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第15話

  

 今日から三日間は各自、自由時間だ。

 最初に外へ出たのは僕だった。


 朝のヴァレスタはいつも通りだ。

 通りには焼きたてのパンの匂いが流れ、荷車が石畳を軋ませながら行き交っている。


 この三日間は迷宮には入らない。

 イスカの細剣を預けているし、あの大穴の奥で見たものを考えれば、いま無理に進む理由もない。


 だが、じっとしているとあの湿った草地と灰色の巨大なアッシュタイガを想像していしまう。

 だから僕は、ギルドで近場の荷運び依頼を一つ受けた。


 危険はない。

 倉庫から工房へ金具箱を運ぶだけの仕事だ。

 それでも体を動かしていた方が落ち着く。


 箱を運び終え、依頼を完了した帰り道――人気の薄い裏通りで足を止めた。

 石畳の端に転がっていた小石を一つ蹴る。


 小石が転がり、床の繫ぎ目で止まった。


 そこへ意識を落とす。


「――《留黒(とめぐろ)》」


 『黒』が起こる。

 前より速くなっている。

 狙った場所へ置く感覚も、少しずつ手に馴染んできている。


 だが、止められる時間はまだ短い。

 あの大穴の奥では、一瞬の遅れがそのまま死に繫がる。


「もう少し長く留めたいな」


 もう一度試そうとしたとき、通りの向こうから二人組が歩いてきた。


 先に見えたのは背の高い男だった。

 表情は薄く、歩幅も一定で、通りの喧騒から少しだけ切り離されて見える。余計なものを全部削ったような冷たさを感じた。


 その隣を向日葵色の外套をまとった女が歩いている。

 男とは逆に、雰囲気はふわりとしていた。目元も口元も穏やかで、道端の花でも眺めていそうな幼く整った顔をしている。

 だが、弱くは見えない。

 むしろ、その穏やかさの奥に強さを感じる。


 男は冷たい。

 女は柔らかい。

 なのに、どちらも近くに立つだけで空気の温度が変わりそうだった。


 二人が横を通り過ぎる。

 女が僕の方を一瞬だけ見た気がした。


 笑ったわけでもない。

 睨んだわけでもない。

 ただ、それだけで、背中の筋肉が勝手に固くなった。


 ――二人ともかなり強い。


 そう思った直後、今度は別の方向から視線を感じた。


 さっきの二人組じゃない。

 もっと離れた場所から感じる。

 僕は瞬間的に振り向いた。

 通りの二階――張り出した屋根の影あたりから、一瞬だけ誰かに見られた気がした。

 

 すでにそこには誰もいなかった。


「……気のせいか?」


 そう呟きが口から洩れたが、胸の奥に小さな引っかかりが残る。


 ヴァレスタにはまだまだ僕たちが相手にならないほどの強さの人間がいる。

 

