月下の遭遇
「承知いたしました」
ライオネルから森へ向かうことを告げられたとき、私は当然のように頷き、森へ行く準備を始めた。
それを見たライオネルは、ぎょっとしたように慌てて声を上げた。
「クラリス殿、本当に森に『古代の神』がいるかどうかもわかりませんし、危険な魔物もいます。ですから、まずは俺と団長で……」
「その危険な魔物が、『古代の神』の本体であったら──」
私はライオネルを遮るように、言葉を重ねた。
「リナの『封印の鍵』以外に、太刀打ちする手段はございません」
「……!」
ゲーム中でも──
同じようなやり取りの末、ライオネルはヒロインと共に森へ向かうことになる。
すでに私たちは「ライオネルルート」に入っている。
ということは、森で遭遇するのは「古代の神」の本体にほかならない。
グランドナイトガラの夜、本体に近い形で現れた「古代の神」を、リナは追い詰めた。
おそらく、ここにいる本体はそれほど力を残していないはずだ。
だが──だからといって、脅威ではないとは限らない。
理屈は理解しているのだろう。
ライオネルは何か言いたげに、じっとこちらを見つめている。
……リナを危険に晒すことに、ためらいを覚えているのかもしれない。
胸がかすかに痛んだが、それを無視して彼の目を見返した。
「ご安心ください。リナのことは、わたくしが守ります」
私に「封印の鍵」の守護者であるという自覚はない。
しかし、リナの保護者であるという自覚と覚悟はある。
ヒロインとは思えないほどポンコツなリナだが、私ならそれを補える。
ライオネルやヴィンセントの足を引っ張らない程度には、フォローできるはずだ。
「あ、あのっ、クラリス様……ありがとう、ございます……」
私の言葉を聞いたリナが、隣で顔を赤らめている。
なんともヒロインらしい仕草だが……その魅力を悪役令嬢相手に発揮してどうするの。
心の中でライオネルに同情していると、彼は私たちを交互に見たあと、小さくため息をついた。
「……わかりました」
彼のアイスグレーの瞳が、じっと私の目を見つめる。
あまりにも真摯な眼差しに、心臓をぎゅっと掴まれたような感覚に陥った。
「あなたたちお二人は──俺が、必ずお守りします」
──その顔で、それを言うのは。
反則すぎる“推し”の真剣な表情に、私は止まりそうになる心臓を叱咤しながら、こくりと頷いた。
森へ向かうのは翌日となり、その日は宿で休むことになった。
この時点でヒロインに危機が訪れることはないが、それでも万が一があっては困るため、リナと私は同室だ。
そのことにリナは必要以上に動揺し、もじもじしていたものの、やはりここまでの道のりで疲れが出ていたのか、ベッドに入るとすぐに寝入ってしまった。
なお、この旅には私の侍女であるエミリアも同行している。
私は前世の記憶もあり、一人で身の回りのことはできるつもりだが、今世での身分は貴族──しかも公爵令嬢だ。
侍女をつけずに出歩くことなど許されるはずもなく、エミリアに同行してもらっている。
とはいえ彼女には、私だけでなくリナも含めた身の回りの世話に専念してもらっているため、基本的には宿で待機している。
エミリアによって整えられた寝具の中で、私は何度目かわからない寝返りを打った。
……眠れない。
昼間、いろいろと考えすぎたせいだろうか。
隣ですやすやと寝息を立てるリナの顔を眺める。
グレアムのもとから帰ってきたときの彼女の様子は、いつもと変わらなかった。
道場で、ライオネルから彼の悲しい過去について話を聞いているのかと思ったのだが──ゲーム中ではそういう展開だった──そうは見えなかった。
もしかしたら、本来のシナリオとは違い、ヴィンセントがいたせいかもしれない。
まったく、あの人、なんでついてきたの……
どうせ、騎士団長の堅苦しい仕事よりも面白そうだ、といった理由だろうけど。
子どもを産んだばかりの奥さんを置いて、こんなところまで来るなんて。
熟年離婚されても文句が言えないレベルの所業だ。
私は寝ることをひとまず諦め、ベッドから出た。
月明かりの差し込む窓辺へ近づき、そっと外を眺める。
──そこに。
一人、見慣れた後ろ姿があった。
ライオネルだ。
すでに町も寝静まっているこんな時間に、彼はどこへ出かけるのだろうか。
まさか、一人で森へ──
私は考えるより早く、近くにあったローブを手に取り、部屋を飛び出した。
ライオネルの向かった方向へ足を進める。
町の入口とは反対方向、森へ向かう道だったため、彼が一足先に森へ向かおうとしているのではないかと不安になる。
