第8話 北伐、過労、五丈原に星が落ちる
中巻最終話です。
諸葛亮は北伐を続け、司馬懿は戦わず、五丈原でついに限界が来ます。
結果だけ見れば失敗。でも、物語として残るのは結果だけではありません。厄介ですね、人間の記憶というものは。
第十二章 ~ 北伐、北伐、また北伐 ~ 過労死への道 ~
第一次北伐の失敗から、諸葛亮は繰り返し北伐を行った。
第二次、第三次、第四次……。
そのたびに魏を脅かし、そのたびに完全勝利には至らなかった。
相手が悪かった。司馬懿。
司馬懿の戦略はシンプルだった。
「戦わない」。
蜀軍は国力が小さく、長期遠征を維持できない。だから司馬懿は徹底的に持久戦を選んだ。
挑発されても出ない。攻めてきたら守る。一進一退を繰り返し、蜀軍の補給が尽きるのを待つ。
諸葛亮は司馬懿を挑発した。ある時は女性の服を送りつけた。
「お前は女か。出てきて戦え」
三国志屈指の煽り。
司馬懿の部下たちはブチギレた。「これは侮辱だ! 出撃させてください!」
司馬懿は涼しい顔で女性の服を受け取り、
「ほう、なかなかいいデザインだ」
と言って着なかった。 いや、着ないのは当然だが、動揺すらしなかった。
このメンタルの強さ。これが後に天下を取る男の器。
諸葛亮の挑発も、司馬懿には通じなかった。
だがこの持久戦で最もダメージを受けたのは、実は諸葛亮自身だった。
北伐の計画立案、兵站管理、外交、内政、人事、劉禅のお守り――すべてを一人で抱え込んでいた。
司馬懿は蜀の使者に尋ねた。
「諸葛丞相は最近どうされている?」
使者は答えた。
「丞相は早起きして遅くまで働き、杖打ち二十以上の刑罰もすべて自分で決裁しています。食事は数升ほどしか取りません」
司馬懿は静かに言った。
「食が少なく仕事が多い。長くはもたんな」
敵の総大将が、味方の誰よりも正確に諸葛亮の健康状態を見抜いていた。
第十三章 ~ 五丈原 ~ 星が落ちる ~
西暦234年。第五次北伐。
諸葛亮は五丈原に陣を張り、司馬懿と対峙した。
だが諸葛亮の体はもう限界だった。
連日の激務。食事もろくに取れない。咳が止まらない。
それでも諸葛亮は働き続けた。夜も書類に向かい、部下の報告を聞き、策を練った。
姜維が心配して言った。
「丞相、少し休んでください」
諸葛亮は答えた。
「先帝の遺志を果たすまで、休むわけにはいかない」
鞠躬尽瘁、死而後已。
身を捧げて力を尽くし、死んで初めて終わる。
出師表で自ら誓った言葉を、この男は本当に実行しようとしていた。
ある夜、諸葛亮は星を見上げた。
自分の命星が弱々しく瞬いているのが見えた。
諸葛亮は最後の手段に出た。禳星の法。星の祭祀で寿命を延ばす術。
七日間、灯を灯し続ければ命が延びる。
六日目まで順調だった。
七日目の夜。あと少しで完了――
その時、魏延が急報を持って天幕に飛び込んできた。
「丞相! 魏軍が動いて……」
魏延の足が、主灯を蹴り倒した。
灯が消えた。
「…………」
諸葛亮は長いため息をついた。
「命数が尽きたか……天命なのだろう」
姜維は魏延を斬ろうとしたが、諸葛亮は止めた。
「人の力で天命は変えられない」
――だが正直、魏延お前は空気読め。
三国志演義で最も「あああああ!!!!」と読者が叫ぶ瞬間の一つである。
建安十二年(234年)秋。
諸葛亮、薨去。享年五十四歳。
遺言は完璧だった。
「私が死んだら、撤退せよ。司馬懿が追撃してきたら、私の木像を見せろ。それだけで退く」
果たして、蜀軍が撤退を始めると司馬懿が追撃してきた。
蜀軍が反転し、諸葛亮の木像を掲げた。
司馬懿は――
「生きていたのか!? 罠だ、退け!」
全軍撤退。
死後もなお、司馬懿を欺いた。
民衆はこう嘲笑った。
「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」
司馬懿はこの話を聞いて苦笑した。
「私は生きている者の計略は読めるが、死んだ者の計略は読めなかったか」
エピローグ ~ 秋風、五丈原 ~
諸葛亮が死んだ。
それは蜀漢の終わりの始まりであり、三国志という物語の魂が一つ消えた瞬間だった。
二十七歳で草庵を出て、劉備に天下三分を説いた日から二十七年。
北伐は結局、一度も成功しなかった。
漢王朝の復興は果たせなかった。
客観的に見れば、諸葛亮の後半生は失敗の連続だった。
だが――人は諸葛亮を「失敗者」とは呼ばない。
なぜか。
約束を守り通したからだ。
草庵で劉備に誓った忠義。出師表で劉禅に誓った献身。
「鞠躬尽瘁、死而後已」。
死ぬまでやり続ける。本当に死ぬまでやり続けた。
結果は出なかった。だが誠意は本物だった。
千八百年経った今でも、中国で最も愛される歴史上の人物の一人が諸葛亮であるのは、人々が「結果」ではなく「誠意」を覚えているからかもしれない。
五丈原の秋風は、今も吹いている。
――中巻・完――
次巻予告:
諸葛亮なき蜀の迷走。姜維の孤独な北伐。司馬一族の台頭。そして三国の終焉――。
笑いは減り、切なさが増える下巻。でもちゃんとギャグもあります。




