第11話
大穴の奥から退避した後、僕たちは来た道を足早に戻っていた。
何度か戦闘もあり、魔物の強さや出現状況についてだいたい見えてきた。石壁の湿気が消えてきた辺りで、ドーレマンが足を止める。
「あの大穴の奥を『下層』とするなら、この石壁が湿り始めた辺りからが『中層』だな」
そう言いながら壁へ印をつけている。通路の傾きも少しずつ緩んでいた。
かなり急いで戻ってきたせいで、僕たち三人の息はまだ荒い。
僕の場合、さらにモスバックボアに使った《連牙》の反動も、いまだ全身に残っていた。
ドーレマンが振り向く。
「迷宮では何が起きるか分からん。次の敵がいつ来ても動けるようにしておけ。前にも言ったが、アーテルが潰れたらこのパーティは一気に崩れる。現に⋯⋯今ここでDランクが二体出たらどうする」
何も言い返せなかった。
ドーレマンの手助けがないとしたら、今の僕たちだけではこの迷宮を攻略することは難しいだろう。
紋章の力も自身の体も、もっと鍛え上げないとあの奥――下層へは到底進めない。
リナが鎖を握ったまま口を開く。
「……私、敵の動きを読めるようになってきた。危ない場所やどっちから攻撃が来るかも見え始めてる。⋯⋯でも、見えてるのに言葉が間に合わない」
「戦闘中に《解読》で見たもの全てを言葉にするのは無理だ。お前に必要なのは『動き』で示すことだ」
「動きで……?」
「この辺りの魔物相手なら、アーテルとイスカは敵を見て動くことができている。なら、リナはその鎖で今の狙いや逃げる先を示せばいい」
「あの大穴の奥で、モスバックボアやレトルファングと戦ったとき、リナは鎖の動きだけで僕とイスカをフォローしてくれてた」
「そうだ。あのときの動きがまさにそれだ」
リナは黙って頷いた。
鎖の操作をより的確に自由にできるようになれば、言葉よりも早く伝えられることがあるかもしれない。
リナの話を聞いていたイスカが細剣へ目を落とす。
「私の攻撃は⋯⋯あまり効いていません」
「⋯⋯ううん、イスカはちゃんと倒してた」
イスカは首を横に振る。
「外皮が硬い魔物や重量がある相手には、ただ速い攻撃をするだけの私は⋯⋯威力が足りないです。バビルのときにも痛感しました」
少し黙ってから、イスカは続ける。
「もっと一点に集中して攻撃する必要があります。ですが、私はアーテルのように溜められる力がありません。⋯⋯だから私の強みを活かすためには、この速さを威力に変える方法が必要だと思っています」
イスカの閃光のような速度を威力へ変えられるのなら、それは最大の攻撃となるだろう。だが、どのようにしてそれを習得するのか。
――全ては戦いの中で見つけるしかない。
僕も息を吐いてから二人を見る。
「僕は攻撃後の疲労軽減と、力を溜める時間を短くして威力をもっと上げる必要がある。今のままだと強敵を倒してもその先へ進めない」
「お前ら、自分たちのことをよく分析しているな。そういうやつらは強くなれる。あとは鍛錬あるのみだ。俺から言えることがあるとすれば⋯⋯装備の更新や強化の必要性くらいなものだ」
ドーレマンはそう言って頷いた後、前を向いて歩き出すのだった。
―――――
しばらく白印を頼りに戻っていると、今度はリナが足を止めた。
左側の壁へ顔を寄せ、《解読》を使ったまま継ぎ目を追う。
「やっぱり……ここ、何か変」
「何か視えたのか?」
「壁の向こう、少し空いてる。それにこの一角だけ位置がおかしい」
僕も手を当ててみたが、よく分からない。
周囲は乾いているのに、この場所だけ妙に冷たかった。
