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完全無欠の悪役令嬢はポンコツヒロインをほうっておけない  作者: Kei
【ライオネルルート】名もなき想い

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ほうっておけなくて

 ノクスウッドの森の中は、湿った空気に満ちていた。

 木々が生い茂り、陽の光はところどころにしか差し込まない。

 肌にまとわりつくような湿気と、こもった熱が、じわりと体力を削っていく。


 湿気だけではない。

 森に満ちる魔素は、今までに感じたことがないほど不気味なもので、この森の独自の生態系を形作っているそれは、人の侵入を拒んでいるようにも感じられた。


 この中で魔素を感じられるのは、私のほかには貴族であるヴィンセントと、魔術の才があるリナくらいだろう。


 だが──


「しっかし相変わらず暑いなぁ、この森は」


 ヴィンセントは脳筋なので、高濃度の魔素と湿気の違いがわからないようだ。

 無骨な手で仰ぎながら、暑さに対して文句を言っている。


 一方、リナは。


「クラリス様……っ」


 魔素というより、森そのものの気配に怖気づいたのか、私の腕を掴んで離さない。


 ……大変可愛らしいし、思わず守りたくもなるが、その魅力を発揮する相手が違う。


 私は心の中でため息をつきながら、前をゆく二人の背中を眺めた。


 ライオネルとグレアムは、並んで魔物に対して警戒している。

 二人には隙がなく、魔素を感じることができないにもかかわらず、その気配を肌で感じ取っているようだった。


 森に入ってから何匹かの魔物にも遭遇したが、それらはヴィンセントも含めた三人が一瞬で葬り去り、魔石化していた。


 今のところ、剣の達人たちのおかげで、私の出番はまったくと言っていいほどない。


 リナの安全を考えれば喜ばしいことだが、こんなに順調だと、すぐに目的地に着いてしまうだろう。


 そう、目的地。


 昔、ライオネルが青い獣と遭遇した場所。

 ──エリアスが、命を落とした場所。


 知らず、握りしめた拳に力がこもる。


 あの出来事に対するライオネルのトラウマは深い。

 昨日、彼が家族の墓の前で見せた苦しそうな表情に、私は奥歯を噛み締めた。


 ……できれば、彼をそこへ連れて行きたくはない。

 でも──そこに、「古代の神」の本体はいる。


 本来であれば、ヒロインとの絆に支えられて、そのトラウマを乗り越えられるはずだが──


 私は、ちらりと傍らのリナに視線を向ける。


 私の視線に気づいたのか、エメラルドグリーンの大きな瞳がこちらを見上げてきた。

 目が合うと、顔を赤らめてうつむいたかと思えば、腕をさらにぎゅっと掴まれた。……ちょっと痛い。


 ダメだ、これは。期待ができない。


 私がヒロインのお相手になってしまったせいで、ライオネルの感情の拠り所がなくなり、このままでは彼はトラウマを乗り越えられないまま、さらに傷つくことになるかもしれない。


