛けたのが始まりだ。
戦場の舞台は大陸の東に位置する、真っ暗な深淵が覗く渓谷。
剣と爪が衝突し、弾ける音が昼夜問わず鳴り響いたと言う。
戦況は王自らが前戦に立つことで軍の士気が高まり、鎧を纏う騎士が着実に大地を埋め尽くしていった。
ところが、優勢だと思われた戦況は、魔族のさらなる援軍によって大きくひっくり返ってしまう。
魔族と言っても、その姿は多種多様だ。
大地を俊敏に駆け抜ける、鋭い爪と強靭な顎で鋼すらも引き裂く獣魔族。
大空を壮大な翼で羽ばたき、千里を見通す長寿の龍魔族。
大海を妖艶な尾ヒレで舞い、絶世の歌を奏でる魚魔族。
こうした、地の利を活かした魔族達の奇襲や援護により、王国の戦略は次々と破綻。
気づけば形勢は一気に逆転し、王国は後退の一途をたどった。
戦争を仕掛けた側であるが故に、降伏したとしても人類の末路は、虐殺か、餌か、奴隷か……。
後に引けなくなった王国は、そこで、まだ未完成で不確定要素の多い、禁忌に手を伸ばすことになる。
それは古から王国の地下に存在する、古代文明が残した技術だ。
故に、何が起こるかは誰にも予測不能だった。
そして王国はその力を使い、ただ一つの奇跡を起こす。
その奇跡こそが、後に人類を救うことになる最初に召喚された勇者だった。
★☆★
ホープの話を聞くと、どうやらその後も数人の勇者が召喚されたらしい。
勇者という最大の戦力を手に入れた王国は、再び進軍を開始したそうだ。
勇者が振るう聖剣の力は凄まじく、盤上がまたしてもひっくり返った。
勇者の力を恐れた龍魔族、魚魔族、他の魔族は次々と戦場から撤退。渓谷付近に住まう獣魔族だけが、最後まで争った。
「そして獣魔族も禁忌に手を伸ばした。勇者召喚とは異なる魔法、自らの命と引き換えに魔神を生み出す反奇跡。そこからは王国と魔族というより、勇者と魔神の戦いに突入したと言われているわ」
全快はしたものの、血が足りてない薬芽には眠くなる話だった。それでも重い目蓋を持ち上げ、ホープの話に耳を傾ける。
「それで?その先はどうなったんだ?」
「王国と魔族は互いに、痛み分けで終わったそうよ。王国側も、魔族が魔神なんていう切り札を持っているなんて思っていなかったの。たった一体の魔神に六人いた勇者は半分も命を落とし、散り際の勇者の力によって、なんとか魔神は封印されたらしいわ。そこからは現在にいたるまで、王国は魔神を恐れて、魔族は勇者を恐れて、暗黙の停戦状態が続いているというわけ」
その決戦の際、獣魔族は滅びてしまったけれどと、ホープは付け加えて綴った。
いつの世も争いのは不幸しか生まないんだなと、げんなりと薬芽は肩をすくめて思った。
それは自分が生まれ育った世界の歴史もしっかりと語っている。
……ましてや善とか悪とか。
……そのカローネって王様、そうとう頭が湧いてたんだろうだな。
しかし、前述の『勇者を食べる』という重要な部分が、まだホープの口から開示されていない。
そこがずっと気がかりになっていた薬芽は単刀直入に尋ねる。
「まぁ、勇者が召喚されるようになった経緯はわかった。だが、それがどうして勇者を殺して食うなんていう、狂気的な習慣に捻じ曲がっちまったんだ?」
「簡単に言えば、信仰のせいね」
「信仰?宗教?神様?」
「そう、神様。まぁ、あの国の王様は、その信仰さえも歪めてしまったようだけれど」
★☆★
エルロダイス王国は信仰に熱い国でもあった。
信仰の対象はラフラディアスという名の救済神。
と言っても、救済神は人に何するというわけではない。
善人を救うというわけでも、悪人を裁くわけでもない。教義によれば、それは他でもない人類の役目なのだとか。
ではラフラディアスは何をしているのかというと。
曰く、この世は未完成な世界であり、救済神は今もどこかで、完璧な理想郷を作り続けているとかなんとか……。
故に、今ある大地は暫定的な箱舟でしかなく、いずれ果たされるであろう箱庭の完成を人々は待ち続けているのだ。
しかし誰もが、待ち焦がれた理想郷にたどり着けるわけではない。
