第6話 関羽の転落と、桃園兄弟の終わり
関羽が輝き、そして落ちます。
さらに張飛も、劉備も、怒りと復讐の中で壊れていきます。
強い人間ほど、自分の欠点で足元をすくわれる。嫌な話ですが、だいたい真実です。
第四章 ~ 関羽の栄光と転落 ~ フラグ建築の名人 ~
荊州を守る関羽。
劉備が漢中王を名乗ると同時に、関羽は北伐を開始した。
目標は曹操軍の要衝・樊城。
関羽は快進撃を見せた。
まず曹操が送ってきた援軍の大将・于禁を降伏させた。于禁は曹操配下でも古参の名将。それがあっさり降伏。
さらに猛将・龐徳を一騎打ちで討ち取った。
関羽は漢水を決壊させて曹操軍を水没させ、「水淹七軍」の大勝利。
威震華夏。 中華全土が震撼した。
曹操はマジで「首都を移そうか」と言い出したほど。
――だが、ここからがフラグ回収タイムである。
フラグ① 呉を怒らせた
孫権が関羽に「うちの息子とお宅の娘を結婚させませんか」と打診した。
関羽の返答:
「虎の娘を犬の子にやれるか」
孫権を犬呼ばわりした。
同盟相手の当主を犬。外交的に致命傷。
フラグ② 部下を怒らせた
関羽は武勇と義に秀でた男だが、一つ重大な欠点があった。
プライドが高すぎる。
特に「自分より格下」と見なした人間への態度がひどい。
荊州の留守を任された糜芳と傅士仁。この二人は補給担当だったが、関羽は彼らを見下し、ミスがあると「帰ったら処罰する」と脅した。
部下を脅すのは最悪の上司ムーブ。
フラグ③ 背後がガラ空き
関羽は樊城攻めに全力集中。荊州の守りが手薄に。
これを見逃す孫権ではなかった。
孫権は密かに呂蒙に荊州奪取を命じた。
呂蒙は「病気で引退する」と嘘をつき、後任に若くて無名の陸遜を据えた。
関羽は陸遜を舐めた。「書生(本の虫)」と嘲笑い、前線の兵力をさらに増やした。
――完璧な罠だった。
呂蒙は商人に変装した兵士を荊州に送り込み、内部から一気に荊州を奪取。
糜芳と傅士仁は、日頃の恨みからあっさり呉に寝返った。
関羽が気づいた時、荊州はすでに呉の手に落ちていた。
「……なっ……!」
前は曹操、後ろは呉。挟み撃ち。
しかも呂蒙は荊州を占領した後、関羽軍の兵士の家族を手厚く保護した。
「あなた方の家族は安全です。呉は民を傷つけません」
この情報が前線に伝わると、関羽の兵は戦意を喪失して次々と脱走。
「戦わずして兵を奪う」。呂蒙の見事な心理戦だった。
関羽は少数の兵とともに逃走。だが麦城で包囲された。
援軍は来ない。
脱出を試みるも、待ち伏せにかかり捕縛。
孫権は降伏を勧めた。
関羽は拒否した。
「玉砕はあっても、瓦全はない」
関羽、斬首。
享年五十八歳。
三国志演義で最も愛された武将が、プライドと油断によって命を落とした。
後に関羽は神格化され、「関帝」として中国全土で祀られることになる。商売の神・戦の神・義の神。
死してなお最強のブランド力。ある意味、三国志で一番成功した男かもしれない。
第五章 ~ 張飛の最期 ~ 死因:パワハラ ~
関羽の死を知った劉備と張飛。
劉備は慟哭し、失神した。
張飛は復讐だけを考えた。
「呉を滅ぼす! 関羽の仇を討つ!」
張飛は出陣準備に取りかかった。だがこの時、張飛にも致命的な欠点が爆発していた。
関羽は「上に傲慢、下に優しい」タイプ。偉い人にはケンカを売るが、部下の兵士には慕われていた。
張飛は真逆。 「上に従順、下に暴力」。
