表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

89/97

第10話

  

 背丈ほどある草を押し分けて出てきたその獣は、先ほどのレトルファングとは比べものにならない体格をしていた。


 四つ脚の猪型の魔物。

 胴と肩の位置が高く、僕の身長でも敵の目を少し見上げるほどに大きい。


 濡れた黒茶の毛が背へ張りつき、その上に苔みたいな緑がまだらにこびりついている。

 口先は太く、左右へ反った牙は剣のように鋭く長い。

 地面の泥を踏むたび、重い脚がそれを跳ね上げていた。


「Dランク――モスバックボアだ。昨日討伐したEランクのドレッドボアの強化版とも言える」


 ドーレマンが説明してくる。


「湿った場所を好む魔獣だ。泥へ乗るなよ。足を取られたらそのままふっ飛ばされるぞ」


 言い終わると同時に、モスバックボアが鼻を鳴らした。

 こちらの匂いを掴んだのだとすぐ分かった。


 草が左右へ揺れ、次の瞬間には巨体が地面を蹴って突っ込んできた。


 ――速い。重いくせに滑るみたいに距離を詰めてくる。


 僕は朧差を抜いて横へ跳んだ。

 鋭い牙が目の前を通り過ぎ、そのまま大穴の手前の地面を擦る。鈍い音と一緒に灰白の欠片が散った。


 そのとき――草むらの中で別の音が鳴る。


「他にもいます」


 イスカの声で目を向けると、草木の陰からレトルファングが二頭、低く姿勢のまま出てきた。


 前にはモスバックボア。

 横にはレトルファング。

 足元は泥濘(ぬかる)みやすい地面が広がっている。


「アーテルは正面を見てください。レトルファングはこちらで倒します」


「分かった」


 モスバックボアがまた頭を下げて姿勢をつくる。

 その大きな体躯ごとぶつかって押し潰す気だ。


 同系統の猪型の魔物――ドレッドボアとの戦いで学んだことを思い出せ。

 僕は正面から合わせず、体を右へずらす。

 だが、湿った土が滑り、踏み込みが遅れる。


 危ない――と思ったときには、リナの鎖が横から走っていた。

 モスバックボアの前へ出る向きを逸らすように、水際の手前を強く払う。

 獣の視線が一瞬だけそっちへ揺れた。


 その隙に僕は退くことができた。


「リナ、助かった」


 イスカが草を裂いて横へ走る。

 細剣がレトルファングの鼻先をかすめ、二頭の向きを外へ切る。そこへリナの鎖が床を這い、片方の前脚を払った。


 前と横の二方向の敵に対して、リナが的確にフォローしてくれる。この戦いを《解読(パース)》で読みながら、戦況に応じて補助へ回っているのだ。


 僕よりかなり年下で、経験も少ない。

 だが、その成長速度には目を見張るものがあった。


 ――僕も負けていられない。


 リナによってわずかに空いたその隙に、僕はモスバックボアへ攻撃する。


「こっちだ――!」


 《瞬纏(しゅんてん)》により、『黒』を薄く纏った刃は毛と皮を裂き、注意を僕の方に引きつけた。


 モスバックボアはそのまま突き進んだあと、回り込むように方向を変えてまた突進してくる。

 僕は大穴の手前まで跳んでそれを避けた。


 大穴とこの沼地の繋ぎ目は、石畳を割るように太い根と蔓が走っている。

 つまり、水気の多い泥のある地面よりも圧倒的に硬い。


 モスバックボアが向きを変える。

 Dランクだけあって、この地形や場所をよく理解している。

 沼地の中にある岩、根の張った地面、その違いを全部踏み分けて動いている。


 僕は深呼吸をして、意識を集中させた。

 『黒』の威力を高めるには、力を溜める時間が要る。

 そのためには、相手を止める技――《留黒(とめぐろ)》をもっとうまく敵が踏み切る足下へ、展開させなければならない。


 だが、敵は泥の上では踏み込まない。踏み込まない場所に《留黒(とめぐろ)》を発生させても止めることはできない。


 モスバックボアは大穴と沼地の繋ぎ目、根が抱いた石の上で方向を変えようとしているのが見えた。


 僕は刃先をわずかに下げる。


「――《留黒(とめぐろ)》!」


 狙った場所へ、『黒』を発生させる。

 次の瞬間、モスバックボアの前脚がそこを踏み込んだ。


「ブォオオ?」


 ぐぐ、と重さと速さが一気に鈍る。

 方向転換するはずだった巨体が、その場で詰まって倒れかけた。


 だが、さすがDランクの魔物だ。すぐに姿勢を整えて再度突進の姿勢をとろうとしていた。


 僕は《留黒(とめぐろ)》を使った後、すぐに黒鉄の小手へ力を込め始めていた。

 敵を止めて、力を溜める時間をつくる。

 そこまではでき始めている。

 

