名前のない感情
私たちが「古代の神」の本体を封印するため、王都の東、ノクスウッドの大森林に隣接する町へと降り立ったのは──つい昨日のことだ。
この町には元々別の名前があったが、ノクスウッドの森があまりにも有名だったため、いつしか“ノクスウッドの町”と呼ばれるようになったという。
それほど大きな町ではない。
だが、ノクスウッドには魔素を帯びた自然が生い茂る広大な森林地帯が広がり、独特の生態系が息づいている。
そのため、冒険者たちが力試しに挑むことも多く、町には彼らの姿が絶えなかった。
「ここがライオネル先生の故郷なんですね!」
町の入口に立ち、リナが初めて訪れる場所を興味深そうに見渡す。
その隣で、ライオネルは小さく頷いた。横顔が、わずかに寂しげに見える。
ここは、ライオネルの故郷。
彼が、両親と──弟とともに過ごした地。
そして。
家族を失った地だ。
彼にとって故郷であると同時に、深い悲しみが静かに沈む土地でもある。
シリルの魔法陣がこの地を示したとき、ライオネルの顔には、今と同じような複雑な表情が浮かんでいた。
彼はエリューシア学園に入学してから、一度も故郷に戻っていない。
「古代の神」の本体を封じるため──約十年ぶりに、この地を再び踏むことになったのだ。
行き先がノクスウッドに決まったことで、ゲーム中の「ライオネルルート」と同じく、同行者はライオネルに決まった。
リナの保護者──もとい、「封印の鍵」の“守護者”である私も、当然のように同行者となった。
さらに。
「ここには、すげぇ剣の達人がいるんだぜ。お前たちも師匠に会わせてやるよ」
そう言って得意げに胸を張るのは──王立騎士団の騎士団長、ヴィンセントだ。
頭二つ分は高い位置にある彼の得意げな顔を見上げ、リナが目を輝かせた。
「師匠の師匠ですか!? ということは、大師匠ですね!!」
……だから。
いつ、なんでヴィンセントがあなたの師匠になったの。
私の知らないところで、二人の間に謎の師弟関係が成立していたらしい。
確かに夏休みに、ヴィンセントから剣術の手ほどきを受けていたとは聞いている。
けれど、こんなにも堂々とした“師弟関係”が築かれていたとは聞いていない。
ゲーム中にはなかった展開だが、そんな彼もなぜか同行者となり──
私たちは、四人でこの地を訪れた。
ライオネルは彼らの謎の関係を知っていたらしく、その顔に苦笑を浮かべている。
……彼の表情から悲しげな色が消えたことに、私は心の奥で、そっと安堵した。
「古代の神」の本体がノクスウッドに存在するとわかったとき、私の胸に広がった感情は、とても複雑なものだった。
ノクスウッドは、「ライオネルルート」の目的地。
それはつまり、シナリオが「ライオネルルート」に舵を切ったということにほかならない。
私は、リナが「古代の神」を共に封印するパートナーとして私を選び、その結果、「悪役令嬢ルート」を切り開いたのだと思っていた。
だから、行き先がノクスウッドだと聞いたとき、二つの感情に襲われた。
一つ目。
私は、自分が彼女のお相手に選ばれたのだと勘違いしてしまったのだという、羞恥心。
……それは、すぐに消え失せた。
行き先がノクスウッドに決まってからも、リナが私に向ける熱い眼差しは変わらなかった。
むしろ、何かを吹っ切ったのか、以前より勢いを増しているようにさえ見える。
それに比べて、ライオネルへ向ける視線は、“剣術の先生”に向けるそれ──もっというなら、ヴィンセントに向けるそれと同じ温度だった。
この状態で、彼女が「悪役令嬢ルート」以外を選んだのではないかと疑うことはできなかった。
……いや、選ばれたかったわけではないのだけれど。そうでないことを望みたい気持ちもあったのだけれど。
そこは、ひとまず置いておこう。
そして、二つ目。
「ライオネルルート」と同じシナリオを進み始めたということは──
……ライオネルの、リナに対する好感度が高いということだ。
それはつまり、ライオネルは……リナのことが、好きだということで。
もちろん、私はリナと攻略キャラの絆を育てるために奮闘した。
その結果がこれであるなら、私は成功したということになる。
そういうこと、なのだけれど。
──気になる人、です。
学園祭の前日。
リナの問いと同時に、脳裏に浮かんだ顔。
隣に立つライオネルの横顔を、そっと窺う。
あのとき浮かんだ顔が──今、そこにある。
私の視線に気づいたライオネルが、こちらに顔を向ける。
そして、その顔に穏やかな微笑みを浮かべた。
あまりに尊いその微笑みに、私は慌てて視線を逸らしてしまう。
……私を襲う、その二つ目の感情に。
名前をつけないことで、見ないふりをした。
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次回は4月17日(金) 19:00更新予定です。
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