「なるほど。よく見つけたな」
ドーレマンは壁を確かめると、「下がれ」とだけ言って右手を振り抜いた。
石壁が吹き飛び、その奥に空間が現れる。
「隠し部屋か、隠し通路か」
魔灯を差し入れて中を覗く。
「入るぞ」
僕たちは並びを詰め、開いた穴から中へ入った。
中は狭かったが、十歩も進まないうちに奥が開けた。
小部屋ほどの空間の先で、割れた壁の中を透き通った緑の筋が何本も走っている。
「……きれい」
リナが思わず声を漏らした。
そのとき、黒茶の甲殻が視界の端をよぎる。
「魔物がいます。しかも、大きいのも」
イスカの声と同時に、壁の割れ目から二体のサンドローチが這い出してきた。
その奥では、もう一つ大きな甲殻を持つ巨大な昆虫。
鈍い黒色の殻はかなり分厚い。背の棘が石壁を擦って嫌な音を立てた。
「⋯⋯スパインローチ」
僕が呟くと、ドーレマンが短く頷いた。
「今のお前たちなら大丈夫だろう」
そう言って手前まで下がった。
任せる――ということだ。
先に動いたのはリナだった。
鎖を鳴らし、左右の石の出っ張りへ引っかける。敵が通る場所を絞る置き方だった。
「アーテル、左から来る。イスカの方に大きいやつが行くよ」
言葉と同時に、左のサンドローチが壁を蹴った。
鎖の隙間へ来ると分かっていたから、僕はそこへ踏み込み、《瞬纏》を乗せた朧差で斬った。
薄い殻ごと裂けたサンドローチの残骸が床へ落ちる。
もう一体は右壁を走って抜けようとした。
だが、脚がリナの鎖へ引っかかって大きくぶれる。
「《壊圧鎖》!」
そのまま鎖が締まり、見えなくなったと思ったときに甲殻ごと潰れた。
黒い液体が鎖の間から垂れてくる。
「……うわぁ」
「自分でやったんだろうに……」
こっちは片付いた。
僕はスパインローチと向き合うイスカを見る。
低い姿勢で跳び掛かってくる相手を、イスカは細剣でいなし続けていた。
イスカが速すぎて、スパインローチの動きが遅く見える。
スパインローチは壁際で角度を変えて跳んでくるせいで位置が読みにくい。
イスカが攻撃を避けては横へ回り、殻の繫ぎ目へ突きを入れている。
その度に金属質の硬い音が鳴った。
何度もそれが続く。
刃は半ばで止まり、体をずらされただけで押し戻されている。
「《閃舞》」
イスカはより力を込めて、連撃を繰り出す。
さまざまな方向から、甲殻の隙間を狙っているが、それでも奥までは届かないようだ。
細剣の先が滑り、殻の縁に傷をつけていくが、致命傷には至らない。
「……やはり届かない」
イスカの声が沈む。
スパインローチが一気に前へ跳び込んでくる。
棘のある背が壁を擦り、石片が弾けた。このまま押し込まれたら、イスカが受けきれない。
僕は黒鉄の小手をスパインローチへ向ける。
そのとき、イスカが振り向かずに言った。
「すみません……私に⋯⋯一人でやらせてほしいです」
僕とリナは顔を見合わせる。僕らの気持ちは同じだった。
――イスカの意志を尊重する。
強くなるには、戦いの経験が不可欠だ。
スパインローチの甲殻はかなり硬く、イスカにとっては苦手な相手だ。その敵との一人での戦いから得られる経験は、かなりのものになる。
僕は一歩後ろへ下がり、いつでも『黒』を撃てる位置で準備しておく。
リナも鎖を軽く鳴らし、死角へ回られたらすぐ払える位置へ動いた。
イスカは細剣を構えたまま、スパインローチの頭、首、その下の繫ぎ目を順に見ている。
速く何度入れても、攻撃の威力自体が足りないと決め手に欠けてしまう。
――細剣を振るっても敵は止まらない。なら、どうする?