救済神の箱庭は死後の世界ではないため、人が道半ばで命を落とせば、当然その救済の道は閉ざされてしまう。
だから人々は、死んでしまった人の魂すらも箱庭へと導くために、狂気に満ちた儀式を執り行う。
魂を飲み込むという、外界の住人からすれば、吐き気をもよおすような儀式を。
★☆★
魂を飲み込む。
そうホープはオブラートに包んで言ったが、今更である。
要は救済神が箱庭を建築し終えるまで、死者の肉を食べて魂を生者の中に繋ぎ止めよう。ということらしい。
薬芽は皿の上に盛り付けられた臓物の山と真っ赤に濡れた食卓を思い浮かべ、本能的に嫌悪感を示す。
鳥肌が立ち、胃が喉元に這い上がってくるような感覚がして。
「やばい、気持ち悪くなってきた」
と、そっと口を手で覆った。吹き飛んでしまった眠気がついつい恋しくなる。
神話や伝承では、命を食べることでその力を我が物とする思想もある。
現に自分達も豚や鶏、魚を食べ、それを活力として生きている身だ。
しかしこればかりは拒絶せざるをえない。
他者の信仰にどうこう言うつもりはないが、人を食うなんて道徳的にも受け入れ難かった。
そこで薬芽の顔色を察して、ホープは補足を入れる。
「安心しなさい。儀式と言っても、あなたが思っているようなものじゃないわ。私の知る限り、魂にもっとも近い部位である、心臓をちょっと摘むだけって聞いたわ。刺し身みたいにペロリとね」
「気を使ってもらったところ悪いけど、手遅れだわ。俺の情緒はグチャグチャよ」
「そう……。本題に戻るけれど…」
「お前容赦ないな」
唖然とする薬芽の意思を無視して、相変わらずの無表情でホープは続ける。
「なぜ、勇者狩りが始まったかと言うと、今から十年ほど前、最初に召喚された勇者が亡くなったの」
「勇者が?まさか殺されたのか!」
ホープはふるふると首を横に振る。
「いいえ、寿命よ」
今までの話から不穏な想像を膨らませていた薬芽は、ホッと胸を撫で下ろした。
世界を救った勇者と言えど、結局のところ人間でしかない。
聖剣という絶対的な力があったとしても、老いには敵わなかったらしい。
しかし、勇者が天寿を全うしたということは、それまでは勇者狩りなんて物騒な世の中でもなかったのだろう。
……ということは、重要なのはここからか。
薬芽は集中し、傾聴する。
聞けば勇者はこの世界で、なんと家庭を築いたらしい。
当然と言えば当然か。帰る手段を持たない彼らは、否が応でも新しい環境に順応するしかない。
そんな日々を送る過程で、勇者は恋をした。
愛し合い、夫婦となり、子供に囲まれ、さらには可愛い孫にも恵まれた。
順風満帆な余生を送ったそうだ。
そこでホープの表情が曇る。
「ところが勇者の死後、その亡骸は例外なく、儀式に利用されたの」
「勇者も儀式に?まぁ、なんとなく予想はしていたが……。ちなみにその儀式ってのは誰がするんだ?」
「基本的には身内ね。で…勇者の息子が習わしに従って、勇者の心臓を口にしたのだけれど…。それがきっかけで、息子は人の理から逸脱してしまった」
どういうことだ?と、薬芽は怪訝に相槌を打つ。
するとホープは地面にあった手頃な石を拾い上げて、その細い手で軽々と握りつぶした。
石ころは原型を保つことができず、砂時計のように儚くこぼれ落ちていく。
常人では、まずあり得ない力技。
ゴリラめ…と、胸内で悪口を呟きつつ、ふとここで、薬芽は増幅された自身の身体能力に思い至る。
腕力も、頑丈さも、脚力すらも、常人から逸脱した勇者となった薬芽。それは王城から逃走を図った際に、文字通り、痛いほど痛感している。
王城の高層から飛び降りて、かすり傷程度で生還した──
疾風の如く、森の中を駆け抜けた──
にも拘わらず、騎士達は自分に追いついてきた。
……あいつらも勇者?いや…まさか!?
外れてくれと願った最悪な予感。
しかし、ホープの忌々しげな表情を見た途端、その予想が的中してしまったのだと薬芽は悟る。
「勇者の息子は、勇者と言っても過言ではない力を手に入れたの。そして彼らこそが、私達の最大の敵──」
「──彼らは、英雄と呼ばれているわ」




