推しの子
「ライオネルルート」の流れは、もちろん把握している。
何を隠そう──プレイヤーだった頃の私の“推し”は、ライオネルだった。
騎士は、尊い。
私は常にその矜持を胸に、このルートを何周もした。
ライオネルのセリフは脳内再生余裕だ。ライオネル検定があったら、満点を取れる自信がある。
とはいえ、このルートは「ライオネルルート」であって「ライオネルルート」ではない。
ヒロインとの甘いイベントが繰り広げられる気配もなければ、ゲーム中では同行しなかった私というおまけだけでなく、ヴィンセントまでくっついてきている。
私の知識がどこまで通用するのか──正直なところ、自信はない。
ただ。
この地でライオネルが直面する、悲しい思い出だけは……できるだけ、避けさせてあげたい。
そんなことを考えているうちに、私たちはライオネルの剣術の師匠の道場へと辿り着いた。
町外れに、ぽつりと佇む木造の建物。
派手さはないが、柱や板壁には長い年月の重みが刻まれている。
開け放たれた扉の奥からは、威勢のいい掛け声と、木剣が打ち合わさる乾いた音が響いていた。
扉から中を覗くと、木剣を振るう子どもたちの姿が見えた。
どの子も基礎がしっかりしている。
……リナより剣術の腕が上そうだな、と心の中でこっそりと感想を抱いた。
「──覗き見とは感心せんな」
背後からかけられた声に、私たちは一斉に振り向く。
一切、気配は感じなかった。
視界に“それ”を収めて、ようやくその存在を認識する。
それは私だけでなく、ライオネルやヴィンセントも同様だったらしい。
ヴィンセントは頭をがしがしと掻きながら、降参だと言わんばかりに両手を上げた。
「相変わらず人が悪いですね、師匠」
誰に対しても──陛下に対しても砕けた口調でしか話さないヴィンセントだが、唯一、彼が敬意をもって丁寧な言葉を使う相手がいる。
それが、今、私たちの前に佇む人物。
ライオネルとヴィンセントの師匠──グレアムだ。
齢はすでに六十を過ぎているはずだ。しかし、銀灰色の短髪に白髪は混じるものの、その体躯は引き締まり、十歳は若く見える。
グレアムは、ふん、と鼻を鳴らし、ヴィンセントを見上げた。
「お前は相変わらず隙が多い。そんなだから、ライオネルに剣の腕で抜かれるのだ」
どうやら、建国祭の武術大会でライオネルがヴィンセントに勝利し、優勝したことは聞き及んでいるらしい。
ヴィンセントは、苦虫を噛み潰したような顔になった。
グレアムは、そんな彼にもう一度鼻を鳴らしてから、ゆっくりとライオネルへ視線を移す。
「……成長したな、ライオネル」
「……はい。ご無沙汰、しております」
グレアムの鋼色の瞳には、子を慈しむ親の愛情にも似た色が浮かんでいた。
ライオネルがこの地で家族を失ってから、ずっと彼を見守ってきたのはグレアムだ。
十年以上前、この地を旅立ったとき、ライオネルはまだ少年だった。
その彼が、立派な騎士となった姿を目にしたグレアムの胸に去来する感情は、察するに余りある。
ライオネルもまた、ずっとグレアムに顔を見せに来なかったことに、罪悪感があるのだろう。
師匠との再会を喜ぶ気持ちとの間で、どうしたらいいかわからず、戸惑っているようにも見えた。
そんな二人の様子を見守っていると、グレアムの視線がこちらへ向けられる。
老齢とは思えない鋭い視線に、自然と背筋が伸びた。
リナはぽかんとした様子で、グレアムを見つめ返している。
ゲーム中では、グレアムはヒロインを見て、「まさか、嫁さんを連れてくるとはな」と言い、ライオネルを大いに動揺させるという、大変美味しいイベントがあった。
ただ、今ここには──私もいる。
「……ふむ。して、どっちがお前の嫁さんだ」
「し、師匠っ!?」
……うん、まぁ……そうなるわよね。
顔を真っ赤に染めて動揺するライオネルは、ゲーム中と同じ──いや、生で見る分、さらに素晴らしい出来栄えだ。
大人かわいいとは、こういうことか。
推しの貴重な映像を堪能しつつ、内心でごちそうさまでしたと手を合わせていると、隣のリナが拳を握って叫んだ。
「もちろん、クラリス様です!!」
「……リナ!?」
「リ、リナ殿……っ!?」
同じように顔を赤くして、とんでもないことを力説するリナに、私とライオネルの声が重なる。
私の鋼鉄の表情筋は動いていないだろうが、さすがに声は上ずってしまった。
ライオネルに至っては、耳まで真っ赤だ。
混乱する場を面白がるように、ヴィンセントの笑い声が響く。
「おう、良かったな、ライ。この町で式でも挙げていくか?」
「団長っ! やめてください……!!」
上司の火に油を注ぐ提案に、ライオネルは珍しく声を荒らげた。
……まぁ、リナに好意を抱いている彼からすれば、これはとんでもない誤解だろう。
胸の奥が、ちくりと痛んだが──それはきっと、前世の私の推しがライオネルだったからだ。
だから。
今の私の──クラリスの、胸の痛みではない。
絶対に、違うのだ。
「……クラリス“様”?」
グレアムの眉が、わずかに顰められる。
私は、その反応を予想していた。
できればそうならないでほしいと思っていたが……これは、避けられないかもしれない。
グレアムに向き直り、私は淑女の礼ではなく、体を軽く傾けるだけの礼をとる。
「お初にお目にかかります。クラリス・エヴァレットと申します」
私の名を聞いた瞬間、グレアムの顔に浮かんだ嫌悪の色に──
……やっぱり、ダメだったか。
私は、この先に待つであろう苦難を思い、心の中で小さくため息をついた。
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次回は4月21日(火) 19:00更新予定です。
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