 だが、それだけでは駄目だ。

 今の自分に足りないもの。

 それは――敵を止めた後、一瞬でも速く力を大量に集めることだ。


 黒を引き出す。

 まだ足りない。

 もっと、紋章の奥から一気に引きずり出せ。

 黒鉄の小手を通して指先へ、どんどん力を込める。

 撃つ一点へ、全てが収束していく。


 小手の先へ集まった『黒』が急に重くなった。

 撃つ前なのに、もう頭が割れそうに痛い。

 息も浅く、膝が抜けそうになる。


 それでも止めてはいけない。


「おおおおお――――ッ!」


 叫びと一緒に指先を敵へ向ける。


「行け――《連牙(れんが)》――!」


 小手の先から、二本の『黒』が絡み合うように走った。


 並んで飛ぶのではない。

 互いに連なったまま螺旋を描き、唸るように回転しながら一直線に伸びる。


 狙いはリナの鎖のおかげでわずかに外へずれていた首筋と、頭のちょうど中心。

 二本の『黒』は今までの《連牙(れんが)》より明らかに濃く、鋭く、ぶれなかった。


 到達した瞬間、撃ち抜いた先までがごそっと消滅した。

 首へ入った『黒』は分厚い毛と肉を抉り、頭へ入ったもう一本は回転ごと脳天を穿った。


 モスバックボアの巨体が、その場で止まる。

 次の瞬間、真横に大きな音を立てて崩れ、跳ねた泥水が周囲へ散った。重い体が泥の中へ少しだけ沈む。


 倒せた――と思うより先に、視界が傾いた。


「アーテル!」


 リナの声が遠い。

 頭の芯が焼けるみたいに痛い。

 指の先から腕まで力が抜ける。


 朧差を取り落としそうになりながら、僕はその場へ膝をついた。


 すぐには立てないほどの眩暈と激痛だった。


 息を吸っても、胸の奥が空っぽみたいに酸素を取り入れてくれない。

 今の一撃で、ほとんど全てを持っていかれたのだと分かる。


「アーテル、無茶しすぎです」


 イスカの声が近くで響く。

 だが、その声の向こうで草むらがまた大きく揺れた。


 ――まさか……?