だが、彼は森の手前で足を止め、別の方向へと進んでいった。
その先にあるものに思い当たり、私は息を呑んだ。
──町の墓地。
ライオネルの家族が眠る場所だ。
「ライオネルルート」では、グレアムの道場で彼の過去を聞いたあと、彼とともに訪れる場所。
そこでヒロインは彼の手を取り、自分がそばにいると想いを伝え、そして──
画面越しでも破壊力抜群だった、あの尊い微笑みを思い出し、私は身悶えしそうになるのを必死にこらえた。
落ち着きなさい、私。
あの笑顔は──ヒロインに向けられたものだ。
私ではない。
ただの悪役令嬢である私では、彼の隣には立てないのだ。
ライオネルを追おうとしていた足が、止まる。
……後を追って、どうするの。
彼が静かに家族と過ごす時間を、邪魔することはできない。
私は小さくため息をつくと、ライオネルが消えた道の角で足を止め、踵を返そうとした。
そのとき。
「──っ」
突然、誰かに腕を掴まれ、壁に押し付けられる。
背中に鈍い痛みが走った。
掴まれた腕から逃れようとするが、びくともしない。
──しまった、油断した。
こんな夜更けに女一人で出歩けば、何があっても不思議ではない。
冒険者の多い町だ。それなりに実力のある荒くれ者もいる。
どんなに優秀でも、武器もない状態では男女の力の差は埋められない。
こうなったら、魔術を使って──
「……クラリス殿?」
頭上から落ちてきた声に、私は顔を上げた。
月明かりを背に、戸惑いに揺れるアイスグレーの瞳が、私を見つめている。
私を壁に押し付けていたのは──ライオネルだった。
息がかかるほどの至近距離に、彼の顔がある。
「ライオネル様……」
「も、申し訳ありません。誰かに後をつけられていると思って、それで──」
自分が拘束しているのが私だと知り、ライオネルは動揺したようだった。
だが、私を壁に押し付けたままだという状況に気づいた直後、驚くほどの勢いで後ろへ身を引いた。
私から数歩離れたところで──
月明かりが、彼の真っ赤になった顔を映し出した。
……成人した男性に、こんなことを言うのは失礼かもしれない。
けれど、そのあまりの可愛らしさに、私は平伏してあらゆる神々に祈りを捧げたくなった。
今なら「古代の神」にだって祈れる。
「ほ、本当に申し訳ありません……」
──ただ謝っているだけなのに、なんでこんなに可愛いの、この人は!
そんな不届きな内心を必死で押し殺していたため、私はしばらくの間、言葉を発することができなかった。
その沈黙をどう受け取ったのか、ライオネルはさらに動揺を見せる。
「クラリス殿、その、お怪我は……」
もう少しこの可愛らしさを堪能していたかったが、さすがに気の毒になってきたため、私は極めて冷静に見えるよう、静かに首を振った。
「いえ……わたくしのほうこそ、黙って後をつけてしまい、申し訳ございませんでした」
私の言葉に、ライオネルは明らかに安堵した様子で肩の力を抜いた。
その表情も正直、可愛くてずるい限りだが、顔に出すのは鋼鉄の表情筋でなんとか耐え凌ぐ。
だが、彼ははっとしたように顔を上げ、私を見つめた。
「そんなことはいいんです。それより、こんな時間にお一人で出歩くなど危険です! 何かあったらどうするんですか……!」
ライオネルの顔に浮かんでいるのは、焦燥だった。
確かに、誰かに突然襲われる可能性もある。
女性がこんな時間に一人で出歩くのは、自殺行為に近い。
先ほどのように力の強い男に羽交い締めにされれば、魔術でも使わない限り逃げ出すのは難しい。
体勢によっては、魔術を構築することも困難だろう。
ライオネルの叱責は、もっともだった。
「……申し訳ございません。ライオネル様がどこかに向かわれる姿をお見かけして、心配になって……」
「……っ」
彼は息を呑み、こちらを凝視した。
再びほんのりと赤く染まっていく顔に、「やっぱり可愛い」などと心の中で感想を抱いていると、ライオネルは困ったように視線をそらす。
「……ご心配をおかけして申し訳ありません」
彼の表情は、その先の言葉を口にするかどうか迷っているようだった。
しかし、意を決したように、再びこちらへ視線を向ける。
彼の真剣な目が、まっすぐに私を射抜いた。
「……宿までお送りする前に……少しだけ、お時間をいただけませんか」
お読みいただきありがとうございます。
次回は5月1日(金) 19:00更新予定です。
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