これからも 2
転移魔法陣の使用を許可された私は、まずはローザルディアに向かった。
お試しということで、父からは一日、エミリアと共に外出する許可を得ている。
いきなり未知の土地に赴くよりも、記憶に新しいこの地を選んだのだ。
おかげで、確かな手応えは得られた。
あとは、アレクシスと話をして──そして。
……胸の奥に、不安がある。
この提案を、彼が受け入れてくれるのか。
けれど。
会う前に、覚悟を決めなければならない。
先を歩いていたエミリアの足が、不意に止まった。
祠の中を見つめたまま、完全に動きを止めている。
先ほど彼女が転移魔法陣の準備をしていたときには、何もなかったはずだ。
だが──誰かが転移してきたのだろうか。
エミリアはくるりと振り返る。
「──申し訳ございません、クラリス様。わたくし、忘れ物をいたしました」
「え?」
「取りに戻ってまいりますので、どうか先にお戻りください」
言い終わるや否や、私の返事も待たず、彼女は丘を駆け下りていった。
エミリアにしては珍しい。
忘れ物をすることも。
こんなにもあっさり、私を一人にすることも。
とはいえ、あとは転移魔法陣で王城へ戻るだけだ。
危険はない、はずだが──
小さく首を傾げながら、私は祠へ足を踏み入れた。
──そして。
息が、止まった。
祠の中では、転移魔法陣がまだ淡く光を帯びている。
つい今しがた、その役目を終えたばかりの残光。
その光の中に、一人の人物が立っていた。
まるで──
光から生まれ落ちた存在のように。
整いすぎたその容姿が、そんな錯覚を引き起こす。
「──クラリス……」
その人物は、私を見つめ──
静かに、名を呼んだ。
「──……」
完全に、呼吸の仕方を忘れてしまった。
その名を口にしようと、小さく震える唇を必死に開こうとするが、声が出ない。
胸が、きゅっと締めつけられる。
そんな私の動揺を知ってか知らずか、その人物は一歩、また一歩と近づいてきて──
次の瞬間。
強く、抱きしめられた。
「クラリス……! 良かった……」
──良くない。
全然、良くない。
突然すぎる展開に、私は本気で酸欠になりかけながら、心の中で必死に抗議する。
その人物の腕は、逃がさないとばかりに力強い。
痛いくらいに抱きしめられ、胸と胸が押しつけられ。
私はこのまま心臓も押し潰されるのではないかと、本気で心配になった。
「ア、アレクシス様──」
震える声で、なんとかその名を口にする。
少しだけ体を離した彼は、私の顔を覗き込み、頬をそっと撫でた。
──近い。近すぎる。
至近距離で彼の美貌を直視してしまい、心臓が悲鳴を上げる。
このままでは、今世の人生もここで終わってしまうかもしれない。
耐えきれなくなった私は、彼の胸を押し返そうとする。
……が。
びくともしない。
なんなの一体。
王太子のくせに、無駄に鍛えすぎでしょ。
「すまない、クラリス……私が、不甲斐ないばかりに」
私が必死に距離を取ろうとしていることなどまるで気づいていない様子で、アレクシスは真剣な声でそう呟く。
私に触れる手は優しく、けれどその瞳は苦しそうで。
……なんで、謝るの?
この状況は一体、どういう展開なの??