 リナから視線をライオネルへ移す。


 ちょうどライオネルも、こちらを窺うように顔を向けており、視線が絡んだ。


 その瞬間。


 ……思いっきり、目をそらされた。


 あからさまに私と目を合うのを避けるように、彼は前を向いてしまった。


 ──避けられている。


 その事実に内心ショックを受けながらも、それが自分のせいであることは自覚していた。


 昨日。

 ライオネルの家族の墓の前で、私はライオネルを──抱きしめて、しまった。


 あんなの、この世界の令嬢のすることではない。

 貴族の常識に照らし合わせれば、破廉恥女と罵られても甘んじて受け入れるしかないレベルだ。


 わかっている。自分が常識外れなことをしたのは、よくわかっている。


 それでも──


 ……ライオネルの苦しそうな顔を見たら、どうしてもほうっておけなくなったのだ。


 少しでも、彼の苦しみを一緒に背負ってあげたい。

 少しでも、彼の悲しみを和らげてあげたい。


 そう思った瞬間、無意識のうちに体が動いていた。


 ……ああするよりほかに、彼を苦悩から救う方法が見つからなかった。


 あれで彼の気持ちが軽くなったのかはわからない。

 私たちはあのあと、どちらからともなくゆっくりと離れ──一言も会話を交わさず、宿に戻った。


 今朝も、ライオネルとは何も話していない。

 それどころか、目すら合わせてもらえない。


 ──軽蔑されてしまったかもしれない。


 その事実が、寝不足の頭とともに、ずっしりと体全体にのしかかっていた。


 そんな状態だったからだろうか。


「──嬢ちゃん、上!」


 ──ヴィンセントの声が耳に届くまで、私は“それ”に気づくことができなかった。


 反射的に上を向く。

 上空から勢いよく滑空してくる鳥の魔物が、私たちに向かってその鉤爪を振り下ろそうとしていた。


 魔術の構築は間に合わない。

 体が自動的に剣の柄へ伸び、それと同時にリナの腕をほどいて彼女の前に出る。


 だが、魔物への認知の遅れが、私の戦闘態勢への移行を遅らせた。


 このままでは、剣を抜く前に魔物がこちらへ到達する。


 目の前に迫る鉤爪を前に、私はその一撃を受け入れることを覚悟した。


 ──それでも、リナだけは傷つけさせない。


 私は剣の柄から手を離し、リナの体を魔物の手が届かないところまで突き飛ばす。


 できるだけ自身へのダメージも減らそうと体勢を整えた、そのとき。


 一筋の風が目の前を横切り──私の目前まで迫っていた鉤爪が、急速にその勢いを落としたかと思うと、それは本体と切り離され、回転しながら宙を舞った。


 魔物の一部だったものは、私が突き飛ばしたリナの前に落ち、彼女は小さく「ひいっ」と悲鳴を上げる。


 しかし私は、そちらに目を向ける余裕はなかった。


 私の眼前には、屍と化した魔物が横たわっている。

 ……一瞬だった。一瞬すぎて、何が起こったのかすぐには把握できなかった。


 時間を置いて、少しずつ網膜に焼き付いた先ほどの映像が脳に伝わる。


 その映像の主は、私の斜め前で、何事もなかったかのように立っていた。

 剣についた血を払い、静かに鞘に収める。

 カチリという音で、私は自分が呼吸を忘れていたことに気づき、大きく息を吸った。


「──足手まといになるなら、帰れ」


 その鋭い言葉に、再び息を止める。


 「剣聖」──


 鋼色の厳しい視線に威圧されながら、私は目の前に立つ剣士の異名を思い出していた。


「クラリス殿っ!」


 ライオネルの焦りを含んだ声が聞こえる。


 ……そうだ、呆然としている場合ではない。

 グレアムの言う通り、私は足手まといになりに来たわけではないのだ。


 自分を叱咤するため、奥歯を噛みしめる。

 私を糾弾するかのような視線を真正面から受け止め、謝罪の言葉を口にしかけた、そのとき。


 駆け寄ってきたライオネルが私の肩を掴み、必死の形相で顔を覗き込んできた。


「お怪我は……っ!?」


 言葉は喉の奥に引っ込み、代わりに悲鳴が飛び出しそうになった。


 わかる。今の状況、ライオネルがすごく心配してくれているのはわかる。


 けれど。


 この至近距離で、推しにそんな表情で見つめられたら──


 「大丈夫です」とも「問題ございません」とも言うべき言葉が出てこず、私は口を開いたまま、ライオネルのアイスグレーの瞳を前にして、完全に動きを止めてしまった。


「落ち着け、ライ。クラリスの嬢ちゃんはどう見ても無事だろ」


 救いの手がライオネルの襟を掴み、ぐいと私から引き剥がした。


 先にリナを助け起こしてくれていたヴィンセントが、呆れた表情で私たちを眺めている。

 リナは口元を手で押さえながら、なぜかキラキラした目でこちらを見ていた。


 ライオネルはそんな二人を見て正気に戻ったのか、私と周りを交互に見つめ、一瞬で顔を真っ赤に染めた。


「も、申し訳ありません……!!」


 耳まで赤く染めたライオネルはとても尊いが、それをゆっくり鑑賞している場合ではない。


 私は自身を落ち着かせるため、一度深く呼吸をした。


「……いえ。こちらこそ申し訳ございません」


 ライオネルの後ろに立つグレアムへ視線を移す。

 その視線は、今のやり取りを見て少し呆れを含んだものに変化していたが、私はそれに気づかないふりをして頭を下げた。


「助けていただきありがとうございました。以後、気を抜かぬよう努めます」


 グレアムは答えない。

 彼はこちらに背を向けると、何事もなかったかのように先へと足を進め始めた。


 ゆっくりと顔を上げ、その背中を見る。


 「剣聖」の名は、本物だった。


 普段からライオネルやヴィンセントの剣技に見慣れていたため、かろうじて彼の動きを追うことはできた。

 ただ、あれを自分にできるかと言われたら──

 それは、ノーだ。


 ……本当に、昔の王立騎士団は、とんでもない逸材を手放してしまったものだ。


 公爵令嬢という立場であの傑物に認められるのは、諦めたほうがいいのかもしれないと、私は心の中で、何度目かわからないため息をついた。


お読みいただきありがとうございます。


次回は5月12日(火) 19:00更新予定です。

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