部下の兵士を日常的に殴り、酒に酔っては暴れ、少しのミスで鞭打ちにした。
現代なら確実にパワハラで訴訟である。
出陣前夜。張飛は部下の范彊と張達に無理な命令を出し、「できなかったら殺す」と脅した。
二人は話し合った。
「どうせ殺されるなら、先にこっちが殺るしかない」
その夜、張飛が酒に酔って寝ている間に――
部下二人に首を斬られた。
范彊と張達は張飛の首を持って呉に逃亡した。
三国志最強クラスの武将・張飛、享年五十五歳。
死因:パワハラ。
一騎当千の豪傑も、味方に殺されては意味がない。
桃園の三兄弟のうち、二人が失われた。
第六章 ~ 夷陵の戦い ~ 劉備、怒りで判断力を失う ~
西暦221年。
曹操の息子・曹丕が後漢の皇帝から禅譲を受け、魏を建国。
これに対抗し、劉備も帝位に就いた。蜀漢の成立。
だが劉備の頭にあるのは帝国の経営ではなかった。
復讐。
関羽と張飛の仇を討つ。呉を滅ぼす。
諸葛亮は反対した。
「今は呉と戦うべきではありません。真の敵は魏です。呉とは和解し、共に魏に対抗すべきです」
趙雲も反対した。
「関羽殿の仇は天下統一の後でも討てます」
だが劉備の怒りは止まらなかった。
「朕の弟を殺した仇を放置して、何が天下か!」
七十万(演義の数字。実際はもっと少ない)の大軍を率い、劉備は自ら呉に攻め込んだ。
迎え撃つ呉の総司令官は陸遜。あの「書生」と馬鹿にされた若者。
陸遜は徹底的に持久戦を選んだ。劉備が挑発しても、出てこない。
「出てこい陸遜! 男なら正面から戦え!」
「嫌です」
この「嫌です」を半年間続けた。鋼のメンタル。
夏になり、劉備は致命的なミスを犯した。
暑さを避けるため、軍を樹林の中に移動させたのだ。七百里にわたって、林の中に陣を張った。
これを聞いた魏の曹丕は嘲笑った。
「七百里の連営だと? 兵法を知らんのか。そんな陣の張り方があるか」
敵の皇帝にまで心配される悲劇。
陸遜は待っていた。まさにこの瞬間を。
火計。
東南の風が吹く夜、陸遜は全軍に火をつけさせた。
七百里の樹林が燃えた。蜀軍は大混乱。火は連鎖的に燃え広がり、逃げ場がない。
夷陵の戦い。 劉備の壊滅的大敗。
劉備は命からがら白帝城に逃げ込んだ。
七十万の大軍は灰になった。
そして劉備の体も――限界だった。
第七章 ~ 白帝城の託孤 ~ 遺言が重すぎる ~
白帝城。
劉備は病床に伏していた。
夷陵の大敗のショックと、長年の疲労が一気に噴き出した。
諸葛亮を呼び寄せ、劉備は最後の言葉を告げた。
「孔明……俺の息子・劉禅を頼む。もしアイツに才能があるなら補佐してやってくれ。もし才能がなければ、お前が代わりに帝位に就け」
――は?
「帝位に就け」。つまり「ダメなら国を乗っ取っていい」と言ったのだ。
これを額面通りに受け取るか、「絶対に断るだろう」という計算ずくの信頼テストだと見るかで、三国志ファンは千年以上議論している。
諸葛亮は号泣しながら跪いた。
「臣は力の限り忠義を尽くし、死ぬまで止めません!」
「鞠躬尽瘁、死而後已(きっきゅうじんすい、しじこうい)」。
身を捧げて力を尽くし、死んで初めて終わる。
この言葉を、諸葛亮は文字通り実行することになる。
劉備、崩御。享年六十三歳。
ゴザ売りから始まり、放浪し、泣き、人を集め、ついに皇帝となり、そして復讐に失敗して白帝城で死んだ。
波乱万丈というか、ジェットコースターすぎる人生である。