 自分も負けていられない。

 僕はもう一度、『黒』を発生させた石へ意識を落とした。



―――――



 二日目のある日。

 リナは北門近くの雑貨屋へ向かっていた。

 今回の遠征探索で、印をつける白石がかなり減っていたからだ。

 そのついでに回復薬や携帯食も買い足しておきたかった。


 雑貨屋に着くと、店の中は静かで干した薬草と石鹸、それに新しい革袋の匂いが混ざって漂っていた。

 棚の奥にいたいつもの女店員は、リナが口を開く前に軽く笑う。


「今日はお一人なんですね」


 リナは足を止めた。


「いつもは三人で来られることが多いので」


 言い方は柔らかい。

 ただ、そこだけを覚えているのだと分かる聞き方だった。


「今日は別行動」


「そうでしたか」


 女店員はそれ以上踏み込まず、すぐに棚へ手を伸ばした。


 白石、傷薬、油紙、細紐、干し肉。

 リナが言う前に、減っていそうな物がするすると台の上へ並んでいく。


「……手際いいね」


「よく使われる物は、だいたい決まっていますから」


 そう言って笑う顔は普通だった。


 会計の横に並んでいた小さな焼き菓子が目に入った。


 猫の手の形をしている。

 丸い肉球まで薄い飴で色がついていて、無駄に出来がいい。


「何これ、かわいい」


「今朝入ったお菓子です。少し甘いですが、疲れた時にはちょうどいいですよ」


 店員がそう言うので、リナは二つ買った。

 自分用ではない。どう見ても、家でもっと露骨に反応しそうな相手がいる。


 店を出たところで、通りの向こうから金色の髪の男が歩いてきた。


 白い胴衣に長めの上着。

 その片側の肩にだけ紫が差し色のように縫い込まれている。

 派手な格好のはずなのに、浮いてはいない。布も革も金具も全てが戦うために選ばれたものだと分かるほどの上質さが伝わってくる。

 気楽そうに見えるのに、歩き方に隙がない。


 その少し後ろを、黒い外套でフードを被った人が無言でついていく。

 金髪の男が目を引くぶん、フードの方はまるで闇に溶けた影みたいに静かだった。

 身長的にはおそらく女か。

 リナが視線を向けた瞬間にはこちらを見ていた。


 目が合ったわけじゃない。

 だが、胸の奥まで見られてた気がした。


「……何あれ」


 睨まれたわけでもない。

 声をかけられたわけでもない。


 それなのに、近くにいたくないと思わせる何かがあった。


 気分が沈み切らなかったのは、紙袋の中に猫の手が入っていたからだ。

 これを見たイスカがどんな顔をするか。

 それを考えると、少しだけ足取りが軽くなった。



―――――


 リナとほぼ同時刻。

 この二日間、イスカは外に出た瞬間、細剣のない背中へ意識が向かってしまっていた。

 やはり細剣がないだけで落ち着かない。


 だからこそ、体を鈍らせたくなかった。

 北西区画の空き地を使い、イスカは踏み込みだけを何度も繰り返していた。


 替えの細剣は持っているが、宿に置いている。

 練習といえど、さすがに街中で振ると目立つからだ。

 

 今は代わりに細い木の枝を一本だけ持ち、切っ先の延長を意識して練習している。


 一歩。

 もう一歩。

 深く――真っすぐ。


 だが、やればやるほど分かる。

 踏み込みの形は作れても、最後に押し込む感触だけは細剣がなければズレてしまう。


「……長いですね」


 今日が二日目。あと一日もある。


 自分でも子どもみたいだと思うが、今は新しい細剣が戻るのが楽しみで仕方なかった。


 《一閃・破鋼(いっせん・はこう)》の感触は、まだ体に残っている。

 その感覚を消したくなくて、イスカは木の枝を握り直すと何度も何度も練習するのだった。


 日が暮れそうになるころ。

 イスカが練習を切り上げて戻る途中、小さな焼き菓子の屋台の前で足が止まった。

 商品台の上には、猫の手の形をした焼き菓子が並んでいる。

 

 造りがかなり丁寧だ。

 肉球の部分だけはほんのり色まで違う。


「お一つどうですか?」


 店の女が声をかけてきたが、イスカはすぐ答えられなかった。


 かわいすぎる。

 食べたら終わる。

 肉球が欠けて、形が崩れて、ただのお菓子になってしまう。

 それを想像しただけで手が止まっていた。


 だが、次の瞬間には無意識で三つ買っていた。

 自分がほしいのではない。

 これはパーティメンバーの二人と一緒に食べるものだと自分の言い聞かせる。

 

「……やってしまいました」


 小さくそう呟いて、また紙袋へ戻した。

 そのとき、店先の通りを二人組が歩いてきた。


 一人は金髪に白い胴衣。

 長めの上着を着ていて、その片側の肩には紫の肩掛けのようなものが見えた。

 風もないのに、その布の端だけがゆるく揺れている。

 その歩きには隙がなかった。


 腰の長剣も目を引いた。

 柄と鍔の形が独特で、まるで細工物みたいに綺麗だった。

 

 その後ろには、黒い外套を着こんで、フードまで被っている人がいた。

 少し小柄で静か。ほとんど気配がない。

 だが、男の背後にいるが、守られているようには見えなかった。


 むしろ、背中を預けられている。

 イスカはそう感じた。


 通り過ぎるとき、金髪の男がふとこちらを見る。

 一瞬だけ目が合った。


 その目は笑っていた。

 獲物を見る目ではない。面白いものを見つけたときの子どものような目だった。


「……今の人たち……」


 強い。


 そう言葉にする前に、男は黒い外套の女と並んで通りを抜けて消えていった。


「……最近、強い人が多いですね」


 小さく呟いてから、すぐに歩き出す。

 細剣がない今、余計なことはできない。

 ただ、今見た二人の印象だけは覚えておこうと思った。


 家に帰ると、先に戻っていたリナとアーテルが大広間でくつろいでいた。

 リナは机の上に猫の手形のお菓子を置いて、こちらをにやにやと見てくる。


「え……」


 イスカは立ったまま珍しく固まっている。


「リナ、それ買ったのですか?」


「うん。絶対イスカは好きだと思った」


 リナは笑いながら言う。

 イスカは自分の持つ紙袋と机の上の菓子を見比べる。

 それからゆっくり椅子へ座ると、自分の紙袋からも三つ出した。


 同じ猫の手のお菓子が三つ並ぶ。

 よく見ると、焼き色も肉球の色も少しずつ違う。

 イスカはじっと見つめたまま、小さく息を呑んだ。


 並んだ猫の手は、なおさら食べづらいようだ。

 ずっと固まって見ているイスカを見て、リナが吹き出す。


「食べないの?」


「……食べたらなくなるなら、無理です」


 その答えに、僕も笑いそうになった。



 ――ちょうどその時、扉がノックされる。

 開けると、ギルドの若い職員が立っていた。


「ドーレマンさんより伝言です。明日の朝、ギルドへ来てください。ルルレーダンの調査の件で話があります」


 そこで職員は一度だけ言葉を切る。


「事が重大であることから、Aランクパーティにも依頼をかけたそうです。明日はその方々と顔合わせになります」


 扉が閉まった後、部屋の中は少しだけ静かになった。


 机の上には、まだ手を付けられていない猫の手のお菓子が並んでいる。

 その可愛い形と今聞いた話の重さがまるで噛み合わなかった。


 止まっていた時間が明日からまた動き出すことだけは分かった。



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