表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

88/97

第9話

  

 目が覚めた。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 入口近くで最後の見張りをしていたリナが、こちらを見てきた。魔灯の明かりが弱く顔を照らしている。


 その横でイスカもちょうど起き上がったところだった。だが、いつもより反応が鈍い。


「イスカ、眠そう」


「実は……あまり眠れませんでした」


「お姉さんなのに、怖かったんでしょ」


 リナが少し楽しそうに口元を緩めた。


「いえ、いつも一人で寝ていたので、集団で寝るのが落ち着かなくて」


「そこなんだ……」


 イスカは少しだけ目を逸らした。


「慣れていないだけです」


 奥の壁にもたれていたドーレマンは、僕たちのやり取りを見ながら小さく息を吐いた。


「それよりも、ここは当たりだったな」


「確かに一度も襲われなかった」


「ああ。今日は荷をまとめたら、もう少し奥へ行くぞ」


 僕たちは手早く荷をまとめて、残っていた干し肉と水で軽く腹を満たした。

 敷いていた布のような軽くてかさばる物は《魔道鞄(マジックバッグ)》へ入れておく。


 迷宮の中は昼夜が分からない。

 だが、休んだ分だけ足取りは軽かった。


 横穴を出た先の通路を、さらにしばらく進んでいく。

 道を下っていくにつれて、石の匂いに別のものが混じってきていた。より湿気を含んだ空気だ。

 壁を撫でると、冷たいだけじゃなく指先に薄く水気がつく。


「昨日よりかなり湿ってきたな」


 僕が言うと、イスカも壁へ目を向けた。


「はい。空気の流れも少し変わっています」


 その少し先で、リナがしゃがみ込んだ。


「……足跡」


 魔灯を寄せると、石の床に細い爪痕が走っているのがはっきり見えた。

 四つ脚で軽く踏んでいるのに、爪跡だけが浅く残っている。


「獣系か」


「大きさ的にレトルファングかな?」


 レトルファング自体は珍しくない。

 現にこのルルレーダンの迷宮の浅瀬では何度も戦っている。


 だが、今の僕たちはもう浅瀬よりかなり深いところまで来ているはずだ。

 Dランクの昆虫や植物系の魔物が混じるこの場所にまで、浅瀬のレトルファングが下りてきているのはやはりおかしい。


 リナが《解読(パース)》を使う。

 薄く金が差した目が床の足跡を追い、やがて左前で止まった。


「この足跡、まだ新しい。近くにいるかも」


 ドーレマンが先へ視線を送る。


「足跡の周りに泥が落ちている。この先に獣が出入りするような湿った場所があるってことだ」


 通路の曲がり角の奥で爪が石を擦る音がした。

 次の瞬間、砂を被ったような毛色の影が低く飛ぶ。


 長い胴、細い口先。横から見える鋭い牙。

 やはりレトルファングが三頭。


 先頭が僕の方へ跳び掛かってくる。


 僕は朧差を引き抜き、小さく踏み込んで跳び込みに合わせる。

 だが、斬られる前にそいつは器用に体を捻ると、斜めに跳んで避けようとした。


 昨日までの僕なら見失っていた一歩が、今はまだ目で追えている。

 着地の一点へ意識を向ける。


「――《留黒(とめぐろ)》」


 レトルファングの前脚がついた地面を起点に『黒』を広げた。動きが鈍る。


 そこへリナの鎖が床を這い、両脚に絡めた。

 レトルファングの姿勢が崩れたところへ、イスカが《閃駆(せんく)》で横から入り、細剣を首へ通した。


 二頭目は石床を走り、今度はリナへ向かう。

 だが、リナは逃げなかった。

 一歩だけ引いて距離をずらし、鎖で近づかせないように動いている。


 すぐにイスカが回り込んできたが、レトルファングは細剣を嫌ってか横へ跳んで退いた。

 それを逃さないよう、僕は距離を詰めて朧差を合わせる。

 《瞬纏(しゅんてん)》による黒い刃が、獣の肩口から腰までを斬り抜いた。


 三頭目が走ってきたのを見て、返しで立ち向かおうとした瞬間、ドーレマンの拳が横から叩き込まれた。