 今度はさっきの個体より少し低い位置から、だが同じ重さで草を押し分けてくる。

 濡れた茶毛。背には緑や黒の苔が生え、太い口先には剣みたいな鋭牙が見えた。


 二体目のモスバックボア。


 今の僕はすでに全身の力を込めた後で動けない。

 リナとイスカが前へ出る気配がしたが、それより早く横を瞬時に敵に向かう影があった。


 ドーレマンだ。


 拳具を巻いた右拳を下げたまま、地面の硬い場所だけを踏んで一直線に入る。

 あの巨体に正面からぶつかるつもりだと分かった瞬間、息が止まった。


 モスバックボアが突っ込む。

 ドーレマンは退かない。


 一歩だけ、深く踏み込んだ。

 拳が下から突き上がる。


 ドォォォオオオオオン――――――。


 鈍い破裂音みたいな音が辺りを占めた。


 右拳がモスバックボアの顎へめり込み、そのまま頭ごと持ち上げる。

 浮いた巨体へ、今度は左の拳が横から叩き込まれた。


 骨が潰れる音が大きく響いた。

 その一瞬で、モスバックボアの頭がへし折れ、巨体ごと草むらの上へ倒れていた。

 背丈ほどあった草がまとめて薙ぎ倒された。


 僕は声も出なかった。

 リナも息を止めている。

 イスカだけが小さく言った。


「……強すぎます」


 ドーレマンは拳を下ろしたまま振り向きもしない。


「立てるか、アーテル」


「……なんとか」


 そう答えたが、すぐには無理だった。

 リナが手を引っ張って起こしてくれる。イスカは細剣を構えたまま、大穴とは反対方向を見ていた。


 水が流れる音しかない。

 だが、その静けさが逆に違和感を際立たせた。


 ドーレマンがゆっくりと視線を向ける。

 水際の土に残っていた跡を見て、顔つきが変わった。


 そこにある足跡は、今倒した巨体のボア二頭のものよりも深く、幅も広い。

 それに爪痕がより深く、泥の底まで届いていた。

 その近くには、獲物でも引きずったみたいな筋が何本も残っている。


 太い根に引っかかったのか、落ちた毛は闇に溶けそうなほど濃い灰色だった。


 ――僕はこの色に見覚えがある。


 喉が勝手に鳴る。

 思い出す。

 リンドリウムで笛の男に率いられていたCランクの魔獣の群れを。


「……まさか」


 僕の口から出た言葉に反応するかのように、周囲の草むらの奥で低い唸りが重なった。


 一つじゃない。

 左右でも一つずつ。

 少し遅れて、さらに奥でもう一つ。


 背の高い草むらの中を黒灰色の毛並みが流れ、鋭い金色の眼が一瞬見えた。


 ドーレマンの声が、初めて動揺の色を含んだ。


「駄目だ。……アッシュタイガが群れている。すぐに引くぞ――!」


 その声と同時に、右手の草むらが大きく揺れた。

 次いで左奥でも草が倒れる。

 囲まれ始めていると理解した瞬間、喉が締まる感覚に襲われた。


 先ほどのモスバックボアは、この空間ではただの餌だったのだ。

 あの二体は追われてここへ飛び込まされただけだ。


 草の奥で金色の眼が二つ、三つと光り、低い唸りがじわじわ距離を詰めてきた。


「アーテル、早く!」


 リナが僕の腕を強く引く。

 イスカもすぐ後ろへ回り、細剣を構えた。


 僕たちは足を取られそうになりながら、一気に来た道を下がった。

 振り向けば足が止まる気がして、振り返らずに元の通路へ飛び込んだ。


 ドーレマンが最後に後ろを確認してから、大穴の横へ印をつけた。

 アッシュタイガの巨体ではぎりぎり通れないほどの穴だ。僕たちは何とか逃げ切ることができた。

 

「⋯⋯行くぞ」


 僕たちは入口へ戻る足を速めた。

 リナが息を押し殺しながら問う。


「……なんでここに翠緑の迷宮みたいな場所があるの?」


 誰もすぐには答えられなかった。

 ただ一つ分かったのは、あの奥へ深く潜れば、ドーレマン以外の僕たちにはもう帰れる保証がないということだけだ。


 ルルレーダンの迷宮の中に、突如として現れた背丈ほどの草に覆われた沼地帯。

 この迷宮を攻略するにはもっと安定した力が必要だ。


 遠隔で使う《留黒(とめぐろ)》の感覚は、少しずつ僕の手に馴染み始めている。

 だが、それだけではまだまだ足りない。

 

 瞬時に大量の力を込める練習が必要だ。

 そして、敵を倒した後でも痛みや疲労に負けない強さも要る。





■モスバックボア:Dランク

湿った場所や泥地を好む、大型の猪型の魔物。

重い体で突っ込むだけでなく、場の違いを踏み分けて突進してくる。

地面が悪い場所でもその攻撃の勢いが落ちないことから、足場が悪い場所での戦闘時には死亡リスクが一気に高まる。



■アッシュタイガ:Cランク (再掲)

闇に溶けそうなほど濃い灰色の毛並みと、金色に光る目が特徴の大型の虎型魔物。

前脚まわりの筋肉が異様に発達しており、一歩踏み出すたびに地面や石を削るほどの重さと力を持つ。

 他の魔物すら獲物にする凶暴さがあり、もちろん人間も餌として認識されている。

草むらや木々の陰を使って獲物を追い込み、鋭い牙と爪で一気に仕留めて相手を喰らう危険な存在。

基本は単体で出現する魔物であり、それでも十分に脅威だが、群れで現れた場合は大きな街でも壊滅させるレベルである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紋章/能力バトル/ファンタジー/逃亡劇/神話/成長/レベルアップ/属性
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