混乱する頭から、理解力が次々と削ぎ落とされていく。
「クラリス」
もう一度、彼が私の名を呼ぶ。
薄氷のように澄んだ瞳に、熱を宿して。
まっすぐ、私だけを見つめている。
その視線から──目を逸らすことができない。
彼は、深く息を吸った。
そして──
「君が、好きだ」
──あまりにも、まっすぐな告白だった。
その一言が、全身を駆け抜ける。
痺れたような感覚に、足から力が抜ける。
気づけば、私はアレクシスの腕に支えられていた。
けれど彼の目は、私を逃がさない。
「ずっと……ずっと、私は君が好きだった」
低く、震える声。
その響きが、思考を奪っていく。
「婚約者だからじゃない。義務だからでもない」
一度、息を吸い。
「私は──君という女性を、心の底から愛している」
その言葉とともに、彼の瞳が揺れた。
強くて。
まっすぐで。
どうしようもなく、本気で。
──アレクシスのすべてが、私を求めている。
それが、痛いほど伝わってくる。
なのに。
混乱したままの私は、何も言葉を返すことができない。
自分の心と体が噛み合わないせいか──目の奥が、じわりと熱くなる。
ああ、まずい。
涙が、溜まっていくのがわかった。
「クラリス……?」
アレクシスの声に、戸惑いが混じる。
私が拒絶しているのだと思ったのかもしれない。
でも、違う。
私も。
私も──あなたのことが。
「……っ」
歯を食いしばる。
抜け落ちた感覚を取り戻すように、全身に力を込める。
──しっかりしなさい、クラリス・エヴァレット。
あなたは、完璧な公爵令嬢でしょう。
「……も」
震える唇を、無理やり動かす。
「わたくしも……アレクシス様のことが──」
涙が、頬を伝う。
それでも、目は逸らさない。
必死に、彼の瞳を見つめ返す。
逃げない。
もう、逃げない。
今度こそ、ちゃんと──
そのとき。
「クラリス……!」
再び、強く抱きしめられた。
言葉が、胸の奥で押し潰される。
──ちょ、ちょっと待って?
私、まだ最後まで言っていないのだけれど……!?
アレクシスの腕の中で窒息しそうになりながら、私は内心で異議を唱える。
だが、一世一代の告白を中断させられたショックのおかげか、逆に頭が冷えた。
……そういえば。
どうして、アレクシスはここにいるのだろう?
今回、ローザルディアに向かうことは、父以外には伝えていない。
父がわざわざ彼に話すとも思えない。
──ということは。
アレクシスも、私と同じことを考えて……?
同じ結論に辿り着いて、私を追ってきてくれたのかもしれない。
行き先を偶然ローザルディアに選び、それが当たった……?
腑に落ちない点はある。
けれど──
今、私は。
アレクシスの腕の中にいる。
彼と──共に在る。
その事実が、胸を熱くする。
私は、そっと手に力を込める。
彼の背に、腕を回した。
その動きに気づいたのか、アレクシスの腕の力が少しだけ緩む。
彼は私の顔を覗き込んだ。
整いすぎているその顔は相変わらず心臓に悪いけれど──
先ほどよりは、ちゃんと見られる。
少し赤くなった彼の顔を、私はまっすぐ見つめ返した。
……さあ。
やり直しだ。
「わたくしも、アレクシス様のことが──好きです」
青い瞳が揺れる。
その目の中に映る私は──かすかに、微笑んでいるように見えた。
「わたくしも……あなたの隣に在る権利を、得たいと思っています」
ずっと──
私たちは、二人で歩んできた。
婚約者になって。
二人で、並んで歩んできた。
恋愛感情など、なかった。
私たちは、同じ実力を持つライバル同士だった。
私が先を行けば、彼が追いつき、追い越して。
私もまた、彼に追いつき、追い越して──
そうして。
私たちは、二人で歩んできたのだ。
そして、これからも。
私たちは、一緒に歩んでいく。
今度は、ライバルではなく。
──生涯を共にする、伴侶として。
「──愛しています、アレクシス様」
私の言葉に。
アレクシスは、泣きそうな顔で笑った。
「……まったく。君には、いつも敵わない……」
彼の手が、そっと私の頬に触れる。
その目に浮かんだ熱に、私は思わず身を引いた。
「あ、あの、アレクシス様──」
けれど、彼の腕は私を強く抱きしめたまま、離れない。
近づいてくるアレクシスの顔に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「──言っただろう? 次は、外さないと」
クラス劇の、あのシーン。
あのとき、彼の唇は私の頬に触れた。
そして、そのあとに彼が口にした言葉が、脳裏に蘇る。
──あれは……そういう意味で……
ようやく、あの言葉の本当の意味を理解した私は。
あまりの恥ずかしさに、内心でのたうちまわりながら。
今度は──それを、唇に受け入れた。
お読みいただきありがとうございます。
次回、アレクシスルート最終回となります。
2回更新となり、3月31日(火) 19:00、19:10更新予定です。
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