【リナ】未来 2
謁見の間を出た後、私はガルストン様とお約束していた部屋へ向かった。
もともと、王様との謁見が終わったら、ガルストン様ときちんとお話をして、自分の気持ちを伝えるつもりだったのだ。
「よし、ガツンと行ってこいよ!」
ヴィンセント師匠に背中をバシンと叩かれ、私は大きく息を吸い込む。
その勢いのまま、扉をノックした。
「どうぞ」
穏やかな声が返ってくる。
私はそっと扉を開けた。
扉の向こうにいたのは──ガルストン様だけではなかった。
「セシリアさん……?」
ガルストン様が腰掛けるソファの向かいに、セシリアさんが座っていた。
驚きで足を止めてしまった私に、ガルストン様はいつもの薄い微笑を向ける。
セシリアさんはぱっと立ち上がり、嬉しそうに私のもとへ歩み寄ってきた。
「リナ、ガルストン様があなたのために、ドレスを用意してくださったのよ」
その言葉に、視線を横へ向ける。
部屋の奥には、いくつものドレスが並んでいた。
どれも上質な生地で仕立てられた、高価そうなものばかりだった。
……こんなに、たくさん。
「リナのために選んであげてほしいって言われて……でも、どれも素敵で迷ってしまうの。あなたも一緒に選びましょう?」
セシリアさんの顔は、本当に嬉しそうで。
まるで、自分の娘の晴れ姿を想像しているみたいに、幸せそうだった。
その表情を見て──
私はまた、何も言えなくなってしまう。
……もしかして。
このために、セシリアさんをここへ呼んだの……?
胸の奥に、じわりと嫌な感情が広がる。
セシリアさんの嬉しそうな顔と。
並べられた豪華なドレスと。
そして、私の決意と。
全部が、ぐちゃぐちゃに絡まっていく。
私はその気持ちを押し殺すように、ぎゅっと拳を握った。
「セシリアさん、ごめん」
突然の謝罪に、セシリアさんが目を丸くする。
けれど私は──
彼女ではなく、ガルストン様をまっすぐに見つめた。
「私は、王太子妃になるつもりはありません」
セシリアさんが、小さく息を呑んだ。
けれど、ガルストン様は身じろぎひとつしない。
「だから、あなたの養子にもなりません」
私の宣言にも、彼の顔に浮かぶ微笑は揺らがなかった。
動揺しているのは、むしろセシリアさんのほうだった。
「リ、リナ? 何を言っているの……?」
震える声。
私は覚悟を決めて、セシリアさんへ顔を向ける。
「ごめんね、セシリアさん。でも、決めたの。私は──」
「──クラリス嬢のそばにいたいのであれば」
私の言葉を、穏やかでありながら鋭い声が遮った。
はっとして視線を向けると、灰青色の瞳と目が合う。
「……私の養子になることが、一番の近道だと思いますが」
笑っているのに、怖い。
その視線に縫い止められたように、体が動かなくなる。
「あなたがクラリス嬢のご友人で、彼女を慕っていることは存じております。ですが、彼女は公爵令嬢──しかも筆頭公爵家だ。本来なら、ただの平民であるあなたが、そばにいてよい存在ではありません」
その言葉が、ちくりと胸を刺す。
握りしめた拳に、さらに力が入る。
震えを、必死に押さえ込む。
「クラリス嬢は優秀な方だ。王太子妃にならずとも、この国を支える存在になるでしょう」
そんなの、わかってる。
けれど、クラリス様はアレクシス殿下と──
「もし、あなたが王太子妃になれば──きっと彼女は、あなたのそばで、あなたを支える存在になります」
その一言に。
私は一瞬だけ、呼吸を忘れた。
ガルストン様の笑みが、わずかに深まる。
私の迷いを見逃さなかったのだろう。
──でも、違う。
「……じゃない」
違うんだよ。
「私は──支えてほしいわけじゃない」
ガルストン様から、目をそらさない。
「私は……クラリス様と、共に支え合える人間になりたいんです」
形だけの平等なんて、いらない。
身分が釣り合ったから、一緒にいられる──
そんな理由で隣に立つなんて、嫌だ。
私は。
自分の足で立って。
自分の力で選んで。
クラリス様の横に並べる人間になりたい。
守られる存在でも、飾られる存在でもなく。
隣に立ち、同じ景色を見る存在に。
「平民とか、貴族とか……そんなの、関係ない。クラリス様は……ずっと、変わらなかった」
初めて会ったときから。
ずっと──私を、一人の人間として扱ってくれた。
見下すこともせず。
見捨てることもせず。
だから私は、クラリス様の前では、ちゃんと一人の人間でいられた。
そんなクラリス様なら、きっと。
「クラリス様がアレクシス殿下と一緒に作る国は……身分なんて関係なく、みんなが助け合える国になると……私は、思います」
ただの平民だった私が、貴族であるクラリス様と一緒に、世界を救うことができたように。
“お飾り”の王太子妃なんかじゃ、実現できない世界を。
必ず、二人なら作ってくれる。
私は、ありったけの気持ちを込めて、ガルストン様を見つめた。
──その瞬間。
初めて、ガルストン様の笑みが消えた。
代わりにその顔に浮かんだのは──
かすかな、後悔の色。
……なんで?