 鈍い音がして、レトルファングが一撃で壁へふっ飛んだ。


 急に通路に静けさが戻ってきた。

 ドーレマンは壁にぶつかり個体を見ながら、すぐに言った。


「練習はここまでだ。気になることができた。お前たちは今まで通り動け。俺が合わせて入る」


 息を整えながらリナが聞く。


「何かあったの?」


 ドーレマンはレトルファングの腹下についた泥を見ている。


「ルルレーダンの奥に水場があるだけならまだいい。だが、その周りにもっと厄介な獣が棲みついているなら話が変わる。危険度の見立てや入れる冒険者ランクの規制が必要になる」


 イスカが倒れたレトルファングの毛並みを見て眉を寄せた。


「確かに体も湿っています」


 近づいて見ると、腹の下側の毛に泥がたくさん付き、後脚には細い緑の蔦まで絡んでいる。


 僕たちは魔核を抜き取ると、また先へ進んだ。


 下りの通路はところどころで分岐しながらも、まだ続いている。かなり進んでいるはずなのに、通路はまだ終わらない。


 壁につけた印も増えていた。

 ぽつぽつと壁を伝っていた水滴も、いつの間にか細い筋になって地面の端を流れていく。


「……だいぶ下ったな」


 僕が呟くと、ドーレマンが前を見たまま答えた。


「地面に水が流れるようになった辺りから、壁に草や蔦が這うようになっている。環境が変わってる。もう下層に入りかけてると見ていいだろう。そろそろお前たちには危険だ。次に出る魔物を見たら、一度街まで引く」


 僕は濡れた壁へ目を向ける。


「ルルレーダンの迷宮って、こんなのだったのか?」


 ドーレマンは短く首を振った。


「少なくとも、ルルレーダンの元の入口から入って、こんな景色に出会った話は聞いたことがない。元々の報告では、奥へ進んでも石と砂の迷宮だったはずだ」


 そこでイスカが壁の上を伸びている植物を見ながら呟いた。


「……でも、この感じ」


「何か思い当たるのか?」


「翠緑の迷宮に少し似ています。湿り方も、植物の感じも」


 魔物の数が増えたというより、この迷宮そのものの姿が途中から変わってきているような感覚だった。

 その先で、通路が急に右へ折れた。


「水の音が大きくなりました」


 僕たちは速度を落とし、足音を殺すように進む。

 その先で、石壁が大きく割れていた。


 まるだ外側から無理やり押し広げられたみたいに、大きな穴が空いていた。

 僕の身長くらいだとそのまま屈まずに通れるほどの穴だ。

 穴の縁には太い根が何本も食い込み、灰白の壁にめり込み、締めつけるように這っていた。


 そこで僕たちは揃って足を止める。


 これまで歩いてきた石造りの迷宮ではない光景が目の前に広がっていた。


 広い空間の底を浅い水が流れ、濡れた土の上には、僕の背丈ほどの草がびっしりと目の届く先まで生えている。

 石柱は途中まで根に巻かれ、天井からは長い蔓が何本も垂れ下がっている。


 風はない。

 なのに草と葉だけがかすかに揺れていた。

 湿った土と青臭い草の匂いが、穴の奥からこっちへ流れてくる。


「……何、これ」


 リナが息を呑む。

 イスカの声も低くなった。


「もうこれを見ると……」


 ドーレマンはすぐには返さなかった。

 その場で足を止めたまま、濡れた土や背の高い草むら、根に呑まれた石柱などを順に見ている。


「……言いたくはないが、俺にもそう見える」


 低い声だった。


「ルルレーダンの中で見る景色じゃない。かなり翠緑の迷宮に近い」


 ここは石壁の迷宮の腹の中へ、無理やり緑を押し込んだような歪さがあった。


 ドーレマンは僕たちの前に一歩出る。

 水の流れる音に混じって、草地の奥で何かが動いた。


 次の瞬間、背丈ほどの草の群れが左右に割れ、大きな影がゆっくりとこちらに姿を現した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紋章/能力バトル/ファンタジー/逃亡劇/神話/成長/レベルアップ/属性
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