酸味仕立てのアントレをお楽しみください
「自分らしくあり続けること。それが、絶え間なくあなたを何者かに変えようとする世界の中で、成し遂げられる最大の偉業である。」―――エマーソンの言葉は、俺のような人間には少々耳が痛い。なぜなら、「自分らしく」ある以前に、俺は「自分という場所」をこの世界に見つけられずにいたからだ。
俺の小学生時代はまさに遊牧民だ。親の転勤、また転勤。新しい教室、新しい顔ぶれ、そして「初めまして、風凪です。」という聞き飽きた自己紹介。
小学校をコロコロと変えていれば、人間関係なんてものは使い捨てのカイロのようなものだ。温かくなる前に、次の場所へ移動してしまう。
ただ、その小学校で仲良くなった友達の数は計り知れない。気が合う人がそれぞれの小学校に多くいた。そんなんだから、俺は友達に関して、関係値よりもその数を誇りにしている。
とはいっても、俺の経歴は中途半端だ。小学校卒業後に引っ越しして、新天地の中学校に上がれば、待っているのは地獄のような「完成されたコミュニティ」だ。
なんと、今まで気が合う友達がたくさんいたのは奇跡だったらしい。周りは小学校からの腐れ縁という最上級の関係値で固まった強固なグループばかり。
余所者の俺が入る隙間なんて、ミクロン単位でも残っていない。そんな疎外感を俺はひしひしと感じていた。
そんなわけで、友達ゼロのまま空気のごとく過ごしていたら半年が過ぎた。
ある秋の昼下がり。俺は学校という名の非効率な檻をバックレ、河原をうろついていた。
「・・・あーあ。青春の一ページってのは、もっとこう、キラキラしたものだと思ってたんだけどなぁ。」
河原の草を蹴散らしながら独り言をこぼしていると、視界の端に「非日常」が映り込んだ。土手の影、女子グループが一人を囲んでいる。見覚えのある顔と、艶やかな黒髪ロング。そして、“高速”されていてもにじみ出るお淑やかさ。クラスメートの―――たしか、露崎栄花だったか。彼女は今、絶体絶命のピンチにいた。なんと女子グループの一人が、凶器(と言っても過言ではない裁ち鋏)を手に、露崎の髪を切り落とそうとしているのだ。その他の女子たちは彼女を抑え込んでいる。
「ちょっと、動かないでよ。その方が綺麗に切れるんだから。」
「や、やめて・・・」
さて、ここで問題だ。
選択肢A:正義の味方として颯爽と現れ、彼女を救う。
選択肢B:面倒に関わりたくないので、速やかに立ち去る。
選択肢C:最も効率的かつ面白い方法で、事態を収束させる。
Aは、残念ながら俺のキャラじゃないし、返り討ちに遭うリスクがある。Bは賢明だが、後味が悪いし、何より退屈で、チキンだ。ならば、答えは自ずと決まる。
「・・・よし、いっちょかましてやろうかな。」
俺はにやにやしながら深く息を吸い込み、喉の底から―――いや、腹の奥から、全力の「狂言」・・・ではなく、「計算された悲鳴」を放った。
「きゃあああああああ!誰か!ひ、人が死んでるぅー!殺人事件だぁあー!」
静かな河原に、俺の絶叫が木霊する。女子グループの手が止まった。鋏が震え、彼女たちは顔面
蒼白でこちらを振り向く。
「なっ、何!?誰?」
「ひ、人殺しって、あたしたちのこと!?」
俺はさらに畳みかける。
「警察だ!誰か警察を呼んでくれ! 死体が、あそこに冷たくなった死体がー!」
もちろん死体なんてどこにもない。そもそも触ってもないのに冷たいなんてわかるわけもないのに・・・ま、とりあえず、俺は俺の脳内CPUが弾き出した「女子中学生が最もパニックになるワード」を選択しただけだ。
案の定、彼女たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「やばい、誰か来る! 逃げよう!」
「生徒指導はやばいって!」
嵐が去った後のような静寂。露崎は涙を浮かばせへたり込んだまま、呆然と俺を見上げている。
「・・・えーっと、ありがとうございます。それで・・・どちら様ですか?」
「どちら様って・・・風凪鳳花です。あなたのクラスメートの。」
さすがに半年経って、同じクラスなのに顔と名前を覚えてもらってないのは結構悲しんだけど。
「ああ!風凪くん・・・」
「はい、そうです。」
「ごめんね。」
「大丈夫です。」
俺が肩を落としていると、土手の上から怒涛の足音が聞こえてきた。
「栄花!どこだ、栄花!!」
現れたのは、これまたクラスメートの輿。聞き耳立てた感じ、露崎の幼馴染で、いわゆる「主人公属性」の持ち主だ。
髪は無造作に散らしたチョコレートブラウン。琥珀色の瞳には意志の強さと、他人を疑うことを知らない真っ直ぐな善性が同居している。あんな目で睨まれたら、大抵の悪事(俺のサボりも含めて)は見透かされてしまいそうな気がする。
そんなラノベの主人公様はどうやら露崎を捜していたらしい。彼は俺の叫び声を聞きつけ、全力疾走で駆けつけてきたのだ。
「風凪!何があった?栄花は?」
お、今度は名前を覚えてもらってる。
「ああ。見ての通り、生存確認は取れてるよ。犯人はあっちに逃げたよ。」
俺は指をさして適当に答え、砂を払って立ち上がる。
「え、じゃあ、風凪はなんなんだ?」
輿が露崎に駆け寄り、露崎が背後になり、俺から露崎を守るような位置に動きながら、怪訝な顔を浮かばせる。これは俺も疑われているということなのだろうか。
「俺はただの通りすがりです。」
俺は両手を上げながら弁明する。
「そうなのか?」
輿は栄花に目配せする。
「うん、本当。」
露崎は力強く頷く。
「え、じゃあ何でここに。」
輿は首をかしげる。
「そりゃ、困っている人を救いたいのは普通でしょ。」
まあ、正義感っていうのが一番の理由だけど、面白そうだからだなんて口が裂けても言えない。
「ありがとう、風凪」
琥珀色の双眸に熱が灯り、輿は太陽が爆発したような笑みを僕に向けた。
―――参ったな、と思う。その顔を見ていると、俺のなかにこびりついた冷笑的な思考までが、春の雪みたいに溶かされてしまいそうだ。疑う余地もなく、こいつは根っからの正義漢なのだろう。
伝染しそうになる笑みを必死に噛み殺しながら、俺は悟る。
俺は、この男になりたかったわけじゃない。けれど、この鮮烈なまでに美しい輝きに、確かに俺は焦がれていたのだ。
「あれ?てか栄花、怪我してるじゃん。」
よく見ると、露崎の手は先ほどの鋏が当たったのだろうか、流血していた。
「いや、これは大丈夫。」
「大丈夫じゃないって。ばい菌入っちゃうし、きれいな手が台無しだって。」
輿は少しあわあわしながらも、なぜかバッグに入っている絆創膏を傷口に貼ってあげている。その様子は、まるでライトノベルの挿絵のような美しさだった。
「・・・ふん。やっぱり、正義の味方は遅れてやってくるもんだな。」
俺は二人に背を向け、再び歩き出す。疎外感?馴染めない?まあ、いいさ。こうして特等席で「物語」を眺めて、たまに仲間と野次を飛ばす。それが俺という人間の、今のところの最適解なんだろうから。
俺は再び、学校とは逆の方向へと足を進めた。ところで、中学一年生で髪を切るなんていじめ、やばすぎだろ。