イスカの呼吸が一つだけ深くなった。
横へ避けてから抜けるのではない。
《閃駆》の踏み込みを今よりもっと深くすることで、速さの出力を爆発的に発生させる。
そして、その一歩の勢いをそのまま切っ先へ集めれば――。
スパインローチが壁を蹴って角度を変えて迫ってきていた
その頭が少し浮いたとき――
――イスカが大きく踏み込んだ。
石畳が大きく割れ、周囲に衝撃波のような爆風が遠心上に広がった。
《閃駆》のように移動に特化した技ではない。
真っすぐ、深く、敵を逃がさないための一歩。
「――《一閃・破鋼》」
短い声と同時に、剣先がスパインローチの口器の真上へ真っすぐ沈んだ。
今度は止まらない。
踏み込みの超速がそのまま貫く力へ変わり、細剣が根元近くまで食い込んでいた。
スパインローチの体が大きく震え、脚が二度、三度と空を掻く。
そのまま崩れ落ちた。
イスカが細剣を引き抜く。
殻の奥から濁った液が石床へ垂れ、ようやく静けさが戻った。
最初に口を開いたのはリナだった。
「……今の、ものすごい速さと威力だった」
イスカは倒れたスパインローチを見たまま言う。
「速度を活かすには、やはり一点に集めることだと思ったんです。なので、最初の一歩の踏み込みに費やす力を、全て細剣の先に乗せる形にしてみました。⋯⋯うまくいって良かったです」
ドーレマンがそこで前へ出る。
「忘れるな。⋯⋯その速さを一閃にまとめれば、お前の攻撃は何にでも届くだろう。あとはイスカ、お前にはそれに耐えうる武器が必要だ」
イスカは細剣を見下ろし、小さく息を吐いた。
「……はい。ドーレマンに以前紹介してもらった鍛冶屋に行ってみます」
「あいつか。⋯⋯あいつはこの街――いやこの領地一帯でも指折りの鍛冶師だ。おまえの力になってくれるだろう」
それからドーレマンの視線が、倒れた魔物ではなく壁の緑へ向いた。
「俺がそんなことを言ったのにも理由がある。リナが見つけたこの隠し部屋――当たりだ」
僕たちも一斉にドーレマンの手に握られた石塊に目を向ける。
「何なんだ、この緑のは?」
僕の問いにドーレマンは石の表面を拳具の先で軽く叩いた。
「これは『翠脈石』だ。その名の通り、翠緑の迷宮の奥地で稀に出る鉱石だな。紋章力の通りがかなり良く、魔道具や武具の芯材にも使われる」
「そんなのが、なんでこっちにあるの」
「それはわからん。だが、長い間ここで眠っていたのは確かだ。売ればかなりの値は付く。だが、使えば――」
ドーレマンの視線が僕たちの持つ装備へ順に落ちていく。
「――加工できる鍛冶師に回せば、面白いもんになるかもしれん」
リナがすぐ食いついた。
「鎖にも使える?」
「その工房次第だ。それでさっきのイスカとの話につながる」
イスカが少しだけ前へ出る。
「細剣の芯にも⋯⋯ですか?」
「それができる奴にならな」
ドーレマンは頷くと、こちらに向いた。
「魔道袋に詰められるだけ詰めろ。壁の中に入り込んでいるものは取れないが、周りに出てきているものや、砕けて落ちているものなら持って帰れるぞ」
僕たちは頷き、露出している部分や落ちている石塊を慎重に入れていく。
魔道袋を買っておいてよかった。あとは入り切らないものでも、持てるだけ持った。
小部屋を出る前に、僕はもう一度だけ振り返った。
壁の奥に残った翠脈石の筋は、まだ細く暗がりへ続いている。
「……ほぼ取り尽くしたな」
リナの方に目をやると動けなくなりそうなくらい、鞄がぱんぱんになるまで詰められている。
「貴重なら、できるだけ持って帰るに決まってる」
大穴の向こうの草木が広がる湿地帯。
そこで群れていたCランクの魔物――アッシュタイガ。
途中の隠し部屋から出た翠脈石。
今回の迷宮遠征ではかなりの収穫と課題も見つかった。
リナが《魔道鞄》と普通の革袋の両方を軽く叩く。
「なんか、急に帰るのが楽しみになってきた」
僕も頷く。
強さに繋がるのなら、この『翠脈石』は今の僕たちにとって、紋滓同様に最も必要なものかもしれない。
また迷宮へ潜る理由が一つ増えた。
イスカも小さく頷く。
「次は、もっと倒せるように精進します」
その声は、さっきよりはっきりしていた。
僕たちはそのまま、ヴァレスタへ戻るための通路へ足を向けた。