どうして、そんな顔をするの……?
「リナ……」
私たちのやり取りを心配そうに見守っていたセシリアさんが、そっと口を開いた。
視線を向けると、強くて、優しい瞳がまっすぐ私を見つめている。
「そのクラリス様というのが……あなたの、大切な人なのね」
“大切な人”。
その言葉に胸がきゅっと鳴って、私は思わずどきりとした。
けれど、迷わず頷く。
「……そう」
セシリアさんは、ほんの少しだけ寂しげに目を伏せる。
でも、すぐに顔を上げて、ガルストン様へと向き直った。
「ガルストン様。リナは……こう見えて、とても頑固なんです」
寂しさを滲ませながらも、柔らかな微笑を浮かべる。
「こうなったら、てこでも動きません。ですから……この子のやりたいように、させていただけませんか」
小さい頃から、ずっと私を見守ってくれた人。
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
──私にとって。
もう一人の、お母さん。
セシリアさんの願いを、ガルストン様は黙って聞いていた。
やがて、長い沈黙のあと。
深く、長く、息を吐く。
「……そのようですね」
ガルストン様の顔に、いつもの微笑が戻った。
けれど──どこか違う。
何かから解き放たれたような。
何かを手放したような。
──何かを、覚悟したような。
……そんな笑み。
「確かに、あなた方の描く未来のほうが、この国にとって良き未来となるでしょう」
その声は、驚くほど穏やかだった。
なのに、私の心臓は逆に早鐘を打ち始める。
なんだろう。
胸の奥が、ざわざわする。
……嫌な予感がする。
ガルストン様が、ゆっくりと立ち上がった。
セシリアさんも同じ気持ちを抱いたのか、不安そうに眉を寄せている。
「私は──私にできることをいたしましょう」
彼は私たちを見て、小さく微笑んだ。
「ガルストン様……?」
セシリアさんの声には、隠しきれない不安が滲む。
うまく言葉にできない。
けれど、私たちは確かに、目に見えない何かに圧されていた。
その不安を振り払うように、セシリアさんは一歩近づき、その腕にそっと触れる。
ガルストン様はかすかに苦笑し、彼女の手に自分の手を重ねた。
──その光景に、私は息を呑む。
どこかで、見たことがある。
脳裏に、小さい頃の記憶が蘇った。
孤児院にいたころ──
ある夜、隣にいるはずのセシリアさんがいなくて、不安になって探しに行った。
薄明かりの漏れる部屋で。
不安そうな顔をしたセシリアさんと、知らない男の人。
彼女を安心させるように、その人は静かに手を握っていた。
あのとき私は、見てはいけないものを見てしまった気がして──
慌てて部屋に戻り、布団の中に潜り込んだ。
……あのときの、男の人は。
「……大丈夫だ。決して、君たちに悪いようにはしない」
ガルストン様は、セシリアさんの手をそっと外し、柔らかく微笑む。
セシリアさんは何かを言おうとして──
けれど、唇を噛み、言葉を飲み込んだ。
心臓が、嫌な音を立て続ける。
だめだ。
このまま、行かせちゃいけない──
ガルストン様が扉を開ける。
その背中が消えようとした瞬間。
私は──その裾を、掴んだ。
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次回は3月24日(火) 19:00更新予定です。